★ わたしたちはすでにそのまえの『鈴谷平原』で、旅の極北に立つ詩人をみてきた。
《 こんやはもう標本をいつぱいもつて
わたくしは宗谷海峡をわたる
だから風の音が汽車のやうだ 》
それは存在のゆくえを求めるその旅にあって、詩人の乗り継ぐべき鉄道がもはや、風の鉄道でしかありえないことを予告している。
★ 《 永久におまえたちは地を這ふがいい 》
詩人の幻想は旧約聖書風のこのような呪詛のことばを吐き捨てて、「上方とよぶその不可思議の方角へ」向かう鉄道にのりうつる。
★ このようにして「銀河鉄道」は、解き放たれた挽歌行である。もはや蒸気の力ではなく、つまり「科学」の力ではなく、あらかじめ重力の法則がその効力をもつことのできない、もうひとつの力で走る汽車である。
★ 前年の『小岩井農場』の旅が、その長い歩行による助走のあとに、ついにその第九のパートに至って、道ははっきりと第四次元の<透明な軌道>の方へと曲がったように、「オホーツク挽歌」の旅もまた、その長い助走のあとで、鉄道は異の空間の内部に方向をとることとなる。
★ けれどもこのときの旅で詩人が得たものはまだいくつかの<標本>であって、これらの標本を全面的に展開し賦活することは、詩人のその後の生涯を賭けてなお余りのある仕事となった。
★ <鉄道>が想像力の解放のメディアであったということを、わたくしたちはこの節のはじめにみてきた。けれどもこの解放のメディアが同時に、幻想の都<東京>に向けて、つまり近代資本制国家の興隆という物神に向けて、津々浦々の共同体の想像力を収束し収奪してゆく権力の装置でもあったということもみてきた。『銀河鉄道の夜』の賢治はこの鉄道の軌条を転轍することによって、現実のような幻想である<東京>の閉空間から、幻想のような現実である<宇宙>の開空間へとゆくてを解き放つ。それはこの鉄道による想像力の解放の解放であった。
<見田宗介『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』(岩波現代文庫2001)>