Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

All Along The Wachtower

2013-05-29 16:34:13 | 日記

 

Bob Dylan ; All Along The Wachtower

 

  

“ここから抜け出す道があるはずだ”

ペテン師が泥棒に言った

“あんまりこんがらがっているんで息もつけない、ビジネスマンは俺のワインを飲んじまうし百姓は俺の土地を耕す、そいつらの誰一人その値段を知らない“

 

“そんなに興奮しなさんな”

泥棒がやさしく言った

“俺たちの仲間の大部分だって生きることはジョークだと思ってる、でもあんたと俺はそんなことは卒業したしそいつは俺たちの運命じゃない、だからアホな話はよそう、夜も更けてきた”

 

見張り塔からずっと、王子たちは見張っていた

その間、女たちはやって来て去っていった、裸足の召使たちも

 

遠くの方で山猫がうなった

二人の馬に乗った者が近づいてくる、風が吠え始めた

 

<BOB DYLAN:All Along The Watchtower(試訳)>

 

 

 


『私的所有論 第2版』

2013-05-28 08:58:41 | 日記

ぼくがこのブログで引用したことのある立岩真也『私的所有論・第2版』が生活書院より文庫版で発売された。

価格は1,890円で、今までの単行本(勁草書房6,300円)よりだいぶ安い(笑)
稲葉振一郎の解説付きで、補章もある模様(ぼくはまだ見てない)

この本、読むのはたいへんだが(いろんな意味で!)、よい本です。







ぼくの隣の町で起こっていること

2013-05-27 16:27:41 | 日記

“小平市”というのは、道路を隔ててぼくが住んでいる市の隣にある。
そこでの出来事が昨日から今日、大きなニュースとして扱われている。
この小平市内の“都道建設計画”と、それの是非を判断するための“住民参加(投票)”について、ぼくが知ったのは國分功一郎ツイートによってだった。
ぼくには投票権はなかった、けれどもこの“隣り町”は、ぼくが住んでいる環境にきわめて密着した空間である。

あるいは、この問題は、“普遍的”である。
環境を破壊することにおいて、民主主義の主体である(とされる)われわれの実在がたんなる“見せ掛け”にすぎないかについて。

ぼく自身、隣の駅などで展開されている“住民投票”を呼びかけるアッピール(集会など)に参加していない、なにひとつ体を動かさない自分がいるわけだ。
しかし、この住民投票の意志が、否定されたことをみすごすわけにはいかない。

これからの、この“運動”の経緯を見守りたい。
参考のために、國分功一郎がTHE HUFFINGTON POSTに連載している文章から一部省略して引用する;

<東京初、直接請求で実現した小平市の場合―住民投票から考える民主主義の諸問題(1)>  投稿日: 2013年05月08日 10時55分

★ 来る5月26日、東京都小平市で住民投票が実施される。住民投票とは、地方公共団体内のある事項を、その地域の住民の投票によって決する制度である。地方自治法によって規定された公的な制度だ。
住民投票は2000年代の前半に盛んに行われた。これはいわゆる「平成の大合併」の際に、首長が住民の意思を問う形で住民投票が盛んに実施されたからである。

★ しかし、今回、小平市で行われる住民投票は、それらの住民投票とは大きく異なる。なぜならこれは、住民の直接請求によって実現した住民投票だからである。直接請求とはこの場合、住民が署名を集めて住民投票条例の制定を求めることを言う。
条例制定のためには有権者の50分の1の数の署名が必要である。但し、それだけの数を集めても条例を制定するには議会の同意が必要である。また、条例案には首長が意見を付すことになっている。首長が賛成しなければ、条例案可決の可能性は低くなる。
これまでも全国で住民が署名を集めて住民投票の実施を求めることは何度もあった。しかし、ほとんど場合、首長が条例案に反対意見を付し、議会によって否決されてきた。2010年の総務省の調査によると、1982年以降に市町村で実施された住民投票は400件あるが、そのうち、合併以外のテーマで行われたものはわずか22件。住民が住民投票条例案を署名によって直接請求しても、条例案が可決される割合は2割未満であるという。
今回の小平市での住民投票はいま注目を集めている。なぜなら、住民の直接請求によって住民投票が実施されるのは、東京都でははじめてのことだからである。この事実は実のところ驚くべきものである。日本の首都である東京では、これまで住民の直接請求が実って住民投票が実施されたことは一度もなかったのである。
私は哲学を研究している大学教員であるが、後に紹介することになる事情からこの住民投票に深く関わることになった。私はもちろん今回の住民投票のテーマに強い関心を寄せている。しかしそれだけでない。私は哲学を研究する者として、今回の住民投票は現行の民主主義にとって画期的な意味を持つと思っている。

★ JR国分寺駅と西武東村山駅を結ぶ西武国分寺線。停車駅わずか5つのこの路線に鷹の台という駅がある。駅前には個人商店が、数は少なくなったとは言うもののまずまず残っている。小さな駅だが、付近には津田塾大学、武蔵野美術大学、白梅学園大学、朝鮮大学校などがあり、数多くの若者が行き交う。駅前は活気がある。
小平市は都内でも緑の多い地域として知られている。鷹の台駅付近も例外ではない。駅のすぐ近くを国の史跡である玉川上水が通っている。上水の脇の遊歩道には木が生い茂る。遊歩道での散歩を楽しむのは付近住民だけではない。休日には少なからぬ数の人たちが遠方からここに緑を楽しみに訪れる。
駅の裏の小平市中央公園はもともとは桑畑であったという。この広々とした静かな公園はスポーツをする若者の、遊具で遊ぶ子どもたちの、ただブラブラする大人たちの憩いの場だ。
この公園の西側に大きな雑木林が広がっている。なんてことはないただの雑木林である。しかし、なんてことはないただの雑木林というものが、いまではめずらしい。保存樹林というのはよく見かけるが、だいたい立ち入り禁止である。この雑木林はそうではない。誰でも入れる。そしてみんなが、なんとなく利用している。
歩いたり、遊んだり、座ったり、眺めたり。人間だけではない。植物も虫もたくさんいる。しかも、どうやら渡り鳥の中継地にもなっているらしい。つまり、人間も動植物もここを利用させてもらっているわけだ。
ところが、いまこの雑木林とその付近の地域が危機に瀕している。ここに道路を作ろうという計画があるのだ。玉川上水は東西に走っている。雑木林はその北側にあり、雑木林の更に北側には閑静な住宅地が広がっている。この住宅地から雑木林を通り、玉川上水を貫通する幅36メートルの巨大な道路を作ろうというのである。

★ 道路は東京都が作る都道3・2・8号線と呼ばれる道路である。試算では約220世帯に立ち退きを強いることになる。約480本の木を切り倒さねばならない。総工費は約250億円だ。
これだけでも非常に驚くべき数字であるのだが、さらに驚くべきは、この計画が1962年、今から半世紀前に計画されたものだということである。1962年というのは昭和37年である。最近、遠く過ぎ去った昭和30年代にノスタルジックな想いを寄せる映画があったが、その時代だ。今とは何もかもが違う時代だ。
なぜその時代の計画を今さら実行しなければならないのだろうか?確かに高度経済成長期には自動車の交通量は飛躍的に増えた。しかし、誰でも知っていることだが、これからは自動車は減る。最も交通量が多かった時期が終わったというのになぜ今なのだろうか?
この計画は曖昧なままずっとお蔵入りになっていたらしい。それが、どういうわけか数年前に復活してきた。そして東京都はどんどん話を進めてきた。
この道路計画で最も影響を受けるのは付近の住民である。しかし、計画を進めるにあたり、東京都はそうした住民の声に耳を貸そうとはしなかった。
後に説明するが、都市計画道路を作るにあたっては、住民の許可を取る必要はない。事業主(たとえば東京都)は、単に「説明会」を開催すればいい。そして、国交省に事業認可申請を行い、それが認められてしまえば、すべて自分の思い通りに計画を進める権利を与えられる。強制執行といって、ブルドーザーで邪魔な家を突き崩すこともできるようになる。
私たちはそういう国に住んでいる
私たちが住んでいる国では、「そこに道を作るから、どいてくれ」と言われた場合、反対どころか、反論する権利すら与えられない。
そう、私たちはそういう国に住んでいるのだ

★ 私はそれに強い疑問を持った。そして、疑問を持ったのは私だけではなかった。どうしてこんな道路が必要なのか。どうして住民の意見が計画に反映されないのか。私などよりもずっと以前から、そういう疑問をもち、地道に活動してきた人たちが鷹の台にいた。
その人たちは近くの集会所で小さな集まりを重ねながら、最後の手段として住民投票に訴えた。そして、非常に多くの難関を乗り越えて、それを実現する。住民投票条例可決の際にはNHKを含めたテレビ局が取材に来た。ニュースは大手各紙(朝日、読売、毎日等々)で報道され、東京新聞では2日間にわたって1面トップで記事が組まれた。
住民投票は正式なものである。いつもの国政選挙のように、投票用紙が郵送され、投票所が用意され、投票が実施される。市が法規に則って公的に実施しなければならない出来事を、住民の運動が実現したのである。

<「私たちは年をとりました。あなた方は年をとらないけど」―住民投票から考える民主主義の諸問題(2)>  投稿日: 2013年05月22日 17時40分

★ 小平市住民投票が対象としているのは、多摩地域を南北に走る「府中所沢線」と呼ばれる道路の小平市部分、「小平都市計画道路3・2・8号府中所沢線」(以下、「328号線」)と呼ばれる区間である。府中所沢線の総延長は27km。小平市部分の328号線は1.4kmある。幅は36m(一部32m)で4車線の巨大な道路である。
(こちらが府中所沢線を紹介するホームページhttp://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitakita/kodaira328/index.html)
東京都は多摩地域の道路ネットワークの充実、都市間の連携強化などを主な建設理由に挙げている。また震災以降は、火災の燃え広がりを巨大道路が防止するという理由を強調するようになってきている。

★ 何よりもまずこの計画について指摘しなければならないのは、この計画が半世紀前の1963年(昭和38年)に策定されたものだということである。交通を巡る状況は、当然その頃とは異なっている。だが、もとの計画のままに道路計画が進められている。
また、この付近に道路がないわけではない。328号線建設予定地のすぐ脇を並行して府中街道という道路が通っている。東京都はこの道路について次のように述べている。
府中街道は、そもそも幹線道路としての役割を担っておらず、その機能も有しておりません。現状では都市計画道路ができていないため、幹線道路と同様の役割を担っているという状況です。 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitakita/kodaira328/qa/index.html
この文章はおかしい。「そもそも」幹線道路としての「機能」を有していないならば、「幹線道路と同様の役割」を担うことはできない。今それを担っているにも関わらず、そのような「役割」をそこに認めることができないのは、単に「この道路は幹線道路ではない」と決めているからである。
もちろん、府中街道の機能には限界があるだろう。府中街道は2車線である。4車線の道路とは違う。昼はスカスカなのだが、確かに朝夕には渋滞もある。しかし、この渋滞の事実は4車線の道路を新たに作る理由になるとは思われない。なぜかというと、東京都はこの府中街道を少しも整備していないからである。
府中街道は北側部分で、市道であるたかの街道と交差している。この交差点が朝夕の渋滞の一つの原因になっている。なぜそこで渋滞が起きるのかというと、府中街道には右折帯も左折帯も作られていないからである。たかの街道は市道だというのに、それがある。不思議である。同じ問題が、より南側の久右衛門橋の信号にも言える。またずっと南では西武線と交差しているが、もちろん高架にはなっていない。
どうして、「幹線道路と同様の役割を担っている」都道に右折帯や左折帯がないのか? 理由は簡単だ。50年前から328号線の計画があるからである。それを作ることになっている以上、府中街道の渋滞を緩和する必要はない。なぜならいつか大きな道路が脇にできることになっているのだから。したがって、府中街道はすこしも整備されない。
東京都は、「府中街道の渋滞をどうにかしたい!」と心から願っていて、「だから328号線を作らせてほしい!」と考えているのではない。328号線を作る計画があるから、府中街道の渋滞を口実に持ち出してきたのであり、328号線を作る計画があるから、府中街道の渋滞がなくならないのである。その意味では328号線計画によって、府中街道に渋滞がもたらされたという側面すら指摘できる。
しかも、府中街道の渋滞は交通量の減少によって緩和している。20年前はバスが30分遅れるのは当たり前だったという。いまではそんなことはない。また、府中街道が最も渋滞していた時期には328号線計画は凍結されていたのである。328号線計画がなぜか──今もってその理由は謎めいたままなのだが──復活してきたのは10年前のことだ。渋滞を理由に328号線を作りたいのではない。何らかの理由で、突如、50年間凍結されていた計画が復活してきたから、必死に理由が模索されたのである。

★ 必死に模索した末に発見された道路建設理由の代表が、「火災燃え広がりの防止」である。おそらく、震災の記憶が新しい今ならば、そして、「震災被害」という言葉を持ち出せば、誰もが黙り込むと考えたのであろう。
確かに、町中を巨大道路が網の目状に走れば、火災の燃え広がりを防ぐことができるだろう。しかし、だからといって町を巨大道路で切り裂いていくつもりだろうか?小平市には328号線を含めて24本の都市計画道路の計画があるというから、これももしかしたら冗談にはならないかもしれない。だが、この災害の話について冗談ではすまない話がある。それは328号線がほぼ全滅させようとしている雑木林がもたらすであろう延焼防止機能のことだ。
森林が延焼防止機能(火災が燃え広がるのを防ぐ機能)をもたらすことは広く知られている。「延焼防止」「森林」で検索すればすぐに資料が見つかる。たとえば、「やまがた公益の森づくり支援センター」が挙げている「森林の公益的機能」、あるいは愛知万博の際に作られたという審議会「森と緑づくりのための税制検討会議」の資料がある。
328号線が潰そうとしている雑木林は、災害時の避難場所である中央公園のすぐ脇にある。避難場所が雑木林によって守られているとすれば大変心強い。しかし、そうしたことはまったく無視しながら、「町中を巨大道路が縦横無尽に走れば、火災が燃え広がらないから安心だ」と東京都は説明していることになる。

★ この道路計画は50年前のものだが、実は、二号団地と呼ばれる、道路が貫通する予定の住宅地は、この計画が策定される直前にできたものだった。小平には今も畑が多いが、建設予定地もかつては畑ばかりだったようだ。そこに人々が土地を買って家を建てた。その住宅地の周囲は畑であったらしい。ところが、住宅地が出来上がってすぐに、この道路計画が策定される。住民は猛反発した。なぜ我々が家を建てたばかりのこの土地に道路を通すのか?脇には宅地化されていない土地があるではないか?──まったくもってもっともな意見と言う他ない。二号団地の方々はいまも道路建設に反対されている。もう50年間である。
なぜ脇に宅地化されていない土地があるというのに、宅地化された土地に道路を通そうとしたのだろうか?理由は簡単である。道路を真っ直ぐに通したいからだ。今も建設予定地の地図を見てもらえば、府中街道がクランク状になっていることが分かる。それを真っ直ぐにしたいというのが、この道路建設計画を突き動かしている根源的な欲望である。
正直言うなら、地図だけを見ていると、この道路を真っ直ぐにしたいという気持ちは分からないでもない。いや、カックンと曲がっているところだけを地図で見せられたら誰でも真っ直ぐにしたいと思うかもしれない。
しかし道路は地図の上ではなくて、土地の上を通る。そして、土地には人が住んでいて、家が建っていて、木々が生えていて、水が流れていて、植物や動物や昆虫が生きている。具体的な生がある。土地をいくつかの線に抽象化した地図からでは絶対に分からない、個別具体的なものがある。
(この「まっすぐにしたい」という道路建設の欲望のことを考える時、いつも私は、自らが統治している国をすみずみまで知らない王様が「ここに道路を作ればよいではないか!」と言う場面を想像してしまう。私の頭の中の大臣は言う──「しかし王様、ここには人がたくさん住んでおり、大きな林や、大切な用水路・遊歩道がございまして...」。王様はしかし大臣の言葉に耳を傾けない...。)

★ 現実は具体的である。やや言葉は強くなってしまうが、地図だけでこの道路建設問題を考えられると思うのは、傲慢というよりも、単なる無知への居直りという他ない。私は哲学を勉強しているから知っている。現実は抽象化された時、頭の中で思いのままに組み立てられるオモチャのようになってしまう。
抽象化によって取り逃されてしまうものの最たる例が、328号線が貫通する予定の雑木林である。もし関心をお持ちの方がいらしたら、是非いちど現地を訪れていただきたい。私は何度もテレビ局や新聞社の記者の方をそこに案内しているが、誰もが口をそろえて、「こんなに大きな、こんなにすてきな場所だとは思っていなかった。このすばらしさはここに来てみないと分からない」と言う。
もしよければ写真だけでもみていただければと思う。これは住民投票運動を応援してくださっているグリーンアクティブの石倉敏明さんの撮影した現地の写真である。
https://plus.google.com/photos/100191014001621165562/albums/5814365319906389729?banner=pwa&authkey=CKCS9beXg5LPFg
328号線が建設されれば、雑木林とその脇を走る玉川上水の遊歩道に生えている480本の木が切り倒されることになる。

★ 私は328号線計画を変更して、府中街道の整備を行うべきだと考えている。整備といっても、いくつかやり方があるが、まずは右折帯と左折帯を作ることだ。踏切を高架にすることもできるかもしれない。いくつかの案を道路の専門家を交えて考えていければと思っている。
もちろん、府中街道を整備して有効利用するという案が仮に採用されても、府中街道に多少の渋滞は残るかもしれない。だが、その多少の渋滞は巨大道路を建設するための口実になるだろうか?前代未聞の住民投票まで行われるほどに現地の人が疑問を持っている道路計画、上に説明したように絶対的な必要性があるとはとても思えない道路計画、住宅地の人々のコミュニティーと自然環境を破壊する道路計画を、断行する必要があるのだろうか?
道路建設の総工費は250億円を下回らないと考えられる。そのうち半分は東京都が負担し、半分は国からの補助金になると聞いている。東京都のお金は、都民の方々が働いて稼いだお金だ。国からの補助金は国債によってまかなわれるものだ。ここまで疑問のある計画にそんなにお金を使うべきだろうか?250億円があったら、いったいどれだけの保育園を作ることができるだろう?どれだけの待機児童を保育園に迎えることができるだろう?なお、250億円のうちのほとんどは、建設費用ではなく、土地の買収費用である。お金のほとんどは住民をどかすために使われ、建設業を潤すのはほんの一部だ。当然だろう。あれだけ多くの人が住んでいるのだから。

★ 先に紹介した二号団地でずっと道路問題に取り組んでいらしたご老人が、説明会で東京都の職員に向かってこう仰ったことがあった。
「私たちはもう50年も反対してきましたよ。だから私たちは年をとりました。あなた方は年をとらないけど」。
どういうことだかご理解いただけるだろうか?50年前から今まで、計画を進めているのは「東京都の職員」である。数年ごとに担当者は変わる。説明会のたびに前に座る人が変わる。だから「東京都の職員」は50年前からずっと年をとらない。二号団地の方々は実際に年をとりながら、絶対に年をとることがない行政の職員を相手に、ずっと「私たちの声を聞いてください」と言い続けてきた。それが50年間叶わなかった。それが住民投票によって叶うかもしれないところに来ている。

(以上引用)







故郷

2013-05-27 00:56:02 | 日記

★ 文部省唱歌『故郷』
1 兎追いしかの山、小鮒つりしかの川、
  夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷。
2 如何にいます父母、恙なしや友がき、
  雨に風につけても、思いいずる故郷。
3 志を果たして、いつの日にか帰らん、
  山は青き故郷、水は清き故郷。

★ 文部省唱歌は文部省が定め、学校で教えられた。だが、学校教育はどの歌が大衆的人気をもつのかということまでは決定できない。一つの参考は、1925年に放送を開始したNHKラジオの子供向け番組である。そこでは人気のある唱歌が童謡などとともに放送されていた。また、戦後の1970年代になって、金田一春彦が著名人に行ったアンケートによれば、唱歌は子供時代だけでなく、彼らが大人になってからも根強い人気をもっていたことがわかる。そのアンケートのなかでもっとも人気が高く、また戦前の子供向けラジオ番組でも、もっとも多く放送された唱歌のなかの一つが『故郷』であった。

★ この歌は、故郷の地を離れた主体が自分の故郷の記憶を懐かしく思い出すというかたちをとっている。一番では、主体は幼い頃の記憶を辿りながら故郷の風景を思い出しており、二番では、父や母や友人のことを心配しながら、彼らのいる故郷のことを思い出している。三番では、主体は自分の志を果たしていつか故郷に帰ることを夢みながら、故郷の山や川の美しさ思い出している。

★ だが、仔細に見ていくと、この歌には奇妙な特徴があることがわかる。それは第一に、ここで描かれた「故郷」の風景が具体的な内容をほとんどもたず、生の色彩やイメージに欠けることである。第二に、その風景が生ける現在の描写ではなく、記憶の空間に浮遊する無時間的な形象になっていることである。第三に、その風景が芝居の書き割りやセットのように、「故郷」についての紋切り型の概念の断片から一種の模擬物として構成されていることである。

★ 『故郷』の歌では、じつは経験したことのないもの、つまり記憶しようのないものの記憶が構成されている。なぜなら、その土地にいたときには、そのような美しい風景として生活を経験したかどうか疑わしいからである。それは生活の拠点を移し、対象化が行われたとき、その対象の不在を媒介にして、想像力の中空に浮かびあがった光景なのである。そこでは既視感のように、現在の想像力が映し出した光景が過去に転送され、過去の思い出というかたちに転移している。(略)そこに描かれているのは「かの山、かの川」のように固有名詞をなくした、どこでもありどこでもないような「故郷」の光景である。この無-場所化された「故郷」の光景は、それを想像する主体がすでに都市の匿名性を帯びた空間で、固有の場所をなくして生きていることを裏返しに表現しているというほかない。

★ われわれはこの記憶の構成をテクノロジーの変化と相関する新しい知覚の形態の成立というパースペクティヴのなかに置きなおしてみる必要がある。『故郷』の歌が大衆を社会に動員するものであるとしても、それはたんに特定の政治目標や古い共同体の心性へ向けてのイデオロギー的な水準の動員につきるものではない。それはむしろ知覚の形態やまなざしの構造といった水準で、世界や出来事が無-場所化された抽象的な空間として成立するような社会性の場をリアルと感じる感受性の型へ向けての動員なのである。それは国家というよりも、資本の力との関係に組み入れられて存在の根拠をもたなくなった人びとの感受性である。

<内田隆三『国土論』(筑摩書房2002)>







“一緒にバカになることはやめましょう”

2013-05-26 16:49:57 | 日記

部屋の整理をしてたら、むかしの新聞の切り抜きがでてきた。
ぼくはもうずいぶん前から新聞購読をやめてしまったが(いつ?)、購読していた頃は、このブログ(あるいは前のDoblog)に新聞記事の紹介や批判を書いていた。
だからこの記事も(ひょっとして)引用したことがあるかもしれない。
この記事が掲載されたのは2005年の1月で、その文章はマンハッタンという島に暮らした二人の“亡命者”へささげられているが、その一人が発した“But let’s not be stupid together”という言葉は、この2013年の、この島においても、ふさわしいものに思えた;

★ マンハッタンの南端近くの、かつては「双子の塔」のかげにあった、静かな横丁の小さな本屋に、「スーザン」という客は姿を見せなくなった。そして、幼少時のパレスチナの記憶を抱えてマンハッタンの道を歩いていた亡命批評家もいなくなった。ソンタグの死とサイードの死によって、あのマンハッタンのIQは1点も2点も下がった。何かの抑制が効かなくなったという感じが、その分、さらに深まった。

★ 膨大な権力に、ことばを武器にして対抗する批評そのものが、世界が批評を最も必要としている時代に、弱まった。

★ 21世紀の破壊の、その原因については、“But let’s not be stupid together”、「しかし一緒にバカになることはやめましょう」ということばが、マンハッタンの、その破壊の現場のすぐ近くで、書かれた。

★ もしかしたら「スーザン」自身が想像していた以上のインパクトをもって、そのことばが今、残るのである。

<リービ英雄“スーザンが残した言葉”(朝日新聞2005/1/23)>







記憶にかんする問い

2013-05-25 13:59:29 | 日記

★ そもそも「記憶の可能性」には本質的な困難がひそんでいる。ふつうには、まず時間の流れによる事物の消滅や忘却、証人の死、新しい日常の堆積など、半ば自然の力に属す忘却へのベクトルがある。そしてまた過去を隠し、書き換える主体の恣意的な操作や暴力があるだろう。だが、記憶にとってもっとも深刻な困難は、記憶されるべき出来事そのものがはじめから記憶への挑戦として、「忘却の罠」として生起するときに生じる。歴史の決定的な局面においては、記憶の絶滅行為それ自身を記憶の対象にしなければならないという「不可能な構図」が暗い闇に向かって張り出されているのである。

★ 映画『ショアー』はそれを見る人びとにまさに「記憶の不可能性」そのものを記憶させようとしているようにみえる。この奇妙な記憶の形態は何か抽象的な感じを与える。だが、その「不可能性」は、淡々と流れていく映像の時間のなかで徐々にその暗い質量を増し、大きくせり上がり、それがわれわれの記憶の核心深くに宿っていることを思い知らせるようになる。これは、記憶を扱う方法としては、記憶の政治性をめぐる歴史家たちの分析とは異質な戦略であるといえよう。

★ ランズマンのこの戦略を考えるとき、それはおそらく三つの含意をもちうるだろう。一つは、アウシュビッツにかかわる記憶をナチス国家構築の論理から解放することである。もう一つは、その記憶がぎゃくにイスラエル国民国家の構築のために再利用される可能性を批判的に相対化することである。だが、これらの試みはいずれにしても、記憶を国民国家の構築とその維持に関連づけ、そのような構造の暴露や脱構築を目指した歴史家たちの仕事と同じ水準にある。

★ それゆえ第三の、そしてもっとも重要な含意は、記憶の領域をこのような政治的スキームを超えて問題にすることである。それは「記憶の可能性」を具体的な社会性の場で問うことである。すなわち、記憶の具体的な様態を通して、記憶を利用し、また再利用する政治的システムそのものの可能性を位置づけなおすことである。この問題設定は、歴史の分析、そしてその分析が活躍するために前提している政治学を自明のものにしない点で、記憶にかんする問いをべつの展望に解放するものである。それは分析の準拠点であり、分析のスタイルに近代性を付与する「国民国家」というイデオロギー性を帯びた枠組みから歴史の経験を解放することにつながっている。

★ 記憶を解放するとは、記憶を国民国家とは別の「政治学」に送り返すことではないし、またたんに記憶を「政治」から遊離させることでもないだろう。それは記憶をそれ自身の具体的な厚みにおいて問うことからはじめなければならない。記憶とは善かれ悪しかれ、われわれの内面に巻きつく親密だが曖昧な声である。記憶の政治的な文脈を相対化するだけでなく、その記憶を支える知覚の形態やまなざしの構造や思考の曲率を相対化することが大切ではないだろうか。すなわち、記憶がいかなる社会的な<場>と相関しており、そのなかで諸々の政治的投機や解読がいかにして可能性を宿しうるようになるのか、そのことを問わなければならないのである。

<内田隆三『国土論』(筑摩書房2002)>







2013-05-25 11:24:56 | 日記

★ 《 絵の鑑賞者が何を獲得するのかは、わたしにはまだ分からないが、画家の方は自分の職業の率直さを獲得する。彼は、偽装者が演じてみせる優越性や偽善を失い、色彩に夢中になって塗りたくる狂気のなかで自分を示すようになる。それが分かるようになるのは、最晩年の絵においてである。だがそのためにはレンブラントが自分のことを、肉体でできた一つの存在として認め、受け入れることが必要であった――肉体でできた、とは何を言うのだろう――つまりは肉、肉塊で、血で、涙で、汗で、糞で、知性と優しさで、さらにそれ以外の無限のものでできているのであって、そのどれも他のものを否定することなく、あるいはむしろどれもが他のものに挨拶を送っているのだ。 》(ジュネ;“小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ込まれた一幅のレンブラントから残ったもの”)

★ 《 ではおまえの傷は、どこにあるのか。
  自尊心が攻撃されたり傷つけられたりしたときに、どんな人間でも避難して駆け込むあの秘密の傷はどこにあり、どこに隠れているのだろうか。あの傷――それはかくして心の内奥となるのだが――、それをこそ人は膨らまし、満たしてしまおうとする。どんな人間もこの傷に合体し、この傷そのものに、一種の秘められた痛々しい心になってしまう術を知っている。 》(ジュネ;“綱渡り芸人”)

★ 傷は存在の内奥に深く隠されている。しかし、同時に「それをこそ人は膨らまし、満たしてしまおうとする」。えぐり取られた部分は早急に充填され、膨らませなければならない。もしも存在の核心にあるのが、傷でありその傷を回復し満たしてしまおうという運動であるならば、存在の本質とは『レンブラントから残ったもの』で言われていた「堅固な空虚」であるに違いない。ここで重要なのは、ただ単に存在の核心は無であり穴であり空虚である、ということではない。そうではなくて、むしろこの「傷」が自分を覆い隠すものを分泌し、おのれを覆うものを隆起させ、堅固な殻で包み込むことにおいてしか存在しない以上、内部の露呈としての傷とその覆い隠しとしての傷は一つである。

★ まさにそれゆえにこそ、存在の内奥へと迫っていく探究が最後に傷に到達するときに、逆説的にも人はその傷の表層に、そして外部へと送り返されてしまうのである。芸術家は事物の真の姿を見えなくしている外側の覆いをどんどん剥ぎ取って核心に迫ろうとする。しかし、最後にその傷口を暴こうとする瞬間に、そこにあるのは無であり、そしてその空隙を埋め覆ってしまおうとする活動に立ち会い、そしてその活動が分泌してやまない表層の膜に、傷を覆うものに送り返される。深層は反転して表層になり、内部は外部に、真理であると思われたものは非-真理に裏返しになる。それゆえにこそ、偉大な芸術作品がわれわれに示すのは存在の最後の姿ではなく、逆に他の存在への果てしない送り返しに他ならない。

★ 《 美には傷以外の起源はない。この傷は特異で、各人各様であり、隠されていることも見えるものであることもあるが、そうしたものをどんな人間もおのれの内に宿しており、それを持ち続け、人間が世間を離れて一時的にせよ深い孤独に閉じこもろうとするときに、そこに身を引くのである。だから、こうした芸術と人が悲惨主義と呼ぶものとの間には遠く隔たりがある。ジャコメッティの芸術は、あらゆる存在やあらゆる事物のこの秘められた傷を発見しようと望んでいる。この傷がそれらの存在や事物を照らし、輝かさんがために。わたしにはそう思える。 》(ジュネ;“アルベルト・ジャコメッティのアトリエ”)

<梅木達郎『放浪文学論』(東北大学出版会1997)>







アナーキーなことばの輝き

2013-05-24 01:06:55 | 日記

★ 雨が一滴も降らない長い乾季の農閑期の夜、あちこちの家の中庭の、満天の星の下で、夜ふけまで続く夜のまどい「ソアスガ」で語られるお話しの数々を聞いて、私はこの人たちの声としての言語の輝きにうたれた。(略)話したり歌ったりすることのプロでも何でもない、昼間は泥まみれになってかせいでいる、栄養不良も多いがきや娘やおばさんたちの、いったいどこからこんな素晴らしい声が、ことばが出てくるのか、私もむしろいぶかしさを抱いたくらいだ。

★ 文字を用いた学校の言語教育で画一化され規格化されることのなかった、アナーキーなことばの輝き――私はこのサバンナに生きる人たちの音声言語の美しさを、よくこういうことばで表現する。この人たちは学校で、文法書を使って「言語」を教わらなかった。文法とも辞書とも無縁に生きてきたので、この人たちにはいわゆる方言だけでなく、村語があり、家語が、自分語がある。ひとりひとりが自分で身につけたことばを、自分の発音で、それも吹きさらしのサバンナの屋外生活の多い毎日のなかで、よく通る大きな声で話すことを、幼いときからくりかえして育ってきたのだ。声が、ことばが輝いているのは当然だともいえる。

★ たしかに、村語や家語や自分語が、お上の定めた標準語で規格化されれば、ことばの通用する範囲はひろまるだろう。だがそれではことばが「通用する」とはどういうことなのか。そこで通用するのは、通用するように作られ、教えられた意味ではないのか。行政上の通達を「正しく」つまりお上が期待するように理解し、かなり広範囲の地域の人々が、規格化された意味を伝えあう――標準語を作り、それを教える初等教育を徹底することが、近代のいわゆる国民国家の形成と手をつないで進行したのは偶然ではない。

★ だがことばの「意味が伝わる」ということが実際には何層にもなっているという、考えてみればあたりまえの事実に私が「耳をひらかれた」のも、自分語で何のためらいもなくいきいきと自己表現をし、「意味の理解」ということが何層にもなった、言語内言語とでもいうべき太鼓ことばをもっているこのサバンナの人たちとのつきあいのなかでのことだ。学校で教わる標準語で方言や自分語が画一化されることで消えてしまう意味の伝達の側面が、人間の生きた声による伝えあいのなかには重要なものとしてある。

<川田順造“多言語主義とは何か”――『高校生のための現代思想エッセンス』(筑摩書房2007)>







主観的、一人称的、横断的な知

2013-05-24 00:11:36 | 日記

★ 福島第一原発事故が一つのきっかけとなり、関連専門家の事故発生直後の言動が、専門知識への不信感を倍増させたことはくり返すまでもない。この罪はたいへん重いのである。だがそれ以前に、学問研究への無制限な市場原理の導入と過度の専門化によって、研究者の視野が恐ろしくせまくなり、短期的成果にとらわれるという傾向が一般的につよまっていた。

★ その一方で、新たな知のかたちが芽ばえつつある。高等教育が普及し、ウェブ2.0が導入されて以来、ネットを通じて誰でも自分の主張を公表し、自由に意見を交換できるようになってきた。今後、縦割りの専門知とはちがったかたちで、非専門家をふくむ一般の人々による、横断的な知の形成の場が徐々にひらけていくことは間違いない。ソーシャルメディアの急速な発達とともに、エリートによる知の独占はますます困難になっていくだろう。
評判のネット集合知とはそういうものだ。とはいえ、目を凝らして集合知の内容をよく眺めてみよう。その実体はあまりはっきりしていない。

★ 現代人にとって、論理体系はいうまでもなく大切なものだ。法律にせよ、経済にせよ、科学技術にせよ、すべて論理体系をなしていて、論理なしには社会は崩壊してしまう。だから、客観世界のありさまを正確に三人称的に記述する大量の知識命題を集め、それらを機械的に、つまり個人的な主観による歪みを除いて演算的に処理すれば、理想的な知がえられると思いたくなる――少なくとも、そう信じこむ誘惑にかられるのも無理はない。
しかし、知とは本来、そういうものだろうか。

★ 知というのは、根源的には、生命体が生きるための実践活動と切り離せない。人間だけでなく、細胞をはじめあらゆる生命体は、一瞬、一瞬、リアルタイムで変動する環境条件のなかで生きぬこうともがいている。生命的な行動のルールは、遺伝的資質をふくめた自分の過去の身体経験にもとづいて、時々刻々、自分で動的に創りださなくてはならない。

★ だから生命体は、システム論的には自律システムなのである。コンピュータのように外部から静的な作動ルールをあたえられる他律システムとは成り立ちが違うのだ。生命体は自己循環的に行動ルールを決めるので、習慣性がうまれ、あたかも静的なルールにしたがうように見えるが、この本質的相違を忘れるととんでもないことになる。その先には混乱と衰亡しかないということだ。

★ つまり、知とは本来、主観的で一人称的なもののはずである。

★ 要するに、現実に地上に存在するのは、個々の人間の「主観性」だけなのだ。「客観世界」や、それを記述する「客観知」のほうが、むしろ人為的なツクリモノなのである。それらをまるでご神託のように尊重するのは、形式的論理主義を過信する現代人の妙な癖である。まずは、クオリアに彩られた生命的な主観世界から出発しなければならない。

★ では、客観知やそれらを結ぶ論理体系とはいったい何だろうか。――それは、集団行動生物であるわれわれ人間が、主観世界の食い違いのために闘争をくり返さないため、安全で便利な日常生活をおくるために、衆知をあわせて創りあげた一種の知恵のようなものだと考えられる。その内実は、さまざまな主観的な意味解釈のいわば上澄みにすぎないのだ。

★ 汎用人工知能が君臨すれば、人間の知は停滞してしまう。われわれの常識でも、ルールを機械的に墨守し、現実の細かい状況に即応しない態度は、融通のきかない官僚主義として排斥されていく。いわゆるITエージェントが、そういう社会的存在とならないように、よく注意しなくてはならない。

★ 切望されるのは、人間のコミュニケーションにおける身体的・暗黙知的な部分を照射し、人間集団を感性的な深層から活性化し、集団的な知としてまとめあげるためのマシンなのだ。

<西垣 通『集合知とは何か』(中公新書2013)>







紅の戦士

2013-05-23 09:50:52 | 日記

★ あれだけ大勢の戦士を輩出してきたのに、しかもあれほど地球の救済や人類の解放にこだわってきたのに、アニメの国には、女性の権利や解放に心を砕くヒロインがまったくといっていいほどいなかった。これは不思議なことである。そういうコワモテのヒロインは、保守的なアニメの国では面接試験で落とされるに決まっているにしても、である。

★ ヒーローでさえ、男に一律に「戦え」と命じる男の子の国の論理と自分とのギャップに悩んで、ものを考えるようになったのに、ヒロインたちは、もののみごとにものを考えようとしない。ヒロインがものを考えるとは、女に一律に「セクシーであれ。」と命じる「男の子の国の論理」に抵抗すること。女はみんな恋の奴隷であれと命じる「女の子の国の論理」に反逆することにほかならない。

★ 「女の戦い」は「男の戦い」と同質ではない。社会制度の矛盾に気づかず、それと真正面から戦わず、男の戦士に媚態を売るか、男の戦士のように戦うだけのアニメの国のヒロインが、テレビの前の女の子の視聴者を勇気づける存在だったといえるだろうか。

★ 女だからという理由で不当な扱いを受け、くやし涙にくれる少女を、アニメの国は積極的に描いてきただろうか。組織の差別的な待遇に抗議するような女性隊員は?上司や同僚や視聴者のセクハラに断固たる態度をとった紅の戦士は?こういうことをいうと、「もちろん、いた。あの番組では・・・・・・」云々と重箱の隅的知識をひけらかす連中が必ず出てくるのだが、総体としてどうかを問うているのだ。(ついでに断っておくけれど、風呂をのぞかれたりスカートをめくられて、キャーッと騒いだりビンタを食らわせる程度のことを「セクハラに対する抗議」とはいわない。)少女救いは求めても、少女救うことに、アニメの国は無関心だったのである。

<斎藤美奈子“アニメのヒロイン像”――『高校生のための現代思想エッセンス』(筑摩書房2007)に収録>