Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

架空の日記;この白いページ

2010-06-30 23:31:30 | 日記


★1932年1月29日 月曜日
なにかが私の裡に起こった。もう疑う余地がない。それはありきたりの確信とか明白な証拠とかいったもののようにではなく、病気みたいにやってきたのである。そいつは少しずつ、陰険に私の裡に根を降ろした。私は自分がちょっと変で、なんだか居心地が悪いのを感じた。ただそれだけのことである。そいつは私の心の中にはいりこむと、静かにしていて、もう動こうともしなかった。そこで私は自分に言いきかせることができた。自分はどうもしていない、つまらぬ思い過ごしだ、と。しかしいまそれが明確な姿を現した。
<サルトル:『嘔吐』>



★こうした文体の実験の背後に、声の人であった中上を想定することは可能であるし、また正当でもある。だが同時にその背後に、密林の蔦のように絡まりあうエクリチュールの文様を思い浮かべることは、さらに正当なことではないかとわたしは考えている。改行どころか、句点も読点もなく、構文の秩序も、動作の主体の論理的一致も置去りにしたまま、どこまでも終わることなく書き続けられる文。おそらくそれは通常の400字詰め原稿用紙からはけっして生れることのなかった、異常な文のあり方であろう。中上健次があるときみずから選択した集計用紙という、けっしてこれまで文学的実践には用いられることのなかった用紙が、それを可能にした。文学が文様でもあり同時に声でもあること。書くことが織りこむことであると同時に、織り解いてゆくことでもあること。中上健次は一見矛盾するかのように見えるこうした作業を、生涯にわたって実践し続けた。「何の変哲もない」集計用紙の束を通して世界の文様を精密に写しとったばかりではない。みずからが謎めいた、巨大な文様であることを、身をもって生きたのである。
<四方田犬彦;『貴種と転生 中上健次』-“補遺 声と文様”>



★7月28日 月曜
すでにばら色になった陽光がぼくの部屋を染め、ぼくの机を照らしている、まるであの夕方そっくりだ。はじめてぼくが、アン・ベイリーの店で買い求め、まだ包装したままの500枚の紙をまえにすわり、まるで封印のようにはりつけられた帯封を破ったあの夕方、ぼくはそれらの白紙の第1ページを手に取り、しまの透かし模様を透かしてながめてから、机の上の陽の当たる所に平らに置くと、その白いページはぼくの目のなかで燃えはじめたのだった。
<ビュトール:『時間割』>



★ ぼくの目のなかで燃えはじめる白いページ、とビュトールは書いた。
しかし。

ここにも白いページはある。

喧騒の街、
猥雑かつクリーンな人々、他人、街を
今日も歩き、苦くて濃いコーヒーを求めて、
買わない商品を眺め、

読めない本のリストに追われて、

ばかげた電車を何度も乗り換え、

またもや、

この、

白い画面の沈黙に馴れ合う。

追いつく言葉もなく。

おしゃべりのなかに限りなく拡散する言葉ではない言葉、

でなければ、





グレン・グールドの手袋;あるいは音楽

2010-06-28 22:52:39 | 日記


★ 音楽はバビロンで言語が混乱する前にもあって、今日でも唯一の普遍的なコミュニケーションのメディアであるがゆえに、それは言語の混乱に勝利した力とみることもできる。それとも結びついて、音楽がわれわれの意識の作り出した他のすべてのものよりも存在に近いという考えも、太古からある。オルぺウスやピタゴラスの教えの根底にも音楽がある。ケプラーは音楽に導かれて遊星の軌道を計算したという。音楽は宇宙の言語、音で表わされた意味とみなされ、ショーペンハウアーでは世界意志の直接的表現とされた。

★ 音楽は至る所に、あらゆる関係の中に、あらゆる窪みの中に入り込んでいく。それは音の絨毯であり、雰囲気であり、環境である。それはその後われわれの実存の基本のざわめきになった。ウォークマンのイヤホーンで音楽を聞きながら地下鉄に乗っていたり、公園でジョギングしている者は、二つの世界に生きている。地下鉄で行くときやジョギングのときの彼はアポロ的世界にあり、聞いているのはディオニュソス的世界である。

★ 音楽は意識の層に社会的な深層の統一を可能にする。これは昔は「神話的」と呼ばれたものである。

<リュディガー・ザフランスキー;『ニーチェ その思考の伝記』(法政大学出版局・叢書ウニベルシタス2001>






65歳の誕生日

2010-06-28 11:57:57 | 日記


今日の天声人語でアウン・サン・スー・チーさんが65歳の誕生日を迎えたことを知った。

ほぼぼくと同年齢である。
しかしぼくは、“アウン・サン・スー・チーさん”の名と顔は(写真は)知っているが、彼女の“運命”(軟禁は通算14年におよぶ)についても、“ミャンマー(ビルマ)”の現状と歴史についても、ほとんど知らない。
ぼくは“アジア”について知らない。

“知らない”ことは、“知ろうとしないことである”ことを、最近つくづく感じる。

もちろん、“多くを知っていれば”よいのではない。

ぼくたちは、ある領域や事態の“専門家”(そのことについていちばん知っているはずのひと)が、とんでもなく不可解な“認識”をしていることを、見てきた。

クイズ王が、すべてのクイズに正解しても、無意味である。

たしかに、現在、“知ることへの絶望”があるのだ。
いくら“知っても”、現実は変えられないと。
だからすべてを放置(放棄)して、笑って前向きに生きよう、と。

たしかに、“情報”は、多すぎる。

すべてを“知る”ことはできないし、ぼくたちは、日々ふりそそぐ“事件”や“情報”を、上の空で見過ごして(読み流して)いる。

ときには、<それ>について、“つぶやいたり”、ブログで“異義を表明する”にしても。

ぼくたちは、どんどん忘れてしまう。

結局、自分にとってなにが重要かを、見失っている。


★ あなたの持っている自由を、持たない人のために用いてください(アウン・サン・スー・チー)






<この写真について>

この写真は、あるひとの死に顔である。

ぼくが今日この写真を掲載するのは、この顔になにかを”象徴”させるためではない。

最近、ぼくは”このひと”についての映画について書いた。
そのとき、当時見たこの写真を思い出した。

そのあと、googleで”サルトル”画像を検索していて、この写真に再会したのである。

ぼくはこのひとが”ただしい”ひとであったか否かを、”知らない”。

ぼくは、あらゆる”政治家”や”革命家”や”宗教家”が、ただしいひとであったかを、知らない。

だから、<歴史>を、”読む”必要を感じる。





日本の存在感低下に歯止めを?

2010-06-27 12:41:14 | 日記


今日の読売新聞社説のタイトルは、“G8サミット 日本の存在感低下に歯止めを”である(笑)

おもわず笑ってしまう。

“どうして”、日本の存在感低下に“歯止めを”かけなければならないのでしょうか?
誰かぼくに説明してください。

仮にこの“命題”を受け入れたとしても、“どのようにして”歯止めをかけるのでしょうか?

読売社説が言ってるのは、これだけ;

☆菅首相は、「現実主義を基調とした外交」を心がけるというが、前任者の轍を踏まぬように、専門スタッフの助言にも謙虚に耳を傾けることが必要だろう。
日本外交で問題なのは、長年の重要なカードである政府開発援助(ODA)予算の減少だ。
今年度は、ピークの1997年度の半分近くに落ち込んだ。援助実績(支出純額)も、00年の世界1位から下落し、07年以降は5位にとどまっている。援助額を反転させ、日本の地位の低下に歯止めをかけなければならない。
(引用)

いくらなんでも、この“提言”はおそまつすぎる。

こういう提言を読んで、勇気や希望を感じる“日本人”が、いま、ひとりでもいるだろうか!
《00年の世界1位から下落し、07年以降は5位にとどまっている》というが、どうして“世界5位”ではいけないのだろうか?
日本代表チームのFIFAランキングも“世界5位”ではない(爆)
まったく“読売新聞”というのは、痴呆症老人によって成り立っているのか。

ぼくは普天間基地に関するブログで、“日本の存在感低下に歯止めを”かける具体的提言をしている。

日本は日本国憲法にもとづき、以下のように宣言すればよいのである;

《日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する》(日本国憲法前文)

そして<これ>を実行するために、国内のあらゆるシステムをこの理念実現のために“再編成”する。

同時に、この<理念>を、あらゆる国際関係の場で、死ぬほど言いつづける。

そうすれば、“G8とかに集う”各国のボンクラ首脳どもは、ぶっ飛ぶであろう。

日本国の存在感は、まちがいなく“世界サイコー”となる。






無駄と悪

2010-06-27 10:20:00 | 日記


<「つぶやき」1秒に3283回、最高記録 デンマーク戦>アサヒコム2010年6月26日12時5分

 【ワシントン=勝田敏彦】南アフリカで開催中のサッカーW杯で24日(日本時間25日未明)にあった日本―デンマーク戦で、ツイッターの「1秒当たりのつぶやき数(TPS)」が過去最高の3283を記録したことがわかった。米サンフランシスコにある運営会社が25日、公式ブログで発表した。
 TPSは「つぶやき速度」とでも呼ぶべき指標で、通常は750。急上昇は、日本での利用者の熱狂ぶりを反映していると考えられる。発表によると、最高値は試合終了のホイッスルが響いた直後に記録された。この試合は日本が3―1で勝ち、決勝トーナメント進出を決めている。なお14日の日本―カメルーン戦でも、2940が記録されている。
 これまでの最高TPSの3085は、17日にロサンゼルスであった米プロバスケットボール(NBA)ファイナル(年間王者決定戦)のレーカーズ―セルティックス戦で記録された。





<生活保護300人住まわせ、受診させ… 貧困ビジネスか>アサヒコム2010年6月27日4時1分

 大阪市浪速区の不動産会社が、賃貸アパートに生活保護受給者を住まわせ、実質経営していた診療所の巡回診療を繰り返し受診させていた疑いがあることが、診療所の関係者らへの取材でわかった。診療所は、診療報酬などで得た収入の一部を不動産会社側にコンサルタント料として払っていたという。市は、生活保護の医療扶助を利用した「貧困ビジネス」の可能性があるとみて近く不動産会社などを実態調査する。
 貧困ビジネスは、受給者から家賃や食事代などの名目で保護費の大半を吸い上げたり、引っ越しを繰り返させて転居費をピンハネしたりする形態が多い。受給者の医療費が全額公費負担となる医療扶助は医療機関に直接支払われるため、貧困ビジネス業者と医療機関が協力すれば、実態を把握するのは難しい。
 診療所の元幹部職員の証言や内部資料によると、不動産会社は浪速区と同市西成区、堺市堺区で賃貸アパート4カ所(1カ所は昨年閉鎖)に約300人の受給者を入居させていた。大阪市などによると、同社は受給者の通帳やキャッシュカードを預かり、食事代名目などで保護費を徴収するケースが多いとみられるという。
 診療所は西成区松1丁目にあった「すずクリニック」。元幹部職員によると、医師らはアパート4カ所などを週1回ペースで巡回診療していた。受給者1人あたりの診療報酬が月10万円を超えるケースもあった。市によると、クリニックは別の不動産会社があっせんする受給者も診療し、レセプト(診療報酬明細書)の全件数の9割を受給者が占めていた。元幹部職員は、月に計約1300万~1900万円のクリニックの総収入の約2割がコンサルタント料名目で不動産会社側に支払われていた、としている。
 クリニックは2月、近畿厚生局の個別指導を受けて必要書類の不備などを指摘され、閉院している。
元幹部職員は「クリニックは不動産会社が実質的なオーナーだった。医師がどこのアパートを回るか、検査項目をどうするかなど、代表取締役の女性が指示を出していた。巡回診療は、囲い込んだ受給者から医療扶助を安定的に得ることが目的だった」と説明している。
 代表取締役の女性は朝日新聞の取材に「自分はクリニックの職員ではあるが、巡回診療は医師が自分で診療先を決めてやっていた」と説明。受給者を囲い込んでいるのではないかとの指摘には「認知症の人もおり、通帳を預かるケースもある。勝手に金をおろしたり、小遣いを渡さなかったりはしていない」と否定している。(島脇健史)





古い本

2010-06-27 01:15:51 | 日記


ぼくは長く生きている(笑)

その間に、ぼくはたくさんの本を買い、たくさんの本を処分した、雑誌もだ。

しかし数少ないが、手元に残った本がある。

たとえば、サルトル『シチュアシオンⅣ 肖像集』である。
この本の翻訳初版は1964年に人文書院から出た。
ぼくが持っているのは、1974年の重版である。

1964年にせよ、1974年せよ、“古い”のである、その年に生まれてなかった人も多いであろう。

サルトル? 知らないよ。

いやべつにサルトルでなくてもいいのである。
ぼく自身もずいぶん長い間、サルトルを読まなかった、吉本隆明や村上春樹を読んでいた(笑)


“新しい本”がたくさんあるではないか。
“新しい本”がじゃんじゃん出るではないか!
ぼくも“新刊”に限らないが、毎月、10冊以上の本を買い続けている。
読んでない本がどんどん増えていく。

“新しい本”を読まずばなるまい。
なのに、最近、“昔読んだ本”に手が出るのは、いかなることか。

木田元『メルロ=ポンティの思想』を読み返していると、サルトルからの引用がある。
その引用文“生きているメルロ=ポンティ”は、サルトル『シチュアシオンⅣ』に収録されていた。
“さいわい”その本は、納戸にあった。

このシチュアシオンシリーズ(人文書院サルトル全集)は、現在古書として、かなり高価である。
よほどの物好きでなければ、現在これを買うひとがいるとは思えない。

サルトルの本は、近年、ちくま学芸文庫に『存在と無』が入った。
岩波文庫で『自由への道』が出た。
ならば、ぜひこの“シチュアシオン”を文庫化してほしい。
ぼくにとっては、『自由への道』より、『シチュアシオン』は貴重である。


たとえば次ぎのような文章にサルトルの魅力はある、このように切れの良い文章をサルトルは書いた(オリジナルは1953年);

★ 3時。雷雨が市の東北部、ノメンターナ通りで私に襲いかかる。鳥たちの怒りだ。羽気の旋風(つむじかぜ)、ぴいぴい啼くこえ。黒い羽が天まで飛んでゆく。静けさがとり戻されると、私は背広に触ってみる。服は乾いている。ともう麦藁色の太陽が雲の綿布をひき裂いている。西の方には、広い人気のない通りが家並の間を登り、その涯は空のなかに没している。私はどうしてもこの短い砂丘を登って、向こう側を見てみたい思いが抑えられぬ。ヨーロッパでどこよりも美しい通り、それは、ブールヴァール・バル・ベスから眺めたロシュシュアールの通りだ。峠の向こう側には、きっと海があるのでないかと思う。雨がまた降り始める。私は雨しぶきの下を登ってゆく。

<サルトル;“カプチン修道女の土間”―『シチュアシオンⅣ』所収>






風の歌の彼方に

2010-06-26 21:08:55 | 日記


今朝、村上春樹について“時流にのった人”と書いた。

いま不破利晴ブログ“風の歌を聴け”で、以下の文章を読んだ;

★ 一説によると、村上春樹は「ねじまき鳥クロニクル」の頃から”転向”してしまったらしい。この3篇からなる長編作品を最近になってようやく揃えることができたが、まだ読むにいたってはいない。そんなわけで、この作品への書評ははばかれるところだが、それ以前に、村上春樹は初期の作品から順を追って読む必要性を感じる次第である。(引用)


上記引用の《一説によると》というのは、ぼくの<説>ではないかと思う(笑)

Doblog以来ぼくは村上春樹の悪口をさんざん書いてきたし、引用もしている。

ぼくは自分用に3人の日本作家の“比較年表”というのをつくっている。
それをそのまま貼り付けられないので、年代順にこの3人の作家が何時なにを書いたかを、主な作品(出版時タイトル)によって書いておく。

ぼくは村上春樹は、“ほぼリアルタイム”で読んできた(最初の読み始めは、やや遅れたと思うが)
大江健三郎を初めて読んだとき(高3か受験浪人のとき)、大江は“すでに”書いていた。
中上健次を読んだのは彼が死んでからであり、ちゃんと読んだのは2000年代に入ってからだった。

つまり、ある作家を“リアルタイムで”読めることは、ラッキーである。

もし“遅れて”読み始めるなら、あるいは、その作家が“昔の”ひとならば、せめてその代表作を書かれた順に読むのがよいと思う。

不破君はtwitterに書いている;《村上春樹を”本当に”好きな人はどれほどいるのだろうか?》

ぼくはある時期、村上春樹が、本当に好き”だった”。



1979年
* 村上春樹:『風の歌を聴け』
* 中上健次:『水の女』
* 大江健三郎:『同時代ゲーム』


1980年
* 村上春樹:『1973年のピンボール』
* 中上健次:『鳳仙花』
* 大江健三郎:『現代伝奇集』


1982年
* 村上春樹:『羊をめぐる冒険』、『中国行きのスロウ・ボート』
* 中上健次:『千年の愉楽』
* 大江健三郎:『「雨の木」を聴く女たち』


1983年
* 村上春樹:『カンガルー日和』
* 中上健次:『地の果て 至上の時』
* 大江健三郎:『新しい人よめざめよ』


1984年
* 村上春樹:『蛍・納屋を焼く・その他の短篇』
* 中上健次:『日輪の翼』、『熊野集』、『紀伊物語』
* 大江健三郎:『いかに木を殺すか』


1985年
* 村上春樹:『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、『回転木馬のデッド・ヒート』
* 大江健三郎:『河馬に噛まれる』

1986年
* 村上春樹:『パン屋再襲撃』
* 中上健次:『野生の火炎樹』、『19歳のジェイコブ』
* 大江健三郎:『M/Tと森のフシギの物語』


1987年
* 村上春樹:『ノルウェイの森』
* 中上健次:『火まつり』、『天の歌小説都はるみ』
* 大江健三郎:『懐かしい年への手紙』

1988年
* 村上春樹:『ダンス・ダンス・ダンス』
* 中上健次:『重力の都』
* 大江健三郎:『キルプの軍団』


1989年
* 中上健次:『奇蹟』
* 大江健三郎:『人生の親戚』


1990年
* 村上春樹:『TV ピープル』
* 中上健次:『讃歌』
* 大江健三郎:『治療搭』、『静かな生活』


1991年
* 大江健三郎:『治療搭惑星』


1992年
* 村上春樹:『国境の南、太陽の西』
* 中上健次:『軽蔑』、『鰐の聖域』   (死去)
* 大江健三郎:『僕が本当に若かった頃』

1993年
* 中上健次:『異族』
* 大江健三郎:『燃えあがる緑の木 第1部』


1994年
* 村上春樹:『ねじまき鳥クロニクル第1部、第2部』
* 大江健三郎:『燃えあがる緑の木 第2部』


1995年
* 村上春樹:『ねじまき鳥クロニクル第3部』
* 大江健三郎:『燃えあがる緑の木 第3部』


1996年
* 村上春樹:『レキシントンの幽霊』


1999年
* 村上春樹:『スプートニクの恋人』
* 大江健三郎:『宙返り』


2000年
* 村上春樹:『神の子どもたちはみな踊る』
* 大江健三郎:『取り替え子』


2001年
* 大江健三郎:『「自分の木」の下で』


2002年
* 村上春樹:『海辺のカフカ』
* 大江健三郎:『憂い顔の童子』


2003年
* 大江健三郎:『二百年の子供』


2004年
* 村上春樹:『アフター・ダーク』


2005年
* 村上春樹:『東京奇譚集』
* 大江健三郎:『さようなら私の本よ』


2007年
* 大江健三郎:『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』


2009年
* 村上春樹:『1Q84第1部、第2部』
* 大江健三郎:『水死』


2010年
* 村上春樹:『1Q84第3部』






<追記>

つまりこういうことかな。

『海辺のカフカ』や『1Q84』で、春樹の愛読者になった人々に、『羊をめぐる冒険』や『ダンス、ダンス、ダンス』が読めるかな?とぼくは疑う。

ある作家をその作品が書かれた順に読むということは、村上春樹をよく理解し愛するために必要だという意味ではない(そういうひとがいてもかまわないが)

むしろぼくが思うのは1979年(『風の歌を聴け』)から2010年(『1Q84第3部』)への時代の変化を読め、ということだ。

世界の変質である。

すぐれた作品は、すべてその作家の個性であると同時に、まさにその時代の“深部”を表出している。
歴史年表には書き得ない<時代と世界とそのなかの私>を。

作家とは、屈折した鏡、ゆがんだ鏡である。

そこに写った世界に魅惑されるのは、私がまさにその世界に、ある人々と共に、ある季節の風と共に、生きたからである。




幸せな時代?幸せな出会い?

2010-06-26 14:51:21 | 日記


占領下で出会ったひとたちがいた。

これはフランスでのお話である。

占領下の時代が、“幸せ”であるはずがあろうか?
ならば占領下で出会うとは、どういう“幸福”か?

ひとつの証言を引用するが、ぼくがこういう文章を読んで疑問なのは、“もうひとつの占領下”<注>においての出会いが、あまり“なかったように思える”ことである;

★ われわれふたりに関して言えば、挫折してしまったとはいえ<社会主義と自由>(注;レジスタンス・グループ)がわれわれをおたがいに向かい合わせてくれた。時代がわれわれに幸いしたのである。つまり、当時のフランス人のあいだには、憎悪の裏面とも言うべき、忘れようにも忘れられぬある心の透明さがあった。ナチスを忌み嫌ってさえいれば誰でもかまわない、その人のうちにあるすべてをはじめから好ましいと思いこむような国民的友情を通じて、われわれはおたがいを承認しあったのである。

★ 現象学とか実存という本質的な言葉が語られた。われわれはおのれの真の関心事を発見したのである。自分たちの研究を共同でおこなうにはあまりに個人主義的でありすぎたわれわれは、はなればなれのままで相互関係を深めていった。ひとりひとりだと、各人が現象学的な考え方はもうわかったとあまりにも手軽に信じこんでしまうのだったが、ふたりになると、われわれはおたがいに相手に対してこの考え方の両義性を具象化してみせるのだった。それは、おのおのが相手のうちでおこなわれている自分には見覚えのない、時としては敵対的でさえある仕事を、おのれ自身の仕事の思いもかけない偏差としてとらえたからである。フッサールがわれわれのあいだの距たりになると同時にわれわれの友情ともなったのである。

<サルトル;“生きているメルロ=ポンティ”―木田元『メルロ=ポンティの思想』から引用>



<注;蛇足>

まさに“言うまでもないこと”であるが、日本は1945年から1952年まで“連合国軍の占領下”にあった(1952年4月28日に“サンフランシスコ講和条約”発効)。
また現在においても、沖縄は米軍の占領下にあるという認識もある。





ロボットとの対話

2010-06-26 11:49:32 | 日記


「ターミネーター サラ・コナー」というテレビドラマを時々見る。

時々なので、こまかい展開はよくわからない。
昨日見たところは、未来から派遣された“ターミネーター・ロボット”でいったん破壊されたものが復活され、“再教育”されるという設定である。

この教育者は“信心深い”黒人である。
教育者は、ロボットに、“人を殺すのは悪いことである”ことを教えようとする。

すなわち、“人の命は貴重である”ことを。

これに対する、ロボットの質問がおもしろい;
《死んだひとより、生きている人の数が少ないからか?》

まさに“こういう問い”こそ哲学的なのだ(笑)

しかし、この“ロボットの問い”も、ある<予断>に基づいているかもしれない。
すなわち、“ロボットはすべてを<数>で判断する”。

一般に、デジタルなものというのは、“数をベースにする”という信仰があるようだ。
ロボットの頭脳が“デジタル”なら、ロボットは、“数を規準に判断する”と。

しかし、脳の信号伝達がデジタルであるのは、ロボットに限らない(笑)
しかしぼくのような“人間”は、数に弱いのである。

さて、このロボットの問いに対する、“教育者”のアンサーはいかなるものか。

《人間は神がお創りになった》

ロボットの質問;《では、“私も”神がつくったのか?》


素晴しいではないか!(爆)

みなさん、<哲学>や<宗教>の問題は、エンターテイメントのなかに(も)ある。





Amazon2010上半期Booksランキング

2010-06-26 10:27:38 | 日記


和書総合ランキング

2009年の年間ランキング1位2位を獲得した村上春樹のベストセラー小説『1Q84』。上半期の1位はその待望の続編『BOOK3』。2位にはドラッカーの名著『マネジメント』をライトノベル形式で分かりやすく紹介した『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』が。その影響で本家『マネジメント』も5位に入る。『バンド1本でやせる!巻くだけダイエット』は2009年の勢いそのままに3位にランクイン。4位は出版社が人数・期間限定で中見をすべて公開したことから話題に。6位は「いま、手元に5ドルあります。二時間でできるだけ増やせと言われたら、みなさんはどうしますか?」といった著者のスタンフォード大学での講義をまとめた1冊。7位はテレビ効果で話題に。8位は人気ラジオ番組からの1冊。総選挙などで話題をさらったAKB48のガイドブックは9位に。新書では唯一Top10入りした『脳に悪い7つの習慣』は、昨年9月刊行にも関わらず、脳科学系書籍ファンを中心にじわじわとロングセラー。
(引用)


上記“ベストセラー”の傾向と対策。

キーワードは、“マネジメント”、“やせる”、“お金を生み出す”、“アイドル総選挙”、“脳に悪い”らしいです。

なんとなく、“傾向”がわかりますね。

このランキングのトップに村上春樹がいるのは、けっして“違和感”じゃないね。
村上春樹は作家になる前は、国分寺で喫茶店を“マネジメント”し、それじゃ“お金を生み出せない”のでベストセラー小説を書く技術を身につけた。
まさに日本ブンガクの“アイドル”よね。
しかもマラソンやって、脳に悪いことはやらず、“やせる”努力を続けているワケ。

やっぱ“時流に乗ったひと”というのはいるワケ。

ちなみに、とうぜん、ぼくはこの上半期トップ10を1冊も読んでないどころか、書店で手に取ったこともない。
この“情報”を見ても、興味を持つ本は1冊もない。

まあ、“そういうこと”です。

昨日天下の読売新聞も言ってたよ;

《《ことばは考えるために役立つが、人々を考えなくさせるためにも役立つ》

こういうベストセラーを読むくらいなら、(本を読まずに)、よく寝て、頭をすっきりさせよう!<注>

ちなみに、“やせたい”ひとは、毎日タバコを3箱くらい吸い続ければ大丈夫だよ。




<注>

あの本田圭祐君も、インタビュアーの”日本での中継は朝3時半からだったのですが”に対してこう答えていたではないか;

《みなさん睡眠不足だろうから、よく寝てください》




柄谷行人の新しい本

2010-06-25 18:35:08 | 日記


柄谷行人の『トランスクリティーク』(2001)以降の思考が新しい本『世界史の構造』(岩波書店2010/6/24)として刊行された。

ぼくは『世界共和国へ』(岩波新書2006)と『トランスクリティーク』(岩波書店・定本柄谷行人集4、2004)を読んで、この本を待っていた。

この2冊の本に、ぼくは満足したのではない。
ただそこでの柄谷行人の思考の“誠実さ”は信じることができた。

なによりも、これらの本は、テーマにもかかわらず、“読みやすかった”。
丁寧に論旨をたどれば、だれにもわかるように書かれている。
ぼくには、この2冊を比較すると、新書の『世界共和国へ』の方が“わかりにくかった”のだが。


『世界史の構造』の“意図”を序文から引用したい;

★ これ(『トランスクリティーク』)を書いたのは1990年代であったが、現在でもそれを修正する必要はまったくない。資本=ネーション=ステートは実に巧妙なシステムなのである。だが、私の関心はむろん、それを称揚することではなく、それを超えることにある。

★ しかし、このようなオプティミズムは(注;1990年代の資本と国家への対抗運動のオプティミズムは)、2001年、ちょうど私が『トランスクリティーク』を出版したころに起こった、9.11以後の事態によって破壊された。この事件は、宗教的対立と見えるが、実際には「南北」の深刻な亀裂を露出するものである。また、そこには、諸国家の対立だけでなく、資本と国家への対抗運動そのものの亀裂があった。

★ 私は、国家やネーションがたんなる「上部構造」ではなく、能動的な主体(エージェント)として活動するということを、あらためて痛感させられた。資本と国家に対する対抗運動は一定のレベルを超えると必ず分断されてしまう。これまでもそうであったし、今後においてもそうである。私は、『トランスクリティーク』で与えた考察を、もっと根本的にやりなおさねばならない、と考えた。

★ そこで、私は交換様式という観点から、社会構成体の歴史を包括的にとらえなおすことを考えた。

★ 2001年にいたるまで、私は根本的に文芸批評家であり、マルクスやカントをテクストとして読んでいたのである。(略)「世界史の構造」を考えるにあたって、私は自身の理論的体系を創る必要を感じた。これまで私は体系的な仕事を嫌っていたし、また苦手でもあった。だが、今回、生涯で初めて、理論的体系を創ろうとしたのである。私が取り組んだのは、体系的であるほかに語りえない問題であったからだ。