さて今日の読売編集手帳である。
読売新聞は、なにが言いたいのか。
全文を引用するが(引用したくないが、引用しなければわからないので;笑)、ぼくの疑問は、最後の
《「人生は選択肢だらけ。何かを選ぶために何かを捨てる。でも後悔しない」》
という言葉である。
すなわち、
彼女たちが<選択しなかったもの(捨てたもの)は何か?>という問いである。
引用開始;
脆くみえるガラスでも、たたき割れない強化ガラスがあるだろう。「グラス・シーリング」(ガラスの天井)は、米国などで長年、キャリア・アップを目指す女性に立ちはだかる壁に例えられてきた◆そんな天井を突き抜けた先駆者がいる。代表がヒューレット・パッカード(HP)のカーリー・フィオリーナ元最高経営責任者(CEO)とインターネット競売大手イーベイのメグ・ホイットマン元CEOだろう◆「最強の女性経営者」と評されたフィオリーナさんは秋の米中間選挙で、カリフォルニア州の上院選に共和党候補として名乗りを上げた。ホイットマンさんは、シュワルツェネッガー同州知事の後任の共和党候補だ◆もたつく米国経済は、全米最大のカリフォルニアの復調に左右される。巨額赤字を抱える政府と、同州の財政再建も難問である。青い空が似合うカリフォルニアに暗雲がたれ込める◆「人生は選択肢だらけ。何かを選ぶために何かを捨てる。でも後悔しない」。フィオリーナさんの人生哲学だ。実業界の経験をアピールするカーリー&メグ旋風は、民主党オバマ政権に脅威となりかねない。(今日読売編集手帳)
ちなみに天木直人ブログからも引用しよう。
ぼくは天木直人氏の主張の“各論”には賛同しかねることも多いが、以下の発言には賛成である;
★猛暑のせいでもないだろうが、なんだか、世の中が緩みきっている。
気色悪い世の中になってきた。
メディアがそれを許し、いやむしろ演出している。
そう思うのは私一人だろうか。
★この国は嘘で塗り固められた緩んだ国になりつつある。
それをメディアが許し、作り出している。
日本はもっと単純、明快な国に戻るべきだ。
本音が言える国にならなければいけない。
真面目に生きる者が報われる国であるべきだ。
要するに皆が真剣に毎日を生きる、そういう緊張感のある国に戻らなければいけないと思う。
(天木直人ブログ“なんだか気色悪い世の中になってきた”から引用)
もちろん、天声人語からも引用せねばなるまい(笑);
《▼親方衆と暴力団の関係が新たに報じられるなど、角界の前途は多難を思わせる。強い白鵬が人気をつないでいるうちに、再生の足がかりをつかむほかなかろう。相撲協会は、危機を一人で背負える大横綱の存在に感謝しないといけない》
朝日新聞の<正義>とは何か?
ぼくは<正義>をあまり信じないが、このような<言説>が、正義に反する社会を形成してきたことは、知っている。
<追記>
読売も朝日も、“新自由主義”イデオロギーに凝り固まった保守(保身)主義者にすぎない。
まさに、この“保守主義”こそが、死に至る病である。
柔軟であっても頑迷であっても老獪であっても、“みな同じ”である。
真面目に言っても、‘しゃれ’をいっても、‘やさしく’言っても、‘かわいく’言っても、‘お笑い’であっても、みな同じ。
<現実>にまったく鈍感な“現実主義者”たち(彼らの閉ざされた<五感>、シャットアウト!)
永遠に自分の“刷り込み”を、ただ繰り返すだけの“ロボット言語=キカイなキカイ語”。
“アイドル”を死ぬまで“追っかける”だけの人生。
もちろんぼくは、60余年、後悔ばかりして生きてきた(生きている)
なんか、文句あっか?(笑)
このような硬直人間が、けっして理解し得ない<言葉>もたくさんあるのである。
そのひとつを掲げる;
《各人はその能力に応じて、各人にはその必用に応じて!》
こういう<言葉>もある;
★今日、わたしたちは、真理は存在しないということを知っている。爆発と変容と疑惑があるだけなのだ。出発すること。わたしたちは出発したいと思う。しかしどこへか。すべての道は互いに似ていて、すべては自己自身への回帰にすぎない。それならほかの旅を探さなければならない。
★わたしたちの目の残忍さと貪欲。
しかしここには、河のほとりに立って動かない若い女の、見つめている目だけがある。(見つめている目)。
★言葉による征服、言葉や、形容詞という蟻のあらゆる小さな咬み傷。話すことを学びつくしたとき、残るものはなにか。沈黙する術(すべ)を学ぶことだ。
<ル・クレジオ『悪魔祓い』>
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