Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

夏;ラジオのように

2010-07-28 18:08:18 | 日記


今日は、ぜんぜん外に出ない、家のなかで過ごす。
夕方に向かっても、激しい夏の光が、風で、散乱している。

その光と風を窓の外に見ながら、音楽を聴く。

バッハ“ヴァイオリン・ソナタ第1番”(ムローヴァ)→バッハ“チェロ・ソナタ”(マイスキー+アルゲリッチ)→モーツアルト“ピアノ・ソナタ第15番”(ピリス)→バッハ“フランス組曲”(ホグウッド)

急に、ブリジット・フォンテーヌ「ラジオのように」が聴きたくなる、聴く。

ぼくはこのアルバムを最初は“LP”で持っていた、CDに買い換えたのはそんなに昔じゃない。
このアルバムは1969年に出ている、最初聴いたときから、好きだった。

だが、ブリジット・フォンテーヌ(とアレスキー)が、というより、バックをつとめている“アート・アンサンブル・オブ・シカゴ”に惹かれたのだ。
事実、ほかのブリジット・アルバム(アート・アンサンブル・オブ・シカゴがいない)はつまらなかった。

しかし、“このアルバム”は、ブリジット自身もよいと思うようになった。
いかにもエキセントリックだが繊細な“フランス女”という印象が、変化した(ぼくのなかで)

この繊細さは、“強靭”なのだ。
それはもちろん、おばさんの強靭さとは、隔絶しているが(笑)

ただ“夢見がちな少女の夢”ではない。
ただ“夢見がちな少女”が、アート・アンサンブル・オブ・シカゴを起用するはずがない。

それにしても、最近のぼくは、“60年代の話題”が多いのである(笑)

ついに“1960年代”に回帰してしまったのだろうか。

「ラジオのように」におさめられた1曲“夏、夏”を引用しよう(ライナーの訳詞をそのまま)

最後に繰り返される“toujours vivants”(トゥジュール・ヴィヴァン=いつも生きている)というブリジットの声が、夏の光のなか、風のなかで、ぼくの耳に鳴っている;


そして、私はまだ生きている、

白い砂
目をくらませるような、
そして、私は、まだ生きている

刈りとられた草
腕を広げた枝、
風、風、風、風

暖められたつげの木、
香ばしい風、
夏、夏、夏、夏

もうすぐ夏、
金色の風
腿のまわりの絹のスカーフ

埃だらけの噴水、
熱っぽい舗道、
そして私。私はまだ息をしている。

身をかがめた小さなロバ、
小さな植民地人よ
小石みたいな目の、小石みたいな目の、

私は忘れてしまった、
死んだ猫たちを、
けれど猫たちはもっとはやくに忘れる。

門のそばで
木が音をたてる、
そして私達、私達はいつも生きている、
いつも生きている、
いつも生きている、
いつも生きている、
いつも生きている。

<ブリジット・フォンテーヌ “夏、夏”>



やはり“ラジオのように”の出だしも引用すべきか(この訳詞は、ぼくがちょっと変えた);

これは、まったく
ラジオのようなもの
音楽以外のなにものでもない
なにものでもない
言葉以外の、言葉以外の
言葉以外の
ラジオのように





ぼく自身のための広告

2010-07-28 14:53:04 | 日記
20世紀が終わってから10年たった。

“戦争(世界戦争)”が終わってから60数年が経った。
“原爆が人類史上はじめて使用されてから”でもよい。

ぼくは“たまたま”、この“人類史上はじめての惨事を経験した国”に産まれた、”新しい憲法“と同じ歳で。

しかしこのブログはそうした“歴史”、あるいは“政治-経済-社会”を論じるものでは、ない。


ぼくはあくまで“ブンガク”について語る。

忘れられた人々について。

現在、この国の大部分の人々にとっては、“ブンガクを書く人”はただ一人である;“村上春樹”という。

すなわち、“他の作家たち”は、忘れ去られた。
気楽に読める“無数の作家と駄本”は、日々量産されていても。

“戦後の”作家たち。
だれが、大岡昇平を大江健三郎を開高健を中上健次を日野啓三を知っているのか?

だれが、デュラスをビュトールをル・クレジオをギュンター・グラスを、知っているのか。

ぼくは、近日、ル・クレジオの引用を続けている。

しかし、昨年ノーベル文学賞を取るまで、誰がル・クレジオを覚えていたのか。
(ぼくはもちろんよく知らないが、これは、日本だけでなく、フランスでも同じだったのではないか?)

なんども言ってきたが、ル・クレジオを翻訳刊行した新潮社は、ずっとル・クレジオを絶版とし、ノーベル賞を取ったので、『調書』を復刊した。
岩波書店は、ノーベル賞を取ったので、今年岩波文庫に2冊のル・クレジオを入れたのである。

しかし、ル・クレジオの価値は、“ノーベル賞を貰うまで”証明されなかったのでは、なかった。
ル・クレジオの価値は、彼が1963年に23歳で『調書』でデビューしたときから、<明白>だった。
その『調書』を、新潮社は、新潮文庫にも入れず、何十年もほったらかしていたのである。


しかし、いまぼくが書きたいのは、もうひとりの作家、“アメリカ人”、ノーマン・メイラーのことである。

これまた、現在、“アメリカ作家”は、サリンジャーとカポーテとケルアックとせいぜいポール・オースターしかいないと思っている方々も多いようである(笑)
もちろん、ヘミングウェイやフォークナーがいるのである。
だが、“戦後作家”としてのノーマン・メイラーは忘れ去られた。

ぼくがメイラーを知ったのは、ぼくの読書師匠であった大江健三郎によってであり、最初の遭遇は、メイラーのエッセイ集(であろうか?)『ぼく自身のための広告』上下2冊本であった(これまた“新潮社”が出したはずだ)

その後、代表作『裸者と死者』や『鹿の園』、『アメリカの夢』を読んだ。
そして、メイラーはある時期から、“ノン・フィクション”(ドキュメント)を書き始めた。

しかし、これらのメイラーの本は、いつの間にか、ぼくの蔵書からも消えてしまった、手元に残ったのは、“ノーマン・メイラー選集”(これは早川書房!)の1冊、『月にともる火』(1972発行)一冊である(ぼくはこの本を読み終えていない)

今日、むかし読んで感銘を受けた1冊『夜の軍隊』をAmazonマーケットで再入手した。

『夜の軍隊』は1967年、ヴェトナム戦争抗議のための国防総省(ペンタゴン)への行進の前後4日間のドキュメントである。

すなわち、1967年、ペンタゴンへ抗議のために行進した“人々”(多くはアメリカ人)が、いたのである。

ノーマン・メイラーは、その人々のひとりにすぎないが、彼は“それ”を記録したのだ。

最初の数ページを読むだけで、あの“メイラー節”がよみがえる(笑)

彼は、まず最初に、当時のタイム誌から引用して、“猥褻な言葉を吐き、酔っ払ってひょろひょろ歩く”、メディアの“メイラー像”の呈示からはじめている。

しかし“メイラー”が、アル中、ヤク中であり、“猥褻な言葉を吐き散らすだけ”の人間でないことは、この『夜の軍隊』1冊によって証明される。


ぼくは、なんとも残念である。
このことを、何度言っても、気がおさまらない。

“良い本”を、新刊書店からなくすな。

<本>が、現在のような“紙が接着された”形態であろうと、電子ブックであろうと、まったくどうでもよい。

どうでもよくないことは、<良い本>が消え、忘れられること、だけ、である。

たしかに、現在、“マーケット・プレイス”や“古書店”で、これらの良書は入手可能である(しかも安く!)

しかし、楽観は許されない。

“書店”が消えてなくなることもあり得るし、“大型書店”(街の、ネット上の)が威容を誇っていても、その中身が、膨大な屑の山になることも、おおいに“あり得る”のである。


ブラッドベリ『華氏451』のように、1冊の本を記憶し続ける<人間>、(そしてそれをリレーすること)、が必用な時が迫っている。





* 残念ながら、このブログに掲げた写真は、ぼくが撮ったものではありません。
Googleで画像検索したもの。
この2冊は、現在ぼくの手元にありません。







深い溝;新しい映画

2010-07-28 10:15:56 | 日記


内田樹ブログ“『借りぐらしのアリエッティ』を観てきました”から引用する;

「こびとと人間」のサイズの差はもっぱら視覚的に表象されるはずだという常識を裏切って、こびとの世界では「モノそれ自体」が触覚的に違う仕方で切迫してくる。
これはすばらしい着眼点である。
けれども、それだとすれば、その触覚的な違和感はほかのものに対してもひとしく適用されるべきではなかったかと思う。
映画のクライマックスはアリエッティと翔が指を触れあうところだけれど、ここで私は軽い失望を覚えたことを告白せねばならない。
なぜか人間の皮膚はこびとの皮膚と同質に描かれていたからである。
ガリバーの報告に従うならば、こびとの眼には人間の指先は深い溝が刻み込まれ、さまざまな分泌物や埃や汚物の詰まった、大小無数の「丘」の連鎖のように見えるはずである。
もちろんそこまでリアルに描く必要はないけれど、せめて「深い溝」くらいは描いて欲しかったと思う。
その触覚的違和感が感知できれば、人間とこびとの共生不能というアリエッティ一家の結論に観客は深く同意できたと思うのだが。
もちろん、それはジブリ内部ですでに議論された論件だと思うのだが、なぜ、「皮膚の質感を同じように描く」という結論に達したのか、その理由を宮崎駿に尋ねてみたい気がする。(引用)


ぼくはこの映画を見ていない。
ぼくは見ていない映画について語るのは、あまり良いことではないと考える。

だからここでのぼくの感想は、あくまで上記引用文からの“想像”である。

ぼくは宮崎駿の映画を一応見てきたが、それほど熱心に執着してきたわけではない。
しかし、近年の宮崎駿映画がヒットすればするほど感じていたのは、宮崎駿という“作家”の個性とスタジオジブリという“企業体”の解離であった。

上記引用文を読むかぎり、『借りぐらしのアリエッティ』においても、この矛盾は解消されない(いったい解消されることがありうるだろうか?この映画も観客を動員する=儲かる)

当然この映画においても、“作家宮崎駿”のモチーフは、《人間とこびとの共生不能》である(見なくてもわかる;笑)

しかし“ジブリ”は、《人間とこびとの共生不能》という結論で<映画>を終わらせることはできなかった。
なぜなら“ハッピーエンドでないもの”は、商売に差し障るからである。

だから、一方に《人間とこびとの共生不能》というモチーフがあるのに、《なぜか人間の皮膚はこびとの皮膚と同質に描かれていた》(内田樹)なのである。

《映画のクライマックスはアリエッティと翔が指を触れあうところだけれど、ここで私は軽い失望を覚えたことを告白せねばならない》のである。

しかしまさに、ジブリ映画においては、<映画のクライマックスには、アリエッティと翔が指を触れあう>ことが、“可能”でなければならなかった。

これこそ“ファンタジー”の虚偽である。

奇妙なのは、この頭のいい内田樹がそれを“述べない”こと自体の方である。

《もちろん、それはジブリ内部ですでに議論された論件だと思うのだが、なぜ、「皮膚の質感を同じように描く」という結論に達したのか、その理由を宮崎駿に尋ねてみたい気がする》

などと、“カマトト”ぶっているのだ(笑)

もちろん宮崎駿に“それを尋ねても”無駄である。
ニャッと笑われるだけである。
宮崎駿にしてみれば、そんなことはとっくに“分かって”いた。

すなわち、商業主義に妥協しなければ、ジブリ社員を“食わせられない”ことが。

大学教授とは、ちがうのである。

しかしぼくは、宮崎駿には初心を貫いてほしかった、「スカイクロラ」の押井守のように。

もちろんあらゆる<映画>は、商業主義(大衆の悪趣味)との危うい均衡のうちに歴史を刻んできた。

そして、すべてがスタジオセットのなかでしか展開しない映画が量産されるようになった。

<すべてがスタジオセットのなかでしか展開しない映画>というのは、“比喩”である。

それは、アニメや特撮テクノロジー映画を、意味しない(たとえば“イーストウッド映画”である)

まさに「スカイクロラ」には、風が吹いていた(あるいは、風は止っていた)
<外部>へと抜け出る風が。

ぼくは<SF>から映画や小説の世界へ“入った”。

そのころ、アシモフやブラッドベリの世界にさえ、風があった、“赤い惑星”の砂塵である。

現在、風は感じられない。

“すべて”が、アメリカ製の缶詰(アメリカ軍が戦地にケータイするヤツ)のなかで、“腐らない”。

永遠に“腐らない”ピカピカ映画の“内部で”、腐っていく<観客>と<見物人=内田樹のよーなひと)がいるばかりだ。


ぼくは“新しい映画”が見たい。