Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

2011-01-31 15:36:21 | 日記



ひとはみな、<顔>がある。

たぶんぼくらも、日常生活で“出会う”他者(他人)を、<顔>によって識別している。
そして、<顔>によって記憶している、生きている人も死んだひとも。
すぐそのひとの<顔>を見れるひとも、なかなか見れないひとも、決して見れない(もうにどと)ひとも。

しかし、ぼくらは、“それらの顔”を、よく見ているであろうか。
恋する男が見ているのは、“女の顔”だろうか(逆でもよい)

テレビで見る“有名人の顔”でさえ、ぼくらは“見ている”だろうか?
あるいは、“テレビの顔”は、“家族の顔”より、リアルである。


ここに、ある有名人の顔を描写した文がある。

描写された顔を持つ人はアドルノ、描写したひとはマーティン・ジェイというアメリカの思想史家である。

ぼくはマーティン・ジェイという人に『暴力の屈折』というエッセイ集で注目した。
アドルノについてはよく知らない、だから、ジェイの“解説書”を読もうとした。

マーティン・ジェイ『アドルノ』によって、(どれだけ充分であるかわからないが)ぼくは“二人の”人間(ジェイとアドルノ)を知ろうとする。

実はこの本は、何年か前にいったん読了した。
しかし、いまいち、この本に書かれていることを受け取りそこねたという、思いがある。

それで昨日その書き出しを再読した、この部分は最初読んだときから印象的であった;

★ ズーアカンプ社がアドルノの著作のパンフレットによく使うアドルノのよく知られた写真があるが、これは彼の個性を、いやそれどころかその生活史を実に印象的に表現している。中年も終わりにさしかかった頃に撮られたこの写真のなかでアドルノは、左の方を向いた横顔を見せ、どぎついライトが前額部と一方の輪郭だけを照らし出している。この写真は彼の眉の上ほぼ2インチのところでカットされているために、われわれの注意はいやでも彼の顔に浮かぶ物悲しげな表情に惹きつけられることになる。

★ その唇は力なく、ほとんど気づかれないほどかすかに開かれ、明らかに乾ききっている。こちらがわに見える眼は瞼が重く垂れ、その凝視は内面に向けられている。後ろに傾いた彼の顔は、おのれ自身の不幸な思いにとらえられた人を思わせる。ほかの写真では時どき掛けている眼鏡も、はずされている。まったく自分の思いにとらわれて、我にかえる気配もない。この写真の生み出す相乗効果は強烈であり、抑えられた悲しみのなかで、おのれの人生の言うに言われぬかずかずの恐怖に想いをひそめている一人の男の姿をわれわれに示している。

★ 彼があれほど苦心して解読しようとしていた社会の相貌が、彼個人の容貌に写しとられているのである。彼は、かつてサミュエル・ベケットについてこう書いたことがある。「どれほど涙を流してみても、鎧を溶かすことはできない。涙の乾いた顔が残るだけなのだ。」

<マーティン・ジェイ『アドルノ』(岩波同時代ライブラリー1992)→この本は現在、岩波現代文庫に入っている)


以上の文からぼくが受け取るのは以下のことである;

A:写真を見ること

B:顔を見ること

C:それを描写すること(見ることの“正確”さと、レトリック)


“アドルノの顔”を特権化(特別視)することではない。

すべてのひとに、顔があることを発見する。


その上で、人間には顔以外もある、ということが、(ぼくには)重要である。






女が変わらなければ、なにも変わらない

2011-01-31 14:13:41 | 日記



このブログのタイトル<女が変わらなければ、なにも変わらない>というのを見て、いまこれを見ている“あなた”は、いかなるブログを想定できるだろうか?(笑)

べつに、たいしたことは言わない。
が、“ある種の女性”あるいは、“すべての女性”を敵に回す(ぼくがだ)可能性がないとはいえない。

ひとつは、‘あらたにす’の“新聞案内人”コラムにのった歌田明弘というひとの“意見”である、引用する;

☆ 新聞をとり続けるべきかどうかという話を友人などとすると、興味深いのは、夫のほうが(とくにデジタル関係の仕事をしている場合には)「もういらない」などと言うのに対し、しばしば妻が異を唱えることだ。
私の家の場合も、新聞をとるのをやめると言えば、妻は反対するだろう。
夫よりも妻のほうが、情報や社会の動きに敏感だからというわけではない。私ぐらいの世代の女性たちにとって、新聞は情報メディアであるにとどまらず、娯楽メディアでもあり、だからネットなどで情報が得られるようになってもとり続けたいと感じるようだ。もちろん女性だけでなく、新聞を開く時間を失いたくないと思っている男性も多いだろう。
新聞離れしてしまった世代にはこうした反応は期待できないかもしれないが、メディアとしての新聞「紙」の強さは、じつはこんなところにもあるのではないか。そういう意味では「変わらなさ」は長所かもしれないと思う。(引用)


つまりもうとっくにその“使命”を終えている<新聞>を支えているのは“女性”である!

ぼく自身は、何十年も取り続けた朝日新聞を数年前にやめたが、ぜんぜん困っていない。

その理由は、新聞を取らなくても、“ネット”で代替できるとか、“ネット”の方が情報が緻密で高度だナンタラカンタラといった現在流行の論議とも関係ない。

現在の新聞には知性がない―これがぼくが新聞購読をやめた理由だ。
現在の新聞では、まともな文章が読めない、といっても同じだ。

もちろん新聞には、もともと、“はっとするような感性”なぞあったためしはない。
自分の著書で、けっこういいことを書いている人も、“新聞では”、切り詰め・編集されてつまらない凡庸な文章になってしまう。

まさに“新聞を読み続ける女たち”は、<それ>が好きなのである!

もちろん“そういうセンス”の女たちがもっと好きなのは、<テレビ>である。
ぼくが不思議なのは、この“テレビ的感性(センス)”の女たちが、なぜ新聞を”読む“のか?―である。

たまに“文字を読んでいる”自分に自己満足(ああ、ナルシシズム!)したいのだろうか。

“文字を読んでいる”といえば、不破利晴ブログでは、<金原ひとみ>の東京新聞コラムへの不破の“批判”にたいして、普段より多くの(笑)アクセスが集中した。

面白かったのは、その不破ブログに対しての“コメント”だった。
すなわち、<金原ひとみ>という名前は、なぜか、多数の人々を引き寄せる名らしいのだ。

まあ、こういうひとを、“人気がある”というらしい。
現在、この世には、“人気者”がうじゃうじゃいて、その<名>をブログに書くだけで、アクセス数が上がるのである。

まったく“なげかわしい”事態である。
しかし、“金原ひとみ”は、<女>であり、<作家>である。

この場合、金原ひとみが女であり作家であることは、“この世界の条理”にいかに関与するのか?!

また金原ひとみの“読者”や“その名に反応する”ひとびとは、<女>なのか?<男>なのか?

不破ブログおよびそれへのコメントを読みながら、ぼくの<疑問(疑惑)>は、雲のようにわきあがったのであった(笑)

“おにゃんこ”と“金原ひとみ”は、いかなる“差異”をもっているのか!デリダ学者=東浩紀氏にでも、分析していただかねば、ならんのか!

かくいうぼくは、金原ひとみをぜんぜん読んでない(東京新聞コラムさえも)。
そうであってもぜんぜん生きていくのに支障はない。

それは《李忠成の美しすぎるゴール》を見なくても生きていける(ぼくは見たが;笑)のと、“同じ”なのか、ちがうのか?―これが(これも)問題である(つまりクイズ番組の“問い”である)

不破利晴ブログに貼り付けられた“金原ひとみ最終コラム”(なんとそのタイトルは“ハラスメント”である!)の文章を読むと、自分の出産について書いてある。

たしかに、“私はこれから子供を産む”ということを書けるのは、<女>だけである。
これは、(ぼくのような)<男>にとって、“おどろくべき”ことなのである。

ここで、“おどろかない”男は、バカであるか、鈍感である。

なによりも“おどろくべきこと”は、<男>がみな<女>から産まれたことである。

ゆえに、

<女が変わらなければ、なにも変わらない>

この結論への論旨の“短絡”は、これからのこのブログによって埋めていく“べき”ことである。(あ~あ)

なによりも困ったことは、この“歳”になっても、“ぼく”が<女>への“あこがれ”を払拭できないことである!








*上記ブログとは(たぶん)関係ないが、昨夜NHK‐BSでニーノ・ロータの特集をやってたね。
ぼくはこの番組を通して見なかったが、最後のトランペット奏者をフューチャーしての“太陽がいっぱい”のテーマはよかった。
(だがエンディングの“8 1/2”は、イタリア的祝祭とはほど遠かった、この国には“人生は祭りだ”といえる肉体がない)

前にも書いたが、このところずっと、ぼくの生活のバックグラウンド・ミュージックは、“太陽がいっぱい”である。
ただし、“テーマ”ではなく、アラン・ドロンが市場をさまようシーンで鳴っていた音楽。
たしかに、ニーノ・ロータは、“20世紀の人生の”メロディーを書いた。






神のメッセージ

2011-01-30 12:43:29 | 日記



内田樹最新ブログは、<アブラハムと顔の経験>という。

神戸女学院を辞めるにあたっての“最後のお話し”であるが、実際には時間が短く充分に話せなかったので、それをブログに記述したものらしい。

だからけっこう長いのである。
ぼくは数日前にこのブログを読んだが、それについて自分で何かを書くことに迷った。

なにに迷ったかというと、この内田先生のお話しのような“お話し”に関心をもつ“読者”がはたしているだろうか?と思ったのだ。

つまり“ぼく”は、こういう“お話し”に関心を持つ。

とにかく、“一部”を引用してみよう;

(引用開始)

☆ 主が何を言おうとしているのかは、わからない。
でも、それが私宛てのパーソナルなメッセージであり、ほかならぬこの私が「そのメッセージを読解できる人間」になることを先方は熱烈に望んでいるということは、わかる。

☆ 私たちはたとえメッセージのコンテンツが理解できなくても、それが自分宛てであるかどうかは過たず判定することができる。
そして、私たちはそれが「自分宛て」であると確信されたメッセージについてはおのれの全力をあげて理解しようとする。

☆「なぜ全力をあげるのか」と問われても、答えようがない。
ただ、人間というのは、「そういうもの」だとしか言いようがない。
まさに私たちはそのようにして母語を習得したからである。

☆ 私たちは嬰児のとき、母語をひとことも理解しない状態から言語の習得を始めた。
言語という概念さえもたない状態から言語の習得を始めることができるのは、嬰児でも空気の波動が「ほかならぬ自分にまっすぐ触れている」ということだけは感知できるからである。

☆ 言語習得という奇跡は、人間がメッセージのコンテンツをまったく理解できないところから出発して、メッセージの統辞構造や語彙や音韻や修辞についての深い理解に達することができるという平凡な事実に存する。
この力動的な言語習得のプロセスを駆動した「最初の一撃」は「この波動は私に向けられている」という受信者の側の絶対的な確信である。
主の言葉が預言者に臨むときの構造とこれは同一である。
(以上引用)


この“お話し”は、このあと、レヴィナスの“顔の経験”の引用文へと展開される。

ぼくとしては、上記引用の部分についてのみ、コメントしたい。

この文の論理展開は以下のようになっている;

① 主が何を言おうとしているのかは、わからない。

② それが私宛てのパーソナルなメッセージであり、ほかならぬこの私が「そのメッセージを読解できる人間」になることを先方は熱烈に望んでいるということは、わかる。

(以上“前提”)

③ 私たちはたとえメッセージのコンテンツが理解できなくても
  A: 自分宛てであるかどうかは過たず判定することができる
B: 「自分宛て」であると確信されたメッセージについてはおのれの全力をあげて理解しようとする

④ 「なぜ全力をあげるのか」と問われても、ただ、人間というのは、「そういうもの」だとしか言いようがない。
まさに私たちはそのようにして母語を習得したからである。

⑤ 私たちは嬰児のとき、母語をひとことも理解しない状態から言語の習得を始めた。嬰児でも空気の波動が「ほかならぬ自分にまっすぐ触れている」ということだけは感知できるからである。

⑥ 言語習得という奇跡は、人間がメッセージのコンテンツをまったく理解できないところから出発して、メッセージの統辞構造や語彙や音韻や修辞についての深い理解に達することができるという平凡な事実に存する

⑦ この力動的な言語習得のプロセスを駆動した「最初の一撃」は「この波動は私に向けられている」という受信者の側の絶対的な確信である

⑧ 主の言葉が預言者に臨むときの構造とこれは同一である(結論)


以上の“分析”により内田先生の“言説”が、まったく論理的に展開していることが、わかる(笑)



笑う。


ぼくの疑問は以下のごとし;

ぼくらは、母から言語を学んだ。

それは、<母>という<他者>からの、《私宛てのパーソナルなメッセージ》であったからである。

《この波動は私に向けられている》

ならば、なぜ《主の言葉》でなければならないのか?






白紙の心

2011-01-30 11:03:33 | 日記



今朝の話題は、サッカーである。
ぼくもサッカーを見てから寝た。

そしていま今日の読売新聞編集手帳を読んだ、以下の通り;

<子どもの心は、哲学者ロックが言うように、本来、「何も書かれていない白紙」である>。元文部官僚の菱村幸彦さんが『教育法規からみた現代校長学』(学事出版)の中で書いている◆情報があふれかえる現代、ロックが経験主義を唱えた17世紀に比べれば、白紙が埋まっていく早さはひとしおであろう。蓄積される「経験」を正しい「観念」に導く大人の役割は重要性を増す◆菱村氏は<子どもが「君が代」に嫌悪の情を持つとしたら、誰かがそう刷り込んだからだろう>と続ける。その「誰か」が、卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱を快く思わぬ各地の先生方を指すのは明らかだ◆「起立や斉唱の義務はない」と主張する東京の教師たちが先週、東京高裁で逆転敗訴した。教師の思想・良心の自由を過度に重んじ、「国民は日の丸に中立的価値を認めていない」とまで言い切った、おかしな1審判決は覆った◆国語や数学の授業と同じく、国旗・国歌を尊重する態度を身をもって「指導」するのも教師の務めであろう。カタールのサッカー場で、肩を組み、国歌を口ずさむ選手たちがまぶしくみえた。(引用)


この文章への疑問点を書いておく;

① こどもの心が「何も書かれていない白紙」であるというロックの説に反する精神分析などの理論がある→こどもの心は<白紙>ではない

② もし教師たちがこどものこころになにかを刷り込むなら、それは国旗・国歌にたいする“嫌悪感”だけではない

③ “教師の思想・良心の自由”は重んじられなくてよいのか

④ もし国旗・国歌が現在のものでなくても、“カタールのサッカー場”で選手たちは別の国旗を見、別の国歌を口ずさむことができる


ついでに今日の天声人語;

英国にはテレビを「愚者のランプ(イディオッツ・ランタン)」と呼ぶ俗語があって、小紙記者だった門田勲がかつて「阿呆の提灯」の語をあてていた。けだし妙訳というべきだろう▼日本では一昨年の秋、放送倫理・番組向上機構の委員会がバラエティー番組の不快、嫌悪要素を五つ指摘した。下ネタ、いじめや差別などのほか、「死を笑い事にするなど生きることの基本を粗末に扱う」があった。BBCはこれに当たろうか▼「夢にも見るのは、黒い雨。川の流れを堰き止めるのは人間の筏(いかだ)。過去はいまの私そのものでもある」。山口さんはぎりぎりの体験を『ヒロシマ・ナガサキ二重被爆』(朝日文庫)に刻字した。人間をおとしめた2発の閃光である▼無知だけでなく、人間の尊厳への想像力の無さが怖い。笑いは人の人たるゆえんだが、精神の痙攣(けいれん)のような貧相、酷薄な笑いが世に満ちていないか。他山の石として見る目がほしい。(引用)


《無知だけでなく、人間の尊厳への想像力の無さが怖い》

笑。

《人間の尊厳への想像力》ではなくて、<人間への想像力>が欠如しているのだ。

“人間への想像力”を持つためには、<無知>であってはならない。

《笑いは人の人たるゆえんだが》

ならば、笑おう。

ばかげた言葉を使用し続ける人びとを。






そして誰もいなくなった

2011-01-29 13:12:14 | 日記



ぼくは天木直人のブログをずっと見ている。
が、いつも天木氏に共感しているのではない。

今見た天木氏のブログには共感するので貼り付ける;

(引用開始)

しかし、私がここで言いたい事はエジプトの将来ではない。
米国に強固に支えられてきた政権が世界中で次々と交代しつつあるという現実だ。
気がついたら日本だけが唯一、最強の対米従属国となっているかもしれない。
そしてそんな日本が不幸な国であることは言うまでもない。

今朝(1月29日)の早朝のテレビ番組(みのもんたのサタデーずばっと!)でエジプト情勢が取り上げられた時、民主党議員がひとことつぶやいていたのが印象的だった。
ここまで米国に支持されていたムバラク政権でもこんな事になるんですね、といった趣旨の言葉を、驚きとも不安ともつかない表情で漏らしていた。
おそらく彼は国際政治には疎い議員なのだろう。ましてや中東情勢は何も知らないのだろう。
そしてそんな彼こそ日本の一般国民の素朴な考えを代弁しているに違いない。

しかし現実の国際政治はそうではない。
もはや米国に支持されていれば大丈夫だという時代は、世界では終わりつつあるのだ。
むしろ米国の従属国こそが次ぎ次ぎと倒れて行っている。
それは米国の支配が終わったということではない。
それどころか米国はあらゆる手を使って世界を支配し続けようとするだろう。
そんな米国の支配から脱却することの困難さを世界は知っている。
それでも世界のあらゆる国とその国民は、自主・自立を求めている。
その動きが拡がりつつある。
そしてそれは、それらの国の政治的、経済的発展の当然の帰結なのである。
国民の覚醒の自然な発露である。

鳩山首相の末路を同僚として見てきた菅直人という政治家が、同僚を助けるどころか、それを反面教師として首相になり、首相になったとたんここまで対米従属に豹変した。
それが、米国に逆らえば首相になれない、米国の支持さえ得られれば政権は安泰だ、そう思った末の行動であったとすればあまりにも浅薄だ。
そしてその誤りが今菅首相を苦しめている。

果たして日本の国民は世界の国民の潮流と同じように対米自立に目覚める時がくるのだろうか。
そうであってほしい。
気がついたらやがて誰もいなくなった。日本と言う国が最後の対米従属国となった。
歴史にそう記録されないためにも今こそ日本国民は覚醒しなければならない。
それが後世の世代に対する今を生きる国民の責任であると思う。
     
(引用終了)
 


その上で言いたいのは以下のことである。

対米従属でない状態とはなにか?

ぼくが思うことは、“対米従属でない国”になるためには、どのようなことを考えなければならないか、ということだ。

しかも、それは、“実際的手段を”(実際的手段のみを)意味しない。
たとえば、経済問題は、“資本主義”の問題として、たんなる実務的手段としてでなく検討されるべきである。
“防衛問題”も同じだ。

“哲学”や“社会科学”は、たんに“現実的問題を現実的に解決する”ためにあるのではない、ということをいくら強調しても強調しすぎることはない。

逆に、“現実的問題を現実的に解決する”ということを徹底的に考えつめれば、それがたんなるその場限りの“具体策”でおさまらないことが明瞭になる。

たとえば、“対米従属しない”ということを選ぶことは、“キリスト教”に関与する。
そのことは、たんに“キリスト教”を否定することには、ならない。

ぼくがここで言っているのは、一方に“宗教的、哲学的、観念的、抽象的……”問題があり、一方に“現実的な”問題があるのでは<ない>ということだ。

あるいは、“アメリカ”という国を考えるとき、ディズニーランドやマクドナルドやテレビドラマ(「24」や「LAW & ORDER」や「LOST」や「CSIシリーズ」)から現在のアメリカのなにが“わかる”のかということだ。
(たとえばこれらのテレビドラマと“イギリス製”の「MI-5」や「心理探偵フイッツ」を比較せよ;笑)
スピルバーグやイーストウッドやタランティーノの映画とコーエン兄弟映画の違いから、“なにがわかるか”という問題なのだ。

“かつて”、人種差別のアメリカ、赤狩りのアメリカ、ギャングたちのアメリカ、アウトローたちのアメリカがあった。
現在、銃犯罪のアメリカ、ドラッグ漬けのアメリカ、レイプのアメリカ、ドメステのアメリカ、キリスト教原理主義のアメリカ、世界にデモクラシーと正義を輸出するアメリカ、“悪魔=テロリストと戦う”アメリカ、なんでもコンピュータなしではできないアメリカetc.があるのである。

そして、“戦後60余年”、このアメリカの“そっくりさん”を目指す国が、極東の片隅にあったのである。


だから“問題”は膨大である。

“基礎から”かつ“ラディカルに”、一歩一歩、こつこつとやるほかない。





<日本>とは何か

2011-01-29 11:56:28 | 日記



現在、講談社学術文庫で刊行されている“日本の歴史”シリーズのオリジナルは、2000年に網野善彦による00巻『「日本」とは何か』を1冊目として出版された。

網野善彦は2004年に亡くなっている(1928-2004)

ぼく自身、とくに“日本史”の本を熱心に読んできたわけではなく、網野氏の本もちゃんと読んできていないのだが、網野氏の本によって日本の歴史の面白さを知ったひとは多いのではないか。

その『「日本」とは何か』の第1章において、網野善彦は書いている;

★ 私自身は、戦争中、友人を殴打、足蹴にしてはばからぬ軍人や軍国主義的教官の横暴を体験しており、その背後にたえず存在した日の丸・君が代を国旗・国歌として認めることは断じてできない。
それは個人の感情といわれるかもしれないが、この法律は、2月11日という戦前の紀元節、神武天皇の即位の日というまったく架空の日を「建国記念の日」と定める国家の、国旗・国歌を法制化したのであり、いかに解釈を変えようと、これが戦前の日の丸・君が代と基本的に異なるものでないことは明白な事実である。このように虚偽に立脚した国家を象徴し、讃えることを法の名の下で定めたのが、この国旗・国歌法であり、虚構の国を「愛する」ことなど私には不可能である。それゆえ、私はこの法に従うことを固く拒否する。(引用)


上記は“左翼”のパンフレットの言葉ではない。
“歴史学者”の言葉である。

歴史学者の言葉だから“権威がある”のでもない。

むしろ、なぜ網野氏が、歴史を学ぶこと・研究することを自分の生涯の仕事にしたかを言明するものだと思える。

なぜ、ひとは“学ぶ”のか。
それは、国家や権威から天下ってくる<虚偽>と戦うためである。

なぜ<日本史>はあるのか。

それは、“「日本」とは何か”を、“「日本人」とは誰か”を問い続ける作業である。

網野氏は言う;

★ 圧倒的多数の国民が、またおそらくはほとんどの国会議員、閣僚が、自らの国の名前の定まったときを知らぬままに、またその国が虚構、神話によって「建国」したとされることを無視したままに、国旗・国歌法を成立させたという点に、歴史を研究する者としては無念の限りの思いを抱かざるをえないが、この現実に、現在の日本人の自己意識の実状が、明確に現れているといわなくてはならない。


《歴史を研究する者としては無念の限りの思いを抱かざるをえない》
という言葉は、そうとうに激しい言葉である。

なにごとにも“冷静に対応する”学者を見慣れているぼくたちは、ここではっとして、よい。

《この現実に、現在の日本人の自己意識の実状が、明確に現れているといわなくてはならない》


そこから反転して、網野氏は、問いかける;

《「日本」とは何か》

ぼくは、これが<科学>的態度だと思う。

そのことを網野氏は以下のように言明する;

★ 日本列島において、きわめて古く、数十万年前から営まれてきた人類社会の歴史の中に「日本国」をおき、その約1300年の歴史を徹底的に総括し、その実態を白日の下にさらすための作業(引用)

そして言う;
★ じつはこれは、50数年前の敗戦のさいにただちに徹底的に行われなくてはならなかった作業であり、それがいまままで本当の意味で突詰めて考えられてこなかった点に、近代の日本、さらには「日本国」の全体に及ぶ重大な問題があることは、すでにさまざまな形で指摘されている通りである。
★ そのことが、1999年夏に、国旗・国歌法に象徴される重大な法律が、いともやすやすと国会を通過し、成立したことの背景にあることも認めざるをえない。しかし無力だったことを知り、失敗を自覚することが、新しい前進を真に支える力であり、敗戦前の“亡霊”たちが姿をかえてわれわれの前にはっきりと現れてきた現在こそ、まさしくこの総括の作業を開始する最適の時点と、私は考える。


この文が書かれてから、10年が経過した。

今日読売新聞は社説で言う;

国旗・国歌を巡っては、君が代のピアノ伴奏を拒否した教師が懲戒処分の取り消しを求めた訴訟で、最高裁が07年に「伴奏を命じる校長の職務命令は、特定の思想を強制するものではない」と、合憲の判断を示している。
今回の高裁判決も同じ流れにあると言えるだろう。最高裁判決以降、同種の訴訟では、教師側の敗訴が続いている。
かつて、一部の教職員組合がイデオロギー的立場に基づいて、「反国旗・国歌」運動を繰り広げ、教育現場は混乱した。
だが、国旗・国歌法が制定され、今やすべての公立学校で、国旗が掲揚され、国歌が斉唱されている。起立や斉唱を拒否する教師の数も年々、減少傾向にある。
子どもの手本となるべき教師が、入学・卒業式を厳粛な雰囲気で行うのは当たり前のことだ。(2011年1月29日02時04分 読売新聞)


《当たり前のこと》ではないのである。

読売新聞のような<右翼>が、《当たり前のこと》と言うことは、決して“真理”でも“正義”でもない、“サイエンス”でもない。

ポストモダンな人びとは歴史を忘れることで“新しい自分のセンス”に酔い、歴史好きはNHK大河ドラマ的“歴史観”でなんとなく歴史をエンターテイメントし、せいぜい司馬遼太郎的物語で予定調和におちいっている。


まさに<空想から科学へ>が要請される。






“新しいテレビ”の提案

2011-01-27 00:25:48 | 日記



さっき、BS-hiでイタリアの村で絵画修復をしている老人とその村の人びとの生活の番組を見た。

テレビの音を消してヘッドフォンでグールドの“ゴールドベルグ変奏曲”(2度目の録音)を聴きながら見たのだ。
とても快適だった。

それで思ったのだが、テレビは“音なし”の画面だけ見てればいい番組をつくってくれないだろうか。
つまり、“そのような”画像(のみ)の番組をつくってほしい。

昨夜、ぼくもみなさんと同じように、サッカー(対韓国戦)を見た。

それで、いつもスポーツ中継を見ていて思うのだが、あの“解説者”というのは何のためにいるのか。
どうして、アナウンサーと解説者のくだらない(わかりきった)おしゃべりを、“試合中”に、さらにスタジオでのどうでもいいおしゃべりまで聞かされるのか。

ぼくはかなり前に、“サッカー”を熱心に見ていた時期があったが、とりわけサッカーに詳しいわけじゃない。
しかし、試合中の“あの解説”程度のことは、画面を見ていれば誰にでも“わかる”ではないか。

むしろ、せっかく集中しているときに、間が抜けた“解説”をされるのは、興ざめである。
(しかも“気休め”ばかりである)

スポーツ中継を例に出したが、ニュース番組も同じだし、ドキュメント番組も同じである。

なにか“解説”しなければならない場合は、“文字”で表記すればよいではないか。
なにせ日本人の識字率は、世界有数であるらしい。


だいたいテレビに限らず、この世には、“おしゃべり”が過剰である。
電車内やホームのアナウンスも過剰である。

要するに、“うるさい”のである(笑;この“うるさい”をでっかい太字にしたいくらいだ)

ぼくは昔から、漫才とかお笑いをどうしても見る気になれない。
その“芸”がどうのこうの言う前に、“うるさい”のである(とくにあの関西弁が)

もちろんなにを言っているかききとれない“たけし的”おしゃべりも、“うるさい”。
“タモリ的”おしゃべりも、うんざりだ!

ところが、いまの<テレビ>が好きな人は、無意味な騒音が好きらしい。
ああ、街を歩けば、チンジャララ、へんな“アニメ声”が空から降ってくる。

“音楽”だって、のべつまくなしに聴いていれば(聴かされれば)、<うるさい>だけである。

だいいち、“耳が悪く”なる。(たぶん頭も悪くなる;笑)

たまに静寂のなかから、音楽が聴こえ、人の声が沁みてくるから、音が聴こえるのである。





都知事選について、朝日新聞が書いている2,3の事柄

2011-01-26 19:26:22 | 日記


昨日の記事だが、“都知事選、誰が出る 有力候補互いに牽制、相乗りも?”というのをアサヒコムで見た。

この記事から、いくつかの“事実確認”と“有力候補の動向”を記録したい;

☆ 4月の統一地方選の目玉・東京都知事選が告示(3月24日)まで2カ月になっても、有力候補が誰も名乗りをあげていない。

☆ 最近の都知事選は、立候補表明を遅らせた候補が有利な「後出しジャンケン」が定着している。1995年は「無党派旋風」の故青島幸男氏が、99年は石原知事が、いずれも構図がほぼ固まった3月10日に表明し、当選した。
ある国会議員は「東京の知事選は人気投票。表明が遅くても関係ない」と言う。全体の状況を見極めた上で、最後に「勝てる候補」を立てればいいというわけだ。

☆ 候補者A:石原慎太郎
  石原知事が態度を明らかにしない背景には、自民の事情がある。「進退は早々に明言しない方がいい」。自民都連の幹部は昨年から石原知事に念を押してきた。「今期限り」の既定路線を、「次も出るかも」に変えた作戦の狙いは民主への牽制だ。「民主色ギラギラの独自候補を出させない抑止力になる。
 知事与党の自民、公明が避けたいのは、民主系知事の誕生で「少数野党」に転落する事態だ。民主の独自候補擁立の動きを封じた上で、相乗り協議に持ち込めないか――。そんなストーリーを描く。

☆ 候補者B:蓮舫
「都政にも、刷新すべきお金の使われ方がある」
 蓮舫氏は年明けの講演で、都知事選立候補に「前向き」とも取れる発言をした。昨年末には、「(立候補は)現段階では考えていない」と明確に否定していた。
 微妙に変わった言い回し。民主の国会議員は「今は蓮舫カードをちらつかせるのが得策」と言う。石原知事が出てきた場合、互角に戦えるのは蓮舫氏だけとの見方は自民と一致する。「蓮舫氏と石原知事なら激戦になる。勝てる確信がない以上、石原知事も出馬に踏み切れないはずだ」

☆ 候補者C:東国原
 関係者によると、東国原氏は都知事選に備え、すでに公約の検討を始めている。特定政党の推薦は受けず、無党派層の取り込みをめざすという。ただ、国政転身も選択肢にあり、両にらみだ。

☆ 候補者D:共産党
毎回、独自候補を立てる共産党は、選挙前年に候補を発表するのが通例だが、今回は決まっていない。関係者は「選挙の構図が定まらず、争点を絞るのが難しい」。

☆ 候補者E:猪瀬直樹副知事
立候補について周辺に意見を求めているが、取材には「石原知事の政権が続いてもいいと思う」。副知事に起用した石原知事の去就がはっきりしない以上、自らの態度を明確にできない事情もある。

☆ 候補者F:舛添要一
  「前日に決めてもいい」。選挙の構図が固まるには、しばらく時間がかかりそうだ。

(以上アサヒコムより)


ぼくは都民であるので、選挙権がある。
しかし上記のいずれの方が出てきても、投票する気はありません。

というより、上記のような方々のうちのひとりが都知事になるなら、ますます東京から出て行きたくなります。

誰が出たらいいかも思い浮かびませんが、もっと“まともな”ひとに出てほしい。

朝日新聞もこういう“事実報道”(なの?)ばかりしていないで、もっと政治について真面目かつ情熱(熱いこころ)をもって取り組んでほしい。

選挙は、競馬予想や人気投票と同じ次元ではありません。






空想から科学へ C

2011-01-26 14:08:57 | 日記



ぼくが“空想から科学へ”という言葉で、思っているのは、“空想”から脱して“(空想を克服して)、科学的に考えようということではない。

けれども、<科学>を軽蔑しているのでもない。

“科学的に考える”ということにも、さまざまな<方法>があり、なによりもさまざまな<立場>があるだろう。

まず<科学>が、<立場>を超越する(している)という“立場”は、誤謬(まちがい)だと思う。

しかし、“超越論的(経験にとらわれない)”、“客観的”、“普遍的”真理をめざすという<科学>の立場は否定しない。

その上で、“科学的思考”を重ねるほど<空想>も自分にとって切実になる、という立場をとりたい。

だから、現在一般に使用されている“科学的”という形容詞の使用は、多くの場合、まちがった使用であると思われる。

ぼくはよくしらないが、現代のちゃんとした“科学者”は、このように考えることを認めると思う。


また“科学的思考”の第一歩は、疑うことである。

フツーのひとびとが、“当たり前”と受け入れてきたことを、疑う。
そして、仮説と実験によって、自分の真理を見出そうとした。

そのひとつの(一般には“最初”の)定式化が、デカルトの“コギト”であった。

《わたしは考える、故に、わたしは在る》

この“結論”に到る、デカルトの懐疑は、“わたしが存在しているということは、どうして証明できるか?”という問いであった。

しかし、この<哲学>の問いは、端緒をひらくものではあったが、現在から見ると、あまりにも<抽象的>である(これはデカルトのせいではない)

これに対して(当然)、現在においては、別種の問いが提起される。
立岩真也は言っている;

★ 社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う。<立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』>


すなわち、“この社会に対する問い(疑問、懐疑)”というものが、あるわけだ。

《能力があるひとは多く取り、能力のないひとは少なく取る(少なくしか取れない)》

という<常識>に対する、<問い>はあるのだ。

ならば、身体・精神障害者、病人、老人、子供、ある社会では女性、さまざまな事情で教育によるスキルの獲得にめぐまれなかった人びと、不運なひと(笑)は、どうなるのか。

税金を納められないひと、税金を少ししか納められない人々は、<この社会>から排除されてよいのか。

立岩氏は、上記に書いたような“単純な論議”を、していない(笑)

ただ、《すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う》と言いながら、考えている。

もちろん立岩氏の“武器”は、障害者(難病者)と係わった体験だけでなく<社会(科)学>である。

それだけではない。

RCサクセションを聴き、モンタレーでのジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンを見る(聴く)ことでもあったと思える。


もちろん、“空想から科学へ”という上記のモチーフで、“現れる”ひとをぼくらは、この日本近代に持っている、宮沢賢治である。

宮沢賢治を大昔のひとと思っているひとに言っておく。
賢治が36歳で死んだとき(1933年)、ぼくの母は10歳ぐらいであった。





<添付写真について>

この北イタリアで出会った、叔父さんと叔母さんは、ぼくに、本物のパンにはさまった本物の野菜と本物のチーズと本物の生ハムを食べさせてくれた、愛を込めて。







空想から科学へ B

2011-01-26 09:36:50 | 日記



★ 私の場合、そんなことを思ったのは、べつに障害者運動のことを知ったからというわけではなかった。むしろ、どんな人でも、いろいろなことが、様々な度合いで、できたり/できなかったりする。とすると、この社会では、そのことに関わって損得が違ってくる。その意味では、ある人たちとは言葉の使い方が違うかもしれないが、すべての人が様々な場面でいくらかずつ、障害者であると言ってよい。そしてそのことは、その損得の度合いが、人によって人が置かれている社会のあり方によって著しく異なることを軽視してよいとかいうことではまったくない。もちろんその損得の度合いは、その人の能力によって、そしてどんな能力を社会がどの程度必要とするかによって大きくは変わってくる。だが、小さいにしても大きいにしても、その損得の差があることがよいとは思えなかった。そういうあたりが私の出発点になっている。そういう場から考える人にとって、そういう考えを自分のものにしていると思うのが、日本の――ととりあえず言うことにするが――さきに記した時期以降の障害者運動であり、そしてその当時に現れてきた社会運動だったと私は思った。直接に影響されてということではないと思う。ただ私と同じことを思っている人たちがいると私は思い、そしてそういう人たちのことを知ったり、やってきたことを調べてみようと思ったりしたのだ。

<立岩真也ウエブ・サイトより>



《その意味では、ある人たちとは言葉の使い方が違うかもしれないが、すべての人が様々な場面でいくらかずつ、障害者であると言ってよい。》

という言葉を支持する。





<ここに貼った写真についてのコメント>

その半開きの扉を通って、外に出る。
あと13歩くらい歩けば。
光、街路があり、車がときおり行き交い、ひとも通り過ぎる。
たぶんここは、今日もこのようにある。
でもこれは写真である。
ぼくはこの13歩を歩くわけにはいかない。
たぶんあの丘のうえに展開する古い街は、
1時間ちょっとで1周できる。
石畳を踏んで、入り組んだ路地をぬけて、
石組みの低いアーケードをくぐり、
かならず道は中央広場に通じる、高い塔のある広場のざわめきへと。
この街の外縁部でははるか新市街が見下ろせる
人々が生きる街が。





コラージュ;空想から科学へ

2011-01-24 17:47:30 | 日記


★ それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう
わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱい叫んだとき
あいつは二へんうなづくやうに息をした
<宮沢賢治“青森挽歌”>


★ ◆米国には様々な社交クラブがあり、そこで作られる人脈がビジネスなどに生かされる。社交世界をネット上に移して成功したのがフェースブックだった。利用者は原則実名で情報交換する。匿名が好まれる日本のネット空間とは対照的だ◆社交の場も意味する英語の「ソサエティー」の訳語に明治の啓蒙思想家たちは悩んだといわれる。適切な言葉がなかったため、古い漢語の「社会」が半ば造語として当てはめられ、定着した◆もっとも、福沢諭吉はこれを「人間交際」と訳していた。参加者の個性際立つフェースブックのようなネット社会は福沢の訳語が合う。一方、発言者の顔がよく見えない日本のネット空間は「世間」とでも言うべきなのか。文化の違いについて改めて考えさせられる。<今日読売編集手帳>


★ ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、11月の山の嵐のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
<宮沢賢治“『注文の多い料理店』序文”1923>


★ 結局は、「現在」を、自分自身がいまどこにいるのかを、知りたい。つまり、ここが、どこからどこへと向かう過程なのかを、知りたい。これが、私自身の探究を導いている究極の衝動であるし、また近代に社会(科)学という知を成り立たせた衝動でもあろう。
<大澤真幸『資本主義のパラドックス』あとがき(ちくま学芸文庫2008)>


★ ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
(……)
《幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ》
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずいぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
<宮沢賢治“小岩井農場パート9”>


★ 社会学は、人間の形づくる社会生活や集団、社会を研究し、社会的存在としてのわれわれ自身の行動を研究対象としている。社会学の研究範囲は途方もなく広く、街角での人びとの束の間の出会いの分析にはじまり、地球規模で生ずる社会過程の研究にまで及んでいる。
(……)
  あなたはいままでに恋したことがありますか。
  <アンソニー・ギデンズ『社会学』改訂第3版(而立書房1998)>


★ いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
<宮沢賢治“春と修羅”>


★ すべてが原稿依頼をいただいて書いた(あるいは話して、文章にしていただき、それにこちらで手を入れた)文章だが、その範囲内で、書きたいこと、書いた方がよいと思ったことを書いてはきた。暗い話もしなければならない時にはしなければならないのだが、惰性で暗いのはいやだと思う。ものは考えよう、とは思わないが、考えようがあることもある。
<立岩真也“はじまる前に”―『希望について』(青土社2006)>


★ まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
<宮沢賢治“春と修羅”>






四方田犬彦の書下ろしエッセー

2011-01-24 01:50:36 | 日記



しばらく四方田犬彦を読まなかった。

ぼくが前にやっていた、Doblogを始めた頃、ぼくは辺見庸と四方田犬彦を読んでいて、そのことをよく書いていたので、四方田氏というとその頃の感じがよみがえり、数年前なのになつかしい感じもする。

この『人、中年に到る』は、昨年出た本で、100冊くらい本を出している四方田氏にとっても、はじめての“書下ろし”エッセイ(エセー)であるらしい。

四方田氏も57歳になったそうである(笑)
ぼくは57歳の時、会社を辞め、その時、自分がずいぶん“年取った”と感じたものだった。
しかしあっというまに60台なかばにさしかかってしまった。

さて、四方田氏の57歳の心境はいかに?

読みやすい本で、今日夕食後から読み始めて、72ページまできた。

けっこうぼくなどにも耳の痛いことが書いてある(笑);

★ 匿名で記された文章など便所の落書きと同様で、たかだか安全地帯からなされた無責任な感想文にすぎないからだ。(略)それはチャイルド・ポルノの民主主義だ。書くという行為はそのためにいかなる事態が引き起こされても引き受けるという、ある意味で身を張った行為でなければならない。わたしに面と向かって語ることができないような人物が記した、猿の自慰のようなブログの文章に、どうして時間を割く必要があるだろうか。もちろんそれは、書物を書く・読むという根源的な行為とは無縁の営みである。(引用)


さて、“知識人の不幸と知識人について”という章から引用しよう;

★ 知識人とは単に知識を持っている人間を意味しているわけではない。

★ 知識人とは、自分の専門の領域以外の知識を所有していて、それを社会のために行使する人間のことである。その意味でもっとも知識人になることが難しいのは、大学で社会科学や哲学といった人文系学問を教えることを職業としている人間だろう。(略)彼らの発言は専門の知識に庇護されることはあっても、その知識の背後にある秩序を相対化することがほとんどない。だから大学教授が知識人となるためには、駱駝が針の目を潜る以上の努力を重ねなければならない。

★ アマチュアであることが知識人の第一条件であると、かつてエドワード・サイードは語ったことがあった。専門的な知識は知識の順列と秩序を確認させるだけで、もっぱら人を抑圧する。そうした構造に風穴を開け、アンデルセンの童話の子供のように、王様は裸だと宣言するためには、人はあえて素人の立場に身を置かねばならないのだ。

★ 知識人はある瞬間にあって、自分の信じえたある正義のために抗議する。犠牲者について語り、彼らが被った不正義について人々に呼びかける。だがそれは、先にいったように、永続的なものではない。どこまでも瞬間的なものだ。それで充分であるし、人間には結局のところ、それしかできない。いつまでも正義を唱え続ける者は、必然的に党派の争いに巻き込まれてしまうだろう。党派は権力への意志であり、硬化した正義はもはや正義ではない。

★ いつまでも自分が知識人であると名乗り続けることは滑稽であるし、「知識人として」といった前置きで演壇に立つことは、それ以上に愚かに思える。知識人は誰かによって自分が聖人化されそうになったとき、ただちに警戒して撤退すべきだろう。(略)知識人であるとは事件であり、事件については誰も予期することができない。ましてそれを理論化したり、職業にすることなどできない。

<四方田犬彦『人、中年に到る』(白水社2010)>






ホームビデオ

2011-01-22 22:29:18 | 日記



★ ホームビデオは、他人の目には大抵、退屈きわまりない自己満足的画面の連続と映る。撮影時の記憶を共有せぬ者(他人)にとっては、ただの無意味な風景と変わらないためだ。つまりそれを鑑賞する際の規則(愉しみ方)が判らないのだ。子供が笑いながら駆けている姿を収めた映像を見て、その子は何を面白いと感じているのか、他人には理解できない。他方、撮影に立ち会った者(家族)は、喚起された当時の記憶が映像の欠如を補完するので画面の意味を取り損なうことは少ない。だとすれば、ホームビデオを鑑賞する家族たちはそのとき、ふたつの映像を見ていることになる。画面に映し出された映像と、それを目にすることで呼び起こされる記憶の映像を。(略)映像とは、それ自体としてはただの風景と大差なく、映し出される出来事の意味は見る者の記憶に依存する。映画の面白さが人によって異なるのは、こうした事情のせいだ。その事情は、映像のみならず、視覚的刺激全般に当て嵌まるとさえ言えるかもしれない。

★ ホームビデオは、場合によっては過去の捉え方を大きく変えてしまうのかもしれない。Sさんの人生は、最初の10年間は詳しく記録されているが、父親を亡くして以後は完全に途切れている。そのため近い過去よりも、遠い過去のほうがはっきりとした像を結ぶわけだ。(略)Sさんのような場合とそうでない人の場合とでは、どんな感覚的差異があるのだろうか。時間の方向感覚と距離感を、ホームビデオはどの程度に混乱させてしまうのか。あるいはその混乱は、記憶の在り方にどういった具体的な影響を及ぼすのか。

★ 映像は、出来事のメカニズムを解き明かしつつ、対象へ向ける視線=意識の有り様を示唆する。これにより、歴史分析においては、より細かいレベルでの迅速な対応が可能となった。撮影技術の進歩、とりわけビデオカメラの普及は、大文字の歴史=物語の解体と分散に寄与した。20世紀後半は、ホームビデオによって、数多くの個人の歴史が一斉に記録され始めた。世界史に対する個人史の台頭である。(略)だとすれば、今後は個人という枠組みもまた分裂し、散逸してしまうのだろうか。

<阿部重和“20世紀”―『グランド・フィナーレ』(講談社文庫2007)所収>






なにが私にとって“利益”なのか?

2011-01-22 13:31:24 | 日記



昨日、本で加藤典洋というひとの文章を読み、考えた。
そしていま、不破利晴ブログに引用された田中良紹というひとの文章を読み考えた。

この二つの文章は、ある“根本的”なことを言っている。
だからこのふたつの文章に述べられたことは、“関連して”いる。

しかも(当然)、この根本的なことが根本的であるのは、ぼくが考えていることにも、それら(加藤、田中の意見)は“関連して”いるということである。

ぼくは、このふたりの意見に、ある<批判>を感じるが、それをまだ明確に(一挙に)のべられない。

だから、ぼくは“持続的に”このブログを書いている。

ここでは、とにかく、二人の(二つの)文章を貼り付ける;


引用A:~THE JOURNAL 田中良紹 『増税の「理」と「利」』より一部抜粋~(不破利晴ブログから転載)

★ 国民は「理屈」で動くものではない。「利益」で動くものである。その事を最も良く理解していたのはあの坂本龍馬である。凡百の勤皇の志士は「尊皇攘夷」を叫ぶだけだったが、龍馬は世の中を動かすのは「理」ではなく「利」である事を知っていた。薩長連合は理屈で出来たものではない。長州には鉄砲を薩摩には食糧を提供するなど、それぞれの藩の欲しいものを取引したから成り立った。それが日本の歴史を変えたのである。

★ 歴史を変えるとか、政治を行なうとはそういうことで、正論を百万回叫ぶより、欲しいものを呉れてやることだと知っていた龍馬はたぐい稀なる政治家である。この感覚は官僚的思考からは絶対に生まれない。官僚的思考は正しい理屈が実現しないのはおかしいと考えるのである。そして次にそれは国民が馬鹿だからと考え、最後に無理矢理にでも実現しようと考える。だから官僚政治は国民から嫌われる。これまでの消費税の歴史を見てくるとそういう気になる。


引用B:加藤典洋“言葉としての憲法”(1993読売新聞)―『文学地図』(朝日新聞社2008)

★ 憲法はこの国の最高法規である。それが、その最重要の平和原則という一点で少しも守られていない。守られていないばかりか、守ろうとする努力さえされていない。しかもそれは当然のことで、そもそもこの憲法が国民の意思で選びとられたことなど、一度もない。つまり私達は、自分の憲法というものをもっていない。わたし達の憲法、などとは言うが憲法とわたしの1対1の関係は、ここにないのだ。ところで、憲法とは何だろうか。つまるところそれは言葉ではないだろうか。わたし達はこの言霊幸う(ささわう)国で、ある仕方では深く言葉を信じている、少なくともそう自任している。しかしそもそも言葉をまったく信じていないのである。

★ わたしの考えを言えばわたしは憲法をもう一度、というか一度、国民投票のようなものにかけ、とにかく棄てるなり選びとるなり、国民の意思決定に委ねることが必要だと思う。結果は問わない。そうすることで、もし憲法とわたし達の間に1対1の関係が生まれれば、時の憲法の選択者としてであれ、反対者としてであれ、たとえばわたしは、もう少しタフに、まともに「平和」についても語るはずなのである。

(以上引用)



繰り返す、ぼくは上記ふたつの引用文に<批判>を持つ。
いっきょに(懇切丁寧に)述べられないが、ポイントをいくつか列挙する。

① Aの田中良紹が言っている、“理屈か利益”かの対立があり、国民は<利益>で動くという理屈はただしい。
“坂本竜馬”とか“官僚的思考”というのは、その例にすぎない。
すなわち、この<普遍性>は、人類史的な問題である。
しかし、《“理屈か利益か”の対立があり、国民は“利益”で動く》という<真理>は、現在においてはじめて発見されものではない(爆)

② だからBの加藤典洋が、“関連する”。

③ ぼくは、“言葉としての憲法”を支持するか?―しない。<注1>
《わたし達はこの言霊幸う(ささわう)国で、ある仕方では深く言葉を信じている、少なくともそう自任している。しかしそもそも言葉をまったく信じていないのである》(加藤)は、ただしい。
《憲法は言葉である》も、たぶんただしい。
  
③ しかし(ここからがぼくの主張である;笑)、
言葉は、憲法だけではない。<注2>

④ ぼくの<主張>は、上記に尽きている。
だが、蛇足を書けば、この加藤の文章は1993年に書かれ、“その後”に憲法改定が国民投票にかけられることは決定している(どうなってんのか知らないが;笑)
ぼくは、その国民投票の結果なぞに何の期待も持っていない。
国民投票で、憲法が“改正”されるだろうから、そう言っているのでは、“ない”。
どのような結果だろうと、《憲法とわたし達の間に1対1の関係が生まれる》ことがないと、予想されるからだ。

⑤ だから加藤典洋(のようなひと)はダメなのである(笑)
自分で、《しかしそもそも言葉をまったく信じていないのである》 ― と、
<日本国民>を批判しておいて、なんで<国民投票>に期待できるの?

④ いや、ぼくは、
“いやぼくは、日本国民の<言葉>を実は信頼しているのだ” ―と、
いいたいのでは、まったくない。

⑤ だから(むしろ)ぼくの問いは以下のようになる;

なにが私にとって“利益”なのか?





蛇足;

<日米同盟>が、日本国民の利益になる(なっている、これからもなる)、というひとが、多いのである(爆)
そして<自主防衛>なら、日本の核武装化を公然と“言える”人々が、すでに、存在している。

まさに利益を追求したあげく滅びる世界にぼくたちが<生存>していることだけは、<事実>である。

<対処法>?!

ぼくに聞かないでくれ。

あ~あ!

今日は阿部和重『シンセミア』を読みます。






<注1、注2>

あまり“説明”したくないのだが、“誤解”をおそれ、注記する。

ぼくがここで言いたいのは、“憲法”もまた、“法律”であるということ。

日本国憲法が“改正”されるかもしれないことが示しているように、“法律”は人間によって“変えられる”ということ。

“人間によって変えられるもの”は、神の言葉でも自然の摂理でもないが、このことは決して<否定性>ではない。

問題は、あらゆる“法律”を、<普遍の=不変の真理>であるかのように扱う誤謬である。

もちろんそういう言葉が好きなら(ぼくはあまり好きでないが)、“法律”はゲームのルールである。
憲法も例外とは思えない。

“ゲームのルール”は必要であるが、<普遍の=不変の真理>ではない。

日本国憲法だけでなく現在のあらゆる国家の憲法は、<普遍の=不変の真理>ではないということを、ぼくは言っているだけである。

“普遍の=不変の真理”としての<法>がありうるか、というのは、別の話(それはそれとして考えるべきこと)である。

つまり<言葉>は憲法より広く深い概念=存在だとぼくには思える。

言葉の使用は、“ゲームのルール”を越える。

現在の日本に閉塞感をもたらしているのは、おおざっぱに言えば、“戦後民主主義”と“他者排除ナショナリズム”の不毛な対抗関係であると考える。<注3>

この閉塞を突破するために、ラディカルな(その根からの)言葉の使用が求められる。



<注3>
たとえば現在も“女流作家”などが扱っている<家族問題>なども、この図式の内部にあるという意味。





“文学”はなんのためにあるのか?

2011-01-21 10:02:35 | 日記



この<“文学”はなんのためにあるのか?>というタイトルは、ぼくが考えたのではなく、かの高名な“先生”の最新ブログにあったのである。

内田樹先生のブログのタイトルは、<特殊な能力について>という。

また長たらしいので最後の部分を引用する;

《昨日の講演のあとの質疑応答では「文学は大学教育に必要なのでしょうか?」という質問があった(質問したのは経済学部の学生。質問には「文学なんか不要でしょ?」というニュアンスが込められていた)。
とてもよい質問だと私は思った。
「文学はなんのためにあるのか?」
これは文学研究者がまっさきに考えなければならない問いである。
もちろん「正解」があるわけではない。
けれども、文学研究をする人間であれば、志したときから、死ぬまで考え続けなければならない問いである。
「文学はいかにして可能か?」
思えば、私はモーリス・ブランショのこのエッセイを精読するところから文学研究を始めたのだった。
「文学はいかにして可能か?」
この問いをつねに胸元に突き付けられた匕首のように受け止めること。
それが文学研究者のあるいは唯一の条件ではないのであろうか》
(引用)


まず内田先生が、
《モーリス・ブランショのこのエッセイを精読するところから文学研究を始めたのだった》
というのにおどろく。

内田先生は、エマニュエル・レヴィナスではなかったの?(笑)

“モーリス・ブランショ”というのは、ぼくの“世代”では、バタイユと並んでなんか神格化されたひとだった。

“モーリス・ブランショ”の主著はぼくが大学時代ころ現代思潮社から翻訳されたが、とても高くて(値段が)手がでなかった。

それでぼくはなんとなく出会いそこねたひとだった。
最近、文庫で(比較的安く)買った、『明かしえぬ共同体』というのを、ながめた。
この本はブランショ晩年の本で、“68年5月革命”に関与する。

この本の最後には、“ビラ・ステッカー・パンフレット”が収録されている。
その“ビラ・ステッカー・パンフレット”は、《最初、68年5月ソルボンヌで結成された学生-作家行動委員会によって発行されたパンフレット「委員会」に、無署名のテクストとして発表されたものである》(訳者西谷修註記)

この“無署名”の文を書いたのが、ブランショである。

この『明かしえぬ共同体』という本の“テーマ”は、<共同体>である。
ぼく自身まだ、この本を充分に読めてないが、この本の半分を占めている“恋人たちの共同体”はマルグリット・デュラスから触発された文章である。


以上のことを書いたのは、ブランショというひとと、内田樹というひととの“雰囲気の違い”を知ってほしいからである。

ぼくはブランショに無知であるが、内田樹よりはブランショに“近い”と自負する、すくなくともデュラスへの愛において(笑)


さて、最初に掲げた引用文について。

だいたい経済学部の学生が、《「文学は大学教育に必要なのでしょうか?」》などと質問することが、傲慢、僭越である。

こういう学生には、“テメーはカネ勘定だけして、死ね!”と答えればよい。

《「文学はいかにして可能か?」
この問いをつねに胸元に突き付けられた匕首のように受け止めること。
それが文学研究者のあるいは唯一の条件ではないのであろうか》(内田語録)


あんまり大袈裟なことはやめようよ(爆)

まず、<文学>はフィクションだろうと、ノン・フィクション(ぼくは“ドキュメント”という言葉を使いたいが)だろうと、詩だろうと、自伝だろうと、エッセイだろうと、1冊の本を読むことである。

そして、読みたければ、文学史や文学論や評論(クリティーク)を読むのもよい。

そして、自分で書きたければ、書けばいい。