Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

本が読めない(笑);豊かな混沌

2009-08-31 21:48:38 | 日記

集中力がない、仕事がない日は寝てばかりいる。
寝すぎで、それぞれの眠りは浅く、起きていても、頭が冴えることがない(笑)

たまに本を、ブログに引用しようと(笑)、数十ページ読むのだが、続かない。
たぶん、このプレッシャーはある。
ぼくはもともと“活字を読むのが大好き”人間ではない。
大学のころの女性の友人が、“そこにあったら、週刊誌でもなんでも読む、活字を読むことが好きだ“というようなことを言ったので、びっくりしたことがあった。

ぼくは、なるべくなら“よいものだけ”を、なるべく少量読みたいという、“効率性”への欲求がある。
要するに怠惰なのである。

ある本の最後につけられている、参照文献のリストに、ため息をついてしまう。
この本を書いた人は、こんなにも沢山の本を読んだのである。
いったい、雀の涙ほどの本しか読んでこなかったぼくに、何か言うことがあるのだろうか。

正直に言うが、最近、“立岩真也”というひとにショックを受けた。
このひとには、“かなわない”と思った。
もちろんぼくは、大江健三郎にも、柄谷行人にも、辺見庸にも“かなわない”。
そんなことは、とうにわかっていた。
なのに、“立岩真也にかなわない”という感じは、(ぼくにとって)もっと本質的なものである。

ぼくがこれまでこのブログで主張したことに従えば、ぼくはまさに、この立岩氏を“読み続けるべき”である。
ところが、ぼくはここ数日、立岩氏の本が読めなくなっただけではなく、本が読めなくなった。

本を読もうとすると、倦怠感におそわれるのだ。
机の前で、積んである本をながめて、ぼんやりしている。
“読むべき本”のリストはほぼ完璧にできているのに(できているから)読めない。

ああ~あ。
あ~あ~あ~。

もちろん、テレビで映画を見たり、センキョ番組を見たり、気分転換をはかっている。
今週から仕事にいく日もまた増える。

しかし、ぼくの“生涯の読書計画”は、どーなってしまうのであろうか(爆)

読む本のタイプを変えるべきであろうか。
高階秀爾氏の『近代絵画史』を読んでみる(笑);

★ 《ゲルニカ》はきわめて特殊な状況のもとで描かれた作品だと反論されるかもしれない。しかし、あらゆる芸術作品はすべて「特殊な状況のもとで」描かれたのである。その状況を明らかにしていくことこそが、歴史の役割というものであろう。そしてそれは、同時にまた、われわれが今どこに立っているかということも、教えてくれるだろう。歴史とは、いわば裏返しにされた自己確認の試みである。現代美術における「豊かな混沌」は、そのような歴史的展望の試みをとくに必要とするかのように思われるのである。
<高階秀爾『近代絵画史』序言(中公新書1975)


1975年に出たのだから、この本は“古い”。
“だから”ここに書かれていることは、“古臭く、あたりまえ”であろうか?

そうとも言える。
ここには“歴史の終焉”とか“大きな物語の消滅”とかの認識が“ない”のかもしれない。

まさに“ポスト・モダン”状況がもたらしたのは、歴史の消滅であった。
“大きな物語”としての歴史が消滅することは、“小さな物語”としての個人史や、個人の“いま”の感性が花咲く時であったのだろうか。

たしかに“そういうこと”もある。
ぼくは不破利晴君とのコメントで“私(わたくし)小説”の可能性を書いた。

しかし、この“私(わたくし)”に賭けることは、狂気すれすれの行為だとも思える。
一見“静謐な私小説”と読みうる平出隆『猫の客』には、狂気がギリギリに抑制されている。
これは大江健三郎『僕が本当に若かった頃』で別様の表出を行っている(読みかけだが)
古井由吉『野川』、青山真治『ホテル・クロニクルズ』には老年と“若い”<わたし>の、まったく異なった、けれども、この“現在”を共有する表出がある。

ぼくは(ぼくたちは)歴史を喪っている。
ならば“現在に生きる”のであろうか。
しかしこの現在は、どんどん希薄になっている。
まさに、ぼく自身、どんどん覚めていることが困難になってきているのを、感じる。
鈍い狂気がしのびよってくる。

《裏返しにされた自己確認の試み》
《現代美術における「豊かな混沌」》

たしかに、このような言葉を真摯に受けとめるべきではないだろうか。

まさにぼくたちに必用なのは、<豊かな混沌>ではないだろうか。



あしたも会おうよ、あの街の角で

2009-08-31 11:43:11 | 日記

今朝起きてまた下記ブログのような“御託”をならべた。
そこに書かれていることも、ぼくの“本音”である。

しかし、ぼくが言いたいことは、そこに書かれていることだろうか?

ぼくはテレビのキャスターでも、大新聞の論説委員でもないのである。
たかだか、1日、数百件のアクセスを稼ぐブログの無名の書き手にすぎない。
つまり、ぼくが書くことに、影響力など、まったくない。

“だから”ぼくはいつでも、いま、このブログを読んでいる“あなた”に語りかけている。
これが唯一のチャンスだ、というのはそういう意味である。
ぼくも“惰性”で生きている、だからほっておけば、このブログも惰性になる。

明日もまた、今日のような日が続き、それが永遠に繰り返される“ように”ぼくたちは生きている。
そして事故とか病気とか仕事の行き詰まりとかの事件が“突然”襲う。
それでも、生きているなら、生きていく。
しかし、ついにいつか死が(自然死が、事故死が、戦闘死がやってくる)

死は保留されているだけであり、ぼくたちのだれにも、終わりはくる。
しかしそれまでは、ぼくたちが生きることは未完のプロセス、結論なき思考と行為の連鎖である。
他者との関係も完結することはない。

また話が“抽象的”になった。
ぼくが言いたいことは、考えることを放棄しないでほしいということである。
あなたに問題があるなら、それを考えて続けてほしいということ。
他者の意見を参照しながら、基礎から、根底的に考え続けてほしいのだ。
ぼくはこのブログでの自分の意見が正しいということをアッピールしたいのではない。
“はなし”はそんな低次元にはないのである。

ぼくもナイーブなひと、善意のひと、素朴なひとが好きである。
付き合うなら、そういうひとと付き合いたい。(笑)
しかし、“ナイーブさ”ということが、“考えないこと”であってよいはずがない。
自分の感情を率直に表現していれば、許されるわけではない。

たしかに、ぼくたちは、あらゆる“嘘”、“詭弁”・“虚偽”としての発言を許すべきではない。
しかし、“すなおに言う”ということが、“考えない”ことであることを許すわけではない。

また逆の態度、“公平公正”に語る人の、“嘘”を見逃すことはできない。
彼らには、主体がないどころか、自分がない。
なぜ“こころの病気”について、“客観的”に語る人は、自分もまた“病気である”という認識を持たずに語れるのであろうか。
また彼らは、それまで自分が知りえた“多くの人に正義だと了承された”言説にいつも依拠している。
そういう言説の“根拠=前提”を疑うことは、けっしてしない。
そういう“意味”でも彼らには、主体がない。

また、これまで考えられたこと、あらゆる哲学や科学や文学や芸術として語られたことは、その結果を、“情報”として処理すべきことではない。
彼らの“思考過程”、“方法”、“態度”として学ぶべきである。

とくに現在、ぼくにはうまい言葉がみつからないので、<態度>という言葉でここに書いたことが、ある。

頭が良く、記憶力が良く、古今東西の“知識”を身につけ、そのうえで、スマートに思考した人びとが、“偉い”のではないのである。
彼らが書いた“本”が古典となったのでもない。
彼らが絶対の真理や正義を“発見”したのでもない。

彼らは、まず“考えた”のであり、その思考のプロセスのいくらかを、いまぼくたちは“読む”ことができる。
それを“理解”し、“批判”することが、努力すればできる。

しかし、ついに、ぼくたちが学ぶべきことは、そのような彼らの思考と生き方の“結果”だけであろうか?

そうではなく、かれらがそのような作業を続けた“態度”、彼らの欲望=情熱(それが“恨み”であることもある)とその持続力こそ学ぶべきではないか。

どんな偉大なひとも、唯一の真理を見出したとか、だれにでも規範になる生を送ったわけではない、と思う。

彼らもまた苦闘し、“未完”のなかで死んでいったのだと思う。

人間に関する“問題”で、“模範解答”などない。
もしそれがこれまでの人類史であったなら、なぜ現在、それが唯一絶対の“基準=原理”となっていないのか?

“結論”が得られるから、考えるのではない。
考え続けることを放棄しない人びと同士の関係がつくられる“社会”によって、ぼくたちは、自分を解放できる世界へじりじりと向かう。



ジャーナリストのいない国

2009-08-31 09:17:51 | 日記

みなさまご存知の通り、新聞にはその新聞を代表するコラムがある。
読売=編集手帳、朝日=天声人語、毎日=余録、日経=春秋、産経=産経抄、東京=筆洗などである。

今朝のこれらコラムを全部読んだが、話題はもちろんみな“センキョ”であり、なにひとつ感心する言葉を読むことはできなかった。

いちばん正直なのは、産経新聞コラムである;

▼ 構造改革に吹き始めた逆風に、肥大化した自民党と後継首相はあまりにもろかった。期待を裏切った政党に、容赦ない鉄槌(てっつい)を下す方法を、有権者に教えたのも元首相だ。国民に競争の重要性を説きながら、自分の議席はちゃっかり息子に譲り、世間をあきれさせもした。自らの言葉通り、「自民党をぶっつぶした」のだ。(産経抄)

しかし“自民党をぶっつぶした”ひとが、自分の息子を“自民党から”立候補させ、ぶっつぶれた自民党の議員として“継続”させるというのは、いかなる“条理”であろうか。

まったく正当性も、理性のかけらもない。
この小泉の息子を当選させた“有権者”は、恥じて死ななくて良いのだろうか。

民主党が、こんなに大勝できたのは、民主党が自民党とたいしてちがわないことを、賢明で自民大好きで、少しの変化も望まない心底保守的な日本の”多数“が知っているからだ。
もし民主党が自民党とちがうなら、“バンザイ”をやめろ。

なにしろ“歴史的に”革命を経験しない国なのである。
革命ではなく、改革とか構造改革とか言って、なにひとつ根底的に変える気はない。
ひたすら保身するだけの“大多数の国民”が、自分の小さな利権だけを追及するのみである。

前回の小泉“改革”選挙と今回の民主バカ勝ち選挙が意味するのは、この日本国民と呼ばれる人々の、底知れぬ“全体主義”的体質である。

イヴェントがあれば、ワッとむらがり、お祭さわぎして、後は知らない。
まったくなにひとつ“考える”という労力をはらわず、その日の気分で右往左往。
昆虫のような人びとである。

昨夜テレビのセンキョ番組を何時間も見続けて、無重力状態に陥るような虚脱感を覚えた。
まったくだれひとり、まともな言葉を発することができない。
ぼくはここ何年も、“地上波テレビ”を見ることを拒否しているのだが、久しぶりに見たテレビ村の住人の顔ぶれが全然変わっていない。
なぜぼくは、選挙番組で“ビートたけし”の顔を見、あの意味不明の喋りを聞かされなければならないのか。

なぜタレントが“政治”に張り付いているのか。
いったいどこに、政治について専門家として語る人、政治家と有権者の行動を共に批判する“ジャーナリスト”がいないのか。

鳩山代表が最初の記者会見を行ったとき、2,3の質問が終わったら、記者会見場が沈黙してしまった。
そこに居合わせ記者たちから質問が続かないのだ。
司会者?にうながされて、やっと次ぎの質問が出た。
いったいこの場にいた各メディアの“政治記者”というのは、自分の職業を何だと思っているのか。
良くも悪くも、このような歴史的変動の場にいて、新しい政権政党代表に対して、質問が殺到するのが“正常”だと考える。

それがジャーナリストのえげつないまでの“本能”あるいは“プロ意識”ではなかったか。
政治の場は、学校の教室ではないのである。

しかしこの自分の職業意識さえ希薄な“ジャーナリスト”とタレントの“大口”を、いつまでもいつまでも飽きずに見続け、聞き続けているのも、この“視聴者=日本国民”である。

こんなおろかな国が、どうして滅びないですむのか、ぼくにはまったくわからない。

非常に具体的なことを言うなら新聞はほっておくだけで死ぬから、あとはテレビを変えることである。
現在テレビに出ているひとと、スタッフを全員“解雇”すべきである。

そういう具体的なことが変わらなければ、“この国”は、変わらないことによって、ずるずると破局へ向かう(破局とは滅び去ることではなくて、腐ったまま存続することでもある)

《◆亀井勝一郎の「青春論」にいわく、〈人はしばしば、結婚してから失恋するものである〉。新しい伴侶の座を射止めた鳩山民主党ものぼせてはいられない。希望が失望に変わるとき、「赤い糸」ははかないものである。》(今日読売編集手帳)

この読売新聞の“ジャーナリスト”は、政治というものを“家族の比喩”でしか認識できない。
これはまったくの“虚偽”である。

この世界の関係、この世界のあらゆる社会の関係というのは、家族関係とはまったく異なる次元にある(家族関係に“あてはめて”、あるいは家族関係の“延長線上に”考えることはできない)
それは、“社会”や“政治”について考える、基礎の基礎である。

このことは、この読売“ジャーナリスト”が、恋愛や家族関係についても、まったくなにひとつ考えてこなかったことを暴露する。

“赤い糸”などというものは、存在しない。
存在すべきでもない。

ただ、私とあなたの、私とこの社会の、私とこの世界の、刻々変化する“関係”があるだけである。



焼け野原に立つ

2009-08-30 15:36:34 | 日記
不破利晴ブログから引用一発;

《今現在の日本はメディアを始めとして、政権交代のお祭りムード一色に染まっている。しかし、そのような乱痴気騒ぎはすべて幻想であると思った方がよい。60数年前の日本の都市部がそうであったように、現在の日本は本質的には焼け野原同然、不毛地帯と化しているのではないだろうか。》


“センキョ”に、行ってきました。
空は台風接近?で、泣きそう。
投票所が今回から変わり、家からちょっと遠くなった、公園脇の小学校体育館。
妻は電動カート、のろのろなんだが、ぼくの歩行スピードよりはやい。
投票をすませ、つぶれてないか心配だった喫茶店で、ぼくはコーヒー、妻は日本茶にヨーカン。
帰りもテクテク。

暗い空に、公園の緑。
青暗くかげって。

この日、焼け野原に立つ。

ぼくは、この焼け野原を歩いてきた。





現在、アサヒコム・アクセス・ランキング;

1位:「あすは投票日」軽飛行機が放送ミス 愛知・江南
2位:池田がプレーオフ制す 石川遼は1打差3位 男子ゴルフ
3位:全美貞が今季3勝目 女子ゴルフ



正義とはなにか

2009-08-30 12:44:01 | 日記

けっきょくぼくたちは、なにをいっているのか

a:わたしは感覚的にただしい。
b:わたしは感情的にただしい。
c:わたしは論理的にただしい。
d:わたしは道徳的にただしい。
e:わたしは倫理的にただしい。
f:わたしは美学的にただしい。
g:わたしは常識的にただしい。
h:わたしは法的にただしい。
i:わたしは宗教的にただしい。
j:わたしは日本的にただしい。
k:わたしはいいかげんにただしい。
l:わたしはどうでもよくただしい。
m:わたしはただしいかただしくないかわからないがただしい。
n:わたしは、テレビと同じフィーリングだからただしい。
0:わたしはかわいいからただしい。
p:わたしはセンスがいいからただしい。
q: わたしはただしいひとのいうことにしたがっているからただしい。
r: わたしはただしいかただしくないかなんて考えないからただしい。
s:??????????????????????????????????!




投票に行きましたか?(爆)


わたしが得をすることはすべてただしい。



CarrieとKing

2009-08-30 10:13:01 | 日記

今日へと日付が変わるころ、テレヴィで「キャリー」をひさしぶりに見た。
スティーヴン・キングのデビュー作をブライアン・デ・パルマが映画化。

ぼくはキング・ファンだが、この小説は好きではない(笑)
これに続く、『呪われた町』、『シャイニング』、『デッド・ゾーン』、『ファイア・スターター』、などに愛着がある。

映画は、なによりもシシー・スペイセクである。
シシー・スペイセクをいじめる張本人ナンシー・アレン(相棒はトラボルタ)は、『殺しのドレス』(これもデ・パルマ作品)ですばらしく魅力的だった。

スティーヴン・キングというひとは、大量に書いており、まさに“玉石混淆”である。
『アトランティスのこころ』では、上巻がくだらないのに、下巻が傑作である。
これを読み始めて途中で投げ出したひとは、損をする。

最近、Amazonの読者レビューで、“村上春樹は日本文学を意外とちゃんと読んでいる”などという“意見”があったが、春樹がいちばん影響を受けたのは、このキングである。
良くも悪くも。
そのわりに、ストーリー・テイラーとして、春樹はキングより下手である。
どうして『1Q84』が、キングの“良い作品”より面白いことがあろうか?(笑)
ノーベル賞を村上春樹にやるなら、スティーヴン・キングに先にやるべきだと思う。

“遅く生れてきた”方々のために、Wikipediaから“情報”を貼り付ける;

★『キャリー』(Carrie)は、スティーヴン・キングの小説。1974年、ダブルデイ社から刊行された。キングの処女作。
念動能力(テレキネシス)を持つ少女キャリーが、いじめによって精神不安定に陥り、その能力によって町を破壊する話。1976年、アメリカでブライアン・デ・パルマにより映画化。

★キャリー(Carrie)は、1976年に制作されたアメリカ合衆国のホラー映画。スティーヴン・キングの同名小説をブライアン・デ・パルマが映画化した作品。
出演したシシー・スペイセクとパイパー・ローリーはそれぞれアカデミー賞にノミネートされた。また、原作者のスティーヴン・キングが「私の作品にもっとも忠実に映像化されている」と絶賛した作品でもある。



むかしむかし

2009-08-29 09:30:13 | 日記
ひところ朝起きて、“ネット”を巡回し、なにかをこのブログに書くのが習慣だった。
なぜか天声人語についての“感想”を書くことが多かった。

しかしそれも、“むかしむかし”のことである。
今、同じようにパソコンに向かっている。

なにを書けばいいのだろうか。
インフルエンザか選挙か。
ノリピーか“お塩”か。
それとも夏の終わりの、“ぼく”の感慨を語るのか。

センキョですか。
ぼくは、たぶん、これまでの60年以上の人生で、棄権というものをしたことがない。
ブログをはじめてからは、投票に行くことを呼びかけたこともあった。
しかし、明日の選挙は行く必用を感じない。
けれども“習慣で”行く、それだけである。

なぜ“メディア”は、このセンキョが“歴史を変える機会”であるかのようなキャンペーンを田舎の宣伝カーのようにガナッているのであろうか。

現在のメディアと、メディアにいる(メディアで飯を食っている)人々に、良心も知性もセンスもまったくないことは、“選挙報道”だけではなく“ノリピー&押尾事件報道”で明らかである。
“彼ら”はグルなのである。

“政治家からタレント”までは、メディアという“仲介人”によって、仲良く金儲けして、互いの利益をむさぼるだけである。

新聞を購読する人、テレビを見続ける人々を、“お人好し”と呼ぶべきか、“だまされやすい人々”とよぶべきか、“センスレス!”と呼ぶべきか、“たんなるバカ”と呼ぶべきか、不明である。

しかしこれらの“受動的な人々=視聴者=見物人=庶民”というのも、自分は他人を騙せると“信じて”いるのである。
いつかは“あっち”に仲間入りして、スポットライトを浴びたり、稼ぎたいという、健全でささやかな野心をお持ちである。

だから、とかくこの世は面白いのである。

しかしこのような“この世”に60年も生きてくると、飽きるのである。
そーいうことに。
だからぼくは“日本的伝統”にしたがって、“隠棲”の道をえらぶのである(笑)
あるいは芭蕉のように、旅に出る。
カネがないから、この部屋でパソコンと本の山だけでも、旅に出る。<注>

芭蕉だって、実際に“奥の細道”をたどったのは、自分がそれまでに知った“言葉”を反芻し、そこに自分の言葉を付け加えるためであった(らしい)

隠棲の場所から、このブログは発せられる。
“隠居の繰言”はなるべく書かないで、“引用”する。

この隠棲の場所から、皆様への“アドヴァイス”として掲げる言葉は、昨夜(今朝)引用した、“ファシズム”を体験したギュンター・グラスとヴァルター・ベンヤミンの言葉である;

★だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。
 <ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』の終結部から>

★希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている。
 <ベンヤミン“ゲーテの「親和力」”>




もちろん、現在のぼくの“基本的認識”は、このぼくやあなたを巻き込んで進行している“すべて”が、<民主主義ではなく全体主義である>という認識である。

だから全体主義を認識し、それと戦った言説が参照される。

それは、“狭い”言葉ではない、たとえば『猫の客』にしるされたような言葉も、とうぜん含まれる。


ぼくが考える、“民主主義”とか“全体主義”という言葉は、政治的なシステムのみをあらわす言葉ではない。
“民主主義”とは、“自覚的な個人の関係”による社会関係のことである。

“全体主義”とは、単一な価値観、感性、論理(思考パターン)をもったひとたちのみで成り立つ社会関係のことである。
“自分と同一でない人びと”を、“排除”する関係である。




<注>

芭蕉は日本の“奥の細道”にしか行けなかったが、“ぼく”は、どんな世界の奥の砂漠にも行ける。

むかしむかしの歌がある(むかしは、良い歌がたくさんあった);

ぼんやりと浮かんだ
雲のように
さまよいたいと
おもったころから

遠くささやくおまえの声が
いつもあたしをささえた
いつかはきっとおまえのように
ほん泣きするよあたしも

あんたの好きなように
生きてゆけばいいと
すり切れたレコード
おまえのブルース

なにもかもなく生まれてきたのは
誰のせいでもないし
おまえのあとをたどっていた
夢をたぐりよせて

遠くささやくおまえの声が
いつもあたしをささえた

いつかはきっとおまえのように
飛んでみせよ私も
あしたはきっとおまえのように
飛んでみせるよ私も イェ~

イェ~、イェ~、イェ~

<カルメン・マキ“空へ”>



今日という日と未来の夢

2009-08-29 01:39:20 | 日記
第二部途中で中断していたギュンター・グラス『ブリキの太鼓』を再び読みはじめた。
妻がお茶の水の大学病院の眼科検診に行くので同行し、いつものように神楽坂で“豆かん”と釜飯を食べた。
歩けば暑いが、電車などの冷房はぼくにはきつすぎる。
今日は、ホームなどでのアナウンスの音量が、やけに耳に響き不快だった。
“日本人”は、どこまで音に鈍感になれるのだろうか。

今日は(昨日になった)、真夜中に立岩真也氏の著書リストを書いただけで、ブログを書く気力がなかった。
ぼくはもはや“ニュース”に反応することができない。
どうでもいいのだ。
だから“引用”に特化することにした。
しかし、この引用=入力というのは、けっこう重労働なのだ。

今日は(昨日になった)このまま寝てしまうはずだったが、今、不破利晴君の『猫の客』についてのブログを読んで、刺激を受けた、素晴しいブログだった。

なので、省エネ的(笑)に引用する;

★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。
<ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』の終結部から>

  蛇足だが、近年、グラス自身が“だまされた人々のひとり”であったことを書いた模様、もちろん“ガス”は、“ガス室”を喚起している。


以上ではあまりにも省エネなので、もうひとつ“入力”しよう;

★ 娘はある予感をこめて、脇の椅子の子供の様子をさぐるようにする。
― もしかしたら、夢を見はじめるのは、この子かも知れません。私たちはまだ夢のための眠りに入ることができないのに、この子はぐっすり眠って、なにかささやくことがあるように唇を動かしています。あの人とそっくりの唇を。
― しかし、お嬢ちゃん、あなたがなにより避けたいと思っていたのは、お子さんを「夢を見る人」にすることじゃなかったか?
― あの人の家族も、あの人が「夢を見る人」になることを、決して望んではいなかったと思うわ。それでも、あの人は夢を見はじめたのでしょう?このような憐れな小さな子供のうちに、・・・・・・現実の楽しみはなにひとつあじあわぬうちに、自分にもよくはわからぬ、苦しい未来の夢を。
実際、子供はすでに涼しいようなささやき声で未来の光景の夢を語りはじめる。
― 宇宙船団が出発して行く、頭の良い人、美しい人、強い人はみな乗り組ませて。破壊され、汚染された地球に、選ばれなかった者たちが残っている。打ち壊され焼かれ、放射能に汚れた地球で、生きつづけてゆかなければならない。傷ついている、ものごとがよくわからず、醜く弱い、子供のような者らが。しかしそのような者らであるからこそ、なんとか生き延びる手だてをもとめて・・・・・・
<大江健三郎“夢の師匠”-『僕が本当に若かった頃』>



立岩真也著書リスト

2009-08-28 03:07:59 | 日記
最近のこのブログに書いたように、ぼくは立岩真也氏の本を読みはじめたばかりである。
しかもぼくの悪い癖で、その対象に“読む価値がある”と予感しても、なかなか集中、持続して読み続けることができない。

しかし、この立岩氏の本は、多くのひとに“緊急に読まれる”必要があると考える。
ゆえに、“ぼくより”立岩氏を読み込む可能性があるひとたちのために彼のこれまでの著書のリストを掲げる。
年代順であるが、どこからでも読み始めてほしい。


単著
★ 1997 『私的所有論』(勁草書房)
★ 2000 『弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術』(青土社)
★ 2004 『ALS―不動の身体と息する機械』(医学書院)
★ 2004 『自由の平等-簡単で別な姿の世界』(岩波書店)
★ 2006 『希望について』(青土社)
★ 2008 『良い死』(筑摩書房)
★ 2009 『唯の生』(筑摩書房)


共著
★ 1990 『生の技法-家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書店)
       安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也

★ 1995 『生の技法-家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』
      (藤原書店)  安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也

★ 2006 『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス)
       稲葉振一郎・立岩真也(対談)

★ 2008 『流儀-アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(生活書院)  稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也

★ 2009 『税を直す』(青土社)
      立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治




☆立岩真也(たていわ しんや、1960年8月16日 - )は、日本の社会学者。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。

新潟県両津市(現・佐渡市)生まれ。新潟県立両津高等学校、東京大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科修了。日本学術振興会特別研究員、千葉大学文学部助手、信州大学医療技術短期大学部講師・助教授、立命館大学政策科学部助教授を経て、2004年から現職。





*画像はピカソ



“草枕”を買った日;とかくこの世は住みにくいか?

2009-08-27 22:30:39 | 日記
昨夜、たまたまチャンネルを切り替えたら、テレヴィでグレン・グールドの番組をやっていた(もう終わりかけだったんだが)
グールドは『草枕』を愛読していて、その朗読がのこされている(もちろん英語だ;笑)
ぼくは『草枕』を読んでいなかった。
今日、明るすぎる夏と秋の気配が入り混じる日、仕事の昼休みに『草枕』と『三四郎』を買った;


★ 山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

★ 忽ち(たちまち)足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いているか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤に刺されて居たたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く。いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。

★ 巌角(いわかど)を鋭く廻って、按摩(あんま)なら真逆様に落つる所を、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
<夏目漱石『草枕』>



★ その被慈利(ひじり)にしてみれば熊野の山の中を茂みをかきわけ、日に当たって透き通り燃え上がる炎のように輝く葉を持った潅木の梢を払いながら先へ行くのはことさら大仰な事ではなかった。そうやってこれまでも先へ先へと歩いて来たのだった。山の上から弥陀(みだ)がのぞいていれば結局はむしった草の下の土の中の虫がうごめいているように同じところをぐるぐると八の字になったり六の字になったり廻っているだけの事かも知れぬが、それでもいっこうに構わない。歩く事が俺に似合っている。被慈利はそううそぶきながら、先へ先へ歩いてきたのだった。先へ先へと歩いていて峠を越えるとそこが思いがけず人里だった事もあったし、長く山中にいたから火の通ったものを食いたい、温もりのある女を抱きたいといつのまにか竹林をさがしている事もあった。竹林のあるところ、必ず人が住んでいる。いつごろからか、それが骨身に沁みて分かった。竹の葉を風が渡り鳴らす音は被慈利には自分の喉の音、毛穴という毛穴から立ち上がる命の音に聴こえた。
<中上健次 “不死”―『熊野集』>



★ 十分に多くの人たちは「消費を刺激する」といった言葉の貧困さや「人間の数を増やす」という発想の下品さに気づいている。しかしそうしないと「生き残れない」とか言われて口をつぐんでしまう。政治的な対立と見えるものも「経済」をよくする手段について対立しているだけだ。私たちに課題があるとしたら、それはそんなつまらない状態から抜けることである。

★ 第一には、働き作り出すことは、人が生存し生活するために必要な手段であり、基本的にはそれ以下でもそれ以上でもないという当たり前のことを確認すること。まったく言うまでもないことなのに、じつにしばしば、浮足だった言葉の中でそれが忘れられる。

★ 第二に、一人一人が人並みに生き、暮らせるために、今あるものを分けること、一人一人の自由のために分配することである。たくさん働ける人が多くとれ、少なくしかできない人が少なくしか受け取れないことが正義でないことは論証済みだと私は考える。

★ なにも新しいことを言ってはいない。前世紀の後半、環境や資源の危機にも促され、この社会を疑う人たちが現れた。ただその疑いを現実に着地させることが難しかった。

★ 生活欄で「がんばりすぎない」ことが言われ、同じ新聞の政治経済欄に「新世紀を生き抜く戦略」がある。それを矛盾と感じる気力も失せるほど社会を語る言葉は無力だろうか。いま考えるに値することは、単なる人生訓としてでなく、そう無理せずぼちぼちやっていける社会を実現する道筋を考えることだ。足し算でなく引き算、掛け算でなく割り算することである。もちろんそれは、人々が新しいことに挑戦することをまったく否定しない。むしろ、純粋におもしろいものに人々が向かえる条件なのである。
<立岩真也『自由の平等』-この引用箇所を含む文章の初出は朝日新聞2001/01/11朝刊“つよくなくてもやっていける”>




《それを矛盾と感じる気力も失せるほど社会を語る言葉は無力だろうか》





*画像はルドン


立岩真也と“生存学”

2009-08-26 14:14:06 | 日記
ぼくが立岩真也とういひとを知ったのは、最近、去年か一昨年に購入した『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス2006)においてだった。
この本は稲葉振一郎氏との何回かにわたる“対談”である。

この本自体が立岩氏の仕事に注目した稲葉氏からの問いかけとして成立している。
これを読んで、ぼくも立岩氏の思考に注目したのだが、この本自体を読み続けることができなかった。
だが、こういう対談ではなく、立岩氏の著書自体を直接読まなければと、考えていた。
ついに『自由の平等 簡単で別の姿の世界』を読みはじめた。
現在、その序章を読了したが、その“問題提起”の部分だけでも、無数の引用したい個所があった。

この序章の最後に、2001年正月に朝日新聞に掲載された「つよくなくてもやっていける」という文章が掲載されている(“21世紀の入口で”というシリーズのひとつだった)
ぼくは2001年当時、朝日新聞を購読していたが、この記事の記憶はまったくない。
当時ぼくはサラリーマンであり、正月は、こういう“むずかしい話”をパスしてしまったのだろう(笑)
もちろん“2001年”は、“9.11”の年であったし、個人的にはぼくはこの年の11月の終わりに母を亡くした。
しかしこの“2001年”を現在、リアルに思い出すことは、不可能である。

ここでこの朝日記事からの引用を考えたが、今日は、とてもかったるい(入力が)

WEBを見ていたら、立岩氏が2007年に『こちら“ちくま”』というサイトに掲載した文章をみつけた(この“ちくま”というのは松本市の自立支援センターとあるが、ぼくはもちろん知らない)

この文章は立岩氏らが立ち上げた「生存学創成拠点」という企画について“日本学術振興会に出かけていって話した話”であるという。
この文章だけでも全文をこのブログに引用すると長文になるので、ダイジェスト的に引用する;


★だれもが、「障老病異」、つまり、身体の不如意、老い、病い、これらをも含む様々な身体の異なりそして変化を経験します。それは生まれ死ぬことと同じく普遍的なできごとであり、皆が、そうして、死ぬまで生きています。
もちろん、その人たちのための技術はあり学問はあります。それはまず「医療」であり「医学」です。ただそれはなおすための技術・学問です。たしかになおればそれでよいのかもしれません。しかしなおらないことも多くあります。そして老いは誰にとっても必然です。
すると、そうした人のために「社会福祉」があり、そしてその学問、「社会福祉学」があるではないかと言われるでしょうか。けれども、福祉サービスを受ける時間以外の時間にもその人は生きています。その人たちがどうやって生きてきたか、生きているかを知る、そしてこれからどうして生きていくか考える。それが「生存学」です。

★ただ、そんなことは誰もが知っている、今さら学問の対象とするまでもないと思われるかもしれません。しかしそうでしょうか。例えば、耳が聞こえるようになるという「人工内耳」という機器があるのですが、そんなものはいらないという「ろう」の人がいます。いったいその人は何を考えているのでしょうか。皆さんも知りたくはないでしょうか。そんなことを調べて本を書いた学生が私たちの大学院にいます。
また例えば、ALSという病気で自分の体がまったく動かなくなって、呼吸も人工呼吸器を使って、1日24時間の介護を得て暮らしている人がいるのですが、その自分を介護する人を養成し、毎日の自宅での介護を管理し、それを自分の商売にしている人がいます。自分の障害をビジネスにしてしまっているのです。そんな組織を立ち上げ、全国に広げようとしている学生がやはり私たちの大学院にいます。なぜそんなことをしようと思ったのでしょうか。また、いったいそんな商売が成り立つのでしょうか。成り立ってよいのでしょうか。

★そんなことがまだいくらもあります。しかしそれらに従来の学問は本格的にとりくむことはありませんでした。
まず一つ、からだを扱うのは自然科学だといって、社会科学・人文科学の主流からは外されます。しかし自然科学では今あげたような出来事は捉えられません。こうしてそれは学問の狭間にあってきました。
もう一つ、医療や福祉はたくさんの人が従事する仕事ですから、そこで働く人のための立派な学問や教育のシステムがあり、同業者の業界があり、それは代々受け継がれ、発展していきます。しかし他方、病や障害は、ふつうは仕事になりませんし、病がもとで死んでしまう人もいます。もちろん共通の利害関心から患者会など様々な集まりが作られてきはしましたが、きちんと知識を蓄積し、伝え、将来を構想する力においてはやはり不利な位置にいます。供給サイドの学問のようには学問として成立してこなかったのです。
学問をうまく作り機能させることができるなら、必要とされる継続力、組織力、そして体系性を獲得することができます。大学はその器になることができます。そこで私たちが研究拠点を形成することにしたのです。

★第一に、知られていないことを知り、その上で考えるべきことを考えます。
知りたいことはいくらでもありますし、また広く社会から情報を求めたくもあります。また得たものはすぐに社会に戻し、社会の人々に様々な難問について考えてもらいたくもあります。集積する情報、研究の成果は、そのつど、すべて公開していきます。私たちのHPはすでに約1万のファイル、文字情報だけで100メガバイトを有し、年間アクセスは900万ほどになります。
学問は独占物ではなく、共有物、コモンズであると私たちは考えています。学的知識における「オープンソース」を目指します。残念なことでもありますが、私たちに追随できる研究機関はなく、競合を恐れることはありません。公表することの積極的意義もあります。私たち自身も、集めた素材をもとに、限界まで頭を使い、考えますが、同時に、あらゆる人に考えてももらいたいのです。そしてそれがまた生存学にフィードバックされます。
また、そうした作業に学生が参加することは、学生にとって研究の基礎を固める仕事でもあります。自らの仕事の意義と手応えを日々感じながら、責任をもって研究を進めることができます。

★第二に、様々な身体の状態にある人たちが現実に学問・研究に参加し作っていく仕組みを実際に作ります。
本人参加、当事者主権は今どき誰もが口にする言葉です。しかし先ほど申しましたように、私たちには実際の障害をもつ学生の必要がありますから、現実にその仕組みを作っていかねばなりません。実はすべてをHPにというのも、音声変換ソフトを使って文字情報に接する視覚障害をもつ学生、遠隔地の学生、社会人学生への対応でもあるのです。
また、私たちが間にはいって、従来つながらなかったものをつなげる、例えば技術の開発者と利用者をつなげることをします。見ていただいている写真は、ALSの人たちがコンピュータで交信する仕組みを作るのを支援しながら、その仕組みについて研究し、それを技術者の方にもフィードバックする、既に始まっている私たちの研究の一場面です。
そしてこのプロジェクトの全体について研究調査の倫理的側面を検討し、規範を設け、もって人を相手にする研究がどのようであればよいのか、その指針を社会に示します。

★そして第三に、これらの活動をもとに、どんな社会の仕組みを作っていくのかを考え、提案します。
そしてそれは日本国内のことにかぎりません。例えばアフリカのエイズの問題があります。それは医療技術だけの問題ではありません。薬がどうやったら人の手に渡るようになるかという問題でもあります。そしてそこにもHIV・エイズの当事者たちが大きな役割を果たしてきました。そしてこれらについて日本で最も多くを知り、活動を行ってきたのは研究機関ではなくNGOでした。その代表を私たちは特別招聘教授に迎えました。
国内・国外の様々な人、機関と協力しながら、どんなことが可能であるのかを考えていきます。
既に私たちの研究組織は活動を開始し展開しています。これだけの大きな、そして多様な作業をしていくために、自然科学研究のスタイルから取り入れるべきところを取り入れ、研究活動を共同のものとし、組織化していきます。そしてこれまで十分でなかった世界への発信を強化します。実際に暮らしている人々、活動している組織、そして社会と、ダイレクトで密接な関係を維持し、成果を即刻還元し、その反応を得ながら研究を展開していきます。そしてすでに多くの反応を得ています。みなさまも今後の私たちの活動に関心をもっていただければ、ありがたく存じます。
以上、なぜ私たちはこの拠点を作ったのか、そこで何をするのか、誰とするのか、どのようにするのか、簡単に説明させていただきました。ありがとうざいました。



*画像はパウル・クレー



自己システムの四つの回路

2009-08-25 03:10:31 | 日記

★ それぞれの自己が異なっていて、独自の病理性を持つのは、自己システムがそれぞれ固有の歴史を持っているためである。
だが、この歴史はクロノロジックな形で自己に記憶されているのではない。分析治療の最初期の段階(予備面接)で、患者は自らの生活史というものを分析家に語る。しかし分析治療が始まるとともに、明らかになっていく患者の自己の歴史というものは、そのような生活史とは大きく異なったものである。患者が最初に語った生活史とは、おおむね後から辻褄を合わせるような形で構成された歴史にすぎない。それとは別に、転移関係によって浮かび上がってくる患者の歴史とは、それまでの患者の情動的・言語的コミュニケーションの歴史である。それを私たちは先ほど述べたように、患者の自己の回路の作動に与えられた形として把握することができる。このような治療的観点から見て、はじめて把握可能な自己システムの作動のあり方というものをここで考えて見たいと思う。

★ 対象を恒常的に自己の下に置くことが出来ず、私たちの手元から逃げ去らせてしまうことは、人間の生物学的条件である。しかし私たちは、糸巻き遊びの例で示されるように、失った対象を別の形で取り戻すことが出来る。この能力が私たちの象徴化機能であり、それは各個人の感覚、情動の回路の形成、およびそれらのカップリングの仕方によって異なっている。感覚の回路が情動の回路と緊密に組織化された形でカップリングしている場合、その患者の象徴化機能は高いと言えるだろう。その場合、患者は対象の不在を、統合的な形で取り戻すことができる。しかしこのカップリングがうまくなされていない場合は、対象の不在はそのまま経験されたり、その対象を断片的で現実知覚とは切り離された形でしか取り戻せないことが起こりうる。これが精神病で起きている事態である。精神病者においては、対象の不在は幻覚や歪んだ認知によって補われている。

★ 先にも述べたように欲動の回路は空想を生みだす。そして現実の対象よりも、この空想の対象との関係において欲動の充足を図ろうとする。これが自己にとって快と経験される。(略)つまり快原則とは私たちの観点からは欲動の充足に関わる原理と考えることができる。ところで、ここで再び空想と幻想について述べるなら、空想は主として幼児のセクシュアリティに関わるものであるのに対し、幻想は成人のセクシュアリティに関わっている。幻想は欲動にその起源を持ちながらも、必ずしもセクシュアリティとの直接的な関係を持たず、自己システム全体の作動のあり方を方向づけている。また幻想は自己システムの作動を固定するように働く場合が多いゆえに、(略)「多形的」というより、「倒錯的」(病理的)な形で自己システム内部で機能していると言えるだろう。この幻想の中でも、日常の臨床のなかで最も頻繁に見られ、克服するのが困難なのがナルシズムという幻想である。

★ 自己は情動によって世界へと開かれる。だが自己は無媒介に世界へと開かれるのではなく、具体的な他者を介して、世界へと開かれる。しかも情動は自己身体をも他者の身体へと開示し、自己身体を再帰的に再形成している。そのさい情動が信頼というコードで作動しているなら、世界は自己を包み込むような形で現れ、不信というコードで作動しているなら自己を迫害する形で出現する。また自己身体の形成も情動が不信というコードで作動している場合、一旦構成されていた身体が新たに危機に晒されることになる。

★ 一方、言語の回路の作動は、自己システムにおいて、規範的なコードと現実認知的なコードで作動する。(略)エディプス期以外の時期においては、自己システムの形成において、言語の作動は基本的にはこの二つの作動コードに従うと考えられる。規範的コードとは社会システムが自己に強いる力であり、「・・・・・・せよ」という形で自己を形式化し、さらにこの規範は内在化されることによって、いわゆる超自我という審級を形成する。この規範的なコードは一般に自己システムに病理的な作用をもたらすことが多い。しかし、言語の回路が認知的なコードに従って作動する場合は、この作動は自己システムの現実認知能力を高め、自己が隠蔽し、歪曲していた現実を明確にし、自己が新たな現実との関係において自らを形成していく契機を与える。治療場面において、言語の認知的なコードは治療促進的に働く。

<十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』>




*画像はマグリット



ぼくはたまたま現在酔っ払っていて

2009-08-24 20:52:45 | 日記
ぼくはたまたま現在酔っ払っていて、すぐ寝たい。

しかし、いまブログを書くのは、この状態でないと書けないことがあるかもしれないからだ。

いったい、あなたは、ぼくのブログを読んでいるのか?

ぼくは“ナマ”である。
つまり、ぼくは、今しか生きていない。
いまぼくのブログを“見る”あなたは、ほんとうに“それ”がわかっているか。
ぼくが、このブログで、いいかんげんでありつつ、けっこう“ナマ”であることを、あんたは、本当に理解しているか?

もちろんこれがぼくの主観性であることを、ぼくの“主観性”は告げる。

あなたが、誰だか、ぼくにはぜんぜん見えない。
だから、ブログは、“柄谷的”命がけの飛躍なのだ。

ぼんびゃくの(凡百の)ブロガーにわかってないのは、このことである。

ぼくは“立岩真也”というひとに注目している。
今日Amazonマーケットプレイスから注文書届く、『自由の平等 簡単で別な姿の世界』(岩波書店)である。

“簡単で別な姿の世界”
これだけで、この本を買う動機づけは充分である。

最初に書いてある;
《すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子どものように考えてみることが必要だと思う》(引用)

ぼくは“社会学”について勉強している。
ぼくは“精神分析”について勉強している。

ぼくは、“子どものように”勉強している。

だから、ぼくを“子供のようだ”と非難する人々は、“正当”である。

しかし、かれらこそ、がんじがらめで、なにひとつ学べず、自己を永遠に循環するだけの“大人”なのである。



こころ、精神、魂

2009-08-24 12:29:24 | 日記
★このようなシステム論的な観点から、フロイトのエディプス・コンプレクスの構想を改めて捉え直すならば、エディプスとは自己システムと社会システムがカップリングを形成(および調整)している過程で生じる自己システム内の作動上の変化だと再定義することができる。(略)私たちは、エディプスを自己にとって不可欠な過程と考えるが、それは自己システムが自己システム内で完結せず、社会システムを媒介にすることによって初めて自己自身を構成するからである。また、このような自己システムと社会システムのカップリングの様式は、多様な形を取りうるゆえに、エディプスは単一的ではなく、複数的な作動様式を持つ。
<十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』>




★ 青草の斜面の上には、こまかな芽をふいたケヤキ、明るいワインカラーに萎れた冬芽の鞘から長い葉を伸ばしているホオノキと、ぼってりした花を堅固につけている八重の桜が並び、その向こうに竹薮が覗いている。そしてそれらの高みからすぐにもなにか始まりそうな気配が呼びかけをよこすようなのだ・・・・・・ そこへ上り電車が入って来ていた。

★ 自分の耳を澄まして放心する感じが、ボーッと発熱して来るふうな息子の異変の前ぶれを見過ごさせたのだと思う―全体にゆったりした身体の動きがむしろ生命を救いもしたのだと救急病院の医師から教えられたが―。停車しようとしてスピードを緩めている車体へ向けて、息子がユラリと吸いよせられる。それを斜め前から抱きとめようと、気持より一拍遅れて進み出たこちらの肩と側頭部を、その順に、巨大な重さのものが一触、二触した。僕は息子の胴を抱えとめざま、あお向けに倒れていた。わずかな時間ながら、気を失いもしていたと思う。

★ そのうち気がついてみると自分の両腕はもうなにも抱えていず、萎えたふうに体側に伸ばされて、僕は冷たくない水たまりに横顔をつけたまま、眩しい青空とそこを大きくかぎる黒い頭を片目で見上げていた。周りに狭い人垣ができているのもわかった。僕は水たまりから首をもたげようとし、頭の側面に疼痛を感じて怯み込んだ。またその自分の額のあたりにおずおずとふれてくる、形良くそろえた息子の指先が赤く汚れているのから、水たまりと思っていたものが自分の血によるものとも認めていた・・・・・・

★ それならば、今にもこの人垣を分けて来るはずの駅員が救急車を呼んでくれるまで動かずにいるのが妥当であろう。また癲癇発作の後遺症状のなかの息子を励まして、これ以上動揺させないようにせねばならない。そこで頭にこたえぬよう小さい声を発してみるが、それは端的に滑稽な酔っぱらいの口ぶりとなってしまう。―イーヨー、イーヨー、困ったよ。一体なんだろうねえ?
そして斜め上方の竹薮の高みから響いてくる鳥の声について、またあきらかにそれ以上のものについて、息子は答えたのだ。
―ウグイス、ですよ。

(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう

<大江健三郎“火をめぐらす鳥”-『僕が本当に若かった頃』所収>