Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

賢治の旅

2014-03-31 11:59:33 | 日記

★ わたしたちはすでにそのまえの『鈴谷平原』で、旅の極北に立つ詩人をみてきた。
《 こんやはもう標本をいつぱいもつて
  わたくしは宗谷海峡をわたる
  だから風の音が汽車のやうだ 》
 それは存在のゆくえを求めるその旅にあって、詩人の乗り継ぐべき鉄道がもはや、風の鉄道でしかありえないことを予告している。

★ 《 永久におまえたちは地を這ふがいい 》
詩人の幻想は旧約聖書風のこのような呪詛のことばを吐き捨てて、「上方とよぶその不可思議の方角へ」向かう鉄道にのりうつる。

★ このようにして「銀河鉄道」は、解き放たれた挽歌行である。もはや蒸気の力ではなく、つまり「科学」の力ではなく、あらかじめ重力の法則がその効力をもつことのできない、もうひとつの力で走る汽車である。

★ 前年の『小岩井農場』の旅が、その長い歩行による助走のあとに、ついにその第九のパートに至って、道ははっきりと第四次元の<透明な軌道>の方へと曲がったように、「オホーツク挽歌」の旅もまた、その長い助走のあとで、鉄道は異の空間の内部に方向をとることとなる。

★ けれどもこのときの旅で詩人が得たものはまだいくつかの<標本>であって、これらの標本を全面的に展開し賦活することは、詩人のその後の生涯を賭けてなお余りのある仕事となった。

★ <鉄道>が想像力の解放のメディアであったということを、わたくしたちはこの節のはじめにみてきた。けれどもこの解放のメディアが同時に、幻想の都<東京>に向けて、つまり近代資本制国家の興隆という物神に向けて、津々浦々の共同体の想像力を収束し収奪してゆく権力の装置でもあったということもみてきた。『銀河鉄道の夜』の賢治はこの鉄道の軌条を転轍することによって、現実のような幻想である<東京>の閉空間から、幻想のような現実である<宇宙>の開空間へとゆくてを解き放つ。それはこの鉄道による想像力の解放の解放であった。

<見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫2001)>




  

単独性と“世界市民”

2014-03-25 14:09:01 | 日記

★ ここで私は混乱を避けるために言葉を定義することにしよう。まず一般性と普遍性を区別する。これらはほとんどつねに混同されている。そして、それはその反対概念に関しても同様である。たとえば、個別性や特殊性や単独性が混同されている。

★ したがって、個別性-一般性という対と、単独性-普遍性という対を区別しなければならない。

★ たとえば、ドゥルーズは、キルケゴールの「反復」に関してこう述べている。《わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりの一般性と、単独的なものに関する普遍性としての反復とを対立したものとみなす》(『差異と反復』)。ドゥルーズは、個別性と一般性の結合は媒介あるいは運動を必要とするのに対して、単独性と普遍性の結合は直接(無媒介)的であるといっている。これは、別の言い方では、個別性と一般性は、特殊性によって媒介されるが、後者はそうでないということである。ロマン派においては、普遍性は実は一般性というべきものである。

★ たとえば、ヘーゲルにとって、個別性が普遍性(=一般性)とつながるのは、特殊性(民族国家)においてであるのに対して、カントにとって、そのような媒介性は存在しない。それはたえざる道徳的な決断(反復)である。そして、そのような個人のあり方は単独者である。そして、単独者のみが普遍的でありうる。むろん、これはカントではなくキルケゴールの言葉であるが、根本的にカントにある考えである。

★ 個人は、たとえば、まず日本語(日本民族)のなかで個々人となる。人類(人間一般)というような普遍性はこのような特殊性を欠いたときは空疎で抽象的である。「世界市民」が彼らによって侮蔑されるのはいうまでもない。それはいまも嘲笑されている。しかし、カントは「世界市民社会」を実体的に考えたのではない。また、彼はひとが何らかの共同体に属することそれ自体を否定したのではない。ただ思考と行動において、世界市民的であるべきだといっただけである。

★ 実際上、世界市民たることは、それぞれの共同体における各自の闘争(啓蒙)をおいてありえない。

<柄谷行人『トランスクリティーク-カントとマルクス-』(岩波書店・定本柄谷行人集3、2004)>





Dylan;Girl from the North Country

2014-03-24 01:11:13 | 日記

BSで“ボブ・ディラン30周年記念コンサート(1992)”を見ました。

If you're traveling in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was the true love of mine.

If you go when the snowflakes storm
When the rivers freeze and summer ends
Please see if she's a coat so warm
To keep her from the howlin' winds.

Please see if her hair hangs long
If it rolls and flows all down her breast
Please see from me if her hair hangs long
That's the way I remember her best.

I'm a-wonderin' if she remember me at all
Many times I've often prayed
In the darkness of my night
In the brightness of my day.

So if you're travelin' in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine.




二人の女

2014-03-14 14:19:44 | 日記

別に自分のことでなくともいいのだが、“ぼく”も“ぼくでないひと”も長く生きていれば、さまざまな“ひと”に出会ったのである。

大別して、この出会いには、実際に出会うのと、本や映画のなかで出会うのとがある。

必ずしも、実際に(“現実に”)出会うのことの方がリアルなわけでもないだろう。
たとえば、男であるぼくは、“女”という生物にいかにして出会ったか?そのすべてを書くことなどできはしない。
ここでは昨日・今日たまたま本で出会った二人の女性のことを書くのみである。

いずれも、“すでに”読んだ本の再読であったので、ぼくはすでにそれらの女性に出会っていたはずなのに、再読によって、あらためて出会った。

ひとりは、日野啓三の『聖岩』という単行本(1995年刊行)の最初に収録された「塩塊」に出てくる金沢のシンポジウムのため来日した米国人女性(この『聖岩』が文庫化された『遥かなるものの呼ぶ声』ではなぜかこれはカットされている)

この“ネイチャーライティング”女性作家と日野啓三と思われる作家は、英訳された日野の小説(「牧師館」だと思われる)と彼女の小説の日本語への翻訳ゲラ刷りを交換し、金沢行き飛行機のなかで読んだのである。

この出会いが起こったのは“草をにぎりしめる”という体験である。
シンポジウムの講演で、彼女は140年来ユタ州に住み続けてきた自分の一族の女たちが近年、次々と乳ガンにおかされたことが、ユタ州西隣に広がるネバダ砂漠における核実験によるとうったえた自分の本を朗読した。
《私は片胸の女たちの一族に属している》
そして講演の最後に彼女はライターで火をつけたヤマヨモギの束を客席に手渡し巡回させたという。

もうひとりの女性は、辺見庸『水の透視画法』収録の“永久凍土のとける音”にでてくる、辺見が行ったゆうちょ銀行の窓口女性である。
《愛想のよくない眼鏡の女性がでてきた。応答にせよ動作にせよ、あっけにとられるほど重くてにぶい》
《旧式のパソコンのようにあくまでもゆっくりと話すのである。かすかに口臭がした。見た目よりほんとうは若いのかもしれないが、くすんだ灰色の古壁みたいに十回見ても記憶に残らないような人なのだ。けれど、なんだか気になった》

《やっと心づいた。彼女のリズムと気配に、私は皮膚でいらだちながら、心の奥はじつのところ、なごんでいたのだ。せかず、せかせず、媚びもしない。飾りのない心ばえ……それは非効率的で、非生産的であるがゆえの、滋味と安らぎでもあった》
しかし、1ヵ月後におなじ銀行へ行ったら、彼女はいなかった。

ぼくは上記ふたりの女性を比較したかったわけではない、ふたりともそれぞれに魅力的である。

このところ、“ノーベル賞クラスの”研究発表をした女性のインチキ!が話題である。
ぼくは、この“業界”やSTAP細胞についてなにも知らない。
もちろん、この問題は、“彼女ひとりの問題”ではないだろう。
しかし、ぼくは彼女をテレビで見たとき、“なんかインチキくさいひとだな”と思った。
そういうことが一目見てわかるひとが人気者になる、いまの日本社会の感性こそが、ぼくには不快である。



不死

2014-03-13 18:35:53 | 日記

★ むかしのことを思い出すと、心臓がはやく打ちはじめる。
(ジョン・レノン:“ジェラス・ガイ”)

★ ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。
(サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』)

★ そして突然、この春のことだ、ぼくは街を歩いていて、不意になんの理由もなく、怯えた子供らの一群から石礫を投げられた。ぼくがなぜ子供らを脅したのかはわからない。ともかく恐怖心からひどく攻撃的になった子供らの一群の投げた拳ほどの礫が、ぼくの右眼にあたった。ぼくはそのショックで片膝をつき、眼をおさえた掌につぶれた肉のかたまりを感じ、そこからしたたった血のしずくが、磁石のように舗道の土埃を、吸いつけるのを片眼で見おろした。その瞬間、ぼくのすぐ背後から、カンガルーほどの大きさの懐かしいひとつの存在が、まだ冬の生硬さをのこす涙ぐましいブルーの空にむかってとびたつのを感じ、ぼくは思いがけなく、さようならアグイーと心のなかでいったのである。そしてぼくは見知らぬ怯えた子供らへの憎悪が融けさるのを知り、この十年間に《 時間 》がぼくの空の高みを浮遊するアイヴォリイ・ホワイトのものでいっぱいにしたことをも知った。それらは単に無邪気な輝きをはなつものだけではないだろう。ぼくが子供らに傷つけられてまさに無償の犠牲をはらったとき、一瞬だけにしても、ぼくにはぼくの空の高みから降りてきた存在を感じとる力があたえられたのだった。
<大江健三郎:“空の怪物アグイー”>

★ するといま嬉しいことが起きる。ペン軸と覗き穴のなかの小宇宙とを想い出す過程が私の記憶力を最後の努力にかりたてる。私はもういちどコレットの犬の名前を想い出そうとする―と、果たせるかな、そのはるか遠い海岸のむこうから、夕陽に映える海水が足跡をひとつひとつ満たしてゆく過去のきらめく夕暮れの海岸をよぎって、ほら、ほら、こだましながら、震えながら、聞こえてくる。“フロス、フロス、フロス!”
(ナボコフ:『記憶よ、語れ』)

★ 背筋をまっすぐにのばして目を閉じると、風のにおいがした。まるで果実ようなふくらみを持った風だった。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子のつぶだちがあった。果肉が空中で砕けると、種子はやわらかな散弾となって、僕の腕にのめりこんだ。そしてそのあとに微かな痛みが残った。
(村上春樹:“めくらやなぎと眠る女”)

★ 毎日の昼間のことはよく覚えていない。陽光の激しさがものの色を失わせ、すべてを圧しつぶしていた。 
  夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。
(デュラス:『愛人(ラマン)』)

★ その被慈利(ひじり)にしてみれば熊野の山の中を茂みをかきわけ、日に当たって透き通り燃え上がる炎のように輝く葉を持った潅木の梢を払いながら先へ行くのはことさら大仰な事ではなかった。そうやってこれまでも先へ先へと歩いて来たのだった。山の上から弥陀(みだ)がのぞいていれば結局はむしった草の下の土の中の虫がうごめいているように同じところをぐるぐると八の字になったり六の字になったり廻っているだけの事かも知れぬが、それでもいっこうに構わない。歩く事が俺に似合っている。被慈利はそううそぶきながら、先へ先へ歩いてきたのだった。先へ先へと歩いていて峠を越えるとそこが思いがけず人里だった事もあったし、長く山中にいたから火の通ったものを食いたい、温もりのある女を抱きたいといつのまにか竹林をさがしている事もあった。竹林のあるところ、必ず人が住んでいる。いつごろからか、それが骨身に沁みて分かった。竹の葉を風が渡り鳴らす音は被慈利には自分の喉の音、毛穴という毛穴から立ち上がる命の音に聴こえた。
(中上健次 “不死”― 『熊野集』)

★ 私たちは、恋人と部族の豊かさを内に含んで死ぬ。味わいを口に残して死ぬ。あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木。あの恐怖は、私が隠れ潜んだ洞窟。私たちはそれを内にともなって死ぬ。私が死ぬときも、この体にすべての痕跡があってほしい。それは自然が描く地図。そういう地図作りがある、と私は信じる。中に自分のラベルを貼り込んだ地図など、金持ちが自分の名前を刻み込んだビルと変わらない。私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。
(M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』)

★ 世界そのものとの出会いと、それによる自分自身の新たな発見という体験において、東京湾の埋立地をうろつくのも、中国奥地の砂漠まで出かけるのも同じようなものだ。
意識の深みがたかぶり開いているとき、世界はどこでも荒涼と美しい。
(日野啓三:『聖岩』 あとがき)

★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。
(ル・クレジオ:“春”)




Living Zero ;“われもまた にんげんの いちいん なりしや”;ジョバンニはどこでも降りない(再録)

2014-03-13 02:05:37 | 日記

★ ヒキガエルが多い。玄関の前の植えこみの間によく坐りこんでいる。敷地の中だけでなく、前の道にも這い出ている。
ひと気ない下り坂を降りきって家まで20メートルほどの道の真中に、ヒキガエルが一匹坐りこんでいたことがある。道は狭いが車が時折通る。
「何してんだ、そんなところで」
と私はヒキガエルの傍らに立ちどまって声をかけた。声も出さなければ動きもしないが、生きていることは気配でわかる。傷ついても衰えてもいない。
「車にひかれるぞ」
私は靴の先で軽く触れてみた。だが動き出す様子はなかった。道路のそのあたりがもしかすると古池の岸のお気に入りの場所だったのかもしれない。悠然と落ち着き払ってアスファルトの上に坐りこんでいる。
「悪いけど池はもうなくなったんだ」
私はかがみこんで片方の足の先をつまんで、道端の斜面になった芝生の上にそっと下ろした。つまみ上げても体をもがきもしなかったし、芝生の上に置いても驚いた様子はなかった。ゆっくりと斜面を這い登ってゆく。

★ 決して美しい容姿ではないけれども、それは複雑で精巧な自ら動く物質であり、確率的には本来ありうべからざる奇蹟の組み合わせ、良き混沌からの美しい偶然の産物だ、と私は心の中で言う。
暗い芝生の斜面を這い登ってゆくヒキガエルを眺めながら、まわりの、背後の、頭上の暗く静まり返った空間が、かすかに、だが決して乱脈ではないリズムをもって震えるのが、感じられるように思った。この空間は良き空間だ。原子を、生物を、意識を、私と呼ばれるものを滲み出したのだから。

<日野啓三『Living Zero』(集英社1987)>



生死のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり
おん身の勤行に殉ずるにあらず ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば 道行のえにしはまぼろしふかくして一期の闇のなかなりし
ひともわれもいのちの臨終(いまわ) かくばかりかなしきゆえに けむり立つ雪炎の海をゆくごとくなれど われよりふかく死なんとする鳥の眸(め)に遭えり
はたまたその海の割るるときあらわれて 地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして われもまたにんげんのいちいんなりしや かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて われもおん身も ひとりのきわみの世をあいはてるべく なつかしきかな
いまひとたびにんげんに生まるるべしや 生類のみやこはいずくなりや
わが祖(おや)は草の親 四季の風を司り 魚(うお)の祭りを祀りたまえども 生類の邑(むら)はすでになし かりそめならず今生の刻をゆくに わが眸(まみ)ふかき雪なりしかな
(石牟礼道子『天の魚』)

<真木悠介『時間の比較社会学』(岩波現代文庫2003)より引用>


★ 死はわたしたちを、「宗教」と名のつくものであってもなくても、その死の時に信じていたもののところで永劫に立ち停まらせる。プリオシン海岸を発掘する背の高い学者は、生きている者の世界の「科学」のパラダイムやエピステーメーがどう変わろうと、彼の信ずる科学の証明を永劫に発掘しつづける。鳥捕りの人の、主義といわず思想といわずただ行われる生活の信仰もそうだ。

★ それでもジョバンニはどこでも降りない。銀河鉄道のそれぞれの乗客たちが、それぞれの「ほんとうの天上」の存在するところで降りてしまうのに、いちばんおしまいまで旅をつづけるジョバンニは、地上におりてくる。

★ ひとつの宗教を信じることは、いつか旅のどこかに、自分を迎え入れてくれる降車駅をあらかじめ予約しておくことだ。ジョバンニの切符には行く先がない。ただ「どこまでも行ける切符」だ。

<真木悠介『自我の起源 愛とエゴイズムの動物社会学』“補論2”(岩波現代文庫2008)>

現在の歴史(時)を読む

2014-03-11 16:30:39 | 日記

とても単純にいって、ネットでいろいろなニュースを見たり発言を読むことと、本を読むことは、どうちがうのだろうか?

基本的にネットは、“今”であるが、本は“今だけではない”。

もちろん、本だって、毎日新刊される大部分の本は、“今”である。
それだけを追い、“現在に関する情報“を得ることのみが、最近では、読書ということになっている(もちろんそれも無意味ではない)

今でない時に発せられた言葉を読むというのは、(よくある、うんざりする)“古典を読め”というあまりに正統的な読書のすすめを、(ぼくにとっては)意味しない。

たとえば、1986年12月に朝日新聞「論壇時評」に掲載された見田宗介の文章を、ぼくは今日(すなわち2014年3月11日)に読んだわけだ。
今日が、“あの”3月11日であることは、偶然である。

そこには、“世紀末”と“荘厳”について書かれている。
以下にその文章から(例によってぼくの不確かな選択によって)“引用”するが、ぼくも知らなかった《荘厳》という言葉の説明部分をまず引用;

★ 日本の仏教界で日常的には、このことばは「仏」=死者を花飾ることに使われるという。

そして《世紀末》については;

★ 前世紀末の思想の極北が見ていたものが<神の死>ということだったように、今世紀末の思想の極北が見ているものは、<人間の死>ということだ。
(注、この文章が書かれたのが1986年だから(当然)“前世紀末”=19世紀末、今世紀末=20世紀末である;蛇足!)

さらに何箇所かを引用;

★ ある兵士が市場で死神と会ったので、できるだけ遠く、サマルカンドまで逃げてゆくために王様の一番早い馬をほしいという。兵士が首尾よくサマルカンドに向かって出立したあとで、王様が王宮に死神を呼びつけて、自分の大切な部下をおどかしたことをなじると、死神は「あんなところで兵士と会うなんて、わたしもびっくりしたのです。あの兵士とは明日サマルカンドで会う予定ですから」という。

★ 私たちはどの方向に走っても、サマルカンドに向かっているのだ。わたしたちにできることは、サマルカンドに向かう旅路の、ひとつひとつの峯や谷、集落や市場のうちに永遠を生きることだけだ。

(石牟礼道子の句集『天』について)
★ 荘厳、ということばはここで、「仏教的」な意味をくぐらせて幾重にも転回している。正確にいえば、宗教の制度としてのことばの意味をつきぬけて、宗教の生命の核を再生している。

★ ひとりの死者をほんとうに荘厳するとは、どういうことだろう。その死身の外面に花を飾ることでなく、その生きた人の咲かせた花に、花々の命の色に、内側から光をあてる、認識である。それは石牟礼が、その作品で、具体的に水俣の死者のひとりひとりを荘厳してきたやり方である。

★ このようにしてそれはそのまま、生者を荘厳する方法でもある。その生者たち自身の身体にすでに咲いている花を目覚めさせること。リアリティを点火すること。<荘厳である>というひとつの知覚は、死者を生きさせるただひとつの方法であることによって、また生者を生きさせるただひとつの方法である。

★ 《 天日のふるえや空蝉のなかの洞 》
ひとつひとつの空蝉の洞にふるえる天日のあかるさのように、それはこの個物ひしめく世界のぜんたいに、内側からいっせいに灯をともす思想だ。
<夢よりも深い覚醒>に至る、それはひとつの明晰である。

<以上引用は、見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫1995)>




人間であるがゆえの恥辱

2014-03-04 16:42:58 | 日記

★ 副看護士というのかな、学校出たてくらいの若い女性に体を洗ってもらいました。「お湯熱くないですかあ」「頭痒くないですかあ」と優しく声をかけながら丁寧に洗ってくれました。半身は死んだみたいに、お湯の熱さもぬるさも感じられないのに、かつて味わったことのない至福というのか法悦のようなものが体の奥からわいてきて、正直、その女性を手を合わせて拝みたくなりました。

★ ややあって女性は言いました。「セーキは自分で洗いますか?」自分のグラスは自分で洗いたいですか、といった調子の、媚びるでも強いるでもふざけるでもない、ただ生真面目な問いなのでした。(……)恥辱をぼくは豪も感じませんでした。むしろ好感したのです。なぜでしょうか?たぶん、ぼくが想定するエクリチュールとしての言語表出の次元をさらりと超えていて、なおほっこりと人間的だったからでしょう。でも、同じ言葉を違う人物が異なる場面で語ってもだめなのかもしれません。ついでに言えば、彼女は日に何人もの障害者らを洗っています。恐らく、信じられないほどの安い給料で。

★ 95年に自裁したフランスの哲学者がこんなことを言いました。いや、誰が言ったっていいのですが、面白いので覚えていました。資本主義には普遍的なものが一つしかない。それは市場だ、と言うのです。すべての国家は市場が集中する場であり、その証券取引所であるにすぎず、富と貧困を産みだす途方もない工房である、と語るのですね。で、以下の説にぼくは注目します。「人類の貧困を産む作業に加担して骨の髄まで腐っていないような民主主義国家は存在しないのだ」「私たちはどうしても資本主義のお楽しみを祝福する気にはなれない」。

★ ライブドアの騒ぎのとき、「お金でジャーナリズムの魂は買えない」みたいな反発もありましたが、失笑ものでした。魂が買えないとしたら、とっくの昔に売り渡されているからであって(笑い)、市場は戦争も愛もセックスも臓器もジャーナリズムの魂とやらも、その気になりさえすれば市民運動だって合法的、民主的に売り買いするからです。

★ ただ、自殺した哲学者の理屈はここで終わるのでなく、ナチスの強制収容所についてプリーモ・レーヴィが語った言葉「人間であるがゆえの恥辱」を引いて、今日的に援用しています。強制収容所はわれわれの内面に「人間であるがゆえの恥辱」を植えつけたが、この恥辱には様々な形があって、収容所を生き延びた人々も生きるために大小の妥協をせざるをえなかったという恥辱もあった。いまは昔のようなナチスは存在しないかもしれないが、テレビのバラエティー番組を見たり、大臣の演説や楽天家のおしゃべりを聞いたりするとき、この恥辱が頭をもたげてくる、と彼は言います。ぼくもまったく同感です。

★ 資本は何でもするし、それにはうち勝ちがたいけれども、しかし「人間であるがゆえの恥辱」というものがあるじゃないか、それにもっと気づいてもいいのじゃないか、と彼、ジル・ドゥルーズですが、言っているようです。それが哲学の動機づけであるべきだと。ぼくもそう思うのです。かつてアジアの人々に到底癒しがたい恥辱を植えつけ、そうすることにより自らも深い恥辱の底に沈んだこの国はもはや、恥辱とは何かについて考える力さえ失いつつあるようです。手近の恥辱は日常生活の中間色や保護色のなかにいくらでも埋まっているようです。それを人として恥とするかどうかが、より深く考え、何かを拒むことへの出発点にはあるのかもしれません。

<辺見庸『自分自身への審問』(角川文庫2009)>




反哲学

2014-03-02 14:08:50 | 日記

★ 哲学的な生とは今日われわれにとっていったい何を意味するだろう。それはほとんど危うい場所から手をひくことではないだろうか。一種の逃避ではないだろうか。そのようにして世間を離れて簡素に生きる者は、自分自身の認識に対して自分が最良の道を指し示したと思っているのだろうか。彼が生の価値について語ることをみずからに許すには、無数の違った生き方をあらかじめ体験していなければならないのではないだろうか。要するに、生の体験から出発して諸々の大問題を判断するためには――現在受け入れられている観点からすれば完全に「反哲学的な」、とりわけ厳格な高潔の士とはまったく違った生き方をしていなければならないのではないだろうか。もっとも広い体験を持ち、その体験を普遍的な結論に濃縮できる人。それこそがもっとも力のある人間と呼ばれるべきではないだろうか。――<賢人>はあまりにも長いあいだ学問的な人間と混同されてきた。そしてそれよりもはるかに長いあいだ宗教的な偉人と混同されてきたのである。(ニーチェ;最後の十年の遺稿の断章群から)

<ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』(ちくま学芸文庫2004)より引用>