Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ポチョムキン

2012-02-29 23:24:30 | 日記


★ 次のような話がある。ポチョムキン(1736-91、ロシアの将軍、政治家)は多少の差はあれ定期的に繰り返される鬱病を病んでいて、この期間は誰も彼に近づくことを許されず、その居室への出入りはこのうえなく厳重に禁じられていた。宮廷ではこの病気のことを話題にするのは避けられていた。とりわけそれをほのめかすだけでもエカチュリーナ女帝の不興を買ってしまうことを、誰もが知っていたからである。宰相のこうした欝の期間のひとつは、あるときことのほか長く続いた。深刻な混乱がその結果だった。公文書保管室には書類が山と積まれ、女帝は早く処理するように催促していたが、それはポチョムキンの署名なしには不可能だった。高官たちは途方にくれていた。

★ このときまったくの偶然から、しがない下っ端の官房書記シュヴァルキンが宰相官邸の控えの間に紛れこんでしまったが、そこには枢密顧問官たちが例によって嘆きにくれながら額を寄せあっていた。「閣下方、いったい何事ですか。わたくしめで何か閣下方のお役に立つことがありますれば」、そう性急なシュヴァルキンは述べた。高官たちは彼に事情を説明し、せっかくの申し出を役立てられなくて残念だ、と言った。「それだけのことでしたら、みなさん」、とシュヴァルキンは答えた、「わたくしめに書類をお任せください、お願いですから」。もはや失うものとて何もない枢密顧問官たちは、言うようにやらせてみようという気になった。

★ そこで書類の束を脇に抱えたシュヴァルキンは、無数の回廊や廊下を抜け、ポチョムキンの寝室に向かった。ノックもせずに、いや立ち止まりもせずに彼はドアの取っ手を回した。ドアに錠はかかっていなかった。薄暗がりの中でポチョムキンは、すりきれたガウンを身にまとい、爪を噛みながらベッドの上に座っていた。シュヴァルキンは書き物机に歩み寄り、ひと言もむだにすることなくペンをポチョムキンの手のなかに押しつけ、手あたり次第に書類の一枚をその膝の上に置いた。放心したようなまなざしをこの闖入者に向けた後、眠ったままそうしているかのように彼は最初の署名を終え、二枚目の署名を終えた。そのまま続けてすべて署名し終えたのである。最後の一枚を回収すると、書類の束を小脇に抱え、シュヴァルキンは来たときと同じようにさっさとこの居室を後にした。

★ 誇らかに書類を打ちふりながら、彼は控えの間に入ってきた。枢密顧問官たちは彼に殺到し、手から書類をひったくった。息を呑んで彼らは書類の上にかがみこんだ。誰も一言も発しなかった。一同は凍りついたように動かなかった。またもやシュヴァルキンは近づいてゆき、またもや彼は性急に高官たちの狼狽の理由をたずねた。そのとき彼のまなざしもまた署名の上に落ちた。書類はどれもこれも署名してあった、シュヴァルキン、シュヴァルキン、シュヴァルキン・・・・・・と。

<ヴァルター・ベンヤミン“フランツ・カフカ”―『ベンヤミン・コレクション2』(ちくま学芸文庫1996)>





アウトサイド

2012-02-27 17:20:31 | 日記


★ だからわたしはさまざまな理由で新聞に記事を書いたのである。第一の理由はおそらく実際に自分の部屋から外に出ることであった。そのころわたしは一日に八時間、著作に没頭していた。本を執筆しているときには、けっして新聞記事は書かなかった。外部が気になったのは暇なとき、あいているときであった。執筆中には新聞を読んでさえいなかったと思う。それは生活のなかに含まれておらず、わたしはなにが起こっているか知らなかった。記事を書くことは外に出ることであり、わたしの最初のシネマであった。

★ ほかにもまだ理由があった。わたしは金欠状態だった。『ヴォーグ』誌の記事はすべて食いぶちのためである。

★ なぜわたしが新聞記事を書いたか、また現に書いているか、さらなる別の理由と言えば、わたしをフランスやアルジェリアのレジスタンスのほうへ駆りたてたようなあらがいがたい衝動のせいである。反=政府、反=軍国主義、反=選挙、その他のレジスタンス。その衝動は、あなたと同じく、みなと同じく、どんな次元のものであれ、一国民全体か一個人かを問わず、たえがたい不正をこうむっていることを告発する誘惑のほうへわたしを駆りたてた。

★ さらに、愛が狂気になり、慎重さを棄てて、途方にくれているとき、その愛のほうへ、また裁判の愚劣さと社会とがあえて判断を下すとき――愛について、その性質について、あたかも雷雨や火を判断するかのように――わたしを犯罪、不名誉、卑劣のほうへ駆りたてたのだ。念頭にあるのは、例えば、わたしが書いた最初の記事で、ぜひこの本の巻頭に置きたい「花を売るアルジェリア青年」である。同じく、「知恵おくれの男と少女の純愛」や、1958年に18歳で斬首刑になった社会福祉施設出身の子供たちについての「ごみ箱とまな板」。また、14年の懲役から出所し、わたしの友人になった、ジョルジュ・フィゴンとのすべての対談。それにとりわけ「愛人が男の妻を殺すとき」などである。

★ わたしはかなりの記事を忘れている。著作ではそういうことがない。本のほうは忘れたりしない。自分の人生についてもかなり忘れている。少女時代と、日常生活のノルマ以外ですることができたアヴァンテュールをのぞいて。日々の生活については、もうほとんどなにも覚えていない。少女時代をのぞいて。

★ もちろん、これらのテクストを出版しようと考えたのはわたしではない。そんなことは考えてもみなかった。(・・・・・・)それもいいじゃない?とわたしは考えた。なぜ急に遠慮深くなるのか?と。もし昨日のものではなく今日書かれるものしか出版されないとしたら、作家たちは存在しないだろう。もし昨日のものではなく今日の対象しか好まれないとしたら、現在の不毛しか、現在という欺瞞しかないだろう。

★ もうひとつ指摘しておきたい。わたしはかなりまちがえている。そして、わたしはまちがえる権利を要求する。

★ わたしはこの書き物にみずからは判断を下さず、再読さえしなかった。(・・・・・・)もうこれはわたしには関係がない。

<マルグリット・デュラス『アウトサイド』‘はじめに’1980年11月6日(晶文社1999)>






ヴァルター・ベンヤミンのテクスト(邦訳文献)

2012-02-27 09:16:26 | 日記


ShinyaTateiwa 立岩真也
横山建太朗他作「Benjamin, Walter(ヴァルター・ベンヤミン)http://www.arsvi.com/w/bw01.htm どうやって作ったかしりませんが、国内最大のウェブ上の著作リストではないかと。
2月25日


このヴァルター・ベンヤミン著作リストは、
① ヴァルター・ベンヤミンのテクスト(当然ドイツ語)=全集、全書簡集、年代順
② 邦訳
③ 邦訳文献の目次
④ 引用(橋口昌治による):「複製技術時代の芸術作品(第二稿)」
で構成されている(英訳文献のタイトルはあるので、これから作成されるとみられる)


残念ながら、ぼくはドイツ語が読めない。

②邦訳リストを引用する;


[岩波書店]

『パサージュ論』(全5巻),岩波書店,1993-1995.
◆ヴァルター・ベンヤミン 19930928 『パサージュ論 Iーーパリの原風景』,今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子 訳,岩波書店,329p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19950329 『パサージュ論 IIーーボードレールのパリ』,今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・吉村和明・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子・細見和之 訳,岩波書店,397p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19940329 『パサージュ論 IIIーー都市の遊歩者』,今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子 訳,岩波書店,396p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19931222 『パサージュ論 IVーー方法としてのユートピア』,今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子 訳,岩波書店,359p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19950828 『パサージュ論 Vーーブルジョワジーの夢』,今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・吉村和明・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子・細見和之 訳,岩波書店,471p+79p.⇒目次はこちら

『パサージュ論』(全5巻),岩波現代文庫,岩波書店,2003.
◆ヴァルター・ベンヤミン 20030613 『パサージュ論 第1巻』,今村仁司・三島憲一ほか 訳,岩波現代文庫,岩波書店,480p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20030716 『パサージュ論 第2巻』,今村仁司・三島憲一ほか 訳,岩波現代文庫,岩波書店,475p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20030819 『パサージュ論 第3巻』,今村仁司・三島憲一ほか 訳,岩波現代文庫,岩波書店,459p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20030917 『パサージュ論 第4巻』,今村仁司・三島憲一ほか 訳,岩波現代文庫,岩波書店,407p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20031114 『パサージュ論 第5巻』,今村仁司・三島憲一ほか 訳,岩波現代文庫,岩波書店,302p+142p.⇒目次はこちら

◆ヴァルター・ベンヤミン 19940316 『暴力批判論 他十篇ーーベンヤミンの仕事 1』,野村修 編訳,岩波文庫,岩波書店,308p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19940316 『ボードレール 他五篇ーーベンヤミンの仕事 2』,野村修 編訳,岩波文庫,岩波書店,357p.⇒目次はこちら



[河出書房新社]

◆ヴァルター・ベンヤミン 20110120 『ベンヤミン・アンソロジー』,山口裕之 編訳,河出文庫,河出書房新社,413p.⇒目次はこちら



[晶文社]

『ヴァルター・ベンヤミン著作集』(全15巻),晶文社,1969-1981.
◆ヴァルター・ベンヤミン 19690506 『暴力批判論ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 1』,高原宏平・野村修 編集解説,晶文社,148p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19700821 『複製技術時代の芸術ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 2』,佐々木基一 編集解説,晶文社,176p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19811225 『言語と社会ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 3』,久野収・佐藤康彦 編集解説,晶文社,147p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19700930 『ドイツ・ロマン主義ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 4』,大峯顕・高木久雄 編集解説,晶文社,177p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19720825 『ゲーテ 親和力ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 5』,高木久雄 編集解説,晶文社,148p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19750930 『ボードレール(新編増補)ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 6』,川村二郎・野村修 編集解説,晶文社,294p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19690630 『文学の危機ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 7』,高木久雄 編集解説,晶文社,231p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19810825 『シュルレアリスムーーヴァルター・ベンヤミン著作集 8』,針生一郎 編集解説,晶文社,184p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19710520 『ブレヒトーーヴァルター・ベンヤミン著作集 9』,石黒英男 編集解説,晶文社,231p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19790620 『一方通行路ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 10』,幅健志・山本雅昭 編集解説,晶文社,175p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19750530 『都市の肖像ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 11』,川村二郎 編集解説,晶文社,177p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19710930 『ベルリンの幼年時代ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 12』,小寺昭次郎 編集解説,晶文社,225p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19790815 『新しい天使ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 13』,野村修 編集解説,晶文社,258p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19750730 『書簡 I 1910-1928ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 14』,野村修 編集解説,晶文社,287p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19720630 『書簡 II 1929-1940ーーヴァルター・ベンヤミン著作集 15』,野村修 編集解説,晶文社,330p.⇒目次はこちら

◆ヴァルター・ベンヤミン 19810925 『教育としての遊び』,丘澤静也 訳,晶文社,202p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19820405 『モスクワの冬』,藤川芳朗 訳,晶文社,251p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19841020 『ドイツの人びとーー手紙の本』,丘澤静也 訳,晶文社,217p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19920325 『陶酔論』,飯吉光夫 訳,晶文社,204p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19921220 『来たるべき哲学のプログラム』,道旗泰三 訳,晶文社,387p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20111210 『来たるべき哲学のプログラム』(新装版),道旗泰三 訳,晶文社,390p.⇒目次はこちら

◆ヴァルター・ベンヤミン/テーオドーア・W・アドルノ 19960720 『ベンヤミン/アドルノ往復書簡 1928-1940』,ヘンリー・ローニツ 編,野村修 訳,晶文社,361p+15p.⇒目次はこちら



[筑摩書房]

『ベンヤミン・コレクション』(1・2・3・4・5),筑摩書房,1995-2010.
◆ヴァルター・ベンヤミン 19950607 『ベンヤミン・コレクション 1ーー近代の意味』,浅井健二郎 編訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,687p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19960408 『ベンヤミン・コレクション 2ーーエッセイの思想』,浅井健二郎 編訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,669p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19970310 『ベンヤミン・コレクション 3ーー記憶への旅』,浅井健二郎 編訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,675p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20070310 『ベンヤミン・コレクション 4ーー批評の瞬間』,浅井健二郎 編訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,670p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20101210 『ベンヤミン・コレクション 5ーー思考のスペクトル』,浅井健二郎 編訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,615p.⇒目次はこちら

◆ヴァルター・ベンヤミン 19980409 『図説 写真小史』,久保哲司 編訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,284p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19990610 『ドイツ悲劇の根源 上』,浅井健二郎 訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,378p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 19990610 『ドイツ悲劇の根源 下』,浅井健二郎 訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,414p.⇒目次はこちら
◆ヴァルター・ベンヤミン 20011010 『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』,浅井健二郎 訳,ちくま学芸文庫,筑摩書房,479p.⇒目次はこちら



[西田書店]

◆ヴァルター・ベンヤミン 19891101 『呼ぶ者と聴く者ーー三つの放送劇』,内田俊一 訳,西田書店,206p.⇒目次はこちら



[平凡社]

◆ヴァルター・ベンヤミン 20081210 『ベンヤミン 子どものための文化史』,小寺昭次郎・野村修 訳,平凡社ライブラリー,平凡社,410p.⇒目次はこちら



[法政大学出版局]

◆ヴァルター・ベンヤミン/ゲルショム・ショーレム 19901221 『ベンヤミンーショーレム往復書簡 1933-1940』,ゲルショム・ショーレム 編,山本尤 訳,法政大学出版局,423p+12p.⇒目次はこちら






たぶんこれからおもしろくなる

2012-02-26 23:38:54 | 日記


2000年という世紀の変わり目に、立岩真也が書いた文章が彼の本『希望について』の最初に収録されている。

《この文章を書いていたのがある大学院での集中講義の前だったので》、この文章は、大学生に向けて書かれているようだが、これを今読むぼくが、とうに大学生であるどころではなく、65歳のただの男であっても、よいのである。

こういう文章は、さして長くもないので、全文を読む必要があるが、(というかあらゆる文章は、全文を読まれなければ意味が取れないように書かれているはずだが)、全部書き写すわけにもいかないので、ある“部分”だけを引用することになる;


★ 学生は、社会人になる。その人が自分の身のまわり3メートルくらいの範囲で生きていければ、それはそれでよい。しかし実際にはなかなかそうもいかない。会社に勤め出したり、等々。それで、突然、天下国家について語り出してしまうのだが、その時口をつくのは「少子化」がどうしたとか「国際化」がどうしたとかいった紋切り型の反復でしかない。それは聞いていてもつまらないし、本人もそう納得しているわけではないだろうし、そして私が思うに、そのいくらかはまちがっていて、そして時に危険でもある。

★ だから、べつように語ること、べつように考えていくことはできないか。いま漠然と、しかしはっきりと感じられていることは、近代社会の構制の本体、内部の方に向かっていくこと、そしてそれをどうしようか、直截に考えていくという、社会科学の本道を行くしかないのではないかということだと思う。

★ 例えば、誰が何をしてよいことになっているのか、何をすべきで何をすべきでないことになっているのか、それはなぜか、別のあり方は可能か、どのような根拠から、どのようにして可能かを考えること。つまり権利や義務について考えること。

★ それは「生命倫理」だとかあるいは「知的所有権」だとか、なにかしら新しい事象への対応について語られることもあり、もちろんそれらはそれらで大切な主題なのではあろうが、しかしもっと普通のことについてそれをやってみること、そしてそれがおもしろいことを示すことだろうと思う。そして、社会が、市場/政治/家族/その他の自発的行為の領域といった具合に分かれているのなら、その各々に即して、そこに配分されている行為や財の配分のあり方について、また各々の領域の間にある境界について、各々の領域の関係について考えることだ。

★ 「少子高齢化」で人手が足りなくなるという。だが足りないとはどういうことなのか。自明のようにも思えるが、わかるようでわからない。かつて人口の量と質に対する危機感が「優生学」を作動させたのだが、この社会を覆っているある種の危機感はそれとどこがどれほど違うのだろう。そうやってがんばらないと日本は「国際競争」の中でやっていけないと言われる。仮にその通りだとして、そこで考えることは終わりになるか。ならないと思う。

<立岩真也『希望について』(青土社2006)>







今日があっても、明日があるとは限らない

2012-02-24 08:36:45 | 日記


ひとは“今日”と言って、今日を生きる。
今日の次には明日が来るはずである。
明日になれば今日は、昨日になる。

ぼくは、なんら“哲学的な”ことを述べてはいない。


さて、今日、というか今、みた三つの“文章”をならべる。

この“今日の三つの文章”で、ぼくがなにを思ったかは、読者の想像にまかせる;

①朝日新聞:天声人語

一つ屋根の下、という表現がある。そこにあるべきは一家だんらんであり、つましいけれど幸せな日々だろう。しかしこの現実を前に、ありきたりの言葉は意味を失う▼東京都立川市のマンションで、45歳の女性と4歳の息子らしき遺体が見つかった。床に倒れた母親の死因はくも膜下出血。知的障害がある坊やは一人では食事ができず、手つかずの弁当はあるも胃は空だった。2人ぐらしのお母さんを突然失い、空腹のうちに息絶えたらしい▼一家の亡きがらが、時を経て自宅で発見される事例が相次いでいる。さいたま市では、60代の夫婦と30代の息子。家賃と水道代が滞り、電気とガスも止められていた。近所づきあいも、生活保護の申請もなかったという。所持金は1円玉が数枚だった▼札幌市では姉(42)と障害のある妹(40)、釧路市では妻(72)と認知症の夫(84)。いずれも、病気や高齢などのハンディを抱えた「弱者の共倒れ」である。なんとか救えなかったか▼衰弱の末の死は緩やかに訪れるはずで、複数が同時に事切れたとは考えにくい。一つ屋根の下、残された人の落胆や焦りを思う。札幌で姉に先立たれた妹さんは、携帯電話のキーを何度も押していた▼こうした悲劇には、公共料金の滞納、たまる郵便物などの前兆がある。微弱なSOSが、プライバシーの壁を越えて行政に届く策を巡らせば、かなりの孤立死は救えよう。懸命に生きようとした人の終章を、天井や壁だけが見届ける酷。きずな社会への道は険しい。


②読売新聞:編集手帳

法律の条文にも五七五の調べがある。たとえば、憲法23条〈学問の/自由はこれを/保障する〉。あるいは、民法882条〈相続は/死亡によって/開始する〉◆東京高裁の判事だった頃、半谷恭一さんが広報誌に寄せたエッセーからの受け売りである。いかめしい肩書とは異なり、平易で洒脱な語り口が印象に残る◆もう一つ、忘れがたい文章がある。東京地裁のロッキード裁判で嘱託尋問調書を証拠採用した「半谷決定」の一節である。〈人は病気に罹ることをべ虞れるべきではなく、その治療手段の無いことを虞れるべきである〉。たとえ権力の腐敗を事前に防げなくとも、司法が正しく機能すれば国家は安泰を保てるのだ…と、つづく。政治腐敗への憤りと、司法に携わる身の矜持を語って、いまも色あせていない◆退官後は弁護士をしていた半谷さんが自宅で絞殺されたという。78歳。妻(81)が逮捕された。夫妻には認知症のような症状があった、とも報じられている。煮えたぎる正義感と人懐こいユーモアの人にさえ、天は心やすらかな老後を許してくれない◆人生を生ききるとは、むずかしいものである。


③朝日新聞記事(現在アサヒコム・アクセスランキング3位)

<引退の知事に「最後ぐらいお目に…」芥川賞の田中さん>

 小説「共喰(ぐ)い」で芥川賞を受賞した山口県下関市の作家・田中慎弥さんは23日、山口県が新設した県文化特別褒賞を贈呈され、二井関成知事と会談した。
 知事は今期限りでの引退を前日に表明したばかり。田中さんは「政治家に会うのはいつも緊張するが、退任表明をなさったということなんで、最後ぐらいはお目にかかっておこうと」と語ると、知事応接室は笑いと緊張に包まれた。
 「あれだけ注目されて、お忙しかったでしょう」という知事のねぎらいの言葉にも「そうですね。こういうところへ引きずり出されて」と田中節で応じた。
 田中さんは、「共喰い」に出てくる川は下関市の田中川をモデルにしたことを明かし「小説の中では、下関という町を自分の価値観で作りかえている」と語った。

(以上引用)




ひとことだけ、ぼくの感想を述べれば、③の最後にある《「小説の中では、下関という町を自分の価値観で作りかえている」》というのは、“あたりまえ”である(それが“小説”であるならば)

こういうことをわざわざ言うひとより、こういう発言を“ニュース”とするひとの知性が疑われる。





面白い本と歴史の感覚器官

2012-02-23 15:10:25 | 日記


ある一日に、ほくが読める量は少ない。

仕事に出る日なら読めない、家にいても家事や雑用があるから読めない、という意味ではない。

このごろ思うのだが、その日に読める“絶対量”のようなものの限界があるのだ。
それは、“体力”のようなものかもしれないし、“好奇心”の新鮮さのようなものかもしれない。

たしかに“面白い本”なら、寝食を忘れて(というほどでなくとも)読みふけるというようなことも、たまにはあった。

しかし、“面白い本”というのは何か?
というか、面白い本は、それを読んでいて“面白い!”と思うまで、面白くない。

なかなか、そういう本には巡りあわない。
たしかに、“若い頃”だけだったような気もする。
『樅の木は残った』とか、『IT』とか、『砂の惑星(デューン)』とか(もっと前なら『少年ケニヤ』とか)
タイトルも忘れたミステリやSFとか。
近年、比較的“夢中”だったのは、中上健次『熊野集』である。

一日に読める“絶対量”の話であった。
ぼくには、残り時間がそれほどないので、“読むべき本”を読んでしまおう、という“気分”がいつもある。

それで読む本の優先順位を定めるのだが、けっして、その順番に読めないのである。
ある本を読んでいて、参照されている本や人がいると、“そっち”が気になってくる。

そして“そっちのひと”の本や、“そっちに関する本”を(運悪く)所有していると、そっちに行ってしまう。
かくして“1冊の本”をなかなか読み終われない。
このような読書が、良いものであるはずがない。

だいいち、“その本”に書いてあったのか、“あの本”に書いてあったのか、忘れてしまうではないか。


閑話休題、という古い言い回しがある。

やっぱ、ベンヤミンを読もうか?

ベンヤミンから引用する;

★ 文学作品を、その時代のもつ連関のうちに叙述することこそが大切だ、というのではない。大切なのは、それが成立した時代のなかに、それを認識する時代――それはわれわれの時代である――を描き出すことなのだ。これによって文学は歴史の感覚器官となる。(「文学史と文学研究」1931)
 
  <『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(ちくま学芸文庫1996)の扉にある>



★ ツヨシは老婆らの心のうちを何となく分かった。親の代から住んでいた路地が立ちのきになり、立ちのき料がふところに入ったのを潮に、昔から名を聞いていたところを廻る、神社や皇居には奉仕をし、寺では練習しつづけていた御詠歌をやる、という目論見だったが、老婆の誰も、路地に帰りつく事を考えている者はなかった。ツヨシが、カーブを切った時に危ないという理由で冷凍トレーラーの中には、それぞれの蒲団と衣類それにどうしてもそばから離せないという小さな仏壇しか持ち込んではいけないと禁止したし、伴走のワゴン車の持ち主のマサオは、後の荷物入れに納まる程度の荷物だけと制限したので、長旅だというのに老婆らはそれぞれ風呂敷包み二個程度の物しか持っていなかった。後は七輪、炭、ナベ、茶わん、はしの類、ビニール袋に入った米。それに竹ほうきの布袋を加えれば、荷物入れは天上までいっぱいになった。

★ 橋の下を流れる川のわきから上って来た風に老婆らの髪が乱れ、スカートの裾がめくれかかる。川ぞいに遠くまで続く森の樹々の方から、神がいるという神社の静けさと、昼の光そのもののざわめきが、一団になって手をあわせる老婆らの周りに相反する流れの渦のようにかたまっている気がして、ツヨシは老婆らの気持を想い描く。

<中上健次『日輪の翼』(小学館文庫:中上健次選集(5)1999)>






パターンと変更すること

2012-02-23 14:14:46 | 日記


下のブログを書き終わって、手に取った本は、机の脇に積み上げられた本の山から取り出した飯田隆『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』(講談社:現代思想の冒険者たちSelect2005 )である。 (またもや、解説本である!)

“解説本”を読まずに、いきなりオリジナルを読む“べき”という立場については、ぼくも時々考える。
しかも“オリジナル”といっても、それは(ぼくの場合)、“翻訳”にすぎない。

けれども、“解説本”でも、読みとれることがあるかどうかも、このブログの“テーマ”である。


この本をぼくは、第9章までで中断していた(いったい、そこまで読んだのは、いつだったのか?)

それで第10章を読み始めるとこうあった;

★ さて、ここまででわれわれは、ウィトゲンシュタインの生涯の前半を辿ったことになる。それは、いくつかのくっきりしたコントラストを特徴としている。一方に、論理と哲学の抽象的問題に熱狂的に取り組んだ7年あるいは8年に及ぶ時期があり、他方に、都会から遠く離れた山村のなかで、子供たちに計算することや字を綴ることを教えた6年間がある。また、一方には、ケンブリッジのエリートたちのあいだでも一目も二目も置かれながら過ごした日々があり、他方には、同僚の兵士や、教師をしていた土地の人々から変人として排斥されながら過ごした日々がある。

★ 教師生活の破局的終末のあとの精神的危機をどうにか乗り越えて、ふたたびケンブリッジに現われた1929年1月以降のウィトゲンシュタインの生活にもまた、それ以前ほど極端ではないとはいえ、同様のパターンを見出すことができる。


このあと、ウィトゲンシュタインの経歴の話になる(すなわちウィトゲンシュタインの“収入”はどうだったか)

そして、ウィトゲンシュタインの“言葉”の話になる。
すなわちウィトゲンシュタインの“母語”であるドイツ語とウィトゲンシュタインの英国生活の日常語であった“英語”との関係である。

ウィトゲンシュタインと同じように、“異国で生活し、仕事をする”人々の、言葉に対する関係である。

カルナップなどの“論理実証主義者”には、英語圏への亡命者が多かったが、彼らは英語で書いた(話した)。
論理実証主義者にとっては、《特定の言語に依存する度合いが低い》のである(とこの本の著者は述べる)

だが、ウィトゲンシュタインは、“母語であるドイツ語”にこだわった。
《英語は私の母語ではなく、したがって、私の表現はしばしば、むずかしい主題について話す際には必要となる正確さと微妙さに欠けます。》(「倫理学講話」)


さてこの調子で続けると、このブログは、この本と同じ長さになりかねないので、もう一ヶ所引用して、(このブログは)終わる;

★ ウィトゲンシュタインによれば、哲学のむずかしさは、科学におけるような知的なむずかしさではなく、感情や意志に逆らって自らの態度を変更することのむずかしさにある。必要なのは、便利な術語でもなければ、巧妙な理論でもなく、何重にも撚り合わされた哲学的問題を解きほごすためのさまざまな手管であり、そこでは何よりも正確さと微妙さが要求される。哲学的問題に向かう手段はやはり言語である以上、正確さと微妙さをもって言語を駆使するためには、「語のもつ力の場」を正しく測ることができるのでなくてはなるまい。母語以外のどこで、こうした判断を自信をもって下すことができよう。

★ だが、他方で、ウィトゲンシュタインの哲学は、たとえば、第二次世界大戦後オックスフォードを中心として展開された日常言語学派の哲学(略)のある種の仕事や、ハイデガーの哲学が、英語あるいはドイツ語と切り離せないのと同じ仕方で、ドイツ語と切り離せないのではない。あれほど言語の現実の使用に注意を向けるように言ったウィトゲンシュタインではあるが、その関心は言語の具体相にあるのではない。

★ 《言語に関する問題を論じるのは、言語が哲学の主題であると考えるからではない。言語は哲学の主題ではない。言語について論じるのはただ、個々の哲学的誤りや「思考における困難」が、言語表現の現実の使用が暗に示す偽りの類比から生じると考えるからである。》(ムーアが伝えるウィトゲンシュタインが繰り返し講義で言ったこと)






内田先生を安らかに隠居させるために

2012-02-23 12:07:25 | 日記


内田樹がバリ島帰りのブログに、愚痴を書いている;

☆ 3月11日の震災と原発事故がわが国のシステムの本質的な脆弱性を露わにし、それについて批判的検証を加え、オルタタティブを提示するという緊急な責務が言論にかかわるすべての人間に課せられたのである。
私も禿筆を以って口を糊している以上、この責務から逃れることは許されない。
それに加えて、大阪では「維新の会」というきわめて危険な政治運動が大衆的人気を得て、地方自治体を超えて、国政進出まで窺うという思いがけない流れが出てきた。
平松邦夫前市長に特別顧問として迎えて頂いた身である以上、当事者責任は免れられず、ダブル選挙にも平松陣営の一人としてかかわることになった。
震災と維新の会さえなければ、もっと穏やかな退職生活が過ごせたことは間違いないが、事実を前には、言ってもせん方ないことである。
(引用だよ)

内田先生はツイッターでも愚痴を言っている;

levinassien 内田樹
はっと気がついたらもう8時です。11時からずっと机にしがみついてパソコンを打ち続けております。バリから帰ってきたらこのありさまです。その間に次次電話がかかってくるし、宅急便は来るし、仕事のメールは来るし・・・あのですね、ウチダはもう仕事はしないの。働くのやなの。
14時間前  
(引用)



さて、こういう文章を、読まなきゃよいのに読んでいる自分に、まず疑問を呈すべきだろうな。

ぼくの場合、十数人の“有名人”のブログとツイッターを見るのが、習慣化してしまった。
天声人語と読売編集手帳と、朝日と読売の社説の“見出し”も(本文はほとんど読まないが!)

最近、天声人語と読売編集手帳は、“読めない”。
‘あらたにす’でそこを開き、読もうとするが、アホらしくて、文章が追えないのだ。
なにを書いていても百年一日のごとき文章展開と“惰性用語の連なり”で、もはや、生理的に受けつけることができない。

この点、ツイッターというのは(読んでいるだけだが)、短いので、ぱぱぱと、見てしまう(見てしまうことができる)。
しかし、このことは、書いている方も、酔っ払ったり、トイレの中などで、パパパと“書いてしまう”ということを意味する。

あるいは、“自分のお仕事”の宣伝と、自分のお仕事へ“イイネ”というひとのRTとやらの山である(これまた宣伝になる)。

なに、“内田先生”は、ドーなった?(笑)

内田先生は“本業?”が上記のように忙しいにも“かかわらず”、ツイッターもやってるし、異常に字数の多いブログも書いている。

だから先生は、なにを言っているか“以前に”、嘘つきである。

つまり、先生は、“書くのが好き”にちがいない。
“書くのが好き”どころか、たぶん、書くことの“中毒”なのだ。

(いったい、いつ、”勉強”するのであろうか?!)

いちばん不思議な(悪い)のは、こういう“おしゃべり中毒”に原稿や講演を依頼する、“惰性的なひとびと”の業界である。

“ウチダ”がなにを言うかわかっていて、決して“新しいこと”を言わないことが、彼らの商売の安全(売り上げ)を保障するのだ。

ウチダ先生は、世渡り的に頭が良いので、自分に対する批判を、“あらかじめ”封じるため、《呪いの時代》というような概念さえでっちあげ、しかも、“それも”本にして売り出すのだ!
さすが大阪商人である。

けれども、このセンセイも、“あのハシモト”には勝てないのである、こりゃいかに(爆)

しかし、これから“都会”になろうとする田舎に住んでいるのではないぼくにとっては、田舎芝居などになんの関心も持てないではないか。
(まあ、ぼくの住んでいるこの“大都会”でさえ、世界の田舎である可能性は、“まだ”ある)

田舎インテリが愛好するレヴィナス、ラカンなど、片腹痛い。

ぼくはレヴィナスもラカンもほとんど読んだことがないが、内田先生よりは、彼らが直面した世界に近いところにいる(とせめて自分の矜持をでっちあげよう)


みなさん!(笑)

内田樹など、どうでもいい。

もっと“まともな言葉”をさがそう。

たとえば、内田先生は、《街場の・・・》という概念を使用している。
ぼくは読んだことがないので(笑)、その概念がどのように使用されているか知らないが(知りたくもないが)、その《街場》と以下に引用する(柄谷行人からの“孫引き”であるが)サイードの《世俗的》という概念を比較せよ。

ちなみに、このサイードの文章で、柄谷は当時落いっていた《内部に閉じ込められた出口なしの低迷からの脱出の刺激を得た》と書いている。
この柄谷の文章は、ウィトゲンシュタインの前期から後期への“転回”へと続いている。
現在の柄谷行人が“そこから”、ほんとうに“転回”できたか否かはまた別問題である;


★ 「テクスチュアリティ」は、したがって、「歴史」と呼んでよいもののまったく反対物あるいは置換物になってしまった。テクスチュアリティはどこかに生じるが、同様に、特定のどこかやいつかに生じるものではないと考えられている。それは生産されるが、誰によってでもなく、何時ということもない。(中略)今日アメリカのアカデミーでそうなされているように、文芸理論は、ほとんどの場合、テクスチュアリティを、それを可能にし人間の仕事として理解可能にする状況、出来事、身体的な諸感覚から切り離している。(中略)私の立場は、テクストは世俗的であり、ある程度出来事であり、またそれを否定しているように見えるときでさえ、にもかかわらず、社会的な世界、人間の生活、そして、むろんそのなかにテクストが置かれまた解釈される歴史的時点の一部なのだ、ということである。

<エドワード・サイード“The World, the Text, and the Critic”― 『定本 柄谷行人集2 隠喩としての建築』(岩波書店2004)より引用>






ハリウッドから来た写真

2012-02-22 15:14:54 | 日記


昨日、仕事に行った日の昼休みには、必ず行くことになった古い喫茶店で聴いた、“懐メロ”歌詞冒頭を掲げる;

“I Want You”: Bob Dylan

  The guilty undertaker sighs,
  The lonesome organ grinder cries,
  The silver saxophones say I should refuse you.
  The cracked bells and washed-out horns
  Blow into my face with scorn,
  But it's not that way,
  I wasn't born to lose you.
  I want you, I want you,
  I want you so bad,
  Honey, I want you.



英語の(ポルトガル語のでもよいが)歌詞なんて、その曲を何百回聴いていても、“ふつうの日本人”には、その‘さわり’が耳についているだけじゃないか?

ぼくは、そうだ。
この曲が入ったディランのベスト盤(“LP”だ!)を聴いていた頃、ぼくは”レコード!“を数枚しか持っていなかった。

だから、“耳にタコができるほど”聴いた。
それは、だれにとっても(たぶん)めずらしいことじゃない。

そういう曲を、“突然聴く”のである。
“とっくに忘れた歌を、突然聴く”という歌詞もあったね。



以上書いたことと以下に書く(引用する)ことは、カンケイない、のか、あるのか?

ディランは、“アメリカ人”である。
ディランの音楽、歌詞、イントネーション、声は、たぶん、“アメリカ=USA”である。

《ハリウッドから来た写真》も、アメリカから来た。

ジャン・ジュネという“フランス人”もしくは“公然たる敵”(誰の?どの国家の?)の発言を聞く。

この発言は、1983年にオーストリアのラジオ放送のために行われた対話である。

この発言の翻訳は、『シャティーラの四時間』(インスクリプト2010)に“ジャン・ジュネとの対話”として収録されている。

以下に引用する部分は(ぼくの“引用”がいつもそうであるように)、なにか全体の要約(肝心な部分、キモ)というわけでは、ない。

たとえば、ジャン・ジュネのような人物の晩年の発言なら、“全部”聴くべきである(しかもジュネは“話し言葉では満足に表現できない”と同席したライラ・シャヒードに言ったそうだ)
ちなみに、このライラ・シャヒードというひとは、クラプトンが“ライラ!”と歌ったひとではないか?;



★ R・W(インタビュアー)
私が強い印象を受けるのは、われわれがたとえばヨーロッパで、パレスチナ人やレバノンにおけるパレスチナ人とアラブ人の、あるいはパレスチナ人とイスラエル人の戦闘のニュースを聞いて感じる、非現実的とでも言えるような側面です。――戦闘の犠牲者のことを耳にするのは、ほとんど習慣と化してしまいました。そして、たとえばサブラとシャティーラの虐殺といった、じつに注目を集める事件があってはじめて、現実の死者がいること、死にかけ、死んでしまった、殺された人びとが問題であることが納得されるのです。たんなる傍観者であるわれわれが持ってしまうこうした非現実的な見方についてどう思われますか?

★ ジュネ
そうだね、私がパレスチナ人のことを取り上げていろいろ言っているのは、なにもあなたがたの非現実感のためではない。むしろ私にしてみれば、すべてを非現実に変えてしまうあなたがたのことを強調しておきたい。あなたがたがそうするのは、そのほうが受け入れやすくなるからだ。現実のキャンプに本物の手紙を運ぶ女よりも、非現実的な死者、非現実的な虐殺の方が、結局は受け入れやすいものだ。虐殺を受け入れ、それを非現実的な虐殺に変えてしまうのは、とりわけあなたのような人ではないかね。きのうあなたはライラ・シャヒードのもたらした虐殺された人びとの写真を見たわけだが、あなたはその時はじめて本物の、スタジオで撮られたのではないドキュメントを見たということも、あながちありえないことではない。というのも、あなたがたの新聞、挿絵やジャーナリストの描写によって伝えられているあらゆる資料が、あたかもスタジオで撮影されたごとくに見られているからだ。きのうあなたが見た写真はハリウッドから来たものではない。
(以上引用)



ここで、ぼくが上記を、“きょう”引用しているのは、“パレスチナ問題”だけが問題であるからではない。

“今日のテレビ・新聞など”が、《ハリウッドから来た写真》ではないか?という疑問を呈している。

もちろんこれは、政治-社会情勢“のみ”の問題でもない。

《ハリウッド》という名詞が掲げられるなら、それは当然、“映画”の問題であり、《写真》という名詞が掲げられるなら、それは、あなたが時たま撮ることもあるだろう“写真”の問題である。

あるいは、このぼくらの日常を満たし、いつも鳴っている(聴こえている)音楽の、聴き取りの問題である。




<蛇足>

このブログを書き終わって、気づいた(笑)
ディランは”ユダヤ人”である。

上記ブログについて、誤解の余地はないと思うが、ぼくはディランが(現在でも)好きである。

さらに、しつこく言えば、ぼくがジュネが好きなのは、彼が”フランス人”だからでは、まったくない。

さらに、ぼくがこのブログで”ある種の日本人”を罵倒することがあるとすれば、それは彼らが”日本人”であるからではない(そうかな?笑)






群れと結晶

2012-02-20 01:27:19 | 日記


★ 「一杯の砂糖水をこしらえようとする場合、とにもかくにも砂糖が溶けるのを待たねばならない」。ベルクソンが『創造的進化』の冒頭に書いたこの一節、この砂糖が溶ける時間とは何か、ずっと問いが私の頭にぶら下がったままで、その砂糖の問いは溶けないままだ。

★ 砂糖の溶ける時間は、「私の待たねばならない時間」であり、これを空間の中に一挙に繰り広げることはできない。ところが知性の仕事とは、多くの場合、そのような時間を鮮やかに「ぱっと展開して」見せることである。しかし砂糖の溶ける時間とともにあるような思考は、一体どんなものだろうか。

★ この時間は意識と主観にかかわるにちがいないが、決して意識にも主観にも還元しうるものではない。そもそも意識は無意識に包まれ、その無意識は身体にくるまれ、さらにその身体は世界の時間と変化に包囲されている。それはまたその身体が、知覚しえない、形のない、たえず変化する身体(器官なき身体)として広がっているということを意味する。時間を生き、時間を紡ぎだすのは、まさにそのような身体なのだ。

★ この身体は決して、輪郭をもって閉じられた一個の身体ではなく、その中には数多の群れがある。この身体はまた、その外の無数の身体とともにある。この身体は、内と外にあるそのような果てしない群れの中にある。

★ そういう群れの中で、結晶が発生するようにして、個々のもの、精神や身体が形作られるけれど、結晶とはいつもそれ自体が内部であり外部であり、内部と外部の結節点として結晶するのだ。そこで結晶とは内部と外部の識別不可能性のことでもある。ひとつひとつの身体が、時間の結晶でもある。

★ そのような結晶にふさわしい結晶の生の倫理(エティカ)というものがあるにちがいない。そこから見えてくる喜びと悲しみ、恐れと希望、豊かさと貧しさ、破壊的なものと創造的なもの、生きているものと死んでいるもの、闇と光、響きと虹・・・・・・。

<宇野邦一『ドゥルーズ』(河出ブックス2012)>






ジャーナリズムは“貧者”の味方ではない

2012-02-18 15:25:07 | 日記


“3.11”から1年が経過しようとしている。

この間、なにが起こったか。
世間の人びとがどう思っているか、ぼくは知らないので、自分の感想のみを述べる(それしか述べようがないではないか!)

うまい言葉がみつからないのだが、ぼくには、この日本の現状が“冗談”にしか見えなくなった。
とくに“ニュース”である。

もちろん、どんな“冗談的現実”であっても、消費税が上れば、ぼくの生活は(さらに)困窮する。
まさにぼくの老後生活の基盤は、ますます不安なものになる。

だから、(まさに)、すべては、冗談ではなく、“リアル”である。
にもかかわらず、自分の生活が、不安定になればなるほど、“世の中”で起こることや、日本の復興やらを言う人びとが、冗談のように見える。

それで、だんだん、悪夢にさらされる(実際に悪い夢を見てしまう)日々の中で、“現実とカンケーない”本を読むことに執着する。

いったい、“ドゥルーズ”とか“ベンヤミン”の本が、ぼくの<生活>にとって、どんな“リアル”でありうるのか?

たとえば、ベンヤミンというひとが書いた言葉は、けっしてスラスラ読めたり、ただちに共感をもたらすものではない。
ぼくの日々の悩みに、ただちに応える(解答をあたえる)ものであるはずがない。

けれども、ときどき、ベンヤミンの言葉を読みたくなるのは、なぜか。
ぼくの状況と、ベンヤミンが生きた状況を、ストレートに比較するなどというなら、笑える。

まったくちがう、のである。
時代がちがい、国がちがう、彼の背後の=生きた歴史と、彼の教養、彼の趣味が(ぼくとは)ちがう、彼が旅した風景がちがう。

にもかかわらず、彼の生きた時代というのが、現在ぼくが生きている時代と、“似ている”ということも、あるのではないか。

ベンヤミンが生きたドイツの状況とは、第一次大戦前から第二次大戦にいたる時期、両大戦間期からヒットラーが覇権を取る時期であった。
すさまじいインフレーションのなかで“一方通行路”は書かれた。

現在の日本がデフレであるから、関係ないなどということではないのだ。
貧しい人々は、いつの時代にも、どこにでもいる。
そこから、思考するひとびともいる。
たとえば、以下のように;

★ 「貧しきことは恥ならず」(ドイツのことわざ)。まったくその通り。だが世間は、貧者を恥じ入らせる。そうしておきながら、このちっぽけな金言で貧者を慰めるのだ。この金言は、かつては通用しえたが、いまではとっくに凋落の日が来ている金言のひとつである。その点、あの残酷な「働かざる者食うべからず」という金言と何ら変わるところがない。働く者を養ってくれる労働があったときには、この者にとって恥とはならない貧しさもあった。この貧しさが、不作その他の巡りあわせのせいで、その人の身にふりかかった場合はそうだった。しかしながら現在の生活苦は、何百万もの人びとが生まれながらに落ちこむもの、貧窮してゆく何十万もの人びとが巻きこまれるものなのに、彼らを恥じ入らせるのだ。

★ 汚辱と悲惨が、見えざる手の業(わざ)として、壁のごとく、そうした人びとのまわりに高く積みあげられてゆく。個人は、己に関してなら多くのことに耐え忍ぶことができるけれども、しかし妻が彼の耐え忍ぶ姿を目にし、また彼女自身も我慢を重ねるならば、正当な恥を感じるものである。そのように個人は、自分ひとりで耐え忍ぶかぎりは、多くのことに耐え忍んでよいし、隠しておけるかぎりは、すべてのことに耐え忍んでよい。だが、貧しさが巨大な影のように、自分の属する民族と自分の家のうえに被いかぶさってくるなら、そうした貧しさと決して講和を結んではならないのだ。

★ そのときにはおのれの五感を、それらに与えられるあらゆる屈辱に対してつねに目覚めさせ、そして自分の苦しみが、もはや怨恨の急な下り坂ではなく、反逆の上り小道を切り開くことになるまで、五感を厳しく鍛えなければならない。しかし、この点で何も期待するわけにはいかないのが現状なのだ――すべての恐ろしいかぎりの運命、暗いかぎりの運命が日々、いや刻々、ジャーナリズムによって議論され、ありとあらゆるまやかしの原因とまやかしの結果のかたちで説明されるため、誰ひとり、己の生を虜にしている暗い諸力を認識することができない、という状況が続くあいだは。

<ヴァルター・ベンヤミン“一方通行路”―『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅(ちくま学芸文庫1997)』>






“リゾーム”と“アレンジメント”

2012-02-18 02:24:26 | 日記


下記ブログにつづいて、もう一冊の新刊紹介;宇野邦一『ドゥルーズ 群れと結晶』

正直言って、ぼくは“ドゥルーズ”の著書を、昔、“エピステーメ”臨時増刊号として出た“リゾーム”以外一冊も読み終わったことがない。

『千のプラトー』は、翻訳単行本を一回売り払って(さっぱり“読めない”のに苛立って)、河出文庫3冊を買いなおした次第である。

その文庫も、ときどき取り出して、ちらちら眺めているだけだ。

たしかに、“リゾーム”が出た当時、ぼくがそれを読んだのは、なにか新しいものに惹かれた“だけ”だった、ともいえる。

それから30年以上が経過した、現在。

“リゾーム”も“ドゥルーズ+ガタリ”も、なんら新しくはない。

“だからこの時”、ぼくはふたたび“リゾーム”に復帰する。

もちろん、それを読むのは、宇野邦一のように、ドゥルーズに直接教わった人たちとは、異なったスタンスにおいてである。

また当然、いまぼくがドゥルーズを、ガタリを読んだとて、“理解が可能になった”り、“理解が深まったり”するわけでもないだろう。

だから、誰もがドゥルーズを読む“べき”だなどと主張したいのではない。

ただひとつぼくが経験的に(一般的に)言えることがあるとすれば、“ただちに理解できる(と思う)本だけを読んでいてはだめだ”ということだけである。
それは“自己循環”におちいる可能性がある。

この宇野邦一の本も読み始めたばかりなので、“序 世界史とリゾーム”から若干引用する;

★ とりわけフェリックス・ガタリとの出会いによって、群の交響として思考する彼の方法は、圧倒的に拡張され、振幅を広げることになった。「二人それぞれが数人だったのだから、それだけでもう多数になっていた」と『千のプラトー』の冒頭に書かれたとおりのことが起きたのだ。

★ ドゥルーズ(とガタリ)を読むことは、確かに、ある思考の群に、群の思考に出会うことでありながら、それはひとりひとりが単独であり特異であることと矛盾しなかった。ドゥルーズを通じて、私はまさに何人もの人物に出会い、出会いなおしたが、彼らは少しも同じところがないのに、どこか似ていたのだ。たとえばアルトーとマルクス、ランボーとカント、カフカとスピノザ、ゾラとルクレチウス、ベケットとディケンズ、ヘンリー・ジェイムズとライプニッツ、等々が共棲し、知られざる対話を始める。

★ こうしてまさにひとつの哲学そのものが、果てしない「アレンジメント」として、「言表行為の集団的編成」として実践されることになった。私にとって、ドゥルーズに出会うことは、そのような得体の知れない巨大な哲学的群に、哲学の果てしないリゾームに遭遇することだった。


★ それにしても、思想的連想ゲームのようなことを続けていればすむわけではない。確かに「リゾーム」は、東洋に多くの原型と養分を見出した。そしてリゾームそのものが、決して解放や自由や革命を意味するわけではない。リゾームに固有の専制と、樹木的な専制とどちらが耐えがたいか、決してわからないのだ。ドゥルーズ=ガタリは、リゾームの、そして樹木の<両義性>にたえず警戒をうながしていた。リゾームが両義的であるならば、天皇制でさえも両義的なリゾームである、と確かにいうことができる。しかしただ両義性といってしまうことは、いかにもあいまいだ。そもそもリゾームは、ある切実な動機に基づいて発見されたひとつの思考のモデルであり、<天皇制>は歴史的な記憶と制度の中で構成された複雑な現実なのだ。リゾーム(あるいは「器官なき身体」)の簡略な理解を、「天皇制」に適用しうるかのように語った日本の論者たちは、リゾームに対しても天皇制に対しても思考を停止していたというしかない。

<宇野邦一『ドゥルーズ 群れと結晶』(河出ブックス2012)>







ゴダール映画史

2012-02-18 01:06:55 | 日記


むかしの本が文庫本になるのは、めずらしいことじゃない。

でも、昨日(いやもう一昨日)、書店のちくま学芸文庫新刊で、『ゴダール映画史』が出ているのをみて、ちょっとびっくりしたな。

この本は、1982年筑摩書房から『ゴダール映画史Ⅰ・Ⅱ』として翻訳出版された本が、文庫本1冊になったもの。
この(翻訳)オリジナルを、ぼくは買っても、読んでもいなかった。

それで、文庫としては高いけれど買った。
この“映画史”は、モントリオールで数人の人に語られた連続講義(講話)だという。
当時ゴダールは50歳くらいだが、映画づくりキャリアは20年以上に達していた。

まだ読み始めたばかりだが、ここでは、過去の映画の“名作”とゴダールの“自作”についてが語られているようだ。

解説で青山真治監督は、この本(ゴダールの語り)は、映画作家が過去の作品を“盗む”ことの参考に(おおいに)なると述べている。

映画をつくるわけではない、ただの読者にとって、この本から“学べる”(盗める)ことはなんだろうか?
ぼくたちは(映画を見る“だけ”のぼくたちは)、実作者が過去の作品と自作を“見る”見方からなにを受け取ることができるか?

ぼくたち(ぼくと、ぼく以外の人々)は、日々、見たり、読んだり、聴いたりしているわけであるが、それは、“ほんとうに” 見たり、読んだり、聴いたりしていることであろうか。

そういう“疑問”は、べつに、“ゴダール”という名の人の話を聴くから、もたらされるわけではない。

このところ、“ぼく自身”につのる疑問である。

たしかに現在、あまりにも見るもの、読むもの、聴くことが多いのである。
ぼくが仕事で(いいかげんに)関与しているケア業界でも、“傾聴”ということが言われている。

しかしこの“傾聴”というものものしい言葉は、なにを意味するか。

ああ、(まさに)、この“問題”は、他人事ではないのである。

いったい“ぼく”は、これまでの人生で、なにを聴き、見、読んできたのか。
ということである。
そして、現在の日々、いったいなにを、聴き、見、読んでいるのか、ということである。
(あるいは、なにを“触って”いるのか、でもよい)

もちろん、どんなに些細なことであっても、みずから発することもある。
なぜか、一日に一言も言葉を発せ(し)ない日はなく、仕事がらみでなにかを書いたり、このブログさえ書いたり、たまたまのコメントに返信さえしている。
(そして“お前は自滅している”などというありがたいお言葉も頂戴するのだ;笑)

しかし、結局、ぼくにとって重要なのは、自分が発することではなく、自分が受け取ることである。

見なければ、聴かなければ、読まなければ、ぼくには、なにひとつ発することはない。


『ゴダール映画史』のほんの最初から、引用する;

★ 私はセルジュと一緒にここに来てみて、われわれがここでこれから、一種の仕事をしようとしていると予告されているのを知ったのですが、私の方でも、人々が――それがどんなものかをよく知らないまま――編集(モンタージュ)と呼び、映画づくりの主要な側面のひとつとされているものについてのいくつかのテーマを用意してきました。でもこの編集という側面は、ある意味では、あまりおおっぴらにすべきものじゃありません。なぜなら、これはきわめて強力ななにかだからです。事物と事物の間に関係をうち立て、それによって人々に、事物を、状況をはっきりと見させるなにかだからです。

★ 私が言いたいのは・・・・・・妻を寝取られた男は、妻とその相手の男が一緒にいるところを見たことがなければ、つまり、妻の写真と相手の男の写真を手に入れ、それらを並べて見たりしたことがなければ、あるいはまた、相手の男の写真を見たあと、鏡で自分自身を見たりしたことがなければ、その浮気についてはなにも見なかったことになります。つねに二度見る[それによって二つのものの間の関係をうち立てる]必要があるのです・・・・・・ これこそ ・・・・・・ただ単に[二つの映像を]結びつけるということこそ、私が編集と呼ぶものです。またそれを通してこそ、映像とそれにともなわれた音の、あるいは、音とそれにともなわれた映像の驚くべき力が引き出されるのです。

<ジャン=リュック・ゴダール『映画史(全)』(ちくま学芸文庫2012)>






グリーンアクティブ

2012-02-15 11:33:13 | 日記


以下のブログを書くのは、シンドイことである。
どうしても、まずこれを言っておく。


“グリーンアクティブ”という“ネットワーク”が形成された。

ここに、三つの“情報”を掲げ、ぼくの印象を最後に書く。

① それを報道する記事(朝日新聞を掲げるが、朝日新聞である必要はない)
② グリーンアクティブの活動方針
③ 発起人宮台真司のアッピール文;


① 朝日新聞記事 2012年2月13日23時23分
<中沢新一さんら、「緑」の政治ネット設立 脱原発で連携>

 人類学者の中沢新一さんが、「脱原発」などを掲げた“緑”の政治運動体「グリーンアクティブ」を旗揚げし、13日、東京都内で記者会見した。欧州の「緑の党」を参考にしつつ、政党ではなくネットワークという形をとる。
 自然や環境、地域に根ざした暮らしを大事にする姿勢を「緑」で表現した。「3・11の後、日本人の間にわき上がった緑の意識を、社会を変えていく力にしていきたい」という。
 発起人には代表の中沢さんのほか、社会学者の宮台真司さん、コピーライターのマエキタミヤコさんら、賛同人には思想家の内田樹さんらが名を連ねた。
 脱原発や環太平洋経済連携協定(TPP)反対などの政策に共鳴する人々と、緩やかな連携を目指す。原発に頼らない地域作りや、自然エネルギーへの転換を目指す団体などと「一種の国民戦線」を作っていく。


② グリーンアクティブの活動方針(ネット掲載)

私たちが構想していた「緑の党のようなもの」=グリーンアクティブがいよいよ活動を開始する。アクティブとは「活動家・行動を起こす人々」という意味。これまで政治に参加することなど夢にも思わなかった普通の人々が立ちあがり、日本中で独自の草の根運動を展開する。「党」というよりはゆるやかに繋がった大きなネットワークである。
東日本大震災以降の日本は未曾有の危機に直面しているが、グリーンアクティブの当面の課題としては、原発から代替エネルギーへの転換・環太平洋連携協定(TPP)反対・消費税増税反対・疲弊した地域社会の再生などの方針が共有されている。世界で同時多発的に起こる経済危機により資本主義の未来すら危ぶまれているというのに、いまだに自由貿易を推進すれば無限の成長が可能と頑なに信じる人たちがいる。かと思うと、「右肩あがりの成長は終わったから、これからは山を下りる時代だ」という人たちもいる。
私たちはそのどちらでもない第三の道を提案したい。拡大一辺倒の成長ではなく、今まで思いもよらなかった方向に発展してゆくオルタナティブな道。バランスの取れた成長を生み出し、だれもが必要かつ充分な「中ぐらいの豊かさ」を享受できる社会をめざして、一歩一歩進んでいこう。


────────────────────────
③ 「グリーンアクティブ」に関する宮台真司のアピール
────────────────────────

日本はいまだに民主主義の社会ではない。
民主主義を獲得するには政治文化の以下のような改革が必要だ。

〈任せて文句たれる社会〉から〈引き受けて考える社会〉へ
〈空気に縛られる社会〉 から 〈知識を尊重する社会〉へ


日本は非民主主義的な政治文化を背景に官僚天国になった。
官僚天国を抑止できない政治文化が日本をでたらめにした。

他の先進国に比べて公務員数が少ない日本。
他の先進国のどこより福祉予算が少ない日本。

なのに先進国のどこより政府の借金が多い日本。
この不思議な事態をいったい何がもたらしているのか。

他国で常識的な「政策的市場」を形成せず、未だ「補助金行政」を頼るからだ。
言い換えれば国会の審議対象とならない「特別会計」のムダ遣いがあるからだ。

これを変えるには「補助金行政」から「政策的市場」への転換が必要だ。
コスト動機の働かない「補助金行政」をやめるための転換を分り易い言葉で言う。

〈行政にへつらって褒美を貰う社会〉から〈儲けるために善いことをする社会〉へ

これが実現すれば単なる「べき論」は要らなくなる。
淘汰による選別が、自動的に働くようになるからである。

〈任せて文句垂れる〉作法が支配する地域や企業が淘汰されるからだ。
〈空気に縛られる〉作法が支配する地域や企業が淘汰されるからだ。

「政策的市場」が機能する〈儲けるために善いことをする社会〉。
政治と行政はそのためのルールメイカーとルール管理者になる。

だがこのルールメイキングはしっかりチェックされないと不公正なものになる。
既得権益者が自らに有利なルールを、ロビイングや利益誘導で実現するからだ。

そのためには、議会が既得権益者の手打ちの場所であってはならない。
そこで欧州で編み出されたのが、住民投票とワークショップの組み合わせである。

住民投票は、巷間語られるような世論調査による政治的決定ではない。
一年後なら一年後の投票に向けたワークショップ反復による民度上昇が目標だ。

ワークショップでは「本当のこと」を明らかにするために様々な手法が取られる。
例えば「科学の民主化」を中核とする方法(コンセンサス会議)が重要になる。

これは官僚お手盛りの有識者会議の如き「専門家による決定」を許さない工夫だ。
専門家の独占知識を市民の共有財産とした上、専門家を廃し市民が決める制度だ。

グリーンアクティブは専門家的知識を市民の共有財産とするプラットフォームだ。
このプラットフォームの上で各市民や各団体が「何が事実か」を共有するのだ。

その意味でこれは狭い価値を共有する政治党派(パーティ)とは全く異なる。
そうでなく、事実を共有した上で各自が価値を発信して合意形成を試みるのだ。

グリーンアクティブは「グリーン」に関心を寄せる者や集団が誰でも参加できる。
「グリーン」について「何が本当のことか」を共有したい者たちの集まりである。

これに参加した上で「グリーン」が本当に守るべき価値なのかを判断してもらう。 
あるいは「グリーン」のためには何が一番大切かという価値を発信してもらう。

こうした民度上昇によって、議会は単なる手打ちの場所であり続けられなくなる。
社会は〈引き受けて考える〉市民による〈知識を尊重する〉知識社会に変化する。

日本が知識社会に生まれ変われば、「グリーン」に限らず日本社会は合理性を取り戻す。
官界や財界の既得権益のせいで「一億総ゆでがえる」状態となるのを抑止できるだろう。

(以上引用)



上記引用が長くなったので、ぼくの印象は簡潔にする(笑)

ここで述べられている“グリーンアクティブ”の“基本主張”および“活動方針”には、反対することはない。

だれがこれに反対するのか!(爆)


ぼくが“ひっかかった”のは、ただ一点である。

宮台真司アッピールにある以下の文;

《〈行政にへつらって褒美を貰う社会〉から〈儲けるために善いことをする社会〉へ 》

〈行政にへつらって褒美を貰う社会〉が、くだらない社会であることは、“言うまでもない”。

問題は、〈儲けるために善いことをする社会〉である。

ぼくの感想、終わり。




という具合に、このブログを終わらせられたら、カッコよいのである。

しかし、ぼくは“おじさん”もしくは“タダのじじい”なので、説明する。

この文章が、立岩真也の<思想>のように、以下のようであればよかった;

《善い分配を共有する社会》



そうでなければ、この“日本”が、この“世界”が、どうして<グリーン>でありうるだろう?




* このブログを書く(貼り付けとか)あいだ、ぼくの横で鳴っていたのは、

  アルヴォ・ペルト”Tabura rasa”です。