‘あらたにす新聞案内人’で東大の経済学教授が“美人投票”について書いている。
ぼくは“経済学”にうといので、このケインズの理論をちょっと前まで知らなかった。
これを知ったのは、大澤真幸『<自由>の条件』でやはりこの“美人投票”が説明されていたから。
東大伊藤元重教授の説明を引用する;
《ケインズは「美人投票」という表現を使った。美人投票とは、壇上に並んだ何人かの女性で自分が一番美人だと思う女性に投票する。票を集めて一番票が集まった女性が「美人」ということになるが、このゲームの勝者はこの女性に票を入れた人たちである。この女性に投票した人たちに償金が配られるのだ。
このようなゲームに勝つためには、自分が美人だと思う人に投票してはだめだろう。皆が美人だと思って投票するだろう女性に投票する方が、ゲームに勝てる可能性が強くなる。
為替市場や株式市場では美人投票が行われている。多くの人がドルは上がると考えているようなら、とにかくドルを買わないと損をする。そうして多くの人がドルを買えば、実際にドルは上がってしまうのだ。こうしたことが行き過ぎるとバブルになってしまう。》
(以上引用)
この“美人投票”理論は、“経済”について提起され、ここでも伊藤教授は、“国債バルブ”について述べている。
ぼくには、経済のことはよくわからない(あなたはわかっているのだろうか?)
しかしこの“理論”が興味深いのは、この“美人投票”という価値付けが、資本主義の本質をやはり示しているように感じるからだ。
端的に言って、
《ゲームに勝つためには、自分が美人だと思う人に投票してはだめだろう。皆が美人だと思って投票するだろう女性に投票する方が、ゲームに勝てる可能性が強くなる》
という“投票行動”を続けていると、《自分が美人だと思う人》はどうでもよくなり、果ては、《自分が美人だと思う人》がいなくなるのではないだろうか。
ただ《ゲームに勝つ》ことが自己目的化され、あらゆる<意味~価値>は消え失せるのではないだろうか。
たしかに、これは“経済”の問題ではあろうが、ただ“経済”の問題であるだけではない。
伊藤氏はこのコラムの最初に、
《経済発展、財政の維持可能性、人口構造のトレンドの影響など、長期の視点で経済の動きを見ることが重要であることは多い。長期とは、通常は5年から10年、あるいはそれ以上の長さを想定している。
ところが、金融や為替の市場で活動しているトレーダーなどの方と話していると、彼らにとっての長期とは20分以上のことだと言われてしまう。生き馬の目を抜くような活動をしている市場関係者の方々にとって、非常に短い時間の間にいろいろなことを判断して、行動に起こさなければいけない。20分以上先のことなど考えられないということだろう》
と書いている。
すなわち《20分以上先のことなど考えられない》人々によって、“われわれの経済”は左右されていると言えるのではないか。
“長期の視点”を重んじる経済学(者)や経済政策は無効化しているのではないだろうか。
すなわち、すべてのひとが“美人投票”し、すべてのひとが《20分以上先のことなど考えられない》社会が、到来している。
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