Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

初期ドゥルーズを読む

2010-07-01 19:25:22 | 日記


★ 私たちが再発見するものは、なぜ直接的なものと呼ばれるのか。直接的なものとは何か。もし、科学が事物についての実在的認識、実在についての認識であるとしたら、科学が失うもの、あるいは単に失う危険のあるものは、正確には事物ではない。哲学からの浸透を受けない限り、科学が失う危険があるものは、事物そのものと言うよりは、事物の差異である。この差異は事物を存在させ、事物をあれではなくこれに、他の何でもなくこれにさせる。

★ ベルクソン的な問いは、なぜ無ではなく何かが在るのか、ではない。なぜ、他のあの事物ではなくこれなのか、である。

<ドゥルーズ;“ベルクソン、1859-1941”-『無人島1953-1968』(河出書房新社2003)>



★ ルソーはこう言いたいのである。自然状態にあると仮定された人間は邪悪ではありえない。なぜなら人間の邪悪さと邪悪な行為を可能にする客観的条件は、自然それ自体の中には存在しないからである。自然状態は、人間がもろもろの物と関係する状態であって、他の人間たちと関係する状態ではない(つかの間の関係を除いてのことであるが)。自然状態とは、単に独立の状態ではなく、孤立の状態でもある。

★ 要するに暴力あるいは抑圧は最初の事実を形成するものではなく、ある文明の状態、社会的状況、経済的限定を前提とするのである。ロビンソンがフライデイを服従させるのは、自然的な傾向によるのではなく、また腕力によるのでさえもない。わずかな資本と生産手段によって、かれは水源を保ち、フライデイを社会的な任務にしたがわせる。船が座礁してもロビンソンは、社会的任務の観念を失いはしなかったのである。

<ドゥルーズ;“カフカ、セリーヌ、ポンジュの先駆者、ジャン=ジャック・ルソー”-『無人島1953-1968』(河出書房新社2003)>



★ スピノザによれば、悪がなにものでもないのは、ただ<善>のみが存在し、それがすべての存在を支えているからでない。善もまた悪と同様なにものでもなく、<存在>そのものが善悪を超えているからである。

★ したがって生態の倫理における試練は、延期された審判とはまったく反対に、道徳秩序を回復するのではなしに、各個の本質やその状態個々のもつ内在的な秩序を、即座にいま確認してゆくのである。総合して賞罰の裁きをくだすのではなしに、この倫理的試練は、どこまでも実地に私たち自身の化学的組成を分析するにとどまるのである。

<ドゥルーズ;“悪についての手紙”-『スピノザ 実践の哲学』(平凡社ライブラリー2002)>







中上健次の文

2010-07-01 12:29:27 | 日記


昨日の自分の行動と感傷に合わせていくつかのブログを書いて、多くの言葉をついやし、欲求不満におちいる。

こういうとき、ぼくのこころに想起されるのは、中上健次の<文体>である。

“厄払い”のように、何度も引用した中上の文章を引用したい;


★ 話を変えた。歌をうたってもらった。所謂(いわゆる)、串本節である。だが、ここでは古座節と言ったほうがよい。

わたしゃ若いときゃ つがまで通うた
つがのどめきで
夜があけた

ついてござれよ
この提灯に
決して苦労は
させはせぬ

“つがのどめき”とは、古座から新宮にもどった海岸にある。潮が満ちてくると、ドドドドッとどめく。どめくとはどよめく、鳴りひびくの意味である。歌は恋の歌であり、恋心がどめきに満ちる潮の音ほど鳴りひびく。歌の文句は、男が歌うより女が歌うほうがよい。

<中上健次;『紀州 木の国・根の国物語』>



★ その腐肉のにおい立つ共同作業場にいたM青年に会った時も、その彼女と同じ物があるのを感じた。青年は作業場の一等奥、物陰になり外から見えぬ場所であぐらをかき、切り取ったまだ肉のついた馬の尻尾から、毛を抜いていた。自分の肩ほどの長さの馬の尻尾である。腐肉のにおいの中で青年は、台に一台小さなラジオを置き、手ばやく毛を抜きとりそろえている。肉のついた尻尾はもちろん塩づけにしてはいるが、毛に何匹ものアブがたかってもいる。衝撃的だった。
★ その衝撃は、言葉をかえてみれば、畏怖のようなものに近い。霊異という言葉の中心にある、固い核に出くわした、とも、聖と賤の還流するこの日本的自然の、根っこに出喰わしたとも、言葉を並べ得る。だがそれは衝撃の意味を充分に伝えない。私は小説家である。事物をみてもほとんど小説に直結する装置をそなえた人間であるが、一瞬にして、語られる物語、演じられる劇的な劇そのものを見、そして物語や、劇からふきこぼれてしまう物があるのを見た。それが正しい。つまり、小説と小説家の関係である。
★ いや、そこで抜いた馬の尻尾の毛が、白いものであるなら、バイオリンの弦になる。バイオリンの弦は商品・物であると同時に、音楽をつくる。音の本質、音の実体、それがこの臭気である。塩洗いしてつやのないその手ざわりである。音はみにくい。音楽は臭気を体に吸い、ついた脂や塩のためにべたべたする毛に触る手の苦痛をふまえてある。弦は、だが快楽を味わう女のように震え、快楽そのもののような音をたてる。実際、洗い、脂を抜き、漂白した馬の尻尾の毛を張って耳元で指をはじくと、ヒュンヒュンと音をたてる。
★ 大谷の後ろは熊野の山々だった。霊異は、その谷の中にある。みにくい物をえもいわれぬ音の楽器に変える不思議さは、その谷の中にある。「秘すれば花」とはこの日本的自然の中心をうがつ美意識であり、美の方法論であるが、花に幽玄があるのではない、と、山谷君の歌をききながら思った。秘する、それに不思議はこもる。
案の定、翌日は雨だった。大谷を出て、救馬渓観音に行った。そこから、大谷は幾つもの山のかげにかくれて見えない。

<中上健次;“朝来(あっそ)”―『紀州-木の国・根の国物語』所収>



★ <吉野>に入ったのは夜だった。吉野の山は、闇の中に浮いてあった。吉野の宿をさがして、車を走らせる。道路わきの闇に、丈高い草が密生している。その丈高い草がセイタカアワダチソウなる、根に他の植物を枯らす毒を持つ草だと気づいたのは、吉野の町中をウロウロと車を走らせてしばらく過ってからだった。車のライトを向けると、黄色の、今を盛りとつけた花は、あわあわと影を作ってゆれる。私は車から降りる。その花粉アレルギーをひき起こすという花に鼻をつけ、においをかぎ、花を手でもみしだく。物語の土地<吉野>でその草の花を手にしている。
★ 田辺から枯木灘まで来たのに、レストランはあいていず、仕方なしに国道をさらに走る。その江住で絶壁が海にせり出し海が光でふくれあがっている光景の道端にその草を見つけたのは衝撃だった。セイタカアワダチソウの一群が枯木灘のそこに黄色い花を日に照らして咲いていた。
枯木灘。
ボッと体に火がつく気がした。いや、私の体のどこかにもある母恋が、夜、妙に寒いと思っていた背中のあたりを熱くさせている。高血圧と心臓病で寝たり起きたりしている母でなく、小児ゼンソク気味の幼い私が、夜中、寒い蒲団のなかで眼をさますと、今外から帰ってきたばかりだという冷たい体の母がいる。さらにすりよると、母は化粧のにおいがした。母に体をすりよせて暖まってくると、私は息が出来なくなるほど、喉が苦しくなる。
枯木灘のセイタカアワダチソウは、その息苦しさを想い起こさせる。私は、この旅の出発点でもある新宮へ向かった。とりつくろうものが何もないゴロゴロ石の海を見ておこう。
セイタカアワダチソウの根が持つという毒に私がやられてしまった、と思った。

<中上健次;“吉野”―『紀州』所収>



★ その被慈利(ひじり)にしてみれば熊野の山の中を茂みをかきわけ、日に当たって透き通り燃え上がる炎のように輝く葉を持った潅木の梢を払いながら先へ行くのはことさら大仰な事ではなかった。そうやってこれまでも先へ先へと歩いて来たのだった。山の上から弥陀(みだ)がのぞいていれば結局はむしった草の下の土の中の虫がうごめいているように同じところをぐるぐると八の字になったり六の字になったり廻っているだけの事かも知れぬが、それでもいっこうに構わない。歩く事が俺に似合っている。被慈利はそううそぶきながら、先へ先へ歩いてきたのだった。先へ先へと歩いていて峠を越えるとそこが思いがけず人里だった事もあったし、長く山中にいたから火の通ったものを食いたい、温もりのある女を抱きたいといつのまにか竹林をさがしている事もあった。竹林のあるところ、必ず人が住んでいる。いつごろからか、それが骨身に沁みて分かった。竹の葉を風が渡り鳴らす音は被慈利には自分の喉の音、毛穴という毛穴から立ち上がる命の音に聴こえた。

<中上健次;“不死”-『熊野集』より>





“自信”と“一体感”

2010-07-01 11:55:57 | 日記


最近、<自信>という言葉が目立つ。

<自信>という言葉が、目立つときは、自信がないときである。


このワールド・カップに関しては、<一体感>という言葉が目立つ(笑)

たとえば以下の例文のように;

☆ 例文1;
日本の存在感を、世界に向かって十分に示したといえる。
日本代表の試合の度に、列島は大いに盛り上がった。パラグアイ戦のテレビ中継の瞬間最高視聴率は64・9%に達した。
みんなで日本代表を応援する一体感を味わい、選手たちから元気をもらった人も多いのでないか。スポーツが持つ力の大きさを改めて実感する。
W杯でのベスト8、さらに、今回の目標だったベスト4の夢は、4年後までとっておこう。
<今日読売社説>


☆ 例文2;
選手に声援を送る人々の胸の中にあったのは、劣勢の中でも自らを信じ、闘い続けてきた選手たちへの深い共感だろう。年齢や性別を超えて、ここまで日本中が一体感を感じるような出来事は、久しくなかった。
岡田監督は昨年、日本外国特派員協会での記者会見でこう話した。
「南アでの結果によっては、おそらくいろいろな影響が出る。成功すれば日本も自信を持つだろうし、失敗すれば景気が悪くなるかも知れない」
息苦しい時代がスポーツに求めるものを、選手たちは確かに届けた。人々の心のゴールに、みごとなシュートを決めた。
<今日朝日社説>


《日本の存在感を、世界に向かって十分に示した》
《みんなで日本代表を応援する一体感を味わい》
《選手たちから元気をもらった人も多い》

《劣勢の中でも自らを信じ、闘い続けてきた選手たちへの深い共感》
《年齢や性別を超えて、ここまで日本中が一体感を感じるような出来事》
《「成功すれば日本も自信を持つだろうし、失敗すれば景気が悪くなる」》
《人々の心のゴールに、みごとなシュートを決めた》


むかし、フローベールというひとが『紋切り型辞典』というのを書いたらしい(ぼくは読んだことがないが)

現在のメディアは、この<紋切り型辞典>をマニュアルとして、文章を書いているらしい。

さて問題は、“自信”と“一体感”であった。

“自信”も“一体感”も、心理的なものである。
ようするに<気分>である。

だれだって“気分”はある、
“気分は、もうサイコー”な時も、たまにはあるのである。
が、気分が気分であるのは、“気分はすぐ変わる”ということなのである(笑)

しかも気分は、“他力的”である(爆)

まあ、“みずから”、よき気分を演出できる人もいるかもしれないが、一般に、気分には“なんとなく取り込まれる”のであった!

たしかに“資本主義経済”とか“金融資本主義”というのは、気分におおいに左右されるものであるらしい。

だから岡田監督も経営コンサルタントのごとく、《失敗すれば景気が悪くなるかも知れない》と発言した。


もう2ケ引用しよう;

☆ 例文3;
乾いた日々が続く。結果こそ悔しいが、もらい泣くほどの共感もたまにはいい。国民をやきもきさせ、夢中にし、元気づけた岡田ジャパン。世界を驚かせ、燃え尽きてなお、未知の成果を持ち帰る。もう一つの「はやぶさ」を、熱い拍手で迎えたい。(天声人語)


☆ 例文4;
敗退の瞬間、不運にもPKを外した駒野友一選手が泣きじゃくり、その肩をこれも涙の松井大輔選手が抱き、岡田武史監督が抱いた。開幕前は酷評もされた彼らには、寄り添う互いの体温だけを頼りに風の冷たさに耐えた日もあったろう。勝利より深く胸を刺す敗北の情景もある◆戦争にまつわる用語をスポーツに持ち込むのは趣味に反するが、「戦友」という言葉がこれほど似合う集団をほかに知らない。ありがとう。(読売編集手帳)


いまこの二つを引用しようとして、どっちがどっちかわからなくなった。
天声人語と読売編集手帳は、“同じ人”が書いているのではないか?


しかし“やっぱり”読売新聞はすごい(爆);

《戦争にまつわる用語をスポーツに持ち込むのは趣味に反するが、「戦友」という言葉がこれほど似合う集団をほかに知らない。ありがとう》(引用!)


ぼくは読売新聞社が、《戦争にまつわる用語を持ち込むのは趣味に反する》とは知らなかった!!

読売新聞社には、《戦友》という言葉が大好きな人々が居られると思っていた。

しかし、ぼくたちが“一体感と自信”を持ち、いやすぐに“過剰な一体感と自信過剰”を持ち、<戦友>に《ありがとう》という日を、ぼくはまた見たくない。






つくるひと、仕掛けるひと、タレントしか見えないひと

2010-07-01 10:00:10 | 日記

昨日。

ぼくは“仕事で”移動した。

ぼくが“住んでいる”のは、東京の片隅である。
“東京の片隅”に住んでいるということは、“東京の中心”へ移動するために時間がかかることである。

ぼくがこの“生活”を“選んだ”のは経済的条件による(すなわち“趣味”ではない)

“中心”とは、たとえば“新宿”であり“渋谷”である。
いずれの“街”もぼくには、お馴染である(もちろんお馴染でない街もある)
ぼくが幼児のとき、すでに母は渋谷に“通勤”していた。
だからぼくが、はじめて行った“中心”は、渋谷だったかもしれない。

だが、ぼくがいちばん多く歩いた街は、新宿であろう。
現在、ぼくの仕事の拠点も、新宿にある。

昨日。
ぼくは渋谷にも、新宿にもいた。
そして、現在では“日常”ではない街=渋谷でコーヒーを飲み、駅頭で選挙応援演説に“駆けつけた”有名タレントを“見た”。

偶然である。
この人の顔はひところさんざん“見た”。
しかし<実物>を見るのは、はじめてだった。

そもそも、ぼくがこの人を見たのは、ひとだかりができていたからで、最初そのひとを見たとき、ぼくはそのひとが誰だかに“確信”がもてなかった。
あの有名人に“似ている”と思ったのだ(笑)

そのひとが、しゃべりはじめる前の“イントロ”で、司会者のようなひとが、“現在政治に求められているのは、リーダーシップだ”と言ったのだ。

“小泉首相以来、日本の政治にはリーダーシップが失われている”と。
たしかに、“この有名人”が活躍したのは、“小泉の時代”だったのではないだろうか。
そのころぼくもブログを始め、小泉とそのような“政治”を一貫して批判してきた。

リーダーシップ?

ぼくは、この有名人の写真を“本能的に”に何枚も撮った。
そして、ぼくのまわりの“群集”がケータイで、小型カメラで、この有名人を撮っているのを撮った、さらに“テレビカメラ”が、大仰に“取材”しているのも撮った。

ぼくの“回りの人々”は、だれも、“有名人”しか撮らない(笑)

この渋谷駅前に来る前に入った喫茶店では、なにかの“制作”に係わっているらしき男ふたりが打ち合わせしていた。
かれらの会話に、ディレクターとかプロデュサーとかの“用語”が頻出したから。
彼らは、互いににケータイでの会話にもいそがしい。
ツイッターがどうのこうのという話題も聞えた。
あるは、昨日ワールドカップ日本戦の結果をいかに知ったか。

彼らが、<メディア>といかに係わっているかは、知らない。
しかし現在、メディアの周辺には無数の人々がいる。
それがかれらの仕事であり、彼らはそれでカネを稼ぐ。

“あたりまえ”である。
少しも“おどろく”ことなどない。

彼らも、<普通の人々>であると言うべきか。
にもかかわらず、ぼくはなぜ、上記のことがらを延々と“書いている”のであろうか。

もちろんぼくには、“違和感”があり、“批判”があるからである。

たとえば、ぼくたちは“普天間基地問題”を語り、“消費税”について論議し、“選挙という政治”について“語れ”と言われている。

しかし“それらの問題”すべてを包む<構造>がある。
<システム>がある。
<関係の網の目(ウェッブ)>があるのである。

問題は、この<関係>自体である。

この<関係>を放置しては、なにひとつ変わらないのだ。
いや“自然性としての劣化”が進行するだけだ。

たしかに、<無名の者>、どのような<有力なシステム>にも属さない者の発言は、無にひとしい、自己満足でしかない。

しかし、この場所から、言葉を発する。

少なくとも、“選挙の一票”が<システム>を変え得るなどという虚言は信じない。
それこそが、“戦後民主主義”の奥の手のトリックであった。

“現実主義者”は、ならばどのような<民主主義>があるのかと反問するだろう。

それもまた<彼ら>の手垢にまみれた<トリック>である。
ぼくはどのような“代替案”があるかを、知らない。

ただ読むべきものを読み、感じるべきことを感じ、自分のなかから言葉が現れるなら、記述する。