Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

言葉=生成

2011-09-25 20:02:27 | 日記


★ 言語とは、誰かによって、外部世界をとりこむだけのために [世界を表象するために] 発明されたものではない。したがって、それは外部世界をあきらかにするための道具として使われることはできない。そうではなくて<言語する>ことによって、言語という行動の調整の中で、認識 [知ること] という行為が、<世界>を生じさせるのだ。ぼくらはぼくらの生を、相互的な言語的カップリングにおいていとなむ。それは言語がぼくらにぼくら自身をあきらかにすることを許すからではなく、ぼくらはぼくらがほかの人々とともに生じさせている絶えまない生成 [<なってゆく>こと] の中で、言語において構成されているからだ。ぼくらは自分自身を、この共=個体発生的カップリングの中で、あらかじめ存在するレファレンスや起源との関連によってではなく、ほかの人間たちとともに作り上げる<言語による世界>の生成における、進行的変化として、見いだすのだ。

<マトゥラーナ&バレーラ『知恵の樹』(ちくま学芸文庫1997)>








“かすかな色どりとなる希望”

2011-09-25 15:46:18 | 日記


大岡昇平『成城だより』を読む、1980年;

(三月六日 木曜日 晴)
★ わが71歳の誕生日。ケーキ、花など下さる方あり。感謝感激の至りなるも、当人はあまりめでたくも感ぜず、戸まどい気味なり。71歳まで生きられると思っていなかった。戦争に行ったのが35歳の時なれば、戦後35年、もはやそれと同じ歳月を生きたことになるのなり。

★ されど、とにかく35年生きたるため、思いもかけなかったことに多くめぐり合いたり。核エネルギー開発、人工衛星打上げ、人類が月面を歩いたことなどいろいろあり。二度の世界大戦の経験にて、戦争に勝っても得ることなしとわかったはずなのに、三度目の戦争をしよう、徴兵制にしよう、といい出す者が出て来たりたるとは驚きなり。

★ 老人は1930年代の不景気と、終戦後の耐乏生活の経験あれば、どんな事態が来ても堪うる自信あれども、資本家共が軍備を拡張し、兵器輸出によって、利潤を確保しようと狂奔するさまに、拍手を送る手合いの発生には驚くほかなし。

★ されど齢70年代に突入しながら、なお常に不吉なる見通しに悩まされ、いらいらしているわが身のさがの不幸を感じることあり、なぜわが生を享けたる日本の環境と調和せる人間となれないのか。



(十日 月曜日 晴)
★ やっと暖かくなった。先月29日以来12日ぶりにて、駅まで散歩。沿道の家の梅満開。ややはしゃいだ気分となる。ただし風あり。駅へ向かって歩けば、南風を正面より受く、すると少し寒気がするのだから、血のめぐりの悪い老人はばかばかしい存在だ。

★ 栄華飯店にて鶏ソバ、十一年来、こればかり食っている。ベストセラー『悪魔の選択』、『新・悪の論理』買わず。共にソ連のアフガン進出を予想しありということなれど、どうせその可能性を一頁か二頁言及してあるだけだろう。スパイ小説として、面白いからベストセラーになったに違いないが、上下2冊読むひまなし、後者は前大戦中、聞き飽きた地政学なる古念仏にて、興味なし。地図に勝手に矢印をつけたるだけなり。前大戦に軍人はやたらに地図に筋を引き、作戦を立てて敗れたるなり。読むと書くほかに、することなき人間なれど、断固読まざる本もあるなり。



(十二日 月曜日 晴)
★ またもや寒き日。順天堂大の北村和夫教授の定期診察日(先月はさぼった)。レントゲン、心電図、快調とのこと。関西までの長距離旅行の許可出る。昨年6月の状態に、やっと戻った。「堺事件」について調査旅行可能ということ。

★ 帰途、新宿住友ビル内、カシオ計算機営業所へ寄って、電子楽器カシオトーン201を見る。2年前にピアノを孫に巻き上げられてより、家に楽器なし。例えば『リズムとテンポ』中の第三世界音楽の効果を確かめることできず。鍵盤4オクターブあり、ピアノ、クラリネット、ハープその他、29の音を出すとの広告見て、現物に当たってみたくなった。

★ 音は電子的擬似音なれど、フルート、ハープ、バンジョーなど、生まれてから手をふれてみたことなき楽器の擬似音を出してみて愉快だった。わが灰色の毎日に挿入されしかすかな色どりとなる希望。

★ 家人と共に50階のパーラーまで上って一服。筆者は二度ばかり、このあたりのホテルに泊まって、40階より俯瞰景の経験あるも、なんだか20階ぐらいの感じしかない。白内障手術して空間せばまりたるなり。もはや常人にあらざる悲哀。秩父より丹沢、大山への連山霞む。富士は見えず。

<大岡昇平『成城だより 上』(講談社文芸文庫2001)>








エシックス;新しい経験

2011-09-25 01:59:31 | 日記


★ アダムとイヴが善悪を教える知恵の樹 [善悪を知る木] の実を食べたとき、ふたりはもうけっして原初の無垢 [無知] な状態に戻ることのできない別の存在に変わってしまったのだと、聖書は語っている。

★ この本において、ぼくらはこのはじめの「知恵の樹」へとたちもどってみた。生物学的現象としての認識についての科学的研究をさしだしながら、きみにあの樹の実を食べることをすすめた。(……)認識についての認識は、強制するのだ。それは確実さ [確信] の誘惑に対してつねに警戒的な態度をとるように、ぼくらを強制する。確実さは真実の証拠ではないのだと、認めることを強制する。みんなが見ている世界は、唯一の [定冠詞つきの] 世界なのではなく、ぼくらがほかの人々とともに生起させているひとつの世界でしかないのだと、はっきりと理解することを強制する。世界とは、ただぼくらが異なった生き方をするときにのみ異なったものとなるのだということをわかるようにと、ぼくらを強制する。

★ それこそこの本において、<認識についての認識>をつうじてぼくらが述べたすべてのことが、回避することのできないひとつの倫理規範(エシックス)をふくんでいるということの理由だ。人間の生物学的・社会的構造についての意識の中に基準点をもっているエシックス。人間の反省的思考から生まれ、人間の反省的思考を、本質的社会現象として、すべての核心におくようなエシックス。ぼくらの世界とは必然的にほかの人々とともに生起させる世界にほかならないと知っていさえすれば、共=存在をつづけたいと思っている相手の誰かと争うはめになったとしても、自分たちにとって確実なこと(絶対的真実)が他人の存在を否定することになるのなら、その真実をかたくなに主張しつづけることはもうけっしてできない。

★ 争う者たちが「確信」をもっているとき、争いは、生じた場所ではけっして解決されえない。争いは、ただぼくらが、共=存在が生じるようなもうひとつの場所 [反対物の一致を見出せる、より広いコンテクスト] へと移動したときにのみ、消滅する。この認識を認識することが、人間を中心にすえたエシックスのための社会的命令 [規則] となるのだ。

★ 生物学がぼくらに教えてくれるのは、人間であることの独自性は全面的に、<言語する>ことをつうじて起こる社会的構造的カップリングにある、ということ。そのカップリングによって生みだされるのは、つぎの2点だ。(a) 人間の社会的ダイナミックスに固有のさまざまな規則性、たとえば個人のアイデンティティや自意識。(b) 人間としてのぼくらがもつ世界は他人とともに――かれらのことを好きだろうと嫌いだろうと――作りだす世界だけだ、ということをわからせてくれるような反省的思考を必然的にともなう、リカーシヴな社会的ヒューマン・ダイナミックス。

★ 生物学はまた、ぼくらは認識の領域を拡大することもできるのだということを、教えてくれる。これは推論や、見知らぬ人との出会いや、いっそう直接的にはぼくらに他者を見せ、彼あるいは彼女にたいしてぼくらのかたわらに存在の空間をひらくような、生物学的個体間合同の表現をつうじてもたらされる新しい経験によって、生じるものだ。この行為は<愛>と呼ばれる。あるいはよりおだやかな [そして余分なコノテーションのない] 表現を好むなら、毎日の生活においてぼくらのかたわらにほかの人々を受入れるということ。これこそ、社会という現象の生物学的基盤だ。愛がなければ、つまり他人がぼくらのかたわらに暮らすことを受入れるのでなければ、社会的なプロセスは存在せず、したがって、<人間であること>も存在しない。

<マトゥラーナ&バレーラ『知恵の樹』(ちくま学芸文庫1997)>







まちがった認識論

2011-09-24 14:26:41 | 日記

★ この本はもともと米州機構の助成によるトランスカルチュラル・コミュニケーション・プログラムの一環として計画され、1980年秋からふたりの著者が一般聴衆を相手に交互におこなった連続講演をもとにして、チリの首都サンチアゴのエディトリアル・ウニベルシタリアから出版されたものだ。

★ 60年代なかばに教師と学生として出会ったマトゥラーナとバレーラは、やがて共同研究者として「機械と生物について――生物の組織化をめぐるひとつの理論」という論文を執筆する。けれどもその論文が発表された1973年、アジェンデ社会主義政権にたいする軍部のクー・デターによって、チリは凄惨な混乱におちいった。アンデスの山々を望む優美なサンチアゴの市内を音を立てて流れるマポチョ河が血に染まり、多くの人々が殺され、あるいは亡命を余儀なくされた。数万人におよぶというその正確な数は、誰にもわからない。マトゥラーナとバレーラも、それぞれ祖国を遠く離れた場所で、個別に新しい探索をつづけることになった。その苦しい日々をくぐりぬけたふたりの再会と共同研究の再開の結実が、この『知恵の樹』だ。

★ チリの内乱に深刻な衝撃を受け、その恐怖政治の原因がまちがった認識論にあると考えるようになったふたりは、この本を<確信の誘惑>を断ち切ろう、という呼びかけからはじめる。「世界観にはその世界観自体を取り消すべき方法が組み込まれていなければならない」。さまざまな困難の核心にあるのは<知ることについての無知>だ、とふたりは言う。かれらのメッセージを真剣に受けとめるなら、ここで語られようとしているのがたいへん具体的な、ぼくらの毎日の生活に深くかかわる、ある実践的な倫理でもあるのだということがわかるだろう。

<マトゥラーナ&バレーラ『知恵の樹』― 管啓次郎“訳者あとがき”>







意識の解読

2011-09-23 19:22:55 | 日記


★ 偏在するわたしは、決して統合されることなく、その都度選択されるだけだ。窓から夜の町並みを眺め、海沿いにある双子型高層アパートを見つめる「わたし」は、その表象を計算する局所的意味論である。それを見ながら何がしかを夢想するわたしは、また別の局在するわたしである。同時にわたしは煙草を吹かしているが、煙草にふと意識を集めたとき、また別の偏在するわたしが選択される。さまざまなことが同時に計算され=認識されながら、或るわたしが選択される。私は多重的であるが、その都度どれかが卓越される。それ以上でもそれ以下でもない。

★ 我々の社会、と我々一人一人は言うが、社会それ自体が意識を有しているわけではない。社会を意識するのは、一人一人の意識であり、誰もが同じく、我々の社会と言うであろう。しかしその個人が社会・世界と分離されて個人であることはあり得ない。ゆえに一人の意識とは、その一個人に限定的に由来する固有のものではない。意識もまた、偏在するわたしが「わたし」を認識するのであって、統一した全体=一者としてのわたしは実在しない。そして社会の構成員であり社会を認識するわたしが、社会に生き、社会性を帯びるがゆえに、肉体的に閉じたこの私に封緘できぬのと同様に、偏在するわたしもまた、或る神経細胞群に閉じているわけではない。むしろ閉じていると仮定する場合にしか、統合という問題は生起し得ない。

★ 繰り返す。私は、このような問題は実は成立していない、と考えている。統合という問題は、統合されるべき要素の分離・独立を前提とする。しかし一個の神経細胞が孤立しているわけでもない。一個の神経細胞が計算を実行するためにも、他が実行環境をその都度提供する。したがって統合問題は成立しない。むしろ現象論的計算という枠組みによって、我々は孤立した実体、実在論的わたしを解体し、超越論的主体=現象を認める地平にある。超越論的主体の、或る局在、或る生成が、わたしである。したがってむしろ、問題は統合ではなく、局在化である。そして局在化は、常に或る局在化としての計算に潜在する形で発見=構成される。

★ 脳が世界内で孤立し、閉じた存在でない以上、脳だけが、自らの実行環境を創り出している特殊な計算機である、という言明は、或る錯誤のもとでのみ成立するに過ぎない。脳とロボットの差異は、程度の差異であり、存在論的な差異ではない。ロボットが死んでいるなら、私は既にして死んでいる。それでもなお、私は、ロボットとわたしとの、この程度の差異を、本質的な生と死の差異であるように計算し、認識する。程度の差異を生と死の差異と認識する限りにおいてのみ、わたしは確かに生きているのである。


★ いまや我々は意識の解読において、この世界に生きるということ、を感得することができる。

★ 私は、いずれ死ぬ、この世界を生きる私自身に対して、こう言いたいのだ。「私はわたしで生きている。ふざけんじゃない」、と。

<郡司ペギオ-幸夫『生命理論』(哲学書房2006)>








楽しい読書

2011-09-20 16:01:15 | 日記


ぼくのこのブログもジリ貧状態が続いており、“訪問者”200人のボーダーラインを下回る日も多い、この頃です(笑)

たしかに、昔のように毎日書かないし、一日に何本も連発することも、少なくなったね。
今日はなぜか“連発”します。
すなわち、いま読んでいる本が面白いので。

この本は単行本で出た当時(1981~1986年)に読んでいる。
書いた人=大岡昇平、タイトル=『成城だより』。
これが講談社文芸文庫で上下巻で出た(2001年)のを、また買ったわけ(昔の単行本はもうない)

“大岡昇平”というと、その名を知っているひとも、“日本文学史上”の大昔のひとと思っているか、『レイテ戦記』なんだからノンフィクション作家だと思っていたりするかもしれない。
ちょっとくわしいひとは、丸谷才一の“文章読本”で知ってるかも。

この『成城だより』は日記です。
はじまりは、1979年11月8日(木曜日 晴)だね。
この年、大岡昇平70歳。

1979年に生まれてなかったひと、あるいは“老人”に(まだ)関心のないひと、には、この本はつまらないのかねー?

しかし大岡昇平は、中原中也、富永太郎、小林秀雄と交流があった。
なに“中原、富永、小林なんかしらねーよ”、というなら、ぼくもよく知らない。
ならば、埴谷雄高や大江健三郎(とうぜん若い)はどうじゃいな?

ぼくがこの本をはじめて読んだ頃、ぼくは30代だったことになる。
そのときも、面白かったのだが、現在、この“70歳”に接近した歳で読むのは、またちがったスリルではないか!

それだけではない、“時代”と“事件”もわかる。

それから、この破格の文体(“……なり”文体)の滑稽とおおらかさ。
とにかく(どこでもいい)引用しよう;



(1980年1月9日)
★ 暮れの18日以来、ずっと休息、遊んでいるから、体調少しいいような気がする。「現代詩手帖」年末座談会にて天沢退二郎氏の発言の中にシンガー・ソングライター中島みゆきの名あり。「シンガーなんとかってなんだ」と娘にきいたところ「ずれてるわね」といって、ごっそりレコードをもって来てくれた。中島みゆき、アリス、松山千春などなど。ニュー・ミュージックといわれて、テレビに出ず演奏会レコード主義にて、アリス三人組の如きは演奏会年間150回、つまり3日に一度、全国をぶって廻っている由。自ら作詞、作曲し、歌うのだから中間搾取なし。「アリス」の名前は知らなかったが、「君の瞳は10000ボルト」は知っていた。

★ 中島みゆき悪くなし。「時代」「店の名はライフ」など、唱いぶり多彩、ひと味違った面白さあり。詞の誇張したところは抑えて唱い、平凡なところは声をはる。歌謡曲とは逆になっているところがみそか。

★ 知らない客にドーナツ盤をきかせて、暮れから得意になっていたが、新しがり屋の埴谷雄高だけは、中島みゆきのヒット曲「わかれうた」の題名まで知っていた。

<大岡昇平『成城だより 上』(講談社文芸文庫2001)>







古館伊知郎と頓馬

2011-09-20 12:36:45 | 日記


今朝(深夜)のブログに書いたよーに、ぼくは昨夜“テレヴィ”で、報道番組を見たのである。

そのひとつは(かの有名な!)“報道ステーション”であった。
むかしむかし、サラリーマンの頃は、見れるときは、久米宏の“ニュース・ステーション”は毎日見ていたような気がする。

“報道ステーション”になって見なくなったのは、“古館伊知郎”というひとの顔が見たくないからである。

昨夜も見ていて、週刊誌の見出しで見た《島田紳介はヤクザの宴会で裸踊りした》という記事を思い出した(事実かどうかしらない)

つまり古館伊知郎をお座敷芸者のように感じた。
しかし考えてみれば、まだ“裸踊り”しているほうがマシである。
古館伊知郎は、けっこうな“お召し物”を着ていらっしゃる。
ギャラがいいので、“血色”もよく、優雅なライフスタイル(どんな!)がしのばれる。

しかし知性は、まったく感じられない。
まるで“新書”以外の本は読んだことがないかのような“教養”水準であるように、お見受けする(事実はしらない)
プロレス中継していればよかったのである。

ついでに言うと、あの“報道ステーション”のスタジオに坐っている“ニンゲン”とは、いったい何であろーか?
あの女子アナは、最近テレビでよく見るタイプのなんの個性もない“化粧顔”であり、まったく印象に残らない(ただ、ぼくのような爺には、ヘンな違和感がこびりつくけれど)

あのフルダチの隣に坐っている、“元ナイロビ支局?”とかいう人も奇怪である(笑)
このひとも髭とけっこうなスーツだけが目につくだけで、この人が“なにを言ったか”はまったく印象に残らない。

そのたいそうな“ご解説”を、お座敷芸者=古館は、阿呆のような顔でうけたまわるのであった!(口がかすかに開く)

“お座敷芸者”という表現は適切でないかもしれない、ぼくが言いたいのは、心にもない発言と、それにともなう表情と、ジェスチャーが、まったく下手な演技にしか“見えない”ということである。

昨夜の、高村薫への、このフルダチのインタビューは傑作だった。
高村薫というひとは、(よくしらないが)、まともなことをまともに言う人である。
昨夜も、まともなことを言った。
これに対する、“フルダチ反応”が、ムズムズするほど、傑作だったのである。

たぶん、古館は、高村薫の言っていることを、ひとことも理解できない、ああーそれなのに、小学校の優等生のよーに、わかったふりをしているのであった。

以上、古館伊知郎の悪口を並べたが、けっしてけっして、他の報道番組のキャスターや解説屋が“マシ”であるわけではない。

もちろんいちばん“頓馬(とんま)”なのは、そういう“テレヴィ”を見ている(ぼくを含む)ひとである。

けれども昨夜ぼくは、テレビを見続けてしまった。

深夜のNHK‐BSのイギリス製ドキュメント、“9・11被害者の会”の主要人物の“嘘つきタニア”の物語は、面白かった。

たまには、テレヴィにも、こういう掘り出し物があるのだなぁー。





* 画像は藤原新也






◆ 追記:藤原新也の写真を貼り付けて、藤原新也ブログを見てないことに気づき、見た。
まともなことを、まともに言っている;


2011/09/10(Sat)

<草食系記者の女々しい報道がまた日本をダメにしている。>

原稿執筆中なので簡単にひとこと。

鉢呂経済産業大臣辞任。

日本はますます末期症状を呈している。

「死の町のようだった」という鉢呂経済産業大臣の発言。

この言葉のどこがおかしい。

ありのままだ。

死という言葉が福島県民の神経をさかなでするという、差別用語過敏症の時代が当たり前の言葉も排除するということだろう。

それから「防護服をなすりつけた」という報道は一体どこから出たのか。

あまりにいい加減な報道である。

確かに放射能がうつるぞ、というのは冗談にならないが、そういった記者との瑣末なやり取りに聞き耳を立てていちいち重箱の隅をつつくように記事にする記者の神経は尋常ではない。

最近草食系といわれる若い者が記者にも大変増えていて、神経過敏症のようにくだらないことを針小棒大に扱う傾向にある。

まるで小学校の反省会で「あの人はこういいました」と言いつけるようなものである。

松本元復興相のケースと非常によく似ている。

宮城取材では地元では松本元復興相の評判は大変よく、はじめて真剣に立ち向かう人が中央からやって来たという話をよく聞いた。

南相馬市役所の役員もそう言っていた。

三春町の僧侶作家玄侑宗久さんも松本元復興相のことを大変評価していた。

くだらない揚げ足取りで有能な人材が消え、次にやって来る人が可もなく不可もなくというケースが良くあるが、今回の鉢呂さんが能力のある人かどうかはわからないが、こういった小学校の反省会のような報道で未知数の者がたちどころに消えるというのは末期症状以外のなにものでもない。


     
 
2011/09/10(Sat)

<毎度のことながらのマスコミ、論点のピントが外れてますな。>

徹夜明けで眠い目をこすりながらラジオを聴いていると「放射能うつしてやる」という鉢呂経済産業大臣のことが報道されていて、ネットで調べてみると以下のようになっている

『鉢呂経済産業大臣は、野田総理大臣とともに福島県の被災地などを視察したあと、 8日の夜、都内の議員宿舎に戻った際、記者の体に触れるようなしぐさをしながら、「放射性物質がうつった」などという趣旨の発言をしていたことが明らかになりました。
鉢呂大臣は、周辺に対し「厳しい原発の現状などを記者団と共有したいという 思いだった」と釈明しています。』

ツイッターの時代はこういった240文字程度で収まる失言に食いつきやすく、例によってバカクズよばわりが跋扈し炎上しているらしい。

確かに子供じみた言動だが、この事象における本質を世間およびマスコミは見誤っているようだ。本当の問題点は、この失言にあるのではなく、(視察を終えた8日夜に、報道陣の1人に防災服をすりつけるしぐさをし「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をしていたことが新たに発覚。という報道によれば)この人が福島第一原発隣接の町まで視察に行ったおりに着用していた防護服をそのまま持って帰って来ているという事実である。

報道では記者に体を触れたとか防護服をなすりつけたとか不正確なところがあるが、もし彼が防護服を持って帰っているということが事実であるとするなら”驚愕”という言葉を使ってもさしつかえない。

私たちが強制避難地区を取材する場合、防護服はいざという時(新たな原発の爆発)のために用意はしているが、身にはつけない。まだそこに暮らしている人がいてその前で防護服などは着けることは到底できるものではない。

しかし取材ののち、車は念入りに洗浄し、着ていた衣服はビニールにくるみ持って帰り、燃やしてのち地中に埋める。

鉢呂経済産業大臣は私たちが入れないような更に線量の高い入域禁止地区に入っているものと思われるから、空間線量は20マイクロシーベルト/hを超えているはずだ。

そういった危険地区で身につけていた防護服を議員宿舎まで持って帰っているということが事実であるとするなら、これはセキュリテ意識がまったく欠如しているということであり、この方が国を預かるものとして問題なのである。

体をなすりつけたのか、防護服をなすりつけたのか、そのへんの表現の曖昧さも、今のマスコミ報道がことの本質より失言内容に食いつく、毎度のことながらその甘さだけが浮き彫りになっている。

当然、案内したおそらく東電関連の職員は防護服を持って帰ることに関しては、止めたはず(常識)で、もし持って帰っているとするなら「お土産に持って帰りたい」と大臣特権で強引に押し切ったとも考えられる。

このふたつの点の真偽のほどを待ちたい。

(以上引用)







“ひまわり”と“コスモス”

2011-09-20 10:18:38 | 日記


“大新聞”は、今日、なにを言っているのか?

“ひまわり”と“コスモス”である(笑)

大新聞の論説委員という人種(奇怪な人種!)は、俳句とか短歌とかがお好きで、“花を愛でる”風流人でなければなれない職種であるらしい。

まあ、過剰に“ブンガク的”なのである。

しかし文学の戦後や、文学の現在について、少しでも“知識”や“感性”があるひと、そういう“文学の現在”を少しでも一冊の文学(作品)を読むことによって知った人、もっといいのは、“ポストモダン”でない一冊の古典と現在を比較しうる読者であるならば、“大新聞の文学趣味”は笑止千万である。

はっきり言うが、ぼくはこういう“大新聞コラム”を読むたびに、これを書いているひとは、その人生で、一冊の本に震撼されたことが、一度もない、不幸な感性の人々ではないか?と疑う。

そういうひとが書いた文章を、“学校の教材”などにしては、ついに一生、文学がわからない“文学音痴”を、またまた生産してしまうだけである。


さて本日の駄文;

例1:天声人語(笑);

 41年前のイタリア映画「ひまわり」が再上映されると聞いて試写を見た。ご存じ、戦争から還(かえ)らぬ夫を捜し、若妻が旧ソ連を訪ねる悲話である。切ない調べが流れるタイトルバック。風にそよぐヒマワリ畑を、カメラはゆっくり左に動いていく▼地平線に至る黄色の海は、ウクライナで撮影されたという。花は500年前、北米から欧州に渡り、油の原料として広まった。最大の産地が旧ソ連で、映画には異郷を語る景色として登場する▼チェルノブイリ原発事故の汚染域にも、菜種と共に植えられた。土壌の放射能が油に移りにくいためだ。ただ除染の力は定かでなく、福島で実験した農水省の判定は「ほぼ効果なし」。根を深く張るので、地表近くの放射性物質は吸収しづらいらしい▼除染の早道は表土の除去だ。4センチまで削ると、セシウムの75%が除かれたという。森口祐一東大教授の試算では、除染対象の面積は最大で福島県の7分の1にもなる。気が遠くなる労力と費用に、改めて原発事故の罪深さを思う▼昨日、東京での「さようなら原発」の集会と行進には、大江健三郎さんらの呼びかけで大勢が参加した。壇上から作家の落合恵子さんが訴えたように、平仮名しか読めぬ子が「ほうしゃのうこないで」とおびえる現実、捨て置けない▼孫の将来を案じてか、敬老の日を脱原発にあてたお年寄りも多かった。大切な誰かを本気で守ろうと思えば、人は街に繰り出す。黄色を身につけた群衆が、波打つヒマワリ畑に重なった。(引用)


《平仮名しか読めぬ子が「ほうしゃのうこないで」とおびえる現実、捨て置けない》の、
《捨て置けない》とは、どういう意味か?


例2:読売編集手帳(爆);

人にたとえて、「華麗で繊細、薄情で、ちょっぴり気の強いところもあるような…」と評したのは俳人の飯田龍太さんである。コスモスの花便りが各地から届く季節になった◆和名の「秋桜」も優しい名前で捨てがたいが、絵心のない身にもふと絵筆をとってみたいと思わせるパステル色の花びらには、やはりカタカナの呼び名が似合うようである。漢字の名前では中国に「可思莫思花」の異称があることを“お天気博士”倉嶋厚さんの随筆に教えられた◆コスモスの音に近い漢字をあてたのだろうが、「思うべし、思うなかれ」とも読める◆きょうは彼岸の入り、コスモスの咲く道を歩いて墓参りをする人もいるだろう。あの震災に遭った人は誰もが、家族や家を奪われた瞬間を片時も忘れるわけにはいかない。さりとて生きていくためには、過去から明日へ目を転じていかなくてはならない。おそらくは、「思うべし」と「思うなかれ」のあいだを揺れた半年であったに違いない◆〈山川の傷みコスモスたちのぼる〉(林田紀音夫)。被災した人も、しなかった人も、墓前に語って語り尽きることのない秋である。(引用)


《「思うべし」と「思うなかれ」のあいだを揺れた半年であったに違いない》
とは、どういう意味か?
いったい誰が誰のことを、《……であったにちがいない》と推測するのか?
推測する“権利”(おせっかい)を持つことができるのか?
しかも“高み”から。
なぜ世界の(日本のではない)すべてのひとが自分と同じだと“推測可能”なほど、この書き手は、傲慢、かつ、自己認識を欠如させ、まるで“抽象的人間”であるかのごとく、語るのか。


ところで、花のはなしであった。
ひまわりとコスモスなら、ぼくはコスモスの方が好きである。

もちろん、ただ咲いているのを、見て。
メキシコ原産だそうだ(広辞苑)

コスモスが、宇宙を意味するのは、後からくる。






《犇きて(ひしめきて)海に堕ちゆくペンギンの仲良しということの無残さ》

《一人の異端もあらず月明の田に水湛え一村眠る》

<『朝日歌壇・秀歌選』― 見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学芸文庫1995)より引用>




* 画像は藤原新也







◆ 追記:いま見たニュース

<福島第一 建屋に地下水大量流入か 収束作業に難題>東京新聞2011年9月20日


 東京電力福島第一原発1~4号機の原子炉建屋やタービン建屋地下に、一日数百トンの地下水が流入している可能性のあることが分かった。汚染水処理の実績などから計算すると、五万トン強まで減っているはずだが、実際には八万トン強も残る。東電も地下水流入の可能性を認めており、地震で建屋地下の壁が損傷し、流入していることが考えられる。今後の収束作業に影響が出そうだ。
 
 建屋からくみ出した汚染水の移送量や原子炉への注入量など東電が公表したデータを本紙が集計したところ、約十万トンあった汚染水は、十三日時点で約五万千六百トンにまで減っているはずだった。

 しかし、実測の地下水位から東電が推計した汚染水残量の最新値は約八万千三百トン。移送量などから逆算した値とはほぼ三万トンの開きがある。

 東電はこれまで、汚染水がなかなか減らない理由を、雨水の影響と説明してきた。福島第一周辺では、七月以降の三カ月間に三回まとまった雨が降っており、一部は屋根の損傷部などから建屋に流れ込んだとみられるが、水位の変動は小さく、三万トンの差を説明できるほどではない。

 建屋のひび割れなどから地下水が流入している可能性は、以前から指摘されていたが、あらためてその可能性が高まった。東電に本紙の計算結果を示すと、「日量百トン単位でわき出ていると思う」との回答があった。

 地下水流入が事実なら、汚染水処理はさらに膨大な量になるばかりか、原子炉への注水量を絞る必要があるなど、事故収束に向けてさまざまな影響が出ると予想される。








抵抗する意思

2011-09-20 02:17:20 | 日記


以下に報じられた明治公園での「さようなら原発集会」およびデモにぼくは行かなかった。

ぼくは東京郊外に居住するものであり、集会およびデモに“参加できない”ことはなかった。
ぼくは原発に反対であり、大江健三郎の長い間の“愛読者”であり、参加しないことに、とくに思想的根拠があるわけではない。

この言い方が、奇妙であることも承知している。
ただ行く気にならなかった、いつもの休みの一日を、いつものようにすごした。

そういうぼくが、見物人でしかないないぼくが、言うのはおこがましいが、今日の夜のテレビニュースをぼくは3本見た。
NHKとテレビ朝日とTBSである(日本テレビはTBSと時間が重なったため見ていない)
いずれも、1、2分くらいの放映であった(TBSがいちばん長かったと思う)

そして各局ともスポーツ・ニュースには、それの何十倍もの時間を費やす。
これは、“不平等”ではないのか。

その日におこった、あらゆる“出来事”の、報道すべき重要度によって時間は配分されるべきだとするなら、“重要度”が問われる。

しかし、そういうむずかしい問題“以前に”、この何十倍もの“時間”というものに、ぼくらは驚くべきではないのだろうか。

たしかに、プロ野球の結果をテレビで見るのも、老年の“ノーベル賞作家”をテレビで見るのも、同じ“見物”である。

原発の不安や不正義より、プロ野球に関心を持ち、それに“いやされる”人々がいることを、だれが非難できようか(笑)

《抵抗する意思》

このなんの変哲もない日常の繰り返しのなかで、ばかげたこの繰り返しだけの“人生”とやらのなかで、しかし、いかにして《抵抗する意思》を、抱き続けることは可能だろうか。







<脱原発、東京で6万人集会 作家・大江さんら署名訴え>中国新聞

 福島第1原発の事故を受け、作家の大江健三郎さんら著名な文化人9人が呼び掛けた「さようなら原発集会」が19日、東京都新宿区の明治公園で開かれた。福島県の住民を含む約6万人(主催者発表)が参加。都心で「脱原発」の声を響かせ、市民に行動を呼び掛けた。

 既存の原発の計画的廃止と新たな原発建設計画の中止、自然エネルギーへの政策転換を目標に掲げ、呼び掛け人の事務局を務める原水禁国民会議などの実行委員会が主催した。主催者によると、事故後の「脱原発」集会では最大規模という。

 集会で、大江さんは「原子力エネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴う」と指摘。原発の存続へ危機感を表し、「私たちはそれに抵抗する意思を持っている」として、集会やデモを通じて政財界に脱原発を迫るよう求めた。ほかにルポライターの鎌田慧さんら呼び掛け人4人も発言した。

 また、福島県三春町で脱原発に取り組む市民団体の武藤類子さん(58)が、県内や避難先からバス十数台で駆け付けた地元住民を代表して登壇。放射能汚染におびえる日々の心情を踏まえ「原発はもういらない。私たちとつながり、助けて」と訴えた。俳優の山本太郎さんも「原発反対」と声を張り上げた。

 参加者はその後、3ルートに分かれ約2~4キロを行進。表参道などを通り、買い物客や通行人に「さようなら原発」と呼び掛けた。

 大江さんらは同趣旨の「1千万人署名」にも取り組んでおり来年3月に政府と国会に提出する。(岡田浩平)






原発がどんなものか知ってほしい

2011-09-19 14:45:54 | 日記


“ネット”を見ているひとには、有名な文章なのかもしれないが平井憲夫というひとの“原発がどんなものか知ってほしい”という文章がネット上で読める。(http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

ぼくもこの福島原発“事故”が起きるまで、この文章の存在を知らなかった。

この文章が、現在、こころを打つのは、平井憲夫というひとが、1997年に亡くなっているひとであることだ。

この文章がいつ書かれたか知らないが、それが“福島”以前であることはたしかだ。

この文章を引用したい;


(自己紹介)
 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

(最後の部分)
みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。

 優しい地球 残そう子どもたちに


筆者「平井憲夫さん」について:
1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

(以上引用)






悪い共同体

2011-09-19 10:42:53 | 日記


宮台真司の7月21日明治大学シンポでのアピール“脱原発が陥りがちな罠にご注意を!”の結論部分を引用;


■ <引き受ける政治 × 知識尊重 × 市場インセンティブ型>国家と、<任せる政治 × 空気拘束 × 命令&報奨型>国家とを比べて、どちらがグローバル化(資本移動自由化)を背景にした過剰流動的状況における、環境適応能力や安全保証能力に秀でているのか。議論の余地もない。日本の統治は「終わって」います。

■ <引き受ける政治 × 知識尊重 × 市場インセンティブ型>国家では、人々は共同体自治をベースに<自立>しますが、<任せる政治 × 空気拘束 × 命令&報奨型>国家では、人々は共同体を空洞化させて巨大システムに<依存>します。こうした統治の類型論を背景にすれば、共同体自治が<悪い心の習慣>に浸された<悪い共同体>に堕落しないために必要なことが、明確に分かるはずです。

■ <悪い共同体>は、参加主義でなく権威主義で、知識主義でなく空気主義で、それゆえ<自立>的でなく<依存>的です。<良い共同体>は、権威主義を退けて参加して引き受け、空気主義を退けて知識や科学を基盤とし、それゆえ自明性への<依存>という思考停止を退け、共同体保全のための工夫を<自立>して展開します。

■ お分かりのように、<共同体自治>が重要なのは、寂しいからとか一人では生きられないからとかではない。その程度の話であれば周到に設計されたシステムで対応できます。そうでなく、市場や国家(行政官僚制)など<巨大システム依存>が、環境適応や安全保障の面で、流動性が高い状況下で機能不全を抱えがちだからです。

■ 再確認すると、「脱原発」が「東電よ、原発ではなく自然エネルギーを使え!」といった電源種の話に縮んでは元も子もありません。経産省の役人たちは当然、自然エネルギー化を前提にした「特措法・特別会計・特殊法人・天下り」図式を考えているでしょう。皆さんもウカウカしていたら寝首をかかれます。ご注意を!






“無能力”または“慣性の法則”について;“クソッタレな現状”

2011-09-18 11:40:42 | 日記


このところ数回、
茂木健一郎連続ツイートについて、イチャモンをつけてきたが、今日のツイートは、彼の“自己批評”と受け取れ、共感できるので引用したい;



☆ しか(1)今、私は、すっかり敗戦気分の中にある。このところ、日本の社会がヤバイと思って、いろいろ発言してきた。たとえば、新卒一括採用。旧態依然たる大学入試。記者クラブ。しかし、現実は重く、何も変わりはしない。非力さがひりひりと皮膚の中に染みこんでいく。
kenichiromogi 2011/09/18 06:50:17

☆ しか(2)「新卒一括採用」については、その経営から見た非合理性、非典型的なキャリアの人を排除するという反人道性、さまざまな点から見てもはや維持不可能だと思うのに、企業の側はがんこジジイのようにいつまでも同じことをしている。道理を説いても何も通じない。
kenichiromogi 2011/09/18 06:51:50

☆ しか(3)そんな中、私は次第に、トホホな現実を変えようとしないのは、悪意や怠慢からではなくて、能力的にできないのだということに気づき始めた。例えば、「記者クラブ」で言えば、そのような保護のないガチンコの自由競争に巻き込まれたら、多くの記者はやっていけない。
kenichiromogi 2011/09/18 06:52:52

☆ しか(4)大学入試もそうで、旧態依然たるペーパーテストの愚をいくら説いても、それ以外の総合的な判定方法をとるには、日本の大学教員は経験も知識も資質もない、ということに遅ればせながら気付いていったのである。
kenichiromogi 2011/09/18 06:53:39

☆ しか(5)日本が変われないのは、悪意や怠慢ではなく、無能力のせいである。そのように気付いたとき、限りない寂しさが私を襲った。そして、翻って自分はどうなのか、と問い始めた。自分もまた無能力ではないか。できないことがたくさんあるのではないか。
kenichiromogi 2011/09/18 06:54:30

☆ しか(6)だから、私は大乗から小乗になった。自分だって、できないことがたくさんあるじゃないか。社会の前に自分を改革せよ。アスリートになれ。星飛雄馬のように、変貌して、大リーグボールを投げろ。社会の変革の方は、諦めた。だって、みんな無能力なんだから。
kenichiromogi 2011/09/18 06:55:21

☆ しか(7)無能力とは、つまりは「慣性の法則」ということ。社会を変えようとするものは、全ては今までの方向に惰性で進むという基本原則を見つめなければならない。自分にだって、慣性の法則がある。相も変わらずやっていたら、そりゃあ楽だよ。変えるためにはよほどの覚悟がいる。
kenichiromogi 2011/09/18 06:56:40

☆ しか(8)日本の社会が、偶有性に満ちたインターネットの文明に不適応なことは事実である。特に既得権益の人たち。しかし、その頑なさが悪意や怠慢ではなく無能力、慣性の法則によるんだと見えた瞬間、感じ方が変わるよね。俺たち、慣性の法則をみな共有している。
kenichiromogi 2011/09/18 06:57:53

☆ しか(9)だからね、自分の身を削るような努力をまず一人ひとりがしなければ、このクソッタレな現状はきっと変わらないのだと思う。自分を棚に上げて他人をあれこれ言うのは、もういい、って感じかな。ツイッターで活動家を気取っていても、社会は何も変わらない。
kenichiromogi 2011/09/18 06:59:11

☆ 以上、「社会を変えようとするものは、慣性の法則に向き合わなければならない」ことについての、連続ツイートでした。
kenichiromogi 2011/09/18 06:59:30


以上すべて引用です。





ついでに青山真治ツィート;

☆ cooff 青山真治
で、福島第一には核が染み出さないための地下の防護壁はすでにできてるんだよね?え?できてないの?どうするの?ほっとくの?それで未来はあるの?
1時間前

☆ cooff 青山真治
橋下府政を「ハシズム」というのか!納得。それにしてもヤツの出どころとして紳助がいたことを考慮すれば、それなりの対処の仕方があるだろう、府民には。http://www.asahi.com/politics/update/0917/OSK201109170144.html
54分前

☆ cooff 青山真治
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ」という台詞の中の「花」とは、未来に種をつくることを含む。「落花流水」。それでいいのだ。ただし、花と咲くことは自分の享受してきた自由と不自由を少なくともそっくりそのまま渡すということと同義だ。ゴミを手渡すこととは違う。
43分前

☆ cooff 青山真治
おれにはガキはいないが、ダチのガキにてめえらの出したゴミを、「よお、これなんとかしといてくれ」って渡したりはしない。てめえの出したゴミはてめえでなんとかする、それがオトナっしょ?
41分前





ついでに矢作俊彦;

☆ orverstrand 矢作俊彦
4)その謎が今朝氷解した。要するに、原子力用語でいう『一時』とは実のところ『一時』ではないのだ。今朝の新聞によれば東海村で最初に灯をともした動力試験炉は76年に停止し96年に廃炉を完了した。廃炉で出た放射性廃棄物はすべて、その敷地に『一時的に』保管されている。15年間、一時的に。
5時間前

☆ orverstrand 矢作俊彦
5)停止してから、核燃料を取り出し、上屋を解体して更地に戻す、この廃炉作業の時間も入れれば35年だ。しかも、これで終わりではない。2019年には最終処分場に移すといっているのだが、その処分場がまだ候補地すら決まっていない。もし間に合っても、稼働停止から43年かかったことになる。
5時間前

☆ orverstrand 矢作俊彦
6)更地になり、放射線廃棄物を『一時保管』してから23年。これが『一時』の意味なのだ。もしかすると、今まで気づかずにいたのは私一人なのかもしれない。不明を恥じる。一時的に保管しているうちに『長期間にわたって住民の帰還や居住が困難になる地域』にも、帰還し居住することができるだろう。
5時間前

☆ orverstrand 矢作俊彦
7)それでもなお、福島第一原発の周囲10キロか,それ以上は人の近寄れない地域であり続ける。人の一生にとって彼らの『一時』はほぼ『永遠』だ。彼らも人として、その永遠に当て込んでいる。つまり政治家、官僚、電力企業は、ありていに言って『後は野となれ山となれ』の逃げきりを画しているのだ。
5時間前

☆ orverstrand 矢作俊彦
8)すべてが詐術だったわけだ。『原発は絶対安全』だけでなく、『最も安価な原子力発電』も。地域にばらまく『寄付金』のみならず、こうして廃炉にも厖大な時間がかかる。時間は金だ。東海村の試験炉で出た廃棄物は3,770トン。隣の発電所で予定される廃棄物は約67,900トンだ。
5時間前







人間の科学ゼロ年

2011-09-17 11:03:41 | 日記


★ なぜなら、ぼくらがおこなうこと [認識についての探究] は、さまざまな規則性をもつこの世界についての自分自身の経験と、切り離すことができないものだからだ。ショッピング・センターがあったり、こどもたちがいたり、核戦争があったりする、この世界の。ぼくらがやってみようとしていること――そしてきみがきみの仕事としてひきうけなくてはならないこと――は、ぼくらが<いること> [存在] と、<おこなうこと> [行動] と、<知ること> [認識] の、この継ぎめのない偶発的同時性がふくみもつ意味に、気づくということだ。そのためには、自分の経験を、まるでそれがある絶対的世界を反映しているものであるかのように、<確実>というシールをぺたんと貼ってとりあつかうという日頃の傾向を、ひとまずわきにどけてしまうことにしよう。

<マトゥラーナ&バレーラ『知恵の樹』(ちくま学芸文庫1997)>





★ 私はだんだん確信を強めてきている。われわれをアクチュアリティに引き留めている焦眉の問題は、根本からそれを考えるために、そこから離れることを要求している。

★ 私はだんだん確信を強めてきている。われわれの認識原理は、これからどうしても認識しなければならない事柄をおおい隠している。

★ 私はだんだん確信を強めてきている。科学⇔イデオロギー⇔政治の関係は、それが隠されていない場合には、主人となった一項が残りの二項を吸収するという貧相な仕方で取り扱われつづけている。

★ 私はだんだん確信を強めてきている。われわれの社会――全社会――を把握するために利用している概念は、ずたずたに切断されており、切断せずにはおかぬ活動へと進出している。

★ 私はだんだん確信を強めてきている。人類―社会科学は自然科学と接合したいと望んでおり、この接合は知の構造そのものの再組織化要求している。

★ しかしこれらの問題の百科辞典的なひろがりと底知れぬ根源性は、われわれを阻み、勇気を挫き、こうしてその重要性の自覚自体が、かえってわれわれをそこからそらせる効果を生んでいる。

★ 私の努力の最初の結晶は『失われた範列』(1973年)に見出される。当時生まれようとしていた『方法』のこの未熟な小枝は、人間の概念、言いかえれば人間科学あるいは人類学 [人間学] の概念をふたたびねり直す努力を示している。

★ どの科学も認識の最も客観的なカテゴリーすなわち認識する側のカテゴリーを知りたがらなかった。どの自然科学も自らの文化的根源を知りたがらなかった。どの物理科学も自らの人間的本性を認めたがらなかった。自然科学と人間科学の間の大切断は、後者の物理的リアリティと前者の社会的リアリティとをひとしなみに掩蔽する。

★ ところでどんな人類―社会的実在も或る仕方(どんな仕方?)で物理科学に依存しているが、どんな物理科学も或る仕方(どんな仕方?)で人類―社会的実在に依存しているのである。

<エドガール・モラン『方法1 自然の自然』 “総序・谷間の精神”(叢書ウニベルシタス1984)>