★1932年1月29日 月曜日
なにかが私の裡に起こった。もう疑う余地がない。それはありきたりの確信とか明白な証拠とかいったもののようにではなく、病気みたいにやってきたのである。そいつは少しずつ、陰険に私の裡に根を降ろした。私は自分がちょっと変で、なんだか居心地が悪いのを感じた。ただそれだけのことである。そいつは私の心の中にはいりこむと、静かにしていて、もう動こうともしなかった。そこで私は自分に言いきかせることができた。自分はどうもしていない、つまらぬ思い過ごしだ、と。しかしいまそれが明確な姿を現した。
<サルトル:『嘔吐』>
★こうした文体の実験の背後に、声の人であった中上を想定することは可能であるし、また正当でもある。だが同時にその背後に、密林の蔦のように絡まりあうエクリチュールの文様を思い浮かべることは、さらに正当なことではないかとわたしは考えている。改行どころか、句点も読点もなく、構文の秩序も、動作の主体の論理的一致も置去りにしたまま、どこまでも終わることなく書き続けられる文。おそらくそれは通常の400字詰め原稿用紙からはけっして生れることのなかった、異常な文のあり方であろう。中上健次があるときみずから選択した集計用紙という、けっしてこれまで文学的実践には用いられることのなかった用紙が、それを可能にした。文学が文様でもあり同時に声でもあること。書くことが織りこむことであると同時に、織り解いてゆくことでもあること。中上健次は一見矛盾するかのように見えるこうした作業を、生涯にわたって実践し続けた。「何の変哲もない」集計用紙の束を通して世界の文様を精密に写しとったばかりではない。みずからが謎めいた、巨大な文様であることを、身をもって生きたのである。
<四方田犬彦;『貴種と転生 中上健次』-“補遺 声と文様”>
★7月28日 月曜
すでにばら色になった陽光がぼくの部屋を染め、ぼくの机を照らしている、まるであの夕方そっくりだ。はじめてぼくが、アン・ベイリーの店で買い求め、まだ包装したままの500枚の紙をまえにすわり、まるで封印のようにはりつけられた帯封を破ったあの夕方、ぼくはそれらの白紙の第1ページを手に取り、しまの透かし模様を透かしてながめてから、机の上の陽の当たる所に平らに置くと、その白いページはぼくの目のなかで燃えはじめたのだった。
<ビュトール:『時間割』>
★ ぼくの目のなかで燃えはじめる白いページ、とビュトールは書いた。
しかし。
ここにも白いページはある。
喧騒の街、
猥雑かつクリーンな人々、他人、街を
今日も歩き、苦くて濃いコーヒーを求めて、
買わない商品を眺め、
読めない本のリストに追われて、
ばかげた電車を何度も乗り換え、
またもや、
この、
白い画面の沈黙に馴れ合う。
追いつく言葉もなく。
おしゃべりのなかに限りなく拡散する言葉ではない言葉、
でなければ、