Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

中上健次と天皇の死

2010-05-04 13:49:43 | 日記


内田隆三『国土論』の“天皇の死”という章で、中心的に取り上げられるのは、中上健次である。

ぼくは、当時、中上健次がどのような発言をしたかを知らなかった。
この本で知った、たとえば江藤淳との対談。

たとえば、“江藤淳”という評論家も、まったく読むにあたいしない人ではなかった。
だがここで紹介される江藤はまったくダメである。
“昭和天皇の死”のときに、江藤淳は“自分の祖父”と“自らの天皇の御大喪参列”について以下のように書いた;
★ ・・・・・・位階に雲泥の相違こそあれ同じ血筋に連なる者が、二代の帝の大御幸を奉送することを許されるとは、家門の栄誉というほかない。祖母の霊も、さぞかし満足だろうと、私はひそかに手を合わせざるを得なかった。(引用)

以上の文章を今読んでぼくがまず感じるのは、このとき江藤淳は“すでに”認知症だったということである。
だいいち《ひそかに手を合わせざるを得なかった》のなら、江藤はなぜそれを文章として“発表”するのか、ひとに読ませるのか?
“位階”、“同じ血筋”、“家門の栄誉”、“祖母の霊”という言葉は、いったい20世紀に発せられうる<言葉>であろうか!


ぼくは中上健次の話をしたい(笑)
内田隆三の言葉を引用しよう;

★ 70年代の後半、彼が紀州熊野の風景について述べた文章を今一度振りかえってみよう。彼によって闇の国といわれた紀州熊野の地は思い切り晴れている。実際、彼はその紀州熊野の風景を、山々にある樹木、草の葉、その葉に降り積もる日の光り、輝きだす緑の色、そして風の動きにいたる生々しい連鎖に触れながら、次のように書いている。

★ どこの部分でもよい。山の風景でもよい。草が日を受けて緑いっぱいに茂っている。草の葉の表面に重すぎるほどの日の光が降り積もり、草の葉は耐え切れぬようにたわみ、風に揺れる。以前はその風に揺れる草の葉が光をまき散らしているように思ったが、いまは違う。葉が、日を受けて緑の色を分泌し、光を葉自体が作り出している。光が砂のようにこぼれ落ちるのではなく、日が沁み出てゆく、と思う。草の葉、樹木、それらが物である事に変わりはないが、はっきりと生きていて、刻々と動き、細胞分裂をくり返し、生殖している。生き物らが、風を受けて一斉に動く。(中上健次“風景を飲む”)

★ 他方、紀伊半島を経めぐる旅のなかで、皇祖神アマテラスを祭る地に行き、朝熊(アサマ)山の奥へ分け入ったときの彼の思念を思い出してみよう。彼はその雨の日のことを次のように書いている。

★ 雨が激しくなる。潅木の緑が濡れている。私は雨と渓流の音をききながら、立ちつくし、また思いついて向こう側へ渡る方法をさがして歩きまわる。草は草である。そう思い、草の本質は、物ではなく、草という名づけられた言葉ではないか、と思う。言葉がここに在る。言葉が雨という言葉を受けて濡れ、私の眼に緑のエロスとしか言いようのない暗い輝きを分泌していると見える。言葉を統治するとは「天皇」という、神人の働きであるなら、草を草と名づけるまま呼び書き記すことは、「天皇」による統括(シンタクス)、統治の下にある事でもある。では「天皇」のシンタクスを離れて、草とは何なのだろう。(中上健次;“伊勢”-『紀州』所収)

★ 言葉は語られたり、書かれたりするだけではない。それは場所と深く結びつき、一度きり、見えるのであり、匂うのであり、<感応>するものでありうる。

★ だが、制度の言葉はこういう場所=トポスから離れ、ある種の普遍的な反復の空間に吸収され、自律し、何かを物語るところに成立している。

★ 語られ、またとりわけ書かれる言葉の空間は、天皇の統治する世界であり、物語=法・制度の空間である。この当時より中上がめざしたのは、自身がすでに領有されているこのような物語=法・制度の言葉を無化しながら、物と直結した場所=トポスの言葉によって語ることであった。「自然」がすでに日本的なものとして、また差別や抑圧の根源的な形態として、物語の言葉に馴致されているとすれば、彼のめざすべき表現はそのような「自然」を逆立ちさせ、暴きたてるようなものとなるだろう。「自然」は己の流す涙をこそ知るべきなのである。

★ 天皇による統治の言葉から抜け出すことが可能だとしても、その試みが天皇の言葉を異貌の次元でだが模擬し、どこかでそれに似てくるのだとすれば、この恐るべき内閉性はどのように考えたらいいのだろうか。もちろん結論はまだ早すぎるのかもしれない。場所(=トポス)の言葉、日の光が沁みる言葉、雨に濡れて緑色に輝く言葉の世界は、まだ十分に開示されたとはいえないからである。だが残念なことに、中上はもうその冒険の場所(=トポス)を去ってしまったのである。

<内田隆三;『国土論』2002>




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中上健次
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