Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

あなたはいったい何に怒るのか?

2011-08-31 10:36:44 | 日記


今朝、茂木健一郎の連続ツイートを読んで怒りを感じた。

ぼくが何に怒りを感じるか、などということは、ぼく以外のひとにはドーでもいいことである。

たぶん“多くの人”は、この茂木健一郎ツイートに怒りを感じない。

“柔軟で無邪気だけれど、脳科学者なんだから、最新の知識を持っている(んだろう)”と応援しているのだ(笑)

茂木健一郎は、“あらかじめそれを繰り込んで”、このツイート(というか彼のすべての文章)を書いているのだと思う。

そのこと自体も、攻められるべきことではないだろう。

しかし、人間は“いいかげん”なものだが、やっぱり真剣になったり、ゆずれない一線というものがある(のではないだろうか)

以下に引用する茂木ツイートが、仏教とヴィトゲンシュタインについて述べているからといって、ぼくは“仏教とヴィトゲンシュタインの関係”について、特に異論があるということではない。

だいいち、正直に言うが、ぼくは<仏教>についても<ヴィトゲンシュタイン>についても、ほとんど知らない。

ぼくは、そういう“専門的論議”をしたいのではない。

しかし、いいかげんな、生半可な、“常識”をかざして、いかにもそれが“真理”であるかのごとき発言を、“セミ取り坊や”のようなノリで、無邪気さをよそおって発言し続ける人に(だって茂木健一郎は“少年”ではないはずである)、直感的な怒りを感じる。


その茂木健一郎連続ツイートの核心部分は以下の通り;

* kenichiromogi 茂木健一郎
こひ(1)ある男が、いろいろ質問した。人間はどこから来たのか、死んだら魂はどうなるのか、天国や地獄はあるのか。世界はどうしてあるのか、それに対して、釈迦は、「私はそういう質問には答えない」と言った。いわゆる、「無記」の思想である。
1時間前

* kenichiromogi 茂木健一郎
こひ(2)釈迦は言った。目の前に毒矢に当たって苦しんでいる男がいたら、その苦しみを助けてあげるのが先決だろう。矢はどこから飛んできたのか、誰が放ったのか、毒は何なのかという問いは二の次であると。「無記」は実践倫理であると同時に、深い認知哲学を含んでいる。
1時間前

* kenichiromogi 茂木健一郎
こひ(6)ヴィトゲンシュタインの「言語論的展開」は、釈迦の「無記」によって先取りされている。「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」まさに語り得ないからこそ、生命にとっては大切なこととなる。論理哲学論考は、生命哲学の書でもある。
1時間前

* kenichiromogi 茂木健一郎
こひ(9)言葉にとらわれず、だからこそ飛翔すること。そこに私たちの生命の本来のふくよかさがある。特定の言葉にとらわれている人の精神は、すでに若々しさを失っている。硬直した認識は、「言葉」にすがろうとして、結局は「言葉」の海の中に自分を見失ってしまうのだ。
1時間前

(以上引用)




ヴィトゲンシュタインは、《言葉にとらわれず、だからこそ飛翔すること。そこに私たちの生命の本来のふくよかさがある》などということを、言っていないと思う。

自分に都合のよいように、“他者”を引用することは、人間としてかなり劣悪な態度だと思う。

ぼくの“感じ”では、ヴィトゲンシュタインは、《言葉にとらわれず、だからこそ飛翔すること。そこに私たちの生命の本来のふくよかさがある》などという<言葉>をこそ否定(拒否)したのだ。


“だから”生涯にわたって、“言葉について”(言葉をもちいて)考えたのだ。







最近引用したばかりだが、ヴィトゲンシュタインの言葉、ひとつ;

★ 人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。

ただ、認識の生を生きることによって。

<ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>





茂木健一郎氏も、むだなおしゃべりのヒマがあるなら、《認識の生》を深めていただきたい。

内田樹のような”おしゃべり”を見習わないで。








暴力の通過

2011-08-31 00:36:53 | 日記


★ あらゆるメディアのなかで、特に写真は「私」と「死」という概念に最も緊密にむすびついている。

★ 例えば自分を撮られた写真を見る時、人は無意識に死の時間のなかに自らを封印している。また何げない写真を見る時でも、人は多くの場合、自分自身のなかへ降りてゆかざるをえない。

★ 自分を撮られた写真においては、私は他者として現出し、自己同一性がよじれ、分裂する。

★ そして我々は気づかないのだが、その瞬間、とても小さな死を経験する。

★ 写真を見ていると、時折り奇妙な感覚におそわれてしまう。
もしかしたら、私は生の場から死と化した場を見ているのではなく、死の場から生の場をのぞいているのではないだろうか。

★ 人間の眼は生き物であり、それは膨らんだり縮んだり、記憶したり思いだしたりする。

★ しかし、こうした生物体である眼は20世紀において根本的に解体していったといえるだろう。そして、その過程において写真の果たした役割は大きい。

★ 人間の眼がとぎれてゆく、その一瞬を、そのはざまを写真は写しとっている。そのぎりぎりのところにあるはかなさ、かけがえのなさが写真にはしみわたっている。

★ その点こそ写真が映画やテレビと異なる特質でもある。そして今やその写真独特のそうした意味が新しいメディアの波のなかで急速に消え失せようとしている。

★ 写真は「歴史」と同じように19世紀中葉に生みだされ、写真のなかへ入るということは20世紀へ入るということと同じ意味をもっていた。

★ そこにはかつてあった人間たちの痕跡だけがたたえられている。
かつてあった私の痕跡だけが反響している。
まるで何か途方もない大きな暴力が通過したあとのように。

<伊藤俊治『20世紀写真史』(ちくま学芸文庫1992)>







1974年秋

2011-08-30 01:57:05 | 日記


さて下記ブログのような“感想”をいだいて、ぼくは床に積んである文庫本のなかから、1冊を取り出してみる。

この本は昔、単行本で読んだことがある。
この本を死んだ母に貸したこともあったように思う。

まず巻末の“単行本あとがき”を読んでみる;

★ この「ノート」は、「朝日ジャーナル」昭和49年10月4日号から、昭和50年10月3日号まで、一年間、連載したものである。その間、世界と日本は、政治的経済的に、第二次大戦以来最大の激動期をむかえ、また、人間と文化が根底的に問われざるをえなかった「時」でもあった。この「ノート」は、その内乱状態の、つかのまの空白と沈黙のなかから生まれた。



まず、《昭和49年10月4日号から、昭和50年10月3日号》という日付がいつのことなのか、とっさにわからない。

ぼくは、元号が苦手である。
しかし“昭和45年”が“1970年”であることを思い出し(その年にぼくは大学を卒業し就職した)、換算して、昭和49年が1974年であることに思いいたった(笑)

しかし、1974年から1975年の一年間が、どのような《内乱状態》であったのかは、とっさに思い出せない(つまりいろいろ記憶を、思い出さねばならない)

ぎょっとしたのは、田村隆一の次の文章である;

《この3月で、ぼくもやっと53歳になった。》

すなわちこの単行本が刊行された1976年(昭和51年)に田村隆一は《53歳》だったのだ。
現在のぼくは、64歳である。

いったい、いつの間に、ぼくは53歳の田村隆一より年上になってしまったのか!


ぼく自身にしか意味のないブログを書いた(笑)

この本の最初にかかげられた西脇順三郎の詩;

タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ



もう長い間、鉛筆をけずっていない。
ましてその木屑を燃やして、そのにおいを嗅いだこともない。
閉じる門もない。


今夜もまだ蒸し暑い。
けれども、ぼくにも今年の秋は、まだ、来るらしい。


* 上記の本は、田村隆一『詩人のノート』(講談社文芸文庫2004)







感想

2011-08-30 01:02:16 | 日記


今日たまたま読んだ本に(というかその本の解説に引用されていた)言葉がある。

カール・レーヴィットというひと(真珠湾攻撃の半年前まで東北帝大で教えた)の言葉;

《かれらは、それ自体として見知らぬものを、じぶん自身のために学ばない》

この場合、《かれら》とは日本人のこと。

《それ自体見知らぬもの》とは、“ヨーロッパの学問(とくに哲学)”のことらしい。

しかし、《かれらは、それ自体として見知らぬものを、じぶん自身のために学ばない》という言葉は、日本のヨーロッパの学問の受容に当てはまるだけでもなく、また太平洋戦争へ向かってゆく日本という“ある時期”に特有のものでもない、と思える。

たとえば、“現在の日本人”にとっても、<日本>自体が、《それ自体として見知らぬもの》でしかないと思える。

“日本人”であるわれわれが、《(日本という)それ自体として見知らぬものを、じぶん自身のために学ばない》のである。

つまり、《ヨーロッパの学問》とか、《日本文化》とか、《アメリカ合衆国》とか、《西欧近代》とか、《写真の歴史》とか、なんでもいいのだが、《それ自体として見知らぬものを、じぶん自身のために学ばない》ことが、すでに習性と化している国にわれわれは暮らしている。

なぜか“グローバル世界-認識”に過剰な自信をいだいて。

どんな《見知らぬもの》も解説してみせる“有識者”とか、どんな《見知らぬもの》も検索できるネットがあるかのごとき幻想をまったく疑わない人々が、なんだかしらないが《学んでいる》気になっているだけである。

たしかにテクノロジーは、それなりに“進化”したようだが、日本人の欠陥はまったく本質的に変わらない、とぼくには思える。

もちろん、上記の感想は、もはや昨日となった民主党代表選と、それを報じたり解説したりするメディアによってもたらされた、現在のぼくの感慨である。


なにがいちばんひどいかについて、ランキングをつけることは不可能というより、徒労である。

けれども、ぼくはこれらの情報を、テレビとインターネットによって見ている。

そこに映し出される映像にも、言葉にも、まったくなにひとつ“意味”を受領できない。

スーツを着た人形が、なにかパクパク口を動かしているだけである。
あるいはパソコン画面を、うつろな文字が左から右へ流れていくだけである。

われわれは、巨大な精神病院に収容されることに、あまりも長い年月、慣れきって、もはや異常をノーマルと感受するほど、ビョーキが進行してしまったように思える。


マルグリット・デュラスの小説の主人公のように、こういうほかはない;

★ でも、気が狂ってるというのは、やはり悲しいことですわ。もしほかの人たちが気違いだとしたら、その中でわたしはどういうことになるのかしら?(『ヴィオルヌの犯罪』)

ちなみにこう語っている、女主人公も精神に異常をきたしていると思われる。







ぼくはデモに行きたくない

2011-08-29 12:01:16 | 日記


柄谷行人発言(2011.6.17 『週刊読書人』 ロングインタビュー
★ 昔、哲学者の久野収がこういうことを言っていました。民主主義は代表制(議会)だけでは機能しない。デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。デモなんて、コミュニケーションの媒体が未発達の段階のものだと言う人がいます。インターネットによるインターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。インターネット上の議論が世の中を動かす、政治を変える、とか言う。しかし、僕はそう思わない。そこでは、ひとりひとりの個人が見えない。各人は、テレビの視聴率と同じような統計的な存在でしかない。各人はけっして主権者になれないのです。だから、ネットの世界でも議会政治と同じようになります。それが、この3月11日以後に少し違ってきた。以後、人々がデモをはじめたからです。インターネットもツイッターも、デモの勧誘や連絡に使われるようになった。

★ 不買運動はいいと思いますが、今のところ、まずデモの拡大が大事だと、僕は思う。その中から自然に、そういう運動が出てくればいい。先程言った「就活嫌だ」というようなデモでもいい。とにかく何か事あれば、人がデモをするような市民社会にすることが重要だと思います。それが、主権者が存在する社会です。一昔前に、人類学者が『ケータイを持ったサル』という本を書きました。若い人たちがお互いに話すこともなく、うずくまってケータイに向かっている。猿山みたいな光景を僕もよく見かけました。たしかに、デモもできないようでは、猿ですね。しかし、ケータイを棄てる必要はない。ケータイをもったまま、直立して歩行すればいいわけです。つまり、デモをすればいい。実際、今若者はケータイをもって、たえず連絡しながら、デモをやっていますね。そういう意味で「進化」を感じます。

(引用)


上記引用文を“批判”したい。

まずぼくの立場を明らかにしておく。
“原発”に関することなら、ぼくは“原発推進=原発擁護”派の言うことなど、まったく聞く気がない。

ぼくにとって“問題”なのは、反原発派の言論である。

しかも当然、現在問われていることは、“原発問題のみ”ではない。
3.11福島原発事故で、問われているのは、“すべての問題”である。

だから、“この問題”について、さまざまなアプローチ(思考=行動)があってよい。
またこの“すべての問題”について、ただちにすっきりした“正解”を提示できるなどということはない。

すべてのひとが、“まちがう”だろう。
しかし、歴史は、そのようにしかない。

もし“哲学史”や“思想史”のどこかで、“正解”が提示されているなら、なぜぼくらは、現在も考えるのだろうか?

“正しい社会”が実現されているなら、あるいは“正しい社会”が実現されていなくてもそのビジョンが描けるなら、なぜぼくらは、現在の昏迷と不満と限りないあきらめにとどまっているのだろう?

柄谷行人は、近年、ぼくが“読もうとしてきた”日本の思想家のひとりだった。

ぼくは“文学青年”ではなかったが、ぼくの思考のキャリアでは、小林秀雄、江藤淳、吉本隆明、柄谷行人のような、一般に“文芸評論家”と分類されるひとから、“社会問題”についてもアプローチするということしかできなかった。

“社会科学”では、なかった(丸山 眞男ではなかった)
その偏向を訂正しようと、大澤真幸のような“社会学者”の本も読もうとしたが、結局、そこでも、“文学”が現われた。

一方柄谷行人は、“世界共和国”、“アソシエーション”、“世界史の構造”のひとになった。

ぼくは『世界共和国へ』、『トランスクリティーク』を読み、平行して柄谷の過去の本をボチボチ読んできた。

そして岩波版『定本柄谷行人集』を読んでいるどこかで、いきなり嫌になった。
最新刊『世界史の構造』も書き出しを読んで、ストップした。

このぼくの読書体験についても、“ぼくがまちがっている”可能性がある。
ぼくは過去にも、“大江健三郎”をストップしたことがあり、現在、読まなかった大江健三郎の“過去の本”を読みつつあるから。

上記柄谷行人引用文(発言)も、一見、すべて正しいように見える。

ぼくの“批判”は、<なぜ柄谷はデモに行くことをアッピールするのか?>である。
柄谷自身がデモに行くのは、かまわない。

ぼくが、柄谷から聞きたいのは、“自分が書いた本を読め”ということである。

もし“本を読む”ことが、“デモに行く”ことより劣るならば、なぜ本を書き、本を読むのか?

しかも、自分が、本を読み=書くことで自己形成し、それを職業(収入の手段)としてきた者が、なぜ、自分が書いた本や自分をつくった本を軽んじて(書を捨てて)街頭に出ることに“しか”意味がないなどとの“古典学説”をいまさら教示するのか!(笑)

あたりまえだが、ぼくは、なんら権力(“力”だ!)を持たない無名の人々(ピープルだ!)が、自己を表現するため街頭に出ることに、まったく反対ではない。

しかし、“それ”は、まったくの自発性である。
だれかに動員されたデモなど、烏合の衆にすぎない。

自発的な人々が、“利権のみの権力”を倒すため、この都市空間を埋め尽くすことを、ぼくが望まないことがあろうか。

まさにこの“自発性”は、天から降ってくる声に誘導されるのではない。

日々の生活と読書からしか、こない。

タイトルに掲げたように、現在、ぼくはデモに行く気がしない。

“おっくう”なのだ(まあ、“年齢”のせいもあります)

現在の言説に、ぼくを鼓舞し、立ち上がらせる(街へ出る)ものがない。
自分の読書、にもない(だからぼくの読書はまったく不充分だ)


♪だけど、こころは、すぐ変わる♪(笑)







丸山健二

2011-08-29 09:38:58 | 日記



★ maruyamakenji 丸山健二
 ひとたび独裁者とその国家を成立させてしまうと、これを抹殺し、崩壊させるにはかなりの犠牲を伴う。問題は初期段階において彼のような人物を英雄として崇めてしまったことにあるのだが、この大きなミスが後々まで祟るのだ。英雄視に値する人間など絶対に存在しないことを肝に銘じておくべきだ。
21時間前


★ maruyamakenji 丸山健二
 原発事故と称されていることは、事故ではなく、まさに犯罪であることを忘れてはならない。それも凶悪な、国家的な、いや、世界的な大犯罪なのだ。だから、裁かれなければならない。A級戦犯に値する者は大勢いるのに、かれらは今のところ見え透いた謝罪と低姿勢のみで大罪を免れようとしている。
2時間前


(以上引用)





この丸山健二発言は、現在の<状況>に対して発せられている。

この言葉を、<歴史>へとフィードバックして、考える必要がある。


すなわち、”歴史上”、《英雄視に値する人間など絶対に存在しない》。

あるいは、《歴史的犯罪》について。








言論の耐えられない軽さ

2011-08-27 08:32:50 | 日記


いま見た“日本有名人”の発言あれこれ。

ぼくの感想は、このブログのタイトルどおり;


◆茂木健一郎(ツイッター)
*kenichiromogi 茂木健一郎
今の世論調査の「民意」って、テレビ、新聞で形成されたものでしょ。悪いけど、10年古いよね。
*kenichiromogi 茂木健一郎
みんな、まともな人は、新聞、テレビ、うんざりしているんだけど、仕方がないよね、統計学で、大数の法則だから。でも、記者クラブの下の民意って、カダフィ政権とあまりかわらないね。
*kenichiromogi 茂木健一郎
まあ、いいや。オレ、日本の政治からは、降りたから。しばらく勝手にやったらいいよ。おやすみ。
*kenichiromogi 茂木健一郎
前原は、少なくともないよな。プリンシプルに反するから。小沢さんに対する仕打ちは、はっきり言うけど、独裁国家の恣意的な愚行と、何もかわらない。それを「基本的に維持する」と言っているやつは、「民意」なら当選するんだろうが、オレは支持しない。
*kenichiromogi 茂木健一郎
日本の政治は、あまりにも非生産的で、愚者が支配しているから、まともに「創造性」を尊敬している人は、近づきたくなくなる。寝技師がぜんぶ消えたら、コミットしてもいいけど。まともな政策論争、しろよ。
*kenichiromogi 茂木健一郎
まあ、日本の記者クラブの諸君は、相変わらず、本質的な政策論争とはまったく関係のない、政局報道にいそしんでおくれ。100年後には、君たちの書いた文字は、すべて忘れ去られているから。おれは少しでも明るい未来を夢見ることにするよ。本当におやすみ!


◆ 内田樹(ブログ)
「公民」に求められるのは、何よりもまず「他者への寛容」である。そして、それは「痩せ我慢」なしには達成しえない。自分の好き嫌いを抑制し、当否の判断をいったん棚上げし、とりあえず相手の言い分に耳を傾け、そこに「一理」を見出し、その「一理」への敬意を忘れないこと。それが「公民への道」の第一歩である。それを教えるのが学校教育の第一の、最重要の課題だと私は思っている。


◆ 高橋源一郎(ツイッター)
*takagengen 高橋源一郎
すいません。「恋する原発」の件で。ゲラも戻したところだったんですが、「上」の判断で、急遽、掲載が見合わされることになりました。やっぱり、あの内容じゃ無理だったみたいですね。詳しくは、また。
*takagengen 高橋源一郎
今日の朝日新聞朝刊に論壇時評を書いています。「伝えたいこと、ありますか」というタイトルです。ぼくがつけたタイトルは「面白くっても、大丈夫」だったんですけどね。読んでいただければ幸いです。「恋する原発」の件は、少々、お待ちください。それでは。
*takagengen 高橋源一郎
昨日、寝る前に衝撃の事実発覚。奥さんに「ねえ、くまのプーさん、って女だって知ってた?」といわれました。マジかよ! ぼく、プーさんが主役の小説、書いてるんですが……。ちなみに、今月の21日が90回目の誕生日だったみたいです。


◆ 矢作俊彦(ツイッター)
*orverstrand 矢作俊彦
それがこの国の現実だ。君の言う通り、ゴルバチョフに年間10億円ぐらい支払って、日本国行政CEOをやってもらうのも悪くない。いや、たとえクリントンだって民主党のどの代表候補よりマシだと思う。要するに10万人死なせる覚悟がない人間は、10万人どころか、ひとりも救うことが出来ないんだ。


◆田原総一郎(ブログ)
新聞やテレビはすぐに小沢さんが誰を選ぶかで決まるという。
だが、それは表側だけの問題である。
少なくても僕は、小沢さんは数の論理だけで考えるような、
薄っぺらい人間ではない、と思っているからだ。
いますぐではないにしても、いずれ総理大臣にしたいと
小沢さんが思っているのは、細野剛志である。
仙谷さんもそう思っているだろう。
小沢さんと仙谷さんは、本質は違う。
お互いに喧嘩もしている。
しかし、政治家・小沢一郎と政治家・仙谷由人は、
同じ眼で同じものを見ていると思っている。
ただ、細野さんはまだ若い。
だから、細野さんが総理、という話は、おそらく次か、
その次のことだ。


◆宮台真司(ブログ)
総じて僕らは、コンビニエンス(便利)やアメニティ(快適)をハピネス(幸福)と取り違えてきた。更に深い水準ではハピネス(幸福)とウェルビーイング(存在の取替不可能)を混同してきた。だからエネルギーを馬鹿食いする高GDP社会で、不幸な人々ばかりになった。
非常時が訪れ、快適さも便利さも失われたとき、つまりシステムに依存できなくなって初めて、「幸せとはなにか」「どう生きるのが良いのか」という、幸福と存在の取替不可能に関わる本当の問いを僕らは突きつけられる。問いに答えるための議論の厚みを手にする段である。


◆ 東浩紀(ツイッター)
*「復活の日」の出版時に小松左京は33歳、「果しなき流れの果に」が35歳、「日本沈没」が42歳か。彼我の差に鬱になるな。
*あれは研究書だから比べものにならない。ちなみに27歳です。RT @haimexx: 「存在論的、郵便的」を29で書いたあなたがなにをいいますか。RT @hazuma: 「復活の日」の出版時に小松左京は33歳、「果しなき流れの果に」が35歳、「日本沈没」が42歳か。彼我の差に鬱
* 若者たちを置いて帰宅。
* 若さって問題あるけど、しかし素晴らしいものだと思った。
* おれはこれから痩せる、とか宣言してしまった。。。


◆堀裕嗣(北海道国語教師ブログ)
☆ サザンのデビューは1978年。ぼくは小学校6年生だった。一見、サザンと同世代の人たちのほうがその影響を色濃く受けていそうに思われるけれど、実はそうではない。同世代の人たちはそれ以前からさまざまな音楽を聴き、さまざまな語彙をもっていた。それとの比較としてサザンを受け止めたはずである。しかし、ぼくらの世代はそれ以前に聴いていた音楽などピンクレディとキャンディーズくらいのもので、いわばサザンによって無垢をサザン色に染められたのである。その後、いかなる音楽を聴いてもそれは桑田佳祐というフィルターのもとに認識せざるを得なかった。ビリー・ジョエル以降の音楽はすべて桑田との対照で理解された。いや、遡って聴いたボブ・ディランやビートルズさえ桑田との対照で聴くことしかできなかった世代なのだ。これを前世代は不幸なことだというだろうが、他の世代にどう見えようが、それは我々が生まれたときに親を選べなかったことと同様の構図でしかないのであり、ぼくらの責任ではない。
☆ 以後、30年余り。この思春期から四十代半ばに至るまで、トップを君臨し続けているのは各界を見回しても、桑田佳祐・村上春樹・ビートたけしの3人だけである。他にはいない。誰一人いない。その候補さえ浮かばない。あの、この国に豊かさが完成して時代に社会との小競り合いからに勝利し、バブルを駆け抜け、失われた十年においても失われず、望まないことを善とする時代に至るまで、トップに君臨し続けているのは、3人だけである。
☆ 政治家なんて彼らの足下にも及ばない。


◆ 天声人語
▼菅さんが政治の「泉」に残した一本の匙は、「脱原発依存」だろう。これで四面楚歌(しめんそか)は極まったが、共感する人も多かった。水底から拾い上げる後継首相はいようか。水を濁してごまかすなら、離れる支持も多かろう▼もう一つお手柄を挙げれば、与野党乱戦の「菅おろし」を通じて、政治の貧相を改めて周知させたことか。何とも皮肉な「功」を残して夏とともに去る。かくて初秋の風物詩と揶揄(やゆ)された首相交代が、2年ぶりに復活する。地位の軽さはいよいよ極まる。


◆ 読売編集手帳
◆原発事故対応のヤマ場に官邸を留守にした現地視察、然り。引きずり降ろされる形で辞めたくないメンツ優先の居座り、然り。電撃発表の向こう受けを狙って閣内の意思疎通を軽んじ、公言したエネルギー政策の基本方針が一夜にして「個人の見解」にしぼんだ醜態、また然り◆民主党代表選がきょう告示される。誰が“ポスト菅”の重責を担うにしても、〈忌〉の一字は受け継いではなるまい。部首の「心」は名称を「したごころ」という。票欲しさに、信念を曲げて党内実力者にすり寄る下心も忌むべきものの一つだろう◆〈志〉に燃える新代表の登場を待つ。



以上全部引用だよ。






どうもぼくが見ている<言論>(新聞サイト・ブログ・ツイッター)の選択が間違っているのでしょうか?

もっと“まともな”(なにかを考えている)発言があったら、ぼくに紹介してください。







むかし、あるところで

2011-08-24 12:27:37 | 日記


★ 女は四日ごとに男の黒い体を洗う。まず、破壊された両足から。タオルを水に浸し、足首の真上にもっていって、ゆっくり絞る。男のつぶやく声に目を上げると、口元にかすかな笑みが見える。火傷は脛から上がいちばんひどく、それは紫色を通り越して……骨。

★ 女は何ヶ月も世話をして、男の体をよく知っている。タツノオトシゴのように眠るペニス。痩せた細い腰。キリストの腰、と女は思う。この人は絶望した聖人……。枕もなく仰向けに横たわり、天井に描かれた木々の葉の天蓋と、その向こうに広がる空の青さを見つめている。



★ 女はゆらめく光の下にすわり、本を読んだ。ときどき、部屋の外につづく廊下の暗がりに目をやる。屋敷は、少しまえまで野戦病院として使われていた。女のほかに何人もの看護婦が寝起きしていたが、戦線が北上し、みなほかへ移っていった。いま、戦争はほぼ終わろうとしている。

★ 女の人生で、独房からの唯一の出口を本に見いだし、猛然と読書をした一時期だった。本が女の世界の半分になった。いまも小さなテーブルに向かい、背中を丸めて、インドの少年の物語を読んでいる。

★ 本はまだ女の膝の上にある。だが、気がつくと、もう5分以上も17ページから進んでいない。女は紙の表面の粗さと、誰かが目印に折り曲げたページの隅を見ている。手で紙をなでたとき、心の中で何かが動いた。天井裏のネズミのように……?夜、窓の外を飛ぶガのように……?



★ 翌日、油布に覆われて横たわる私の耳に、また切れ切れのガラスの音が聞こえてきた。暗闇からとどく風鈴の音。夕暮れにフェルトがはがされたとき、男の頭をのせたテーブルが見えた。それがこちらへ運ばれてくる……が、目を凝らすと、それは巨大な天秤棒をかつぐ男だった。天秤棒からは長短さまざまの紐や針金が垂れ、そこに何百という小瓶が結ばれている。男の体はガラス瓶のカーテンに包まれ、その一部となってしずしずと近づいてきた。

★ 男は大股でゆっくり近づいてきた。足取りは滑らかで、瓶はほとんど揺れない。ガラスのうねりと大天使。瓶の中の塗り薬は日光で温まり、皮膚にすりこめば、傷に特別の治療効果を発揮するだろう。男の背後には、変色した光の束。青やその他の色が、もやと砂のなかにふるえている。かすかなガラスの音、色彩のきらめき、王者の歩行、引き締まった黒い銃身のような男の顔……。



★ ベッドもほとんど残っていないが、女は気にしなかった。ベッドで寝るより、屋敷内での放浪生活のほうがいい。わらぶとんやハンモックを抱え、天気や気温に応じてイギリス人の患者の部屋に寝たり、廊下に寝たりする。朝になれば、また寝具を丸め、転がせるよう紐でしばっておく。ようやく暖かくなってきたいま、女は閉ざされていた部屋をいくつもあけて歩いた。よどんだ暗闇に新鮮な空気を入れ、日光ですべての湿り気を追い出す。夜、壁を吹き飛ばされた部屋で寝ることもあった。わざわざ部屋のへりにわらぶとんを敷き、星の動きと雲の流れを見ながら眠りにつく。ときには、夜半の雷と稲妻で目をさます。このとき、女は二十歳。完全に正気とはいえず、身の安全には無関心だった。

<M.オンダーチェ『イギリス人の患者』(新潮文庫1999)>








デモクリトス-ソクラテス-ニーチェ

2011-08-23 14:23:02 | 日記


★ ソクラテス的認識と悲劇的認識の違いは、認識が「解明しがたいものを凝視する」あの点をソクラテスが知らないところにあるとニーチェは見る。精神のソクラテス的な宇宙では、すべてが明るく、まだ闇があると思われても、それは一時的なものとされる。ソクラテス的な楽観主義は、昼が必ずやって来て、闇もやがて明るくなるのを信じている。そんなにも認識を信頼できるのである。こうした確信はどこから来るのか。それは世界の本質は善であるとのソクラテス的=プラトン的直感に負っている。陰になって、暗いものは、認識不足のみがその原因なのである。

★ プラトンの描くソクラテスにあって、認識することがまだはっきりとは経験的=実際的世界の奪取を目指してはいないが、ニーチェにはこうした展開が「知の万能治癒力」という認識楽観主義にあると見える。一世代後のアリストテレスでは、認識と自然支配のこの連関はもっとはっきりしたものになっている。



★ 人間が目的を定め、それに向かう意向に従い、それに沿って行動するとき、宇宙も想像の上に現れて来る。しかしそんな想像をしてはならないと、デモクリトスは言う。すべては原子が落ちて来るように、因果性をもって起こり、衝突し、連鎖を作りはするが、このことは恣意的な事柄であって、目的因ではない。どのような目的ももたず、それゆえ「意味」を追うこともない。「盲目的な」必然性である。デモクリトスの原子=宇宙は「無意味なもの」である。ニーチェはデモクリトスを説明して「世界は、理性とも衝動ともまったく関わりなしに、揺り集められたもの。すべての神々や神話は不要」と言う。人間が事物に与える感覚の質は誤解を招きやすいもので、「甘いもの、冷たいもの、色は、考えられているだけのもので、実際には原子と空虚以外に何もない」とデモクリトスは言う。

★ 「実際には」というこの言い方で、デモクリトスは見慣れた生活世界の全体を粉砕する。今日の自然科学がしているようにである。われわれは太陽が昇るのを見るが、実際にはそうでないことを知っている。

<ザフランスキー『ニーチェ その思考の伝記』(叢書ウニベルシタス2001)>








ラジオ

2011-08-19 10:38:13 | 日記



夜は見せる
ラジオの信号が育ち
すべての奇妙なものたちが
行ったり来たりする時に
前触れがある
打ち上げられたヒトデ
隠れる場所はない
じっと潮が満ちるのを待つ
どこに行ったらいいかわからない
展望を得ることもできない

みんな、洪水は来た

<Peter Gabriel :Here comes the flood>



これは、まったく
ラジオのようなもの
音楽以外のなにものでもない
なにものでもない
言葉以外の、言葉以外の
言葉以外の
ラジオのように

<ブリジット・フォンテーヌ“ラジオのように”>




こないだ、テレビで「ターミネーター4」を見ていたら、ジョン・コナーが、“人間軍”のスカイネット総攻撃指令に対して、スカイネットに捕らわれている“人間”も皆殺しになることに反対し、“そんなことをすれば、われわれも、マシーンと同じになる”と、指令を拒否する呼びかけを行うシーンがあった。

この呼びかけは、“ラジオ”を通じて行われた。

“ソーシャル・メディア”ではない(笑)

ローテクである。

ソーシャル・メディアがつまらないのは、生の声が聞こえないからだ。

なに、“動画”や“音声”があるじゃないか、だって?

君は、ぼくの言いたいことを、理解していない(笑)

ラジオのように








万華鏡

2011-08-19 00:15:11 | 日記


★ ウィトゲンシュタインが同じことを述べていまして、「この世界に神秘はない。この世界があることが神秘だ」という言い方をしています。つまりこの世界、別の言葉では自然といってもいいのですが、そのことが神秘(奇蹟)だというわけです。その中に、あるいはそれを超えて、特別に神秘があるわけではない。
<柄谷行人:“世界宗教について”―『言葉と悲劇』>



★ だが、<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか。そのような物語は果たして可能なのか。存在しうるのか。存在するとすれば、それはリアリズムの精度の問題なのだろうか。だが、リアルである、とはどういうことなのだろうか。無数の問いが生起する。
<岡真理:『記憶/物語』>



★ 人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。
<ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>



★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。
<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>







病人、老人、ホームレス、友人、犬

2011-08-17 18:24:59 | 日記


辺見庸『水の透視画法』を読み終わった。

ここ数年、ぼくの辺見庸“読書”は、あいまいだった。
数年前、ぼくは辺見庸の講演会に行ったが、その後、むしろ彼に対する関心は薄れた。

その会場で、まわりに坐っていた“リベラルおばさんたち”が、“辺見庸ももうダメよね”というようなことを言っているのには反発したが、ぼく自身、ひところより熱心でなくなったのも事実だ。

この『水の透視画法』を読み始めた時も、それほど“引き込まれる”ということではなかった。
しかしこの短い文章(日付をもった文章)が積み重ねられていくにしたがって、ぼくは彼の言葉に反応できるようになった。


辺見庸『水の透視画法』におさめられた文章は、《共同通信社が2008年から2011年まで、全国加盟新聞社に月2回配信した連載企画「水の透視画法」(計74回)にもとづく》。

この本の最後の文章2本は、2011年3月であり、一番最後は“非情無比にして荘厳なもの”と題された。
この文章が、辺見庸のHPに掲載されたのを、ぼくはこのブログに貼り付けた。

この文章自体を最初に読んだときも、ぼくはよい文章だとおもったが、“とても”感動したわけではなかった。

すでに記憶が曖昧だが(まだ数ヶ月にすぎない!)、当時、ぼくの感覚も混乱(混濁)していた(いや、過去形にはならない)
しかし、この文章の最後のひとこと、《かんがえなくてはならない》は、記憶に残っていた。


この本におさめられた時系列の文章を読み続けた感想は、むしろ現在の辺見庸のたんたんとした日常である。
しかしこの“たんたんとした日常”を、“壮絶な日常”と呼ぶこともできよう。

それを、ぼくはこのブログのタイトルに掲げた<病人、老人、ホームレス、友人、犬>というように、呼んでみる。

たとえばこの本の収められたたくさんの短文のなかで、あえてぼくが好きな“ベスト1”を選ぶとすれば、「青い花 樹陰の待合室で」である。
この文章は、まさに辺見庸が行った個人医院の待合室で目撃した光景である。

老夫婦と女子高校生とハエしかいない。

この本で辺見庸は、オバマ=“反核大統領”の欺瞞と、米国“臨界前核実験”に理解を示した“仙谷官房長官”を実名で非難していないのではない。

《私たちはいかにして心配するのをやめて核を愛するようになったか》(2010年10月)

また“北朝鮮問題”について、以下のように語らなかったのでもない;

《北朝鮮はほんとうに悲しい。38度線以北にだって人の世の条理と情愛を解し、詩歌や音楽を愛でて、個の自由に飢えている人びとがやまほどいるというのに、異様な独裁者と軍事パレード、ミサイル発射実験、マスゲームといったメディア・イメージですべてがひとからげにされ、全体主義を支配する国家指導者と呻吟する広範な民衆・個人をはっきり区別して考える冷静さを日本は失っている》


脳出血後の右半身まひを抱え、リハビリに駅まで散歩する日々。
そこで彼の眼と身体がとらえた、喫茶店や病院で目撃した光景、耳にした言葉の片々。
そして、犬とお手伝いさんとの生活。
12年ぶりに会った友、ある閉鎖された場所にとらわれた友人に会いに行く、“若い友人”が言ったこと。


たしかに、病人でないときには見えないことがある。
自分が老人にならなければ、見えない・聞こえない老人の存在がある。
自分が困窮しなければ、直面しない存在がある。

そして、会うことで“悦びを感じる瞬時”をもたらす“モノ”がある、それが友人だろうと、見知らぬホームレスだろうと、犬だろうと。






増税

2011-08-16 08:41:17 | 日記

<富裕層に増税を=米著名投資家>
時事通信 8月16日(火)5時21分配信

 【ニューヨーク時事】米著名投資家ウォーレン・バフェット氏は、15日付の米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿し、「私や私の友人たちは、億万長者を優遇する議会に長期間甘やかされてきた」とした上で、年収が100万ドル(約7700万円)を超える富裕層に対し、即刻増税すべきだと述べた。米国の財政問題が世界的に注目を集める中、同氏の意見は論議を呼びそうだ。
 バフェット氏は、財政赤字削減のために誰もが犠牲を強いられようとしているのに、同氏を含め超富裕層は減税措置により、犠牲を免れたままだと強調。「政府は『犠牲の分かち合い』を真剣に検討すべきだ」と指摘した。 









血のめぐり

2011-08-16 00:48:56 | 日記


2011/8/15に読んだ本3冊から引用;

★ ひとり分の夕食の材料を大学脇のスーパーで買いととのえ、自転車で帰って来る。カシやナラの実がしきりに降る前庭の斜面で、5,6歳の栗色の髪の女の子が車遊びをしていた。いつもは多様なお国柄の子供たちの先頭に立っている子だが、いまはひとりで、小さすぎる車に背をまるめて片足をのせ、勢いよくこぎくだって来る。紅潮して汗ばんだ口もとが動いているのは、自分だけの遊びに物語をあたえているのだろう。

★ そうだ、戦中の森のなかの子供だった私も、物語を想像しては身体の動きを励ましたものだ。想像の展開が、たとえば遊び仲間の陣地にしのびよるというような動きにメリハリをあたえた。いまもやはり想像力と、現実に生きる自分の全体とを文章に共振させて、仕事をしている。小説家の暮らしには、子どもの遊びとつながっているところが残っている。

<大江健三郎“プリンストン通信”― 『言い難き嘆きもて』(講談社文庫2004)>





無防備の空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である

<石原吉郎“位置”『サンチョ・パンサの帰郷』― 松浦寿輝『クロニクル』より>




★ 老いると総じてふきげんになるわけがこのごろわかってきた。風景を若いときのようにまっさらなものに感じなくなるからだ。おどろきと発見が減ればへるほど老いは深まる。現前することどもを既知の景色、あらかた経験ずみのこと、あるいはそのバリエーションとしかおもえなくなるとき、ひとは肉体の実質を問わず、廃船のように芯から老いて、心が錆びつき、ふきげんになる。

★ 閲覧室のあの風景は私にとってどうだったろうか。泣きたがるじぶんをか細い指二本でしいて笑わせた彼女のふるまいには、ほんとうのことをいうと、既視感があった。けれども私はふきげんにはならず、それどころか、若者のように心をうごかし何年ぶりかで胸がときめいた。いったいどこでそんなしぐさをおぼえたのか、追いかけて訊きただしたいとさえおもった。そうなったじぶんにめずらしく血のめぐりを感じた。

★ 個の内面と身体行為がひとすじの直線のように曲折も途切れもなくつながることは実際上はありえない。悲しいから泣く、おかしいから笑う、理不尽だから怒る……といった直線的表現は、わかりやすいけれども、複雑な多層矛盾体としてのひとの内面と行動を表わすには単純にすぎ、それゆえ微妙な嘘をはらむ。
(2010年10月)

<辺見庸『水の透視画法』>







昔の名前

2011-08-15 13:27:15 | 日記



ぼくは読書計画を立て、なるべく“系統的に”(もちろん自分の基準でしかないが)本を読もうとする。

先日もこのブログに、“当面読む本”のリストさえ掲げた。
しかし、必ず、この計画通りに読めない。
自分が読めないはずの計画を立てたり、ましてや、ブログにそれを“公表”してしまうのは、自分にプレッシャーをかけたい(笑)からであろうか。

ただし先日の“当面読書”リストのうち、辺見庸『水の透視画法』のみは、今日にも読み終わるだろう(下のブログに書いたのもその一章である、またル・クレジオ『はじまりの時』は読了した)

昨日からまた(前に中断した箇所から)読んでいるのは、松浦寿輝『クロニクル』(東京大学出版会2007)である。

この“松浦寿輝”という名も、ぼくは相当前から知っていて、ずいぶん前に松浦の詩集は買ったことがあったのに、読んでいなかった。
ここ数年(たぶん去年から)彼の小説を数冊読んだ。
“数冊読んだ”からには、けっしてつまらなかったわけではないが、特に好きなわけでもない。

ぼくは、1954年前後に生まれた世代に関心があるのである(なぜかは不明;笑)
たとえば、松浦寿輝と四方田犬彦。
この二人の共通点は、たとえば、“ゴダール好き”だが、共通しない点(対立点!)も多いだろう。


さてこの『クロニクル』で今読んだ所にも、何人かの<名前>が出てきた;
吉本隆明、三島由紀夫、稲垣足穂、伊丹十三。

ぼくに関心があるのは、現在、これらの名はいかに認知されているのかということである。

まず“知っているか知っていないか”ということがあり、たとえばこの4人は、いつの時代の人だったか?というようなことも。

ぼくにとって?
ぼくにとっては、このなかでいちばん好きなのは、伊丹十三である。
いちばん読んだのは、吉本隆明である。<追記>
三島由紀夫も数だけは読んだが、なにも心に残っていない。
稲垣足穂は、まったく読んだことがない。


『クロニクル』に伊丹十三『女たちよ!』からの引用があった;

《 私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない 》


しかしぼくが『女たちよ!』を読んだのは、半世紀近く前のような気がするし、この本はもうとっくにぼくの手元にない。
上記の言葉もまったく記憶してなかった。

ぼくにとっての“昔の名前”(日本人)のリストを書くなら、

寺山修司、岡本太郎、山本周五郎、谷川俊太郎、安部公房、三島由紀夫、石原慎太郎、植草甚一、伊丹十三などをあげることができる。
そして、吉本隆明と村上春樹(小林秀雄と司馬遼太郎は読んでいない;笑)

そして大江健三郎だけが、“現在”に残った。

たとえば、流行で、“岡本太郎”が現在に復活し、“上記の名”を知らないひとでも、《芸術は爆発だ!》を知っていることは、ぼくの記憶と係わりない。

しかし松浦寿輝の“世代”と、それより若い世代が、いかなる名前のリストを持っているかには、関心がある。





<追記;夜中に>

この“吉本隆明の記憶”という松浦の文章に引用されている、

《幼いころもわたしには、父の背中は鋼のようにおもえた。硬いというより色合いと匂いと言ったほうがよかったが》

という吉本隆明の文章についても、なにか書くつもりで、忘れた。

ぼくには《父の背中》の記憶はない。