Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

見るひと

2012-08-31 10:56:07 | 日記





★ だが、あらゆる部族の名前がある。砂一色の砂漠を歩き、そこに光と信仰と色を見た信心深い遊牧民がいる。拾われた石や金属や骨片が拾い主に愛され、祈りの中で永遠となるように、女はいまこの国の大いなる栄光に溶け込み、その一部となる。私たちは、恋人と部族の豊かさを内に含んで死ぬ。味わいを口に残して死ぬ。あの人の肉体は、私が飛び込んで泳いだ知恵の流れる川。この人の人格は、私がよじ登った木。あの恐怖は、私が隠れ潜んだ洞窟。私たちはそれを内にともなって死ぬ。私が死ぬときも、この体にすべての痕跡があってほしい。それは自然が描く地図。そういう地図作りがある、と私は信じる。中に自分のラベルを貼り込んだ地図など、金持ちが自分の名前を刻み込んだビルと変わらない。私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。


★ 二人が過ごした数時間のあいだに、部屋は急速に暗くなった。いま、川面と砂漠からの光だけが残る。めずらしく雨音が聞こえはじめた。二人は窓際に歩み寄り、両腕を突き出す。思い切り外へ乗り出し、体じゅうに雨を受け止めようとする。どの通りからも、夕立への歓声が上がる。


★ カイロの夕暮れは長い。海のような夜空に、タカが列をなして飛ぶ。だが、黄昏の地平線に近づくと、いっせいに散る。散って、砂漠の最後の残照に弧を描く。畑に一つかみの種がまかれたように見える。

<マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』(新潮文庫1999)>






聴くひと

2012-08-31 09:41:24 | 日記





★ アジルーンの森で、フェダイーンはきっと娘のことを考えていたのだろう。というよりも、ぴったりと身を寄せる娘の姿を、一人一人が自分の上に描き出し、あるいは自分の仕草で象って(かたどって)いたようだ。だからこそ武装したフェダイーンはあんなにも優美であんなにも力強く、そしてあんなにも嬉々としてはしゃいでいたのだ。


★おそらく認めねばならないのは、革命あるいは解放というものの――漠たる――目的は、美の発見、もしくは再発見にあるということだ。美、即ち、この語によるほかは触れることも名づけることもできないもの。いや、それよりも、盛んに笑う傲慢不遜という意味を、美という語に与えよう。

<ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(インスクリプト2010)>








読むひと

2012-08-31 01:52:27 | 日記





★ 蝿も、白く濃厚な死の臭気も、写真には捉えられない。

★ 愛と死。この二つの言葉はそのどちらかが書きつけられるとたちまちつながってしまう。シャティーラへ行って、私ははじめて、愛の猥褻と死の猥褻を思い知った。愛する体も死んだ体ももはや何も隠そうとしない。さまざまな体位、身のよじれ、仕草、合図、沈黙までがいずれの世界のものでもある。

<ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(インスクリプト2010)>







“重要な”ニュース

2012-08-30 13:04:50 | 日記

もうこのニュースを知っているひとは、以下の引用を読む必要はない。

だが“どうでもいいニュース”ばかりが目立つ現在、このニュースは知られたほうがよい。

これを読んで、“あなた”がどう判断するにせよ(“ぼく”も判断保留である);



<内部被曝の人々、極力結婚するな…生態系協会長>(2012年8月30日10時37分 読売新聞)

 公益財団法人日本生態系協会(東京都豊島区)が都内で開いた政策塾で、池谷奉文会長(70)が行った発言について、福島市議会の佐藤一好市議らが29日、訂正を求めて記者会見した。

 池谷会長は7月9日、佐藤市議ら地方議員約70人が参加した「第12回日本をリードする議員のための政策塾」で講演。市議らの指摘を受け、29日に同協会が発表した講演要旨によると、「内部被曝、これがどうしようもないんでございまして、放射能雲が通った、だから福島ばかりじゃございませんで栃木だとか、埼玉、東京、神奈川あたり、あそこにいた方々はこれから極力、結婚をしない方がいいだろう」と発言したとされる。

 佐藤市議は「我が耳を疑った。到底容認できない」と強く批判した。一方、池谷会長は読売新聞の取材に、「放射線に注意した上で結婚や出産してほしいという助言で、間違ったことは言っていない。現段階では訂正することは考えていない」と話している。
(引用)






ニンゲン、辛抱だ(笑)

2012-08-30 11:39:09 | 日記

比較的共感できる“今日のツイート= hiranok”;


☆ 哲学は、人間一般の姿を考察して、読者がそれを、一人一人の具体的な人間に落とし込んでくれることを期待している。文学はむしろ、個別の具体的な人間を描きながら、読者がどこかで人間一般の姿の一端に触れることを夢見ている。その意味では、発想の方向性が真反対。
posted at 09:52:52

☆ 小説の登場人物は、最後の最後まで、徹底して具体的で、個性的で、例外的でなければならない。しかし、そのまま終わると、読者とは無関係な、極私的な話と取られる。どっかで人間一般の姿へと飛躍しなければならない。小説家に必要なのはそのタイミングを計る辛抱強さ。早すぎると凡庸な人物に見える。
posted at 09:58:53

(引用)




の欠点は、(たぶん)、辛抱強くないことなんだろうな。

あなたには、カンケーないが!






この際限もないだらしなさ

2012-08-29 10:27:26 | 日記

平野啓一郎ツイート;

この際限もないだらしなさ。【原発、断層ずれても運転可能に 保安院が新基準導入へ】 http://t.co/jEOfKAjB(posted at 2012/8/28 23:30:30)
(引用)



《この際限もないだらしなさ》
という言葉は、現在の日本(日本人)についての、とても的確な(正確な)言葉だと思った。

あなたもぼくも、際限なくだらしないのさ。

ぼくは“原発問題”のみについて言っているのではない。

(反論があれば言ってみろ! 笑、言ってもぼくはなにも答えないだろうが!)



平野啓一郎がリンクしている記事は、以下の通り;

<原発、断層ずれても運転可能に 保安院が新基準導入へ>(共同通信2012/08/28 19:18)

 原発直下に地盤をずらす「断層」があっても原発の運転を一律に禁止せず、継続の可能性を残す新たな安全評価基準の導入を、経済産業省原子力安全・保安院が検討していることが28日、分かった。
 保安院は従来「活断層の真上に原子炉を建ててはならない」との見解を示していた。新基準では、これまでは活断層と判断される可能性があった一部の断層について原発の直下にあっても、ずれの量が小さく原子炉建屋などに影響が生じないと評価されれば原発の運転継続も可能になるとみられる。
 だが「ずれの量の正確な評価手法はまだ完全ではない」(保安院)など課題も多い。

(引用)





丸山健二の“しごくまっとうな”ツイートからも引用;

☆ 丸山健二 ‏@maruyamakenji
 この世は狩る者と狩られる者によって成り立っているという、つまり、弱肉強食の世界とする説は、確かに真理の一端を担う考え方であり、的を突いていることにおいてのみ一定の敬意を払っても構わないのだが、しかし、それをすべてとする気にはとてもなれない。人としての意味を失ってしまうからだ

☆ 丸山健二 ‏@maruyamakenji
 どうにかこうにかそれらしく見えるだけの政治家をまたしても選び、正義を貫くことなど間違ってもあり得ない、ろくでなしや、お調子者や、無能者たちに国家を任せてしまうつもりなのか。そして、呵責なき残忍さを具えた、無慈悲な密議に明け暮れる役人どもをいつまでのさばらせておくつもりなのか






<追記>

津田大介ファンのために(ぼくはそうじゃないが)

津田大介も上記ニュースについてツイートしている;


☆ 津田大介 ‏@tsuda
お  前  は  何  を  言  っ  て  る  ん  だ / “原発、断層ずれても運転可能に 保安院が新基準導入へ  - 47NEWS(よんななニュース)” http://htn.to/9QgmUk










好きな本2012夏(とりあえず思い出したもの)

2012-08-23 21:04:37 | 日記


アーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』;岩波少年文庫-中学校の図書室で借りた

山本周五郎『樅の木は残った』;テレビ・映画化では佐々木愛の宇乃が好き

ブラッドベリ『刺青の男』、『火星年代記』;最初に読んだのはSFマガジン創刊号?の「7年に1度の夏」

大江健三郎「奇妙な仕事」、「死者の驕り」、「芽むしり仔撃ち」;なにかの文学全集に入っていたもの

大江健三郎『個人的な体験』、『万延元年のフィットボール』;このころ大江作品はエッセイをふくめほぼ全部読んだ

サルトルは小説、戯曲、評論を中心に読み、『存在と無』などの主著は読めず(好きなのは戯曲『蝿』か)

ノーマン・メイラーの『ぼく自身のための広告』;内容はおぼえていないが(やたらセックスが話題になっていた)、そのスタイルに感銘、『裸者と死者』もがんばってみな読んだ(笑)

へミングウェイ『武器よさらば』;これストーリーはメロドラマだが、やはり文体(翻訳だが)、ほんとうにいいのは『われらの時代』

ル・クレジオ『調書』;これは最初読んだときよりあとになって効いてきた、『ロドリゲス島への旅』、『物質的恍惚』、『悪払い』は近年読んで感銘

ビュトール『時間割』;なぜか大好きで何度か(全部でないが)読んだ、『心変わり』は近年岩波文庫版で読了、むかし途中放棄したが今度はよかった

スティヴン・キング『デッド・ゾーン』、『IT』、『アトランティスのこころ』;キングはかなりの時期にわたって、ある時まで、かなり読んだ

ロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』;海外ミステリ系・ハードボイルドもかなり読んだ今残っている1冊ならこれ、チャンドラーではない(笑)

ハーバート『デューン 第1部、2部』;これいつ読んだかさだかでない、SF史上の傑作

レム『ソラリスの陽のもとに』;タルコフスキーの映画を先に見たかもしれない

ギブソン『ニューロマンサー』;これに続く3部作、1980年代?

ナボコフ『ロリータ』、『自伝=記憶よ語れ』;好きだ(『ロリータ』新訳はまだ読んでない)

デュラスのなにを最初に読んだかわからない、『モデラート・カンタービレ』か。もちろん『愛人』はよい、『太平洋の防波堤』はいまだ読了せず(有名でなかった彼女の『静かな生活』もよい)、このひとは全部よいのではないか

グラス『ブリキの太鼓』;これの第1部と第2部は好き、第3部になってなぜか読めず

★ トゥルニエ『フライデーまたは太平洋の冥界』;哲学的?小説の成功例

田村隆一『言葉のない世界』、『新年の手紙』;ぼくがいちばんなじんだ詩人は谷川俊太郎だった、田村の『新年の手紙』はわりとリアルタイムで読み好きだったが、本当に好きになったのは近年で、現在、谷川より好き

開高 健『オーパ!』など;このひとの“釣り紀行”には楽しませてもらった(感謝!)、もちろん『耀ける闇』や『玉、砕ける』が傑作でないわけはない(このひとの“小説”を忘れてはならない)

村上春樹『蛍、納屋を焼くその他の短編』、『ダンス、ダンス、ダンス』;ノーコメント(笑)春樹は長編より短編が好き(「めくら柳」とか「人喰い猫」とか「彼女の犬」とか

ラピエール&コリンズ『おおエルサレム』;ある歴史的事件の当事者インタヴュー集成によるドキュメントの傑作、歴史が人々の血と汗と涙からなることを証言するリアル(こういう本が絶版なのは残念というより、出版社の怠慢)

藤原新也『全東洋街道』;このひと、ひところ話題になりすぎて損をしている?写真も文章もよい、アメリカ横断の『アメリカ』もよい

オンダーチェ『イギリス人の患者』;なぜかとても好き、現在読み返している、翻訳がいいと思う―原文より強い

ル・カレ『スマイリー3部作』;これの面白さは、読まなきゃわかんない、映画化もされたようだが、スマイリーの魅力は出せないだろう

日野啓三;このひとの“代表作”は選べない、現在、ほぼ全作品を読み返そうとしている。

中上健次『熊野集』、『紀州』、『地の果て至上の時』;ノーコメント、ぼくは遅れて来た中上ファン、『地の果て至上の時』を読み返す(つもり)

辺見庸;ノーコメント(笑)1冊を選ぶなら『眼の探索』

平出 隆『猫の客』;こういう“小説”が近年書かれていたことが、おどろきだった

青山真治『ホテル・クロニクルズ』;このひとは映画より小説のほうがいいのではないか?(『ユリイカ』はそうだ)映画はあまり見たことないが小説はほぼ全部読んだ

ジュネ『シャティーラの四時間』、『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』;言うことなし(笑)このブログにも取り上げた、こんごもかかわるだろう本

★ 哲学-思想-社会批評系が1冊もないではないかと、言われれば、返す言葉もない(笑)

★ ひところヒューズ“ヨーロッパ社会思想史3部作”をこのブログで推薦していたが、この本が”わるい“のではないが、ぼくに対するインパクトはうすれた。
かわりに“弟子”のマーティン・ジェイ『暴力の屈折』をあげる(これは一種の思想的エッセイである、現在アメリカ・インテリの弱点もわかるので)

★ ベンヤミン『一方通行路』;ベンヤミンはまだあまり読めてない、だが『一方通路』は確実によい。

★伝記と自伝的インタビューから2冊
  *D.エリボン『ミシェル・フーコー伝』
  *レヴィ=ストロース『遠近の回想』

★ 立岩真也の本は、”これから”読めるか?

★ ”解説本”?で、ただ解説しているのではない情熱を感じたもの;
  *野村修『ベンヤミンの生涯』
  *鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』


★ ごく最近読んだものでは(あまり読んでいないが)、平野啓一郎の初期短編「清水」(『高瀬川』所収)―このブログで小説を部分引用するという暴挙をおかした

★ 矢作俊彦『夏のエンジン』;このひと、つまらないものも書くが、これはいい。

★ 四方田犬彦『貴種と転生・中上健次』;この”評論”をぼくは中上健次をあまり読んでない頃に読んだ、いまこの本を読むと評価が変わるかもしれない。




以上あくまでいま短時間で“思いついた”リストにすぎない。

また思い出したら(とんでもなく重要な本が抜けているかもしれない)追加する。








《Life is a game just made for fun, I don't need no body》
     ― FREE “I’m a mover“






映画の夢・夢の映画(2012夏)

2012-08-11 22:59:52 | 日記

ぼくの好きな映画;

★荒野の決闘(1946 ジョン・フォード)
★七人の侍(1954 黒澤 明)
★野いちご(1957 イングマル・ベルイマン)
★灰とダイヤモンド(1957 アンジェイ・ワイダ)
★めまい(1958 アルフレッド・ヒッチコック)
★楢山節考(1958  木下惠介)
★太陽がいっぱい(1960 ルネ・クレマン)
★血とバラ(1960 ロジェ・ヴァディム)
★ピアニストを撃て(1960 フランソワ・トリュフォ)
★ウェストサイド物語(1960 ロバート・ワイズ)
★許されざる者(1960  ジョン・ヒューストン)
★アラビアのロレンス(1962 デヴィット・リーン)
★女と男のいる舗道(1962 ジャン=リュック・ゴダール)
★秋津温泉(1962 吉田喜重)
★8 1/2 (1963 フェデリコ・フェリーニ)
★天国と地獄(1963 黒澤 明)
★ 軽蔑(1963 ジャン=リュック・ゴダール)
★ 鳥(1963  アルフレッド・ヒッチコック)
★ 柔らかい肌(1964 フランソワ・トリュフォー)
★ 怪談(1964  小林正樹)
★ 赤ひげ(1965 黒澤 明)
★ 飢餓海峡(1965  内田吐夢)
★男と女(1966 クロード・ルルーシュ)
★ 沓掛時次郎 遊侠一匹(1966 加藤泰)
★ 愛の渇き(1967  蔵原惟繕)
★明日に向かって撃て(1969 ジョージ・ロイ・ヒル)
★惑星ソラリス(1972 アンドレイ・タルコフスキー)
★狼は天使の匂い(1972 ルネ・クレマン)
★ゴッド・ファーザー(1972 フランシス・F・コッポラ)
★フェリーニのローマ(1972 フェデリコ・フェリーニ)
★アギーレ・神の怒り(1972  ヴェルナー・ヘルツォーク)
★約束(1972 斉藤耕一)
★離愁(1973 ピェール・グラニエ・ドフェール)
★都会のアリス(1973 ヴィム・ヴェンダース)
★地獄の逃避行;Badlands(1973 テレンス・マリック)
★ガルシアの首(1974 サム・ペキンパー)
★妹(1974 藤田敏八)
★鏡(1975 アンドレイ・タルコフスキー)
★地獄の黙示録<完全版>(オリジナル1979 フランシス・F・コッポラ)
★エイリアン(1979 リドリー・スコット)
★ツゴイネルワイゼン(1980 鈴木清順)
★シャイニング(1980 スタンリー・キューブリック)
★グロリア(1980 ジョン・カサヴェテス)
★殺しのドレス(1980 ブライアン・デ・パルマ)
★細雪(1983  市川崑)
★家族ゲーム(1983  森田芳光)
★パリ・テキサス(1984 ヴィム・ヴェンダース)
★それから(1985 森田芳光)
★未来世紀ブラジル(1985 テリー・ギリアム)
★ロンリー・ハート(1986 ブルース・ベレスフォード)
★汚れた血(1986 レオス・カラックス)
★死への逃避行(1989 クロード・ミレール)
★ アビス(1989 ジェームズ・キャメロン)
★ 魔女の宅急便(1989  宮崎駿)
★テルマ&ルイーズ(1991 リドリー・スコット)
★覇王別姫(1993 チェン・カイコー)
★レオン(1994  リュック・ベッソン)
★楽園の瑕(東邪西毒)(1994 ウォン・カーウァイ)
★エイジ・オブ・イノセンス(1995  マーティン・スコセッシ)
★恋人までの距離(1995 リチャード・リンクレイター)
★セヴン(1995 デヴィット・フィンチャー)
★ラヴ・ソング(1996 ピーター・チャン)
★フィフス・エレメント(1997 リュック・ベッソン)
★ナンニ・モレッティのエイプリル(1998 ナンニ・モレッティ)
★花様年華(2000 ウォン・カーウァイ)
★ザ・セル(2000 ターセム・シン)
★Distance(2001 是枝裕和)
★リリイ・シュシュのすべて(2001 岩井俊二)
★メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬(2006 トミー・リー・ジョーンズ)
★ スカイ・クロラ(2008 押井守)



*書き忘れた映画があるかもしれない(思い出したら、順次追加)
またすぐれたテレビドラマ(国内、海外とも)があった。





☆ Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
映画史というのは、自らの歴史をもつことができる唯一の歴史だということです。なぜなら、映画史というのは自らの痕跡をもっている唯一の歴史だからです…人々がこしらえたさまざまの映像が残っているからです。―ゴダール








“田舎芝居”と“しあわせ芝居”

2012-08-05 14:20:09 | 日記

☆ 丸山健二 ‏@maruyamakenji
 反社会的な集団とは国家を統べる者たちであり、大企業のボスたちである。筋金入りの悪党であるかれらは権力と金力に汚染され、順応力に富み過ぎている国民の上にどっかりとあぐらをかき、国民の生活水準の向上をうたい文句にして、実は自分たちの私生活の分を超えた向上にのみ気を配っているのだ。

☆ 丸山健二 ‏@maruyamakenji
 その場その場で適当なおいしい言葉を吐き散らし、無邪気に改革を推し進める、田舎芝居の演技力を具えながらも、本当は実行能力などかけらも持ち合わせていない、したり顔の、いい気な、新指導者の男。そして、そんな怪しげな人物に、今度こそはと期待し、心の拠り所にする、救いがたい有権者たち。

(引用)





♪ 泣きながら電話をかければ
♪ 馬鹿な奴だとなだめてくれる
♪ 眠りたくない気分の夜は
♪ 物語をきかせてくれる
♪ とてもわがままな私に
♪ とてもあの人はやさしい
♪ たぶん周りのだれよりも
♪ とてもあの人はやさしい

♪ 恋人がいます 恋人がいます 心の頁につづりたい
♪ 恋人がいます 恋人がいます けれどもつづれないわけがある

(中島みゆき:しあわせ芝居)





★ ゴダール語録(しつこく引用!

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
それにまた、光をあてるということは、ひとつのアングルをとり、そこから光の円を描き出し、その円のなかになにかを置くということです。なにかをスターに仕立てあげるものは、光の束なのです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
映画はどれもみな、どんな人の一日の生活よりも想像力に欠けています。ところが、それを見る人たちは、二ドル払わせられたうえになお、その映画は自分の人生よりもずっと素晴らしいと思いこまされているのです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
この映画のなかには、女たちについてのきわめて過酷な言葉がいくつかあります。私は今ではそれらを完全にばかげた言葉と思いますが、私のなかから出た言葉であることも確かです。―ゴダール

Jean-Luc Godard ‏@godard_bot
私は今では、それらをよりよいやり方で語ることができます。当時は、だれもわれわれに映画をつくるすべを教えてくれなかったのです。自分がつかう言葉を…自分がつかう言語を、まさに自分ひとりで学ばなければならなかったのです。―ゴダール






20年が経って;中上健次の夏

2012-08-03 10:59:05 | 日記

別冊太陽として中上健次特集号が刊行された(ぼくはまだ見ていないが)


☆ Amazon内容紹介;

熊野の「路地」をトポスとして、「紀州サーガ」と呼ばれる濃密で重層的な作品群を創出した稀有なる作家。過剰なエネルギーを蕩尽するように疾走した生涯と文学の軌跡。没後20年保存版。


☆ 平凡社 ‏@heibonshatoday

別冊太陽『中上健次』。監修=高澤秀次、執筆=柄谷行人、松浦寿輝、安藤礼二、野谷文昭、斎藤環、前田塁、津島佑子、リービ英雄、宇多喜代子、イヴ・ジマーマン、丹野清和、川村湊、青山真治、丸川哲史、山本ひろ子、藤井貞和、辻本雄一、紀和鏡、中上紀、菅啓次郎、大塚英志、池田雄一、佐藤康智。






中上健次について書かれた文章を読むのもいいけれど、中上健次の著書自体を読む方がいい。

むかし読んだひとも、もういちど。





★ 朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。

   ―中上健次:『地の果て 至上の時』