Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

GW

2009-04-30 19:44:16 | 日記

おせっかいではあるが、この“ゴールデン・ウィーク”にどこへも行けないひとのために、手軽な代替プランを提示しよう。

なにしろ、費用は¥552ですむ。
まあ、自宅で読むなら、ビールとか、丹念に淹れたコーヒーとか、濃いミルクティーとかを飲みながらなら、なおいい。
近所に、昔風の“喫茶店”あるいは、カフェがあれば、そこへ行って読むのもいい。

昨日もちょっと引用した青山真治『ホテル・クロニクルズ』(講談社文庫)である。

なにしろ、ぼくは“ホテル”が好きである。
ラブ・ホテルではない(行ったことがないのだ;笑、一度入ってみたい)

ぼくはそれほど日本各地や海外を旅行したわけではなく、ホテル滞在の経験が豊富なわけでもない。
それでも、ホテルに関する思い出を書けないわけでもないが、今日はやめておく、青山氏の本を紹介したい。

この本は短篇連作となっている、各短編は以下の通り;
★ “ブラックサテン”=紀州、南紀線
★ “交響”=那覇、ビーチサイドホテル
★ “砂浜に雨が降る”=ランカウイ、タンジュン・ルー・リゾート
★ “Radio Hawaii”=ホノルル、カハラ・マンダリン・オリエンタル
★ “蜘蛛の家”=金沢、ニューグランドアネックス
★ “地上にひとつの場所を!”=ソウル、ソフィテルアンバサダー
★ “白猫”=横浜、グランドインターコンチネンタル


以上のリストをみただけで、ぼくのようなミーハー男は、胸がときめく。
実は書店で、この本を買う気になったのは、“それ”だけの理由による(もちろん青山氏が“優秀な”若手監督であることは知っている)

しかし、例によってぼくは、まだ“砂浜に雨が降る”を読み終わったところである。
残りの4篇が良いかどうかは、わからない。
しかし、読み終わった3篇だけでぼくはすでに“¥552”はムダではなかったと感じる。

昨日引用した“ブラックサテン”だけが、ホテルでの話ではない(ようだ)

しかしこの“導入部”は、ホテルへたどりつくまでの“旅の導入”としての車内の光景、および目的地へ着いたときの幻想をあざやかに喚起している(つまりぼくらの“旅”もこのようであったのではないか)

いま読んだ、“砂浜に雨が降る”の展開も鮮やかである;

最初この短篇は“R”という主人公による“3人称小説”かと思わせる。
Rは、“できるだけ美しい風景を見ながら孤独に死んで行きたい”という願望を持っている。
そのきっかけとなった幼児期の体験が回想される。
そしてRは、マレーシア、ランカウイのリゾートへやってきた;

★ 砂浜を洗う波の音がすぐさま鼓膜を愛撫し、暗がりの中に手を伸ばせば綿菓子のように掴めそうな気がした。
★ Rは、奇妙な官能のくすぶりとそれを駆動させる金銭の力学を感じ、自分が1920年代の、白いスーツとパナマ帽の帝国主義者になった気がした。
★ 旅の疲労を急に感じて、Rは窓辺を離れ、シャワーを浴びようと裸になった。
(以上引用)


さて、Rのリゾートの日々はどうなるのであろうか。
Rは海辺で不思議な体験をするのである。

しかしこの短篇が、すぐれているのは、とつぜん“私”(書き手=青山氏らしきひと)とその妻が現れるからなのだ。

そしてこの小説の最終部は、私と妻がそのリゾート・ホテルの“お魚さんたちに餌をあげる”シーンへと展開される。
“妻”が言う;“生きものばんざい”。

★ 私も小声で同意を示した。
★ Rなど最初からいなかった。死にたいのは私自身だった。

このあとに展開される終結部の10行は、白眉である。

ここに引用してもいいが、ちょっとつかれた。
ぼくは講談社文庫の販売促進員ではないが、“¥552”で買って読んでください(笑)

大逆と愚者

2009-04-30 13:17:58 | 日記
ぼくは昨年9月のブログ(Doblog)に書いた;

★ぼくが長い時間をかけて今日読み終わった中上健次『紀州 木の国・根の国物語』(小学館文庫・中上健次選集版)には巻末に短いエッセイが二つ収録されている。

そのひとつ“私の中の日本人 大石誠之助”で、中上は同郷の佐藤春夫の詩を引用して以下のように書いている;

千九百十一年一月二十三日
大石誠之助は殺されたり。

げに厳粛なる多数者の規約を
裏切る者は殺さるべきかな。

死を賭して遊戯を思ひ、
民族の歴史を知らず、
日本人ならざる者
愚なる者は殺されたり。
(佐藤春夫:「愚者の死」後半略)

大石ドクトルの拘引、処刑は、町の人間に大きな衝撃だった。その当時の町の人間にとっては、大逆などという事はあってはならない事だった。マルクス主義も、無政府主義も、分からない。大それた事をした人がお上の手で引っぱられて行った。その人は、医療費を払えぬ貧乏人に、言葉にして「金がない」と言うには恥ずかしいだろうから、硝子窓を三回トントントンと叩いて合図しろ、と教え、そうすればただで貧乏人を診察した人だった。
私が、大逆事件の、大石誠之助を、歴史の人間ではなく生きた血の通った人間として思い描けるのは、そのトントントンと硝子窓を叩くエピソードによる。義父の母親、私から言えば義理の祖母が、そうやって硝子窓を叩いて、診察してもらった。そのドクトルが「愚者」なのである。
(以上引用)

こう中上健次が書いたのは1977年であった。
また大石誠之助ドクトルが処刑されたのは1911年のことであるという。

もちろん時代は変わった。
それなのになぜ、この<愚者>という言葉=存在が、いま、心を打つのだろうか。
(2008/09/28)


この“大逆と愚者”という“テーマ”が、ヒリヒリするように“生な”ものであることを、誰が“この現在”において感知するのか。


かつて四方田犬彦は書いた;

★ 服喪2
ある作家の書き遺したものを読むことは、彼が眺めた風景を眺めたり、彼が聴いた音楽をもう一度聴いてみることと、どのように違う行為なのだろうか。ソウルの市場の喧騒。熊野の夜の闇。羽田飛行場。アルバート・アイラー。サムルノリ。死者について語ることが必要な時というものがある。だが、それはいつまでも続かない。あるとき、もはや死者に向き合ってではなく、死者の傍らに並びながら語ることが求められることになるのだ。
<四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 中上健次の生涯”>


《あるとき、もはや死者に向き合ってではなく、死者の傍らに並びながら語ることが求められることになるのだ》


だが、言葉は拡散していく。

マスメディアや“有名人”の言葉のみではない。

自分の言葉が拡散していく。

ぼくは日々、意識的であろうと、無意識的であろうと、おびただしい言葉(映像)を読んでいる。
ぼくが意識的に読む“本”の言葉だけではなく、“ネット上の言葉”、“電車の中吊りの言葉”、街を歩くときに目にする言葉を、“読んで”いるのだ。
また、ケータイ画面の言葉を読む人を読んでいるのだ。

ぼくはこのなかの、多くの言葉にがっかりし、少数の言葉にたちどまる。

“言葉の過剰”?まさに。

ぼくたちが、生涯に必要とする言葉は、きわめて少数(少量)なのかもしれないのだ。
しかし、“みずから”ぼくは、言葉を“量産”している。
なんのために?

それは、自分の情感-思考の“整理”のためだろうか、それとも、”だれか“、未知のひとへの”伝達“のためだろうか。
しかし、“けっしてぼくの言葉は伝わらないだろう”という“確信”が、日に日に増大するのは、なぜだろうか。
もしその言葉が“真摯”なら、その言葉は、“現在”において伝わらない。

言葉は、いつも遅れて到達するのだ。
まさに中上健次の言葉が、かれの死後、だいぶ遅れてぼくに到達したように。

ぼくたちは、かつて大江健三郎がタイトルとしたように、“遅れてきた青年”なのだ。
遅れてきた青年は、浦島太郎のように、老年である自分を発見する。

だから、まだ“若い”ひとたちよ。
“死者の傍らに並びながら”、語れ。
きみの“父”も“母”も不死ではないのだから。
もちろん、きみ自身も。

きみが“愚者”であることを、決してわすれるな。



*写真は妻の友人タエさんの作品です。

Passing past darkly

2009-04-29 14:07:29 | 日記
いま煙草を買いに出たら、よい天気だった。
ぼくのマンションの周辺の桜並木は、つい先日の開花、散り敷く花びらの影もなく、その葉の陰が地面にまだら模様をつくっている。

ぼくは、これまでも、この地面のまだらを写真に撮ろうとしてきた。
しかし、いつもそれは、写らない。

“Passing past darkly”という言葉が浮かんだ。
それが小説のタイトルだったか、文章の一部だったか、歌の文句だったかも、わからない。

どう訳せばいいだろうか。
“darkly”には、“暗く、黒ずんで”以外に、“神秘的に”とか“陰険に”という意味もある。

しかしぼくが、この単語に感じるのは、“わるい意味”ではない。

つまり、さっきの木々の葉が、地面におとす影と陽射しの戯れのようなもの。

そのまだら模様。
それが、“past”である。
あるいは、それは、ぼくの“脳内”を思わせる。

“過去”とは、なんだろうか。
いつもひとは、過去を、今思うのである。

時間とか、記憶といった“テーマ系”がある。
“幻の10年”という有名なバンドの曲もあった、自殺したカルト系ミュージシャンが、死の直前に歌った“decade”という曲もあった。

しかしぼくの人生は、“10年”ではない。
その6倍もの時間が錯綜している、重層している。

たとえば、“西暦”を思い浮かべるべきだろうか。
1946、1960、1968、1989、1995、2001、2003、2009……

この“年”さえ、それを選ぶひとによって任意である。
その年が、世界的・国内的に重要な事件の年であったり、個人的に重要な年であることもある。
あるいは、その両者が錯綜した年もあった。

たとえば1989年は世界史的な転換の年だったが、その年、ぼくも転職して最後のサラリーマン生活の13年に入った、その年の暮れにひとりの叔父が死んだ。

2001年は、近年でだれもが言及する年であるが、その年、11月の末にぼくは母を亡くした。
下記ブログで、“勲章をもらった叔父”のことを書いて、またそのころを思い出した。

“Passing past darkly”

生きているひとより、死んでしまっているひとを愛しては、いけない(笑)

“きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない”

有名な小説の書き出しである。
だからぼくも、こう書くべきかもしれない。

“2001年11月29日にママンが死んだ。だがぼくはその死に立ち会っていない。ぼくは死んでいる母をみて、まだ生きていると誤解したのだ。もしかすると、まだ生きているかもしれないが、私にはわからない”

“Passing past darkly”

だが、だからぼくにとって、“past darkly”というのは、ただ単に“暗い”ものでは、ない。
だが、“神秘的”でも、ない。

昨日買った“本”。

マイルスとゴダールと中上健次。

《69年から74年までに流れた空気を、ある超克を生きるほかないその空気を、共有などとは言うまい、三者が三様の形を取ってそれぞれ生きてしまった事実》

《……という<ずれ>が横たわるにせよ、この三人が<似ている>と思えるのは、つまるところ私にとってかれらが、各々のジャンルにおける最終的な名前だからか?》

(青山真治『ホテル・クロニクルズ』2005)


“69年から74年”だって?

その時代に生まれてなかった人々が、たくさんいる(笑)
ぼくは“知っている”、ある超克を生きるほかないその空気を。

“マイルスとゴダールと中上健次”=“各々のジャンルにおける最終的な名前?”

こう書いている青山真治氏は、1964年生まれ、1969年には子供だったはずである。

しかし、彼がこの“時代”を(想像力のなかで)追体験するのは、よい。
それを自分の作品に、結実させるなら、なおよい。

“69年から74年”を体験したのに、なにも体験しなかったものも、たくさんいるのだ。

もちろん、時代と人の名は、有名人だけに結びつけられるのではない。

名と時代とその空気は、いまぼくのなかにある。

この陽射し、若葉のなかにある。

“Passing past darkly”


《きみに、情熱を教えよう》


ぼくの叔父さんが勲章をもらった

2009-04-29 11:58:11 | 日記
アサヒコムを見たら、次ぎのようなニュースがあった;

<もったいなくない マータイさん旭日大綬章 春の叙勲>2009年4月29日5時0分
政府は29日付で、春の叙勲受章者4068人と外国人叙勲の受章者70人を発表した。民間受章者は41%(1666人)、女性は8%(343人)で、いずれも昨年並みだった。受章者は省庁からの推薦がほとんどで、一般推薦による受章者は5人だった。
 旭日章は顕著な功績を上げた人、瑞宝章は公共的職務に長年従事した人が対象となる。旭日大綬章は、電通の社長、会長などを歴任した成田豊さん(79)、元連合会長の鷲尾悦也さん(70)ら7人が受章。瑞宝大綬章は元北大学長の丹保憲仁さん(76)と元駐ロシア大使の渡辺幸治さん(75)に贈られる。旭日中綬章には小説家の阿刀田高さん(74)ら、旭日小綬章には人形浄瑠璃文楽太夫の竹本綱大夫さん(77)、女優の2代目水谷八重子さん(70)らが選ばれた。
 外国人叙勲の受章者には、ノーベル平和賞受賞者で日本語の「もったいない」を世界に広めたケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイさん(69)が旭日大綬章に、第2次大戦の硫黄島での激戦を日米双方の視点から描いた映画監督クリント・イーストウッドさん(78)は旭日中綬章に選ばれた。
(以上引用)

ぼくは一般的には以下の疑問を提起したい;
① 国家が特定の人に勲章を与えるということ自体に、疑問がある
② その選考の基準(根拠)に疑問がある
③ この記事にあるように、“受章者は省庁からの推薦がほとんど”ならば、そのことに疑問がある
④ “民間受章者は41%(1666人)、女性は8%(343人)”であるならば、その比率の根拠に疑問がある
⑤ “旭日章は顕著な功績を上げた人、瑞宝章は公共的職務に長年従事した人”となっているが、“顕著な功績を上げた人”と“公共的職務に長年従事した人”というのは、何を意味し、その区別の根拠は何であるかに疑問がある。
⑥ 今回受章した、それぞれのひとの“業績”に疑問がある


つまり今回受賞した人々が、どんな“よいこと”をしたかを、ぼくはほとんど知らない。
見出しになっている“マータイさん”でさえ知らない。
“電通の社長、会長などを歴任した成田豊さん(79)、元連合会長の鷲尾悦也さん(70)、元北大学長の丹保憲仁さん(76)と元駐ロシア大使の渡辺幸治さん(75)”も知らない。

たぶん“電通”のひとなら、自民党等の選挙演出の功績が認められたのだろうと思うばかりである。
これはぼくの“無知”であるから、恥じるべきかもしれない。

ただし、上記記事の“名前”のなかにぼくのよく知っているひともいた。
クリント・イーストウッド氏である(笑)
ぼくは俳優としての彼は嫌いじゃなかったが、最近はテレビで彼の古い映画を見るだけでウンザリである、彼の監督作品も、最初は見ていたが、ウンザリである。
しかしこの人も、直接知っているわけではない。


ああ、直接知っているひとがいたのである(爆)

この人の写真が、上記アサヒコム記事にでかでかと出ているではないか。
ぼくより髪が(なぜか)まだあるが、ぼくはこのひとに似ているのである。

このひとの“受賞の喜び”まで記事になっている(サンケイ)、ちょっと引用;

《 原稿用紙に鉛筆書きのスタイルはずっと変わらない。「日ごろは無理をせず体を気遣い、徹夜はしない。いつも悠然としていたい」と朗らかに笑う。
 古今東西の文学に造詣が深いが、「美しい日本語」に対する愛着は人一倍強い。「言葉は明快で分かりやすく」が持論だ。文化庁の文化審議会会長なども歴任。「国語力を高めるのには、自分から進んで読書をする子供を育てることが大切」と訴え続けてきた。
 「若者のモノの言い方が単純になっているのが気がかり。日本語はもっとデリケートに使ってほしいですね」
 言論表現の自由をうたう「日本ペンクラブ」の会長に2年前に就任。海外との交流に力を入れ、日本文学への理解を求めてきた。来年秋には国際ペン大会を四半世紀ぶりに東京で開く。「欧米主導の組織の中でアジアの立場を主張し、ぜひ成功させたい」と言葉に力を込めた。
(以上引用)


ははははは、ハッ。

あ~あ。

みなさん、だまされちゃいけません。

このひとは、“いつも悠然としていたい”らしいです。

ぼくはこのひとが“悠然としていない”のを、子供の頃から見ていました。
しかし、そのことは“罪”では、ありません。
この人が、悠然とするために“努力した”ことも知っています。

この人は、自分の原稿の字が最初読みにくかった(ようするに字が下手)だったので、読みやすい字を書くよう努力したのです。
それにしても、まだパソコンをお使いではないのでしょうか。
ぼくの方は、あいかわらず人に読める字が書けないので(つまり努力しなかったので)、パソコンを使用しています。

このひとも「美しい日本語」に対する愛着が強く、“日本語はもっとデリケートに使ってほしい”のであり、“自分から進んで読書をする子供を育てることが大切”なんだそうです。
ぼくと同じ考えではありませんか!

やっぱ“わが家”の血なんでしょうか。
ところで、あなたのお子さんは、“自らすすんで読書”しているのでしょうか(爆)
最近お会いしてないので、トンとわかりません。

“読書”といえば、もう半世紀ちかく前、ぼくがお貸しした“異色作家短篇集”(ハヤカワ)を、あなたはなかなか返してくれなかった。
きっとあなたは、アレで勉強して、“作家”になったんでしょうね(笑)
ぼくの“ヒッチコック・マガジン”やハヤカワSFシリーズも見ていたね。

もちろん、ぼくはこんな過去のけち臭い“貸し”(あなたが完全に忘れている)を、言い立てるほど下品ではありません。

しかし、ひとこと言っておきたい。

あなたには“恩義”を感じるべきひとがいた。
あなたは、そのひとが死んだとき、その火葬に立ち会うことを(旅行の計画があるからと)躊躇した(結局参加したが)、ぼくは、あの時言ったはずだ、“そんなにお忙しいなら、いらしていただかなくて、結構です”と。


<注記>

上記ブログ記述で、今回受章された人が、親戚もしくは知人におられるかたが、不快な思いをされたなら、お許し願いたい。

ぼくは“国家による叙勲”自体を認めないが、今回叙勲された方々のなかに、立派な方がおられないということではない。

そういう方々の“喜び”に水を差したいわけではない。

上記ブログ後半の記述は、あくまで、ぼくの個人的な“つぶやき”である。

“個人的なつぶやき”をブログに書くべきではない、という立場も納得できる。

しかし、このブログは、“それを書く”ことによって、成り立っている。



<追記>

このニュースのGoogleでの分類は、“エンタメ”である。

なぜ“国家による叙勲”が、エンターテイメントである(エンタメでしかない)のであろうか?


我輩は猫じゃない

2009-04-29 07:34:56 | 日記

あいかわらず引用一発;

《◆〈少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分からない〉と。枯れ葉をお札に化けさせるような現代版の錬金術でつまずく国があったり、核とミサイルを独裁の道具に利用する国があったり、猫の心配もあながち的はずれではなかったろう》(今日、読売・編集手帳)


まず、“引用”である。

つまり、編集手帳とか天声人語は、昔の“文豪”とか“名歌”からやたらに引用している。
今日の天声人語は、福沢諭吉である。

しかし、こういう“引用”は、オリジナルな言葉を理解した上で、引用されているのだろうか。
自分が“引用”している対象への、真の敬意をもって引用しているのだろうか。

“真の敬意”というのは、“あがめたてまつる”ことでも“ダシにする”ことでもない。
むしろ“批判する”ことが、敬意である場合もある。

《猫の心配もあながち的はずれではなかったろう》
どころではない。

漱石は、(たぶん)、この編集手帳のような文章を書き続けるものの“増長”を、すでに直感していたのである。

《名前のない猫は知るまいが、人間もいくらかは賢くなっている。〈少し人間より強いもの〉の好きにさせるわけにはいかない》(今日、読売・編集手帳)

“名前のない猫は知るまいが、人間もいくらかは賢くなっている”

そうだろうか?

そうだろうか?そうだろうか?そうだろうか?


《▼思えば諭吉だけでなく、5千円札の一葉も千円札の英世も、金には縁遠い家に生まれた。だが、知っての通りの賢人ぞろいだ。政府の言う景気対策のための「賢い使い方」なるものを、国会論戦を眺めつつ雲上で吟味し合っているに違いない》(今日天声人語)

そうだろうか?

そうだろうか?そうだろうか?そうだろうか?


朝日のあたる家

2009-04-29 07:03:48 | 日記

このシーズンのこの時間、ぼくの部屋には朝日が差し込んでまぶしい。

自分に関心がないことをブログに書くというのは、矛盾である。
けれども、自分に関心がないことに、“世間”がおおさわぎしているとき、なぜぼくと“世間”とにはそれほどの“距離”があるのか(それほどの距離ができてしまったか)を考えるのは、無駄ではないかもしれない。
あるいは、自分に“関心がない”ことが、実は“関心をもつべきこと”を含んでいるかもしれない。

勘のよい読者は、すでにぼくがなにを書こうとしているかを、察しってしまったかもしれない(笑)

なにか漢字変換するのがむずかしい“タレント”の全裸騒動が、すでに忘れられる時、今朝のヤフー・ニュース・ランキングは次なる話題に集中している。

しかもこの“事件”については、天木直人ブログまで、“これは今世紀最大の言論封殺事件ではないか”という記事をあげて、以下のように書いた;

《北野誠事件は、単なる芸能ゴシップ問題ではない。権力と言論の自由、そして検察官僚の天下りが絡んだ、法と正義の危機の問題でもある。》

はぁー、“そういうこと”もあるのである。

ぼくには、天木氏がいうような、事実があるかどうかはわからない(天木氏ブログを読んでください)、つまり“ある”可能性もある。


ただ、ぼくにいえるのは、ぼくがどうしても、クサナギとかキタノとかいう人に、興味が“もてない”ということである。

“どうだっていいじゃん”と思う。
つまり、SMAPとか、キタノ(誠だろうが武)だろうが、ぼくには“つまらない”ひとなのである。

この世界には、生きているひとだけでたくさんのひとがいるわけである。
死んだ人を含めると、膨大である(笑)

なぜ、そういう人々のなかから、キタノとかSMAPというひとに、“特に関心をもつ”必要があるのだろうか。

今日のメディアは、ご丁寧に、北野誠というひとの“謝罪会見”の一問一答まで載せている。
ぼくも読んだが(笑)なにひとつ“おもしろい”ことは言っていない。

ぼくは、こういう無意味な言葉を読みたくはない。
あえて言えば、こういう言葉は、“ぼくの生き方の参考に”ならない。

“だから”、いつもいつもぼくが、不思議なのは、こういうタレントだか芸能人だか知らない“人種”の言葉を聞きたがる、“多数の人々”の方である。

ああ“多数の人々”。


昔の“知識人”が書いた言葉を思い出す;

《きみに、情熱を教えよう》



ぼくはなぜ“連続猟奇殺人犯モノ”が好きなのか

2009-04-28 21:31:04 | 日記
いつものことといえばそれまでだが、どうも疲れやすい。
仕事に行った日は、ブログを書くのもおっくうだ。

けれどもぼくの“ブログ脳”は、仕事の合い間も活動していた。
今日のテーマは、タイトル通りである。
つまりぼくは昨夜テレビで「セブン」を見たのだ(何回目かである)。
おととい?は「ブレードランナー」を見た。
どちらも好きな映画であるが、今回、「ブレードランナー」には、感銘を受けなかった。
たしかに見過ぎであろう。
しかし、どうもぼくには、“近未来的”とか“つくりもの的”シチュエーションというのが、近年、退屈になってきた。

まあ「セブン」や「羊たちの沈黙」も“荒唐無稽”でないわけでも、ないが。
しかし(ここからがこのブログのテーマだが)、なぜ「セブン」の犯人や“レクター博士”は魅力的なのであろうか。

それを“論じる”ためには、たぶん、長いブログが必要であり、今はその根気がない。

一気にその論旨を展開しよう;
①“連続猟奇殺人犯”と呼ばれるような人々が、“魅力的”なのは、彼等には情熱があるからである。
②しかし、良識のために言うのではないが、実は、これらの作品(小説-映画)において真に魅力的なのは、その“犯人”ではなく、彼等を追う人々の方である。
③なぜか?“連続猟奇殺人犯”は、それを狂気と呼ぶかいなかは問題であるが、“異常に、異常な行為”に対して執着できるという“情熱”をなぜか持っている。
④これに対して、これらの犯人を追う人々(刑事とか、若い女性警官とか、プロファイラーなどなど)は、“平凡な人々”である。
⑤しかし、この“連続猟奇殺人犯”たちを追い、それを“逮捕せん”とする過程において、平凡なものたちも、異常な情熱を持つものに拮抗せねばならない。
⑥その試みは、当然、“天才的な犯罪者たち”の前で、“敗れる”かもしれない。
⑦「セブン」はまさに、モーガン・フリーマンの引退前刑事の“疲れ”と“掻き起される情熱“と、ブラッド・ピットの新米刑事との対比のドラマとして成り立っている。まさにこのキャリアに乏しい”若者“は、天才的犯人の”悪意=情熱“を受け取るのだ。

だいぶ前に読んだのだが『レッド・ドラゴン』における“クロフォード刑事”(だったと思う)も複雑なキャラクターであった(つまりレクターに自分との“同質性”を指摘される)


書きたいことは書いちまった。

もっと上記を“ふくらます”ことができそうだが、今日はこれまで。


男の生き方について

2009-04-27 19:07:05 | 日記

自分ことを“ロック・フリーク”などと粋がってみても、しょせん、“ぼく”は、62歳の目の回りにタルミが出てきた、ジジイである。

つまり“ふるい男”である。

であるからして、古臭い“男の生き方”というようなものを、考えないわけではない。

つまり“本”を読んでいて、“男の生き方”の時代と場所による“差異”というものに、呆然とすることがある、のである。

たとえば、今日読んだ文章からランダムに引用しよう;

★ 春生はゴミ箱を蹴飛ばし、ティッシュの箱を投げ付けて、母親を黙らせた。伝達済みの意向を改めて喋らされることが、彼には我慢ならなかった。自分が足蹴にされると直感したらしく、瑞江は急いで壁際に後退し、団子虫のごとく体をまるめた。
「ぶっ殺すぞ!」<阿部和重『ニッポニアニッポン』>

★ 世界をまたにかけるこのような男が、スペイン、ポルトガルには何百、何千といた。(略)
だが、いったいどうしたことか、この男、大航海時代のヒーロー、一攫千金を夢見て祖国ポルトガルを捨て、仲介貿易で巨利をむさぼった野心満々の若者が、祖国から遠い島国日本で、その全財産を投げ打ち、貧者の救済に献身して日本に骨を埋めてしまったのである。<若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』>

ぼくが上記の引用2本を並べたのは、べつに、“最近の日本の若者には覇気がない”などと言いたいからではない(笑)
上記の“男の生き方”からいえば、ぼく自身(残念ながら)最初の引用文に近い(近かった)というべきである(ぼくは母親に「ぶっ殺すぞ!」と言ったことはないけどね)

ただただ、“男の生き方の時代と場所による差異”ということに、“詠嘆”するのみである。
(もちろん、“個人の資質”というよーなこともある)


さらに引用しよう(笑);
★ 「ニッポンの小説」の文章から、「展開」がなくなった、と荒川さんは書く。では、なぜ、「展開」がなくなったのか。それは、世界(社会)から、「展開」がなくなったからだ。なぜ、そんなことが起こるのか。それは、小説(の文章)というものには、世界(社会)が浸透しているからだ。<高橋源一郎『ニッポンの小説』>

なに?上記引用が“男の生き方”とどういう関係があるか、と君は聞くのだろうか。

関係あるのである(笑)
だいいち、これを書いている“高橋源一郎”という男の、“生き方”に関係ある。
上記の引用文は、“ぼく”がこのブログに書いていてもいいような文章である。
けれども、この本を読んでいると、“ぼく”は(なぜか)不快なのだ。
高橋源一郎をはじめて読む若い人は、このひとをたっしゃで、イケてるひとと思うかもしれない。
しかしぼくは、このひとの処女作からの読者だった。
ほんとうに久しぶりで、この本を数年前から読んで(中断して、また読んで)、やっぱりダメだと思った。
だいいち、なぜ、“ニッポンの小説”なのであろうか?
なぜ“小説”なのであろうか。

たとえば、内田樹を引用しながらの“それは文学ではありません”という章で語られているカミュ『異邦人』は、サイードによって、“あの当時のアルジェリアでアラブ人を殺したフランス人に対してあのような裁判が行われることは、ありません”とあっさり否定されているのだ。

なにが《その無意味性を毀損することなく維持しようとした主人公の法外な欲望が、第2次大戦後の人々にとっておそらく想像以上に切実なものだったからである》(内田樹)であろうか?

ぼくは“その無意味性を毀損することなく維持しようとした主人公の法外な欲望”、というような“欲望”を否定しているのではない。
カミユの『異邦人』および、いつまでもそれを固定観念でしか読めない内田樹-高橋源一郎のようなひとを疑っているのだ。

そのあとにでてくる、『戦後60年<現代詩>再考』という現代詩手帳特集号での石原吉郎と大岡信、堀川正美の詩の比較もぼくには納得できない。
高橋は石原吉郎の詩に対して、大岡や堀川の詩が“ただ優れた作品にすぎない”というのだが、ぼくはこの三つの詩における“暗喩”の水準が、それほどちがったものとは思えない(ぼくはこの三者の詩に詳しいわけではないが)

もし“暗喩”ではない、言葉の具体性をいうのなら、“詩の言葉”自体がダメなのである。
このことに対しては、ジャン・ジュネの言葉“蠅も、白く濃厚な死の臭気も、写真には捉えられない”を置けば充分である。

“写真には捉えられない”が、ジュネにおいて、“言葉には捉えられない”と同じか否かは、考えるべき問題である。


上記のぼくの“論旨”は、この高橋源一郎の本に即して、もっと精密に展開されるべきだと思う。
しかし、このブログはすでに長くなった。


もうひとつ引用して、このブログは終える;

★ 春が二階から落ちてきた。<伊坂幸太郎『重力ピエロ』>



絶滅について;Nipponia Nippon

2009-04-27 11:53:37 | 日記
たぶん“みなさん”のなかにも読んだ方が多いのではないかと思われる小説、阿部和重『ニッポニアニッポン』(新潮文庫2004、オリジナル2001)を昨日から読んでいる。

この小説は“トキ(鴇)”という鳥の絶滅にかんするお話しである。

トキという鳥の絶滅が、問題になるのはその形態の美しさというようなことのみでなく、その“学名”が“Nipponia Nippon”であるからである。

この小説の書き手が、このテーマを選んだのも、この小説の主人公がこの鳥にこだわったのも、その“学名”の“象徴性”による。

まだ、ぼくの読書は、途中であるので、その“象徴性”に著者がこめた“意図”は、把握されていない。

ただぼくは“絶滅”ということを思う。

絶滅という概念を思うとき、ぼくにおとずれるのは、恐怖や不安ではなく、かすかな“うつ”の気配である。

たしかなのは、“絶滅”というのは、“個的な死=つまりぼくの死”とは、ちがうということである。


Wikipediaの“トキ”項目から“日本産トキの絶滅”という項目をはりつける。
ひまなひとは、読んでください(笑);

日本産トキの絶滅 [編集]
★ かつてトキは日本国内に広く分布したが、肉や羽根を取る目的で乱獲されたため、1925年か1926年ごろには絶滅したとされていた[11]。その後、昭和に入って1930年から32年にかけて佐渡島で目撃例が報告され、1932年5月には加茂村(→両津市、現佐渡市)の和木集落で、翌昭和8年(1933年)には新穂村(現佐渡市)の新穂山で営巣が確認されたことから、1934年に天然記念物に指定された。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。

★ 終戦後は、1950年を最後に隠岐に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息数も24羽[12]と激減していたことから、1952年3月に特別天然記念物に指定され、1954年には佐渡で、1956年・57年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。また、民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した。1960年、東京で開かれた第12回国際鳥類保護会議において国際保護鳥に指定され、会議を記念してトキをあしらった記念切手も発行された。1971年には、能登半島で捕獲された『能里(ノリ)』が死亡し、佐渡島以外では絶滅した。トキの減少の一因として農薬(による身体の汚染・餌の減少)が取り上げられることが多いが、日本で化学農薬の使用されるようになったのは1950年代以降[13]であり、その頃にはすでに20羽ほどにまで個体数を減らしていた。

★ 1965年、幼鳥2羽(『カズ』と『フク』)を保護したことから人工飼育が試みられるが翌年、カズが死亡。解剖の結果、体内から有機水銀が大量に検出されたため、安全な餌を供給できる保護センターの建設が進められる。1967年トキ保護センター開設。フクと、1967年に保護された『ヒロ』『フミ』の計3羽がセンターに移された。翌1968年『トキ子』(のちに『キン』と命名される)を保護。1970年には能登の最後の1羽『能里(ノリ)』を保護し、トキ保護センターに移送する。キンがメス、能里がオスだったことや盛んに巣作りを行っていたことから、繁殖に期待が持たれたが、1971年に能里が死亡。人工飼育下のトキはキン1羽となった。(フク、ヒロおよびフミは1968年に死亡)

★ 1968年にNHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし空撮を行ったが、1969年にトキが黒滝山の営巣地を放棄し人里近い両津市へ移動したのは、そのためだという指摘がある[14]。番組の放送があるまで空撮があったことに気付いていた者はいなかったが、空撮は通年にわたって行われた(はずだ)と批判する声もある。しかし、番組の責任者によるとヘリコプターを飛ばしたのは一度だけで、それも営巣期を避け、空撮以外の取材も慎重に行ったという[15]。

★1981年1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。(センターで付けられた足輪の色から『アカ』『シロ』『ミドリ』『キイロ』『アオ』と命名される)その後、繁殖の試みが続けられたが全て失敗し、2003年10月10日朝、最後の日本産トキ(キン)の死亡が確認され、日本産のトキは絶滅した。ただし、生物学的にはまったく同一種である中国産のトキを用いて人工繁殖を行っているため、日本におけるトキの扱いは「絶滅」ではなく「野生絶滅」のままである。




<引用;『ニッポニアニッポン』から>

★ よく言われている通り、日本国民はセックスのことしか考えていない。しかも人間のセックスだけでは飽き足らず、鳥の交尾にまで好奇の目を向けて、新式のオナニーにでも励むつもりでいるらしい。散々殺しまくった上で態度をころっと変えて、たった一羽生ませただけで種の全体を救ってみせた気になり、トキもセックスするのだと知って大はしゃぎしているというわけだ。

★ 自分自身もまた、トキを出汁(だし)にして自己満足を得ることを目論む側の一人にすぎぬのではないか、などとは、春生は考えてもみなかった。この時分の彼は、自らの善意を信じて疑いもしなかった。とはいえ結局のところ、春生はトキを出汁にして「人間の書いたシナリオ」をぶち壊したいだけだった。彼がそれをはっきりと自覚するのは、もうしばらく先のことだった。


アルバムだけが残った

2009-04-27 10:06:29 | 日記

今朝もネット巡回したが、なにも手応えのある記事も論説もない。

もう今日は、本を読んで書くことがあったら、書けばいいと思った。
最後にしばらく見てなかった“非国民通信”ブログを見たら<国を守れるそうですが(09/04/15>という記事があった。

これは産経新聞の<「日本は自分自身で国守れる」 石原知事が陸自練馬駐屯地で祝辞>という記事を扱ったものである。

その記事以下の通り;
《来賓の石原慎太郎都知事は祝辞で、北朝鮮のミサイル問題などに関連し、国連が「何の役にも立たない」と指摘。日本の高度な技術力が米国の戦争を支えているとした上で、「私たちは国連やアメリカを気にしなくとも自分自身でこの国を十分守れる」と持論を展開し、「任務に邁進(まいしん)していただきたい。国民はそれを熱願している。国民自身も体を張って、自分でこの国を守るという気持ちを必ず持っている」と隊員を激励した。》

非国民通信の記事の最後の部分は以下の通り;
しかしまぁ、「国民自身も体を張って、自分でこの国を守る」のだそうです。この手の人はどうしても「国民が」「国を」守るという発想が抜けないんですよね。「国が」「国民を」とはならないわけです。国民自身が犠牲を払ってでも国を守る、要するに「家族を犠牲にしてでも家を守る」発想だと誰かのブログに書いてあった記憶があります。仮に「イエ」が守られても、家族が犠牲になってはねぇ? イエが潰れても家族が無事ならまだ救いはありそうですが。ちなみに自衛隊の死因は「自殺」が最多とのこと。祝辞を聞かされた自衛隊も国より先に自分のみを守ることを考えた方が良さそうです。
(以上引用)


この記事の、
《要するに「家族を犠牲にしてでも家を守る」発想だと誰かのブログに書いてあった記憶があります。仮に「イエ」が守られても、家族が犠牲になってはねぇ? イエが潰れても家族が無事ならまだ救いはありそうですが》
に共感するね。


ぼくはDoblogがつぶれる直前の頃、ユーチューブで“岸辺のアルバム”という古いテレビドラマを見ていました。

そのドラマは、まさに、“イエが潰れても家族が無事”ということを描いていたのよ。

ぼく的に言うと、“家系”はつぶれても、その構成員としての個人は生き残る、という意味です。

ぼくは“国民が国を守る”などというのはまったくのナンセンスと思うが、“国が国民を守る”というのにも、近年疑問を感じている。

つまり、何から誰を守るのであろうか?
誰から誰を守るのであろうか?

“アルバムだけが残った”


わが心の……

2009-04-26 10:31:04 | 日記

おととい、自分が1月18日に書いたブログを引用していて、ある本に気づいた。
若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ』である。

ぼくは若桑氏の『イメージを読む』という文庫本を読みかけで放置しているが、その独特の“男性的さわやかさ”に注目した。

この“男性的さわやかさ”というのは、(まれにだが)、女性だけに見られる特徴である。

それでこの『クアトロ・ラガッツィ』という書名を見たとき、なにかピンとくるものがあった。
ぼくは本を買うとき、もちろん書評などを参考にするが、最終的“決断”は、いつも“勘”のみである。

昨日は、妻が留守で外食の必要があったので、雨で億劫だったが、吉祥寺まで出掛け、駅の本屋で、この本を買った。
集英社文庫2冊本のボリュームある本であった。

“クアトロ・ラガッツィ”が、天正少年使節を意味することを、ぼくは知らなかった。

喫茶店で樺山紘一氏の解説を見て、若桑氏が最近亡くなられたことを思い出した。
プロローグを読むだけで、このひとの“さわやかさ”がまた伝わってきた。

この本を書くことになった動機。
これは美術史家としての彼女の総決算の“最後の書”であると思われる。

★ 私は1995年、ちょうど日本の敗戦から50年たった年に、大学を1年休んでしばらくものを考えることにした。敗戦の年に10歳だった私にとって、戦後の50年めとは、自分の人生や、日本の運命について考えなくてはならない節目の年に見えたのである。


その時、彼女が1961年に横浜から船に乗ってマルセイユまで行った最初の外国旅行が復活したという。
同じ船に川田順造氏や蓮実重彦氏も乗っていたそうだ。

その船でのエピソード。
客室の世話をするコルシカ人のメートル・ドテル(客室主任)は、フランス政府留学生を尊敬し、若桑さんがイタリア語が話せるので、彼女も“名誉白人”の仲間に入れてくれた。
そして;

★ 彼は、香港から臭い匂いのする質素な身なりの中国の少女が私と同室になったことをひどく詫びた。むろん、私もひどくいやな気分で、一日部屋に帰らないことが多かった。

★ あるとき、彼女は、私が寝過ごして朝食を食べそこねるのではないかと心配して私を揺り起こした。私は英語もフランス語もイタリア語も通じないこの中国娘に辟易して、紙片にでたらめな漢文で「われ眠りを欲す」と書いた。彼女も大笑いして紙片をとり、「我が名は黄青霞」と書いた。私は起きて彼女を見たが、私たちがとてもよく似ていることにそのときはじめて気づいた。「われは香港の祖母のもとを出て今サイゴンの父母のもとへ行く。汝いずくより来たり、いずくへ行かんと欲するや」。「われは日本より来たり、ローマへ行かんと欲す。かしこにて学を修めることを願う」。青霞は私の肩を叩いて紙片を見せた。「われ汝の成功を祈る」

★ サイゴンで黄青霞は手をふって降りていった。メートル・ドテルは犬を追っ払うようなしぐさで、「マドモアゼル、追っ払いましたよ!」と言った。でも、私は傷ついた。青霞は私だったからだ。まぎれもなく私は黄青霞の「仲間」、「黄色い」東アジア人なのだ。その日から私は名誉白人の仲間には入らなかった。この経験を私はひそかに、「わが心の黄青霞」と呼んでいた。そして筆談の紙片を大切にもっていた。でもそのときは、それが自分にとってどういう意味があるのかをわかっていなかった。



タコ!

2009-04-26 09:04:42 | 日記
なんか“政治家の世襲制”が話題らしいが、“テレビ業界の世襲制”についての記事が天木直人ブログに出ている。

日刊ゲンダイの“テレビ業界に石を投げると有名人の子供にぶつかる”という記事である。

《みのもんたの長男と次男はともにTBSと日テレ。故松岡利勝農相の息子はNHK。「嵐」の桜井翔の妹が今年日テレに総合職で入社。桜井の父親は総務省総合通信基盤局長で将来の次官候補。中川昭一前財務省の長女はフジテレビ社員。鈴木宗男の娘も4月からNHKに入局・・・
おそらく同様の例は山ほどあるに違いない。これではテレビに権力批判などできるはずはない。馴れ合いなのだ。》(引用)


馴れ合い。

まあ、この社会は、“すべて馴れ合い”といっていいと思う。

ぼくは日本の戦後を代表する“思想家”が、自分の娘のために、時代に馴れ合った例もみてきた。

もちろん“親が子供を思う気持”というのは、この社会では絶対であり、むしろ“美談”であるのだ。
その傾向は加速されていると感じる。

ぼくのように子供を持たないものがそのように言ったとすれば(つまり普段、言わないのだが)、“子供を持たないひとにはワカンナイのよねぇー”と哀れみの表情で“いなされる”であろう。

そういうときは、こっちは、“このタコ!”と内心でつぶやくのみである。


そこで(笑)、きょうの天声人語は“タコ”の話題である。

タコがタコの話をしている(これいかに?!)

なるほど、“タコ的処世術”というものが、あるのでござる。

引用する;

▼ タコについては、軟体動物では異例の知恵が実証されている。米国の海洋学者、ユージン・カプラン博士は「イヌ並みに賢いという説に喜んで賛成する」と書いた。とりわけ「やわらかい生き方」は示唆に富む▼骨がないから小穴も抜け、いざとなれば腕を切って姿を消す。保護色、墨の煙幕、水を噴き出しての瞬間移動など、柔肌を守る技は忍者も顔負けだ。危うさに満ちた時代に、タコの闘争……ならぬ逃走力は、世渡りの参考になるかもしれない。(引用)


なるほど、なるほど。

“天声人語的タコ”というのは、“イヌ並みに賢い”のである。

しかし、犬は、“天声人語的タコ”とは、まったく異なった<実存>をしているのだ!

“イヌ的イヌ”の実存は、“世渡りの参考”など必要としていない。

“ベルカ、吠えないのか?”


しかし天声人語的タコは、このぼくの批判も“すりぬける”であろう。



<追記>

“世渡りのうまい人”というのが、すべて、タコなのである。

タコを見分けるための、タコの性質=骨がないから小穴も抜け、いざとなれば腕を切って姿を消す。保護色、墨の煙幕、水を噴き出しての瞬間移動など、柔肌を守る技は忍者も顔負け、タコの闘争……ならぬ逃走力。

無視したり、居直ったり、誤魔化したり、謝ったり、タコは忙しい。

なにしろ、“ヒューマニズム・タコ”、“家族愛タコ”、“自由主義タコ”、“リベラル・タコ”、“バッシング・タコ”、“弱いものいじめタコ”、“国粋主義タコ”、“快楽・消費タコ”などなどタコの種類もさまざまである。

タコが大事にするのは(かなしい習性で)、”カネ”と”虚言”である。

とくにタコの観察に向いているのは、あなたの家にもある、電力を消費するのみの、四角い画面である。

これからますます、狂ったタコの、裸踊りが、そこで見られるかもしれない。


傷=応答する力

2009-04-25 14:22:43 | 日記
Doblogに出した引用からいくつか再録する;

★ 「傷」に言葉はない。他者と分有されることが言葉の言葉であるための条件なら、「傷」そのものは、絶対的に単独的な出来事の痕跡として、言葉なき口のように、ただ開いているだけだ。だが、「傷」は言葉を求める。飢えた口が糧を求めるように。

<鵜飼哲『応答する力』(青土社2003)あとがき>



★ 話を変えた。歌をうたってもらった。所謂(いわゆる)、串本節である。だが、ここでは古座節と言ったほうがよい。

わたしゃ若いときゃ つがまで通うた
つがのどめきで
夜があけた

ついてござれよ
この提灯に
決して苦労は
させはせぬ

“つがのどめき”とは、古座から新宮にもどった海岸にある。潮が満ちてくると、ドドドドッとどめく。どめくとはどよめく、鳴りひびくの意味である。歌は恋の歌であり、恋心がどめきに満ちる潮の音ほど鳴りひびく。歌の文句は、男が歌うより女が歌うほうがよい。

<中上健次『紀州 木の国・根の国物語』>



★<永遠の夏>
だが飛行機がふたたび雲から出て揺れもなくなると、2万7千フィートのここで鳴っているのはたくさんのベルだ。たしかにベルだ。ベン・ハンスコムが眠るとそれはあのベルになる。そして眠りにおちると、過去と現在を隔てていた壁がすっかり消えて、彼は深い井戸に落ちていくように年月を逆に転がっていく―ウェルズの『時の旅人』かもしれない、片手に折れた鉄棒を持ち、モーロックの地の底へどんどん落ちていく、そして暗闇のトンネルでは、タイム・マシンがかたかたと音をたてている。1981、1977、1969。そしてとつぜん彼はここに、1958年の6月にいる。輝く夏の光があたり一面にあふれ、ベン・ハンスコムの閉じているまぶたの下の瞳孔は、夢を見る脳髄の命令で収縮する。その目は、イリノイ西部の上空に広がる闇ではなく、27年前のメイン州デリーの、6月のある日の明るい陽の光を見ている。
たくさんのベルの音。
あのベルの音。
学校。
学校が。
学校が

終わった!

<スティーヴン・キング『 IT 』第2部“1958年6月”の第4章“ベン・ハンスコム、ノックダウンのふりをする”>


nothing is real

2009-04-25 13:46:18 | 日記

ひさしぶりに?天木直人ブログから引用する;


<政治の軸にならない平和問題と国民新党の役割>

私は、ロナルド・ドーア氏の論評を引用して、この国では貧困問題が政治の軸にならない、政治家は誰も本気になって貧困問題を政治の場で解決しようとしない、国民もまたそれを政治に要求しない、と書いた。
同様のテーマはもう一つある。それは平和の問題である。平和もまた政治の対立軸になっていない。
政治家は憲法9条を踏みにじる政府・官僚を本気になって追及できない。国民は平和の問題を政治の主要テーマにしない。
これは由々しい事だ。我々の生活の基本である憲法9条(平和)と25条(生存権)が、政治の軸にならないのである。
ここ数ヶ月間、与野党は解散・総選挙絡みの駆け引きばかりに終始し、国会において、平和の問題もまた放置してきた。
米海兵隊のグアム移転協定しかり。海賊対策法しかり。いずれも重大な憲法9条違反の法案であるにもかかわらず、まともな審議が行なわれないまま急いで成立させられようとしている。
しかも政府は国民に嘘をついてまで成立を急いでいる事が明るみになったと言うのに、である。
たとえば沖縄からの米海兵隊削減計画である。我々は8000人削減されると繰り返し聞かされてきた。そのように報道されてきた。しかし4月3日の衆院外務委員会で、外務省の梅本和義北米局長は、社民党辻元清美氏の質問に対し、それが嘘である事を認めた(4月9日朝日新聞)。07年9月時点での在沖縄海兵隊の実数は1万3200人という。その数が1万人になるだけなのだ。わずか3200人の削減に過ぎない。その見返りに膨大なグアム移転費を負担させられようとしている。国民に十分な説明がないままに国民の税金が使われようとしている。
海賊対策法の嘘もまた明らかになった。4月19日の東京新聞は、ソマリア沖に派遣されている海上自衛隊がこれまでに警護した日本関係船舶は、政府が説明していた数の3割程度しかなかったことをスクープしている。不景気によって航行する日本関係船舶が急減しているのだ。
本来ならば派遣そのものを見直さなければならないのに、現実は逆だ。政府は海賊対処法の成立を強行しようとしている。
政治は何をしているのか。護憲政治家は何をしているのか。共産党や社民党の政治家が怠慢だとは言わない。圧倒的に少数なのだ。非力なのだ。そして雇用問題と同様に、野党第一党の民主党が動かないのだ。
そのような中で、私は国民新党の動きに注目している。4月21日の新聞各紙は、国民新党の亀井久興幹事長が横浜市で記者会見し、一旦受け入れた民主党の海賊対処法修正案にもとづく与党との修正協議から、国民新党は離脱する方針を決めた、と報じた。海上自衛隊の海外派遣に反対する社民党との連携を重視して方針転換したという。(後略)

(以上引用)



上記の文章を読んで、ぼくが重要だと思うのは次ぎの2点である。

★ この国では貧困問題が政治の軸にならない、政治家は誰も本気になって貧困問題を政治の場で解決しようとしない、国民もまたそれを政治に要求しない。

★政治家は憲法9条を踏みにじる政府・官僚を本気になって追及できない。国民は平和の問題を政治の主要テーマにしない。
これは由々しい事だ。我々の生活の基本である憲法9条(平和)と25条(生存権)が、政治の軸にならないのである。


ここで繰り返されている、“政治家は×××問題を誰も本気になって解決しようとしていない、国民もまたそれを政治に要求しない”という“パターン”こそ問題である。

この天木ブログでも“×××問題”として、貧困(格差、不平等)、米海兵隊のグアム移転協定、海賊対策法などが取り上げられている。

つまり、この“×××問題”というのは、時に応じて変わるのである。

変わらないのは、“政治家は誰も問題を解決しようとしない・・・、国民もまたそれを政治に要求しない”というパターン(構造)である。

いったいこの“構造”を、<民主主義>などと、誰が呼んだのだろうか(のけぞる)

天木氏とぼくがちがうのは、またしても天木氏が“国民新党”などという党に期待してしまうことなのである。

ぼくは“政治”はバカにしないが、“政党”とか“政治家”とか“官僚”などというもの(そういうモノになりたがるひと)は、いっさい信用しない。

じゃあ“現実にどーする?”などと、ぼくに聞かないでほしい(笑)

ぼくは、この“国家の”方針を決定する立場にはない(そういう権力も責任もない)

いいですか、だれもwarmgunという“個人”に、“国家”の運営について聞いてはいない。
こういう言い方を“無責任”とか、“民主主義ではない”などと思うひとがいるなら、ぼくがけっして“それ”を考えていないわけでは“ない”ことを言明しておく。

もしぼくを、そのように非難する(ことができる)と考えているひとがいるなら、そのひとこそ“民主主義”を理解していない。

天木氏の“命題”にもどるなら、後半の“国民もまたそれを政治に要求しない”ということが、あくまで問題である。

“われわれ”、政治の中枢に関与できないものが持つ権利と義務は、“政治に要求する”ということのみである。

政治家とか官僚とか大企業ボスなどという“人種”が、“民主的”であり得るはずがないのである(これは“日本”にかぎらない、“世界的”である)

そういう“意味”で、“リアル・ポリティックス”というのは、“リアル”なのである。

それは、“ひと”を平気で破滅させたり、殺したりすることを、“何とも思わない”人々の世界なのだ。

“そうでない”かのように演出しているのは、虚言癖でしかものを言えない、“権力者の太鼓持ち=マスメディア”である。


もう“戦後政治”も60年以上経過したのだ。

いいかげんに、“ありのまま”を見ようではないか。




息の根を止める

2009-04-25 06:47:55 | 日記
先見の明

“先見の明”という言葉がある。

ぼくの好きな言葉ではない。
いちおう電子辞書広辞苑の定義をかかげる、<先見>ででている;
事があらわれる前に見ぬくこと。さきを見通す事→<先見の明>

しかし、自分には“先見の明がある”などと、したり顔で言うひとがあるならば、そんなものは糞である。

Doblogがクラッシュした前の日(09/02/07)に、ぼくは以下のブログを書いた。
そのなかに以下の文章がある;
《結局“ネット言説”を規制するだけになる、ネット言説の場がなくなる可能性だってある》

あまりにも、この偶然は、奇怪である。
ぼくにとって、Doblogという“ネット言説の場”は、なくなったからである。
このgooで“継続”できるから、いいじゃないか。
そうだろうか。
Doblogという場は死滅したのだ、gooが死滅しないという保証はない。

もちろん、“ネット言説の場”などが死滅しても、どうってことはない。
ぼく自身、気になるのは、ぼくが昨夜引用した自分の言葉の方である;
《もし“戦争国家”を認めるなら、この日本という国家も“防衛のための”戦争国家になるというリアリズムのみが必然である。
ぼくは“そうなる”と思う。
(あなたが変わらないかぎり、そうなる=私が変わらないかぎりそうなる)》

ぼくは自分の“先見の明”が、当たらないことを願う。


いちおう、09/02/07ブログを再録する;

<snapshot 太った赤ん坊あるいは過保護幼稚園児> [ 08:28 ] [ 日記 ]

今日天声人語;
▼ 顔が見える集団討論でさえ、意見が次第にとんがり、結論が極端に振れることがある。匿名ゆえに責任感が薄まる場では、安易に同調し、論より情にまかせて過激さを競うような群集心理が働くという(岡崎博之『インターネット怖い話』)▼自由に発信できるネットにより、善意の輪が広がることもあれば、権力やメディアの所業が問われもする。「情」と「報」の海に紛れる悪意をどう摘むか。もはや言論の裏通りとはいえない存在だけに、交通整理の知恵がいる。
(以上引用)

いったいこの文章はなにを言っているのか!

こういうことを“書く”ならば、“交通整理の知恵”のカケラでも述べるべきだ。
いったいどうすればいいのでしょうか?(笑)
結局“ネット言説”を規制するだけになる、ネット言説の場がなくなる可能性だってある。

天声人語、この肥大した赤ん坊。

なんでもかんでも、したり顔で論評する。
ここには、“主体(人間)”がいない。
ここには“問い”がない。

この程度のことが、『インターネット怖い話』などというどうでもいい本を“引用”しなければ言えないのか。
世の中にはもっと“まともな本”がある。

上記の“話題”なら答えは簡単である。

天声人語が“批判すべきことを批判すれば”いいのである。
マスメディアが、なにも批判せず、ひたすら現状を保守する言説ばかり並べているから、“ネット言説”が暴走しているのだ。

自分の責任を棚にあげるな。

“群集心理の暴走”などというのは、ネットがなくてもいくらでも起こる。
もし“無名の群集の悪意”をいうなら、そんなものはいつの時代にもいくらでもある。

この幼稚園児の過保護状態からいつまでも卒業できない天声人語ライターというのは、ほんとうに救いようがない。

こういう朝日新聞のような愚鈍な言説しかないから、こっちも書きたくもないことをブログに書かざるを得ない。

まさに<責任>という言葉にもっとも反しているのが、天声人語のような“無責任言説”なのだ。

ぼくは、ネット言説が“責任を持って”、天声人語の息の根を止めることを夢みる。

[ 更新日時:2009/02/07 08:29 ]


ぼくが“息の根を止めたい”のは、天声人語のみではない。

くだらない“言葉”を撒き散らし、“はしゃぎまくっている”現在の、ほとんどの“おしゃべりたち”のことである。

たとえば、最新の“内田樹の研究室”ブログを見よ。
内田樹、高橋源一郎、渋谷陽一・・・・・・。

かれらは、なにを“はしゃいで”いるのか。

かれらが、哲学や文学やロック・カルチャーについて、まともなことが、ひとことでも言えるとは、思えない。

“結婚生活”についても(笑)