Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

SLOWGLASS B

2009-10-31 07:52:44 | 日記
どうも自分の“意見”を書くのがいやになった。

今朝起きて、みっつの文章の批判を書きかけたのだが、いやになってボツにする。

三つの文章とは以下のみっつである;
① 天木直人最新ブログ;“つまらない国会審議を少しでも面白く聞くために”
② オバマノーベル平和賞に関するノーベル賞委員会(ノルウェー)のヤーグラン委員長へのインタビュー(アサヒコム)
③ 内田樹最新ブログ;“やっと病気になれた”


この最後の内田樹ブログの批判を書いていて、そもそも彼のこのブログの“論旨”が矛盾している、というかメチャクチャなことに気づいた。

メチャクチャな文章を<批判>することはできない。
つまり、せめて内田樹が“一貫した主張”をしているなら、それを批判することができる。
しかし内田のブログは、(ブログとしては長いが)、ただひとつのブログとしても論理的一貫性を維持していない。

そこにあるのはレトリックのみである。
“ああーも言えるし、コーも言える”のである。

こういう3流奇術師が“売れる”のである。
ごちゃごちゃ言っているが結局内田の“世界観”は以下のごとし;

《偽善によって貧者にパンを与える人は、真の善意に基づかない行為は不道徳だといってパンを与えない人より、飢えた人間にとってはありがたい存在である》

《社会的流動性が高く、人々が忙しく階層を向上し下降し、一代のうちに富貴の身となったり貧窮に沈んだり、株価ひとつで栄華を謳歌したり不遇を託ったりしている時代には「友愛」なんて言葉には何のリアリティもない。
それよりは誰もが「自己利益の追求」に忙しく、その方がたぶん結果的にはてばやく社会的フェアネスが実現する》

《でも、それは「そういうこと」が絶対的に人間にとって「よいこと」だからそう主張したのではない。
たまたまいまの社会的条件のもとでは、そうした方が相対的に「生き延びやすい」という計量的な判断でそう言っているだけである》


こういうのを、俺は、“おばさんの世界観(世界認識)”と呼ぶ。

こういう世界観は、<友愛>世界観の裏返しである。

こういう認識を、“リアルだ!”と感心する、愚鈍な精神(魂ぬきの人間)というのが、多数を占めているから生き難いのだ。

というような“批判”をするのが嫌になったのである(笑)

つまらない文章(発言)を批判しているなら、その時間で、よい文章を読んだほうがよい。

もっと<上品な>文章を、である。

まずこの<上品な>という言葉を理解していただきたい。

たとえば、以下のように書くと、“また誤解される”ことが、俺には“分かってしまった”のである;


俺はキリスト教徒ではないが、俺はキリスト教者に批判的だが、“ひとはパンのみにて生きるにあらず”。




*写真は、「灰とダイヤモンド」









上記ブログを書き終わり(またしても自分に不満足で)、机の上の本を開くとこうあった;

★ 「住居なき者さえ棲まうことのできる時間」(グラシアン『神託便覧』1647)が、背後にどんな住まいも残してこなかった旅人には、館となる。3週間というもの、波の音に充たされたこの館の広間の数々が、北方に向かって並び連なっていた。それらの広間の壁に鴎や町々が、花たちが、家具や彫像が立ち現われ、その窓からは、昼も夜も、光が射し込んできた。
<ヴァルター・ベンヤミン“北方の海”-『都市の肖像』(ちくま学芸文庫ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅1997)


昨夜は、仕事で疲れ、以下の文章を何度も読んだ;

★ 正午頃になると、影たちはわずかに、事物の足元にへばりついた黒く鋭い縁取りとなっていて、音もなく不意に、それぞれの巣穴のなかへ、それぞれの秘密のなかへ引き籠もる手筈を整えている。するとそこには、押しひしめき身をこごめて溢れんばかりに、ツァラトゥストラの時間(とき)がやってきているのだ、<生の真昼>の思索者、<夏の庭>の思索者の時間が。というのも、認識は太陽と同じく、その軌道の頂点において事物を最も厳密に象る(かたどる)のだから。
<ヴァルター・ベンヤミン“短い影”(ちくま学芸文庫ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅1997)







<翌朝追記>

昨日のこのブログにぼくはこう書いた;

こういう認識を、“リアルだ!”と感心する、愚鈍な精神(魂ぬきの人間)というのが、多数を占めているから生き難いのだ。

たとえば、以下のように書くと、“また誤解される”ことが、俺には“分かってしまった”のである;
俺はキリスト教徒ではないが、“ひとはパンのみにて生きるにあらず”。


この場合の<魂>について、ぼくはいかなる“宗教性”(オカルト)も意味していない。
ぼくが<魂>という言葉にこめている“意味”は先日の“この身体”ブログに引用した中上健次の<魂>の意味に近い:

★日本を統(すめら)ぐには空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。
<中上健次 『紀州』>




21世紀へようこそ;Welcome to the Machine

2009-10-28 16:49:23 | 日記
現在、2009年も末に向かい、21世紀になって10年近くが経過しようとしている。
にもかかわらず(笑)、21世紀が“なんであるか”を理解しているひとが少ないように見受けられる。

またしても“おせっかい”(つまり“ある意味知ったこっちゃないんだけど”)であるが、21世紀になってから“書かれた言葉”のサンプルを、“新書”として出版された本からピックアップしてみよう。

もちろんこれらの引用は、“断片”である。
その本の“核心”がその引用部分にあるという“確信”をもって引用しているわけでもない。
ぼくとしては、これらの引用個所に少しでも“ひっかかる”なら、これらの新書は1000円以下であるので、あなたが、購入して読むことを期待する。

なお、著者の生まれた年を著者名の後にカッコで記入し、引用をこの著者の生年順とした;

★ 徳永恂(1928):『現代思想の断層』(岩波新書2009);
私たちは天使ではない。「歴史の天使」としてではなく、歴史の中にいる人間として、私たちは歴史を振り返る。そこに見えてくるのは、たんなる事実の集積ではなく、また鳥瞰図でもない。一見、廃墟と見える20世紀の景色の中に、私たちは縦横に走る幾筋もの活断層と、たとえ行く末は涸れて消えかかっていようとも、幾筋もの水脈を見ることができる。


★ 見田宗介(1937):『社会学入門』(岩波新書2006);
それでも「愛」や「闘争」というものは、あることをぼくたちは確信している。どこにあるか、というと、心臓(ハート)にあるわけではなく、大脳皮質とか脳幹のどこかにあるわけでもなく、人と人との間にあるのです。間といっても前方50センチの所とかいうことではなく、正確にいうと、人間と人間との関係としてあるのです。


★ 柄谷行人(1941):『世界共和国へ』(岩波新書2006);
私が本書で考えたいのは、資本=ネーション=国家を超える道筋、いいかえれば「世界共和国」に至る道筋です。しかし、そのためには、資本、ネーション、国家がいかにして存在するのかを明らかにする必要があります。資本、ネーション、国家はそれぞれ、簡単に否定できないような根拠をもっているのです。それらを揚棄しようとするのであれば、まずそれらが何であるかを認識しなければならない。たんにそれらを否定するだけでは、何にもなりません。結果的に、資本や国家の現実性を承認するほかなくなり、そのあげくに、「理念」を嘲笑するに至るだけです。


★ 内田隆三(1949):『社会学を学ぶ』(ちくま新書2005);
社会記述の方法にかんして、ベンヤミンの方法は示唆的なものを含んでいる。ひとついには、彼が群集なるものを社会秩序や理性の立場から外在的、批判的に眺めるのではなく、むしろ内在的な仕方で、歴史的な生の様態として、また同時にメディアや技術に媒介された経験の構造として分析したからである。もうひとつには、システムの概念やそれが導入する予断――物事の可能性の条件を確定しようとする超越論的な思考――に依拠しなかったからである。それは彼が自分の「運命」を生きていくなかで、歴史の現在や時間に対する関心と考察を深めていったからでもある。そこにはシステム論的な単位としての社会(の同一性)に準拠する確定的な記述とは異なり、さまざまなテクストの引用からなる「蓋然性の空間」が記述されている。人間の生の諸形象が星座をなしてたわむれる不確定な場がそこに浮かびあがってくるのである。


★ 徐京植(1951):『ディアスポラ紀行』(岩波新書2005);
マジョリティ(多数者)の大半は「先祖伝来の土地、言語、文化によって構成された共同体」という堅固な観念に安住している。そうしている限り、マジョリティたちにはマイノリティの真の姿は見えず、真の声を聴き取ることもできないであろう。
固定され安定しているように見える対象も、それを見る側が不安定に動いていれば別の見え方をする。マジョリティたちが固定的で安定的と思い込んでいる事物や観念が、実際には流動的であり不安定なものであるということが、マイノリティの目からは見える。


★ 小森陽一(1953):『村上春樹論』(平凡社新書2006);
逆に、言葉を操る生きものとして、他者への共感を創り出していきたいと思うなら、私たちは怯えることなく、精神的外傷(トラウマ)と繰り返し向かい合いながら、死者たちとの対話を持続していくべきでしょう。死者と十分に対話してきた者であれば、生きている他者と向かい合って交わすことができる、豊かな言葉を持ちうるはずです。豊かな言葉は、死者と対話しつづけてきた記憶の総体から産まれて出てくるのです。漢字文化圏における「文学」という二字熟語は、漢字で書かれた死者たちの言葉すべてについての学問のことです。21世紀こそ、「文学」の時代として開いていくべきなのだと思います。


★ 岡田温司(1954):『処女懐胎』(中公新書2007);
その女性の名前を知らない人はいない。だが、その女性ほど神秘と謎に満ちた存在もおそらくないだろう。処女にして神の子イエスを宿したとされる不思議な女性。そもそも聖母マリアとは何者で、なぜ処女でありながら妊娠したとされるのだろうか。もとより、人工授精などもありえない時代に。誰もが幼い頃に懐いたであろう素朴な疑問――身に覚えがあるはず――から、わたしたちの話を始めることにしよう。「赤ん坊はどうやってできて、どこから来たの?」と。


★吉見俊哉(1957):『ポスト戦後社会』(岩波新書2009);
都市空間の面で「夢」の時代を象徴したのが、1958年に完成した東京タワーであったとするならば、「虚構」の時代を象徴するのは、間違いなく83年に開園した東京ディズニーランドである。
そして、東京タワーに集団就職で上京したての頃に上り、眼下のプリンスホテルの芝生やプールのまばゆさを脳裏に焼き付けていた永山則夫は、68年秋、そのプールサイドに侵入したのをガードマンに見つかったところから連続ピストル射殺事件を起こしていく。永山の犯罪は、「夢」の時代の陰画、大衆的な「夢」の実現から排除された者の「夢」破れての軌跡の結末であった。これに対し、この事件の20年後に起きた宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件では、殺人そのものが現実的な回路が失われた「虚構」の感覚のなかで実行されている。


★ 大澤真幸(1958):『逆接の民主主義』(角川Oneテーマ新書2008);
しかしグローバル化を受け入れながら、われわれは皆、他方では、それが、根本的な困難を抱え込んでいることを、半ば意識的に、半ば無意識のうちに知ってもいるのだ。たとえば、地球環境への破壊的なダメージということを考慮に入れてみたらどうであろうか。グローバル化は地獄への道に見えてくる。われわれは、この道がそれほど遠くない将来、地獄へたどり着くことを知っているのに、これしか道がないと思って歩いているのである。(略)
このとき真に求められているものは何か。個別の要求ではなく、普遍的な要求、社会の普遍的な構想を含んだオールタナティヴ(選択枝)ではないか。行政的な選択ではなく、(社会体制の全体としての改変に関わるという意味での)真に政治的な選択ではないか。要するに、<ユートピア>を指向した選択ではないか。(略)
つまり、それは、グローバル化に普遍化を対置する試みである。


★ 福岡伸一(1959):『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書2009);
時間が止まっている時、そこに見えるのはなんだろうか。そこに見えるのは、本来、動的であったものが、あたかも静的なものであるかのようにフリーズされた、無惨な姿である。それはある種の幻でもある。私たち生物学者はずっと生命現象をそのような操作によって見極めようとしてきた。それしか対象を解析するすべがなかったからである。


★ 郡司ペギオ-幸夫(1959):『生きていることの科学』(講談社現代新書2006);
このような物語が、ホンネと建て前のダブルスタンダードに回収される理由は、モノそれ自体もしくは、マテリアル概念の不在にあると思います。現実世界なんてよくわからないのに、自分の自由にならなさ加減を、簡単に世界の実在で説明づけようとする。こうして素朴な実在論を手にいれる。まさに通常、大人になることって、こう理解されているのではないでしょうか。しかし素朴実在論(認識されたモノは実在すると考えること)は、あまりに早急で、あまりに単純なモデルです。自由に振る舞おうとする私と、それを許さない外部=世界との微妙な関係、すなわち、互いに通訳不可能であるのに、どうやって調停されるか、といった問題は、何も理解されないままです。二つが共立するということ、両者が場合によっては矛盾するにもかかわらず同時にそこにある、という様相が、決して理解されません。だから二つは、各時点でいずれか一方のみが存在し、使われることになる。都合に合わせて適宜使い分けられる。共立ではなく、使い分け、それがダブルスタンダードの本質です。なぜそうなるのか。まさに媒介するもの、マテリアルの欠如によるのです。


★ 青山真治(1964):『ホテル・クロニクルズ』(講談社文庫2008)
気がつくと、運命から切り離されたエメラルド色の蜥蜴へと三たび姿を変えていた。開きっぱなしのその瞳孔は、何万回目かの雨が砂浜にどっと降りつけるのを、灌木の枝間から動くことなく見つめている。雨はやがて琥珀となるだろう。
もうどこへも行かないし、砂浜には誰もいない。



*写真は、Sally Mann




死の欲動

2009-10-28 10:31:38 | 日記

★ これよりさらに重要なことは、資本主義こそ、徹底的に宗教的な現象だという事実である。資本主義が、物質への直接的な欲動によって駆動されている、物質的な欲望にまみれている、という俗説は、完全に間違っている。社会学的な知の歴史において、最も重要な二人の思想家は、ともにこのことをよく認識していた。

★ 貨幣をもつということは、使用価値をもつこととは違う。貨幣を欲望するということは、使用価値への交換可能性だけを欲望することである。使用価値(商品)を買い、投資以外の目的で――つまり自分の快楽のために――使用し、消費してしまえば、その分だけ貨幣を失うことになる。つまり、貨幣を欲望することは、使用価値を断念することなのである。守銭奴は、物質的には無欲でなくてはならない。

★ ほんとうは、資本は、守銭奴よりさらにもう一段、倒錯している。というのも、資本が可能であるためには、貨幣すら蓄蔵されてはならず、それは、あらたな流通の過程に投じられなくてはならないからだ。いずれにしても、それは、現世的な物質的欲望から解離していることだけは確かである。

★ 資本主義の宗教性を看破していた、もう一人の思想家は、マックス・ウェーバーである。よく知られているように、ウェーバーは、資本主義は、ある種の宗教に由来するエートス(倫理的生活態度)、つまりプロテスタンティズム――キリスト教原理主義と言うこともできる――に内在するエートスが起爆剤となって誕生した、と論じている。資本主義の誕生に、プロテスタントの現世内禁欲が不可欠だった、と言うのだ。無論、それは、マルクスが守銭奴に見た禁欲と同質のものである。

★ 資本主義の宗教的な倒錯の様態は、フロイトの「死の欲動」の概念がよく表現している。資本主義を駆動する衝動は、まさに「快感原則」を越えているからである。フロイトは、快感(目的の充足)を拒否し続ける反復を、死の欲動と呼んでいる。言い換えれば、死の欲動とは、快感の否定――苦痛――を快感とすることである。それは、マルクスやウェーバーが資本主義に見出していた倒錯と同じものであろう。逆に言えば、「死の欲動」のごとき奇抜な仮説が現実性を有するためには、資本主義の十分な発達、資本主義の爛熟を待たなければならなかったのではないか。破綻(第一次世界大戦と恐慌)にまで至る、資本主義の爛熟を、である。

★ ともあれ、ここで確認しておくべきことは、資本主義と原理主義の対立とは、宗教そのものに内在する対立であるということ、これである。あるいは、こう言い換えてもよいだろう。それは、資本主義そのものに内在する対立だ、と。だが、もう少し、探究のための前提的な事項を確認しておく必要がある。

<大澤真幸『文明の内なる衝突―テロ後の世界を考える』(NHKブックス2002)>



*写真は、Sally Mann




やっぱり写真は面白い

2009-10-26 13:49:25 | 日記
google画像検索でいろんな写真を見ていたら、面白かった。

写真を撮ることは、面白くないことも、ない。

だが、写真を見ることも、面白い。

ぼくたちは、あまりにも夥しい写真を見せられて、写真を見ることに慣れ切ってしまった。

ぼくが写真を撮り始め、HPやブログをはじめた頃、とても好きな写真サイトがあった。
学生だと思われる人が、自分の周辺の人々(友人?)を撮った写真がメインだった。
なかなかこういう写真を見れないのは(ぼくが熱心に探してないからかもしれないが)、なぜなのだろう。

写真ブログをやっている方々には申し訳ないが、なぜ“絵はがき写真”や“記念写真”ばかりなのだろう。

たしかに写真は、“記録”なんだが、なにかを記録することも、ステロタイプではないはずである。
もちろん自分でも下手な写真を撮るものとして、たしかに撮りたいものが撮れないのではあるが。

よい写真、1枚の写真を、ぱっと見て通り過ぎるのではなく、じっと見たり、時をおいてまた繰り返し見ることも必要である。

よい写真には、自由がある。

自由が写っている。




雨の日には、本を読む

2009-10-26 12:23:59 | 日記
★ 中山唯生という虚構の存在。ここであきらかにしておかなければならないことがひとつできた。この場で語られる唯生がもはや虚構の存在にほかならず、しかもその幻の姿や内面を「正確」に言葉であらわす自信がないと述べられたいま、語り手である私は、あるひとつのことをあきらかにしなければならない。それはことさら、あきらかにしなければならないなどと、切羽詰っていう必要もないような、すでにだれもが見抜いていたであろう他愛もない仕掛けの「種明かし」である。それは中山唯生という名のもとにこれまで語られて男とは、私自身なのであるということだ。

<阿部和重『アメリカの夜』(講談社文庫2001)>



★ ――「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。
嵐模様のこの日の夕暮れにも、驟雨がすぎた。したがっていま暗闇から匂ってくる水の匂いは、その雨滴を、びっしりついた指の腹ほどの葉が、あらためて地上に雨と降らせているものなのだ。パーティがおこなわれている斜め背後の部屋の喧騒にもかかわらず、前方に意識を集中すると、確かにその樹木が降らせている、かなり広い規模の細雨の音が聞こえてくるようなのでもあった。そのうち眼の前の闇の壁に、暗黒の二種の色とでもいうものがあるようにも、僕は感じた。

★一年ほど前、僕は十数年も書くことのなかった短篇を、ひとつ発表した。このように永くそのジャンルから遠ざかっていたことにも、そしていま自分があらためてその分野で仕事をしようとしていることにも、つまり僕の作家としての生き方が、内部から新しく動きはじめているらしいのに、これから書く物語は関係があろう。結局僕は、人が死にむけて年をとる、ということをいっているのだが――ともかくも久しぶりの短篇の主題は、「雨の木」であった。

<大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』(新潮文庫1986)>



★ (浅田彰×ジジェク1993)
浅田:実際、数百年来の民族抗争などと言いますが、昔は多少の摩擦はあれ諸民族が混在して共存していたわけで、近代の民族国家の理念が持ち込まれてはじめてナショナリズムに基づく民族抗争が激しくなったことを、つねに思い起こさなければなりません。ここでもまた、一見プレモダンなものは、実はモダンなものとの関係で新たに生み出されているわけです。
ジジェク:まさにその通りです。さっき言ったように、最後の砦としてのわれわれこそが、境界線の向こうの<他者>の閉じたナショナリズムの社会に対して、開かれた自由民主主義の社会を守っているのだという論理、ナショナリズムや原理主義を<他者>に属するものとし、その<他者>を排除するこの論理こそが、ある種の自己言及を通じて、もっとも暴力的なナショナリズムを生み出し、旧ユーゴスラヴィアにおける紛争の将棋倒しとエスカレーションを招いたのです。

★ (浅田彰×サイード 1993)
浅田:とすれば、私たちは、そうやって捏造された歴史ではなく、別の歴史を思い起こす必要がある。それは、民族的・宗教的・文化的アイデンティティのルーツといったものではなく、むしろ、アラブ世界について見たような多様なものの共存の記憶でしょう。実際、そういう多様性をはらんだ地中海世界は歴史上もっとも豊かな可能性を秘めていたのであり、近代ヨーロッパもその遺産なしにはありえなかった。ヨーロッパの中に古代ギリシア・ローマの遺産が眠っており、それがルネサンス時代に突如めざめたなどということは在り得ないので、実は、ヨーロッパは12世紀頃にアラブ世界から古代ギリシア・ローマの遺産や新たな知識を学ぶことで初めて文化的な飛躍を遂げたわけですね。
サイード:まさにその通りです。今から5百年前の1492年は、コロンブスがアメリカに到達した年であるとともに、かれらが出発したイベリア半島からアラブ人とユダヤ人が追放された年でもある。アンダルシアをはじめとする地方では、それまでアラブ文化やユダヤ文化が多様な発展を見せ、それがヨーロッパに大きな影響を与えることにもなった。その文化が、キリスト教徒によるスペインの「国土回復」によって根こそぎにされてしまったのです。(略)
ここで私の想起するのは、「支配ぬきの差異」というアドルノの言葉です。これこそ私の考えるモデルなのです。その点からも、あなたが地中海世界における多様性の共存と相互交通について語られたことをうれしく思います。実際、私や他の何人かの論者たちは、19世紀型の主権国家と帝国に代わるものは、地中海世界にあったような多様な人々や文化の相互交流という、もっと深い安定した現実である、と主張してきたのです。こうした地中海的スタイルこそ、未来において大きな役割を演じることになると思います。

<浅田彰『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫1999)>



★ 要するに、命名においては、どうしても「これ」とか「それ」といって、指示語による直示が必要になるのだ。それらは、対象を、発話する私との関係において指示することである。要するに、名前で指示するためには、名指す私を中心=原点とする宇宙の内部における要素として、その個体を指示することなのであり、対象とともに宇宙そのものを同時的に指示することなのである。そうであるとすれば、今や、こう言うことができるだろう。名前が、個体の性質の記述に還元できないのは、この私が、記述に還元できないからである、と。名前は、私の記述の還元不可能性を委譲されているのである。

★ 愛とは、私であるということと、他者(あなた)であるということとが、同じことになってしまうような体験なのだ、と。愛とは、私であるという同一性が、他者であるという差異性と完全に等値されている関係なのだ。

★ 私であるということ、私が空想や幻想を帰属させうる最小限の同一性を有するということ、このことが、すでに、私の固有性に還元できない外部性を帯びており、差異性=他者性としてあるということ。愛とは、こうしたことを私に対して告げ知らせる体験なのである。

★ だから、逆説的なことだが、愛においては、私がすでに他者=差異性であるがゆえに、かえって、他者は私に対する絶対的な差異であって、私がそこに自己の性質や空想を投影することができない絶対の距離として顕現するのである。

★ だから、愛は、関係の中で最も純粋な関係についての、つまり差異についての体験である。そして、その最も単純な関係とは、それ自身、関係の不可能性――相互に架橋しうる場をもたない絶対の差異――なのである。要するに、恋愛は、自らの不可能性というかたちでしか存在しえないのだ。愛が憎悪と同じものになりうるのもこのためであろう。

<大澤真幸 “これは愛じゃない”―『恋愛の不可能性について』序章(ちくま学芸文庫2005)>




*写真は、Sally Mann




ぼくがきらいな文章

2009-10-26 10:33:20 | 日記
▼ 思いやりは思いやりを生む。暗闇で体を温め合ううち、みんな一緒に助かるぞという連帯感が広がったという。「上を向いて歩こう」の合唱で睡魔に耐えた話はよく知られる。音頭を取った中島さんは、即興で2番の歌詞を替えた。〈幸せはバスの上に/幸せは水の中に……〉▼看護師を長く勤めた著者は振り返る。「自らをなげうって、無意識のうちに誰かのために行動できる人たちが、この世界にはごく当たり前に存在する。あの夜、私は64歳にしてそれを知ることができました」。極限を生き抜いての感慨である▼人間は細やかな善意だけで動くものではない。わが身はかわいく、世にはせこい敵意や鈍感があふれるが、人は助け合う本能を備えていると信じたい。お互い、最も賢いはずの動物に生まれてきたのだから。(引用)


《×××だが、×××と信じたい》

《お互い×××のはずの×××に生れてきたのだから》


こういう文章は、オカルト運命論である。

こういう文章を読むたびに、ぼくは、人生には新しいことがなにひとつ起こらないような気分になる。




*写真はヘルムート・ニュートン





落語とマイケル・ジャクソン

2009-10-25 12:32:51 | 日記

なんか暗鬱な日ですね(笑)

“落語とマイケル・ジャクソン”という組み合わせは、ぼくなどには“奇妙”と感じられるが、そんなことはないのである。
つまり、現在、“それ”を同時に愛好することは、可能である。

ぼくにとっては、落語というのは小学生時代まで、“ラジオで”聞くものだった(つまりテレビがなかったから)
その頃、落語を聞いて、面白かったが、その後のぼくの人生とは無縁である。
なつかしいという気もしない、つまり過去のものなのだ。

マイケル・ジャクソンは逆に、ぼくにとっては、“ロック革命”の終わりを象徴するものだった。
ぼくは、マイケルがエンタテナーとして優秀(天才といいたいならいってもいいよ)であることは認めるが、かれのメッセージがなんらかの“意味”を持っているなどとは、まったく感じられなかった。

こう書いて気づいたが、マイケルと落語には共通点があるのだ、つまり“芸人”ということ。
だからその時代や社会に応じて、すぐれた“芸人”が現れることは必要だし、彼らが“大衆”を楽しませることに意味はあるし、そのために芸人自身が切磋琢磨することも尊敬すべきことである。

しかし、だからといって、芸人と彼らが表現するものだけが、文化ではない。

ぼくもずっと“ポップ・カルチャー”を支持してきたのだが、ぼくが支持したポップ・カルチャーというのは、“大衆芸能”のことではない。

“ポップ・カルチャー”が、権威主義的文化に対抗しているあいだ、ぼくは“それ”を支持した。
もちろん、ある“文化”が、対抗的(反権力的)であるか否かは、その文化の内容であると同時に、その時代のその文化の“位置”によるのだ。
ある“革命的文化”が、すみやかに“商業主義”や“大衆の惰性的嗜好”に取り込まれてしまう姿を、ぼくの世代は嫌というほど見てきた。

だから、ぼくには“批判”があるのだ。
ぼくが現在の若い世代にまったく不満なのは、彼には“キャリア不足”で見えないものがあるのはいつの時代でも同じだが、そういう“歴史”にたいする感覚と想像力があまりにも貧困なことだ。

ようするに、“彼ら”に決定的に欠けているのは、<批判力>である。
かれらは<現在>、自分に気持ちよいものに、まったく無批判なのだ。

もっと“繊細に”言うなら、かれらもそれに気づいている。
だから自分の趣味や意見について語るとき“脱力的”におちゃらけてしか語れない。
“ぼくは(わたしは)××が好きだ”ということを、まじめに言う(書く)のは、野暮なのだ。

さいきんある脱力系ブログにあった“自己認識”がおもしろかった。
“自分がまじめに書くと”(まじめすぎて)つまらない“という自己認識だ。

そうなのである。
しかし、“まじめに書くとつまらない“というのは、別に現在のポップ・カルチャーにおいてはじまった現象ではない。
だから落語のような“古典”が存在するのだ(しかしぼくもよく知らないが落語の歴史は浅い、日本史が“戦国時代”から始まった(笑)とNHK大河ドラマを見て思っている人々の“日本史認識”は狂っているのだ)

ぼくも、“まじめではない”し、ふだんぼくは冗談ばかり言っている。
しかし“ぼくのブログ”は、“硬直している”。

どうも“世の中”とは逆なのである。

つまり、“人間には”、まじめに言わなければならない、時と場所があるのである。

ひとことで言えば、日本社会の人間関係というのは“緊張過剰”である。

“だから”、脱力したブログを書いて“癒される”のである。
しかしそうしているうちに、すべてが脱力した。

むかし、吉本隆明という評論家が、《大衆がテレビを見て笑っているなら、“ファシズム”にはならない》(正確にこういう表現ではなかったかもしれないが)というようなことを言ったが、この<認識>はまったくまちがっていると思う。

ぼくが考える“ファシズム”というのは、端的な痴呆状態のことである。

“子供たち”が、硬直した大人たちがみな死んだ後、どのような脱力社会を築くのか、心配である(笑)




この身体

2009-10-24 09:22:23 | 日記
★ われわれの身体とは、自ら動くもの、言い換えれば、世界の眺望から切り離せないもの、いや実は実現されたこの眺望そのものであるが、こうしたものであるかぎりでの身体こそ、たんに幾何学的綜合だけではなしにあらゆる表現の働きの、文化的世界を構成するあらゆる獲得物の、可能性の条件である。思考とは自発的なものであると言われているが、それは思考が自分自身と合体するという意味ではなく、反対に、思考は自らをのり越えてゆくという意味であって、発語はまさしく、思考が真理へと自分を永遠化してゆく運動にほかならない。
<メルロ=ポンティ 『知覚の現象学』>


★ 哲学がもし、考えること自体について考える批判的な作業でないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。また、すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考えることが、どのようにして、また、どこまで可能なのかを知ろうとするという企てに哲学が存するのでないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。
<ミシェル・フーコー『快楽の活用』>



★ 語りえない
1992年、信濃町の病院を訪れたわたしにむかって、中上健次は秋幸のその後の物語を書く構想をはっきりと語り、台湾への取材旅行を計画しているという。わたしはもう彼にはいくばくもの時間が残されていないことを直感する。いったい彼が現在進行形のこと以外を語ったためしがあっただろうか。過去や、あるいは未来に言及したことがあっただろうか。秋幸はもう一度路地に帰ってくるのだ、と中上は宣言する。だがわたしは、この断言ゆえにそれがもはやありえないことを確信する。
★服喪2
ある作家の書き遺したものを読むことは、彼が眺めた風景を眺めたり、彼が聴いた音楽をもう一度聴いてみることと、どのように違う行為なのだろうか。ソウルの市場の喧騒。熊野の夜の闇。羽田飛行場。アルバート・アイラー。サムルノリ。死者について語ることが必要な時というものがある。だが、それはいつまでも続かない。あるとき、もはや死者に向き合ってではなく、死者の傍らに並びながら語ることが求められることになるのだ。
<四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 中上健次の生涯”>

★こうした文体の実験の背後に、声の人であった中上を想定することは可能であるし、また正当でもある。だが同時にその背後に、密林の蔦のように絡まりあうエクリチュールの文様を思い浮かべることは、さらに正当なことではないかとわたしは考えている。改行どころか、句点も読点もなく、構文の秩序も、動作の主体の論理的一致も置去りにしたまま、どこまでも終わることなく書き続けられる文。おそらくそれは通常の400字詰め原稿用紙からはけっして生れることのなかった、異常な文のあり方であろう。中上健次があるときみずから選択した集計用紙という、けっしてこれまで文学的実践には用いられることのなかった用紙が、それを可能にした。文学が文様でもあり同時に声でもあること。書くことが織りこむことであると同時に、織り解いてゆくことでもあること。中上健次は一見矛盾するかのように見えるこうした作業を、生涯にわたって実践し続けた。「何の変哲もない」集計用紙の束を通して世界の文様を精密に写しとったばかりではない。みずからが謎めいた、巨大な文様であることを、身をもって生きたのである。
<四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 声と文様”>

★俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。
<四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』“補遺 一番はじめの出来事”>



★ 地虫が鳴き始めていた。耳をそばだてるとかすかに聞こえる程だった。耳鳴りのようにも思えた。これから夜を通して、地虫は鳴き続ける。彼は、夜の、冷えた土のにおいを想った。<岬>

★ 空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白い花が咲き、昼でも夜でもその周囲にくると白の色とにおいにひとを染めた。その木の横に止めたダンプカーに、秋幸は一人、倉庫の中から、人夫たちが来ても手をわずらわせることのないよう道具を積み込んだ。<枯木灘>

★ 朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。その木は、夏の初めから盛りにかけて白い花を咲かせあたり一帯を甘い香に染める夏ふようだった。満で29歳になった6尺はゆうに超すこの男は、あわてて眼をそらした。観光バスや定期バスが列を連ねている広場を秋幸は渡り始めた。<地の果て至上の時>



中上健次をたまらなく読みたい時がある。
その世界が近代であるか現代であるか、時空を超えているかをしらない。
それが“リアル”であるかもしらない。
だが、空気が薄く感じられるとき、すべてがあやふやな陽炎のように感じられるとき、このときこそ、中上が読みたい;

★光が撥ねていた。日の光が現場の木の梢、土に当たっていた。何もかも輪郭がはっきりしていた。曖昧なものは一切なかった。いま、秋幸は空に高くのび梢を繁らせた一本の木だった。一本の草だった。いつも、日が当たり、土方装束を身にまとい、地下足袋に足をつっ込んで働く秋幸の見るもの、耳にするものが、秋幸を洗った。今日もそうだった。風が渓流の方向から吹いて来て、白い焼けた石の川原を伝い、現場に上がってきた。秋幸のまぶたにぶらさがっていた光の滴が落ちた。汗を被った秋幸の体に触れた。それまでつるはしをふるう腕の動きと共に呼吸し、足の動きと共に呼吸し、土と草のいきれに喘いでいた秋幸は、単に呼吸にすぎなかった。光をまく風はその呼吸さえ取り払う。風は秋幸を浄めた。風は歓喜だった。
★血が流れていた。だが、黒い水と血は、夜目には判別がつかなかった。秋幸の眼の前に、水かさが増した川の水に浮遊した花が見えた。
徹が秋幸の体を後から羽交じめにした。一瞬の事だった。「こいつが、こいつが」と秋幸は言い、立ちあがった。人が走り寄ってくるのがみえた。薄暗い川原だった。風は吹かなかった。秀雄は波打ち際に頭をむけ、顔を両手でおおって、体をびくびくとふるわせていた。
竹原の一族も、フサもその川原にいた。その男浜村龍造もいた。息が荒かった。秋幸の体が空になっていた。殺してやった、と秋幸は思った。
「わあ、大変や」と言う声がし、徹が秋幸の体を突き、「逃げやんか」とどなった。足がそぎ落ちている気がして動けなかった。「おまえの子供を、石で打ち倒した」薄闇の中で秋幸はそう言った。
秀雄の血かそれとも川の水なのか判別がつかないものが、石と石の隙間でひたひたと波打っていた。それは黒く、海まで続いていた。はるか海は有馬をも、この土地をも、枯木灘をもおおっていた。
★風が吹いた。山が一斉に鳴った。
川の向こうの山が暗かった。日はその山の向こう側を照らしているはずだった。日は海の側にあった。山を越えた向こう側に有馬があり、川を下りたところにその土地があった。蝉が鳴いていた。悲嘆の声だった。しばらくその声に耳を澄ました。自分の体が鳴っていた。人が見ると秋幸を木と見まがいかねなかった。蝉の声が自分の体の中で鳴り、秋幸は自分が木だと思った。木は日を受け、内実だけが露出する。梢の葉が揺れ、日にろうのように溶けた緑をばらまく。いきれが汗のにおいのようにある。
★浜村孫一終焉の地の石碑を建てたその男は、秋幸がさと子との秘密を言うと、「かまん、かまん」と言った。「アホができてもかまん」秀雄が秋幸に殺されたと知って、男はどう言うだろう。秋幸は男が怒り狂い、秋幸を産ませ、さと子を孕ませ、秀雄を産ませた自分の性器を断ち切る姿を想像した。有馬の地に建てた遠つ祖浜村孫一の石碑を打ち壊す。息が苦しかった。蝉が耳をつんざくように鳴った。梢の葉一枚一枚が白い葉裏を見せて震えた。
秋幸は大地にひれふし、許しを乞うてもよかった。
日の当たるところに出たかった。日を受け、日に染まり、秋幸は溶ける。樹木になり、石になり、空になる。秋幸は立ったまま草の葉のように震えた。
<以上すべて中上健次 『枯木灘』>


★ その子にハヤシたてられたその子の人なつっこさが私を慰める。車を朝熊の山上に走らせながら私は、一体、何の為に妻子をおいて旅をしているのだろうか、と思う。今、私に、生活はない。あるのは言葉だけだ。コトノハだけだ。言葉によって地霊と話し、言葉によって頬すりよせ地霊と交感し、私は傷ついた地霊を慰藉しようとも思う。私は今人麿でもありたいし、小説という本来生きている者と死んだ者の魂鎮め(たましずめ)の一様式を、現代作家として十全に体現する者であらんと思うが、この地では逆に、言葉を持つ事がおごりに映る。
★雨が激しくなる。潅木の緑が濡れている。私は雨と渓流の音をききながら、立ちつくし、また思いついて向こう側へ渡る方法をさがして歩きまわる。草は草である。そう思い、草の本質は、物ではなく、草という名づけられた言葉ではないか、と思う。言葉がここに在る。言葉が雨という言葉を受けて濡れ、私の眼に緑のエロスとしか言いようのない暗い輝きを分泌していると見える。言葉を統治するとは「天皇」という、神人の働きであるなら、草を草と名づけるまま呼び書き記すことは、「天皇」による統括(シンタクス)、統治の下にある事でもある。では「天皇」のシンタクスを離れて、草とは何なのだろう。
<中上健次“伊勢”―『紀州』>


★ 風の強い日だった。その独り暮らしの65歳になる富枝さんの家は独り暮らしの為、修理する者もないらしく、はがれかかった家の壁板に風が当たり、鳴り続けていた。母親は日置(ひき)の出身だった。父親は古座に住んでいた。男が3人、女が4人のきょうだいで富枝さんは下から二番目。富江さんが生まれてすぐに父親は亡くなり、母親は再婚したが、義父は末の妹が出来てほどなく死んだ。14歳で、大津の紡績に行った。「あの時で、いくら借りたやろ」と言う。四、五十円の借金は家の生活に廻ったのだった。紡績からもどって来たのは19ほどだった。結婚して女3人、男2人を生んだ。うちの一人は先天性白児症だった。夫は製材所へ材木かつぎに行った。積んであった材木が崩れて、腹を割るという事故にあい、しばらく養生していたが、終戦前昭和19年に死んだ。それから彼女の腕一つで子どもらを育てた。戦争の話は富枝さんの口から出なかった。戦後の生活になると、さらに口をつぐむ。富枝さんの長女が、神戸で外人相手にオンリーをしていたのだった。
★ 話を変えた。歌をうたってもらった。所謂(いわゆる)、串本節である。だが、ここでは古座節と言ったほうがよい。

わたしゃ若いときゃ つがまで通うた
つがのどめきで
夜があけた

ついてござれよ
この提灯に
決して苦労は
させはせぬ

“つがのどめき”とは、古座から新宮にもどった海岸にある。潮が満ちてくると、ドドドドッとどめく。どめくとはどよめく、鳴りひびくの意味である。歌は恋の歌であり、恋心がどめきに満ちる潮の音ほど鳴りひびく。歌の文句は、男が歌うより女が歌うほうがよい。

★ その差別、被差別の回路を持って私は、紀伊半島を旅し、その始めに紀州とは鬼州であり、喜州でもあると言ったが、いまも私にはこの紀伊半島そのものが輝くほどに明るい闇に在るという認識がある。ここは闇の国家である。日本国の裏に、名づけられていない闇の国として紀伊半島がある。日本を統(すめら)ぐには空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。
<中上健次 『紀州』>



“ここから抜け出す道があるはずだ” COSMIC DANCER

2009-10-24 08:07:31 | 日記

“ここから抜け出す道があるはずだ”
ペテン師が泥棒に言った
“あんまりこんがらがっているんで息もつけない、ビジネスマンは俺のワインを飲んじまうし百姓は俺の土地を耕す、そいつらの誰一人その値段を知らない“

“そんなに興奮しなさんな”
泥棒がやさしく言った
“俺たちの仲間の大部分だって生きることはジョークだと思ってる、でもあんたと俺はそんなことは卒業したしそいつは俺たちの運命じゃない、だからアホな話はよそう、夜も更けてきた”

見張り塔からずっと、王子たちは見張っていた
その間、女たちはやって来て去っていった、裸足の召使たちも

遠くの方で山猫がうなった
二人の馬に乗った男が近づいてくる、風が吠え始めた

<BOB DYLAN:All Along The Watchtower>



世界はまるいから
ぼくはうっとりする
世界はまるいから

風は高いところにある
ぼくの心のなかを吹く
風は高いところを吹く

愛、それは古い、愛、それは新しい
愛、すべて、愛、それはあなた

空が青いから
泣ける
空がいつも青いから

<BEATLES:Because>



ぼくは12歳のとき踊った
ぼくは踊った、ああー
ぼくは子宮から躍り出た
そんなにはやく踊れるなんて不思議だね
ぼくは子宮から躍り出た

ぼくは8歳で踊ってた
そんなに遅いなんて不思議じゃない?
ぼくは踊りながら子宮にもぐり込んだ
そんなにはやく踊れるなんて不思議
ぼくは踊りながら子宮にもぐり込んだ
なかなか理解しがたいね
男のなかには恐怖が住んでいるのさ
そのバカみたいなものは何?
風船みたいな

ぼくは子宮から躍り出たんだ
そんなにはやく踊れるのは不思議
ぼくは踊りながら子宮にもぐり込んだ
そしてもういちど
ぼくは子宮から躍り出た
そんなにはやく踊れるのは不思議さ
ぼくは子宮から踊り出た

(T.REX :COSMIC DANCER)



スカボローの市へ行くのかい
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
そこに住むひとに、ぼくを思い出させてくれ
彼女はかつてぼくの真実の恋人だった

彼女に告げてくれ、ぼくに綿のシャツをつくるように
(深い森の緑の丘の斜面で)
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
(雪の上に残る小鳥の茶色い羽飾りの跡をおいかけて)
縫い目も針のあともないように
(山の子の毛布と寝具)
そうすれば彼女はぼくの真実の恋人になる
(喇叭の響きにも気づかず眠る)

彼女に告げてくれ、ぼくに1エーカーの土地を見つけるように
(丘の斜面には木の葉が散らばる)
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
(銀色の涙で墓石を洗い)
塩水と渚のあいだに
(ひとりの兵士が銃を磨く)
そうすれば彼女はぼくの真実の恋人になる
(喇叭の響きにも気づかず眠る)

彼女に告げてくれ、皮の鎌で刈り取るように
(戦争が真っ赤な軍勢で咆え狂うとき)
パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム
(将軍は彼の兵士に殺せと命令する)
そしてそれらすべてをヒースの束にまとめてくれ
(彼らはとっくの昔に忘れた理由で戦う)
そうすれば彼女はぼくの真実の恋人になる

<S&G;スカボロー・フェア/詠唱>




不可能なもの

2009-10-23 22:02:59 | 日記

大澤真幸氏が言うように、<不可能なもの>とは<他者>である。

他者との関係は<母>にはじまり、<父>、<家族>、<学校>、<社会>へと拡張される。
ぼくたちは、“やりとげようとして”、失敗する。

この<不可能なもの>にあらがうのは、抵抗するのは、<言葉>である。
この<不可能なもの>を維持するのも、<言葉>である。

<言葉>は、のたうつ。
ロジカルな言葉があり、惰性の言葉があり、わからない言葉がある。
ただ流通する言葉がある。
ラッキーなら、言葉は伝わる。
言葉を“さがす”なら、運がよければ、それに出会うことがある。
だがそこで、なにが可能になったかは、わからない。
ただ“もつれる”この言葉、対話の瞬間に、ある手触りがあれば、満足である、<幸福>なのだ。

けれど、<不可能なもの>が、<可能に>なったのではない。
そんなハッピーエンドなんかない。
もしそんな<エンド>があれば、<世界>は終わってしまう。
言葉のない<痴呆の>世界が出現するだけだ。

もちろんぼくは、<言葉のない世界>を求めていた。
他者の肉と融合する世界。
だが、<不可能>なのだ。
ぼくたちが<母>と分かれたあとでは。

またもうひとつの闇にかえっていくときには、ぼくはひとりで行くだろうか。
その<意識>を想像することはできない。
たぶんその瞬間まで、ぼくの<意識>を知ることはできないが、科学的には明らかである。
ぼくは<世界>へかえる。
こういうぼくの<認識>も確固としたものではない。
ただ現在のぼくに明らかなのは、この<意識>が、どんな神秘主義、カルトにも、<宗教>にも無縁だということ。

そのような<立場>から、まだいささかものごとを考え、読み、書けるなら、書こう。




ことばのつうじない世界;<VOID;虚空>再録

2009-10-23 11:32:59 | 日記
今年、2009年という年を考えても、もはやまとまった“イメージ”を持つことはできない。

なによりも、ぼくにとっては、“マスメディアの言葉”というものが、理解不可能になってきた。
いや“理解不可能”なのではない、“読む気がしない”のであり、神経を集中しないと何をいっているのかわからないのだ。
しかし、神経を集中して読んだ結果、そこにはなにも意味あることが書かれてないことをみいだすだけだ。

これは、マスメディアだけではなく、ぼくが目にする多くの“ブログ”や“掲示板”の言葉も同じだ。
このことは、当然、このぼくのブログを読む“他者”にとっても同じことだ。

ことばの通じない世界が、出現している。
しかしこの<現在>に対して、“それじゃいままではどうだったんだ?”と自分の過去60余年をふりかえると、ことばなぞ通じたためしはないのだ。

ぼくの現在の仕事の一部は、認知症を理解するための講座の裏方である。
この講座においては、認知症者自身に登場してもらえないので、“認知症模擬演技者(SPSD)”の“演技”をするひとと、その講座の参加者のうちから希望するひととで、ある設定にもとづいてそのシチュエーションを展開してもらう。

たとえば、昨日の講座では、会場から希望したひと(男性)が公園のベンチに座っている。
そこへ“認知症者”が、道に迷ってやってくる。
そこで二人の“会話”がはじまる。
この設定は、これまでもいろいろな地域の公開講座でやってきた。
そのたびごとに、ちがう。
昨日の男性は、認知症者(演技者)に対して、最初、“言葉で”説明しようとした。
認知症者が“踏切はどこですか?”と聞いたのに対して、駅への道順を説明しようとした。
この結果わかったことは、“言葉による説明は無効である”ということである。

このケースは、もちろん“認知症者(と正常者)”という極端なケースである。
しかし、ぼくたち“正常者”同士の言葉は、通じているのであろうか?これがぼくの疑問である。


今年(もうさだかでないが)、2月ごろから、ぼくが書いてきたDoblogが突如機能停止におちいった。
そのころ、ぼくはDoblogの再開を待って、アップできない記事を書き続けていた。
結局、Doblog復活の見通しが絶たれた時点で、不破利晴君の呼びかけにより、このgooへ移行した。

そのころ。

そのころ、gooブログの最初の頃書いた文章を再録したい。

Doblogが壊滅したことは、ただひとつのブログが壊滅したことではなかった。
ぼくは当時、それを予感していた。
すなわち、Doblogにおける<関係>が壊滅したのだ。

これはたしかに“個人的な問題”であり、ぼくのブログをDoblogから継続して何年も読んでくださっている方々(そういうひとがいるのだろうか?)にも見えにくいことだと思う。

不破利晴だけが残った。
Doblogで、“自由学校”(居酒屋学校)を“語りあった”数人でさえ、関係を維持できない。
すなわちこのブログ、このブログという場所での数年という関係もあっけなくついえた。
かれらにも言い分はあるだろう。
しかし、ぼくのブログをブックマークから“同時に”はずしたのは、“彼ら”の方である。
ぼくが拒絶したのではない。

すなわち、“かれら”は、ぼくの言葉をまったく理解しえなかった。
“言葉がつうじない”のである。
これだけ“おびただしい言葉”を日々用いて、なにひとつ通じない。
ぼくと彼らの言葉が通じなかった“だけ”であろうか。

そんなことで、あるはずがない。
“彼ら”同士の言葉も通じていない。



再録;<VOID;虚空>;

ありふれたシチュエーションだろうか。

未来。
タウ・ケチ惑星に植民する人々(凍眠している)を載せた卵のような宇宙船。
コンピューター完全制御の中枢にあるのは人間の脳からつくられた“オーガニック・メンタル・コア(OMC;有機知能核)。
起きている“人間=乗組員”(クローンである)は、4名。

その宇宙船のOMCが原因不明のトラブルに陥り、乗組員はOMCを停止し、それに代替する“人工知能-意識”をみずから作り出さねばならない。

乗組員4人は、それぞれ物理学、化学、生物学、生理学・心理学、コンピューター・テクノロジーなどの専門家であり、“宗教”のスペシャリストもいる。

はたして、彼ら4人は、“人工知能”を作り出すことができ、この宇宙船と植民者を壊滅的な危機から救い出すことができるか?


フランク・ハーバート『ボイド-星の方舟』(1966、翻訳小学館1995)である。
“ボイドVOID”とは、“空(くう)の、空虚な、無駄な、無効な・・・・・・”などを意味する、“宇宙空間、虚空”を意味する。

フランク・ハーバート(1920-1986)は、SF史上の傑作『デユーン砂の惑星』の著者である。<注>


この物語は、この4人の科学者の会話と意識の声と危機に対応する行為のみから成り立っている。
ゆえに、“科学用語(概念)”が頻出し、それには”注“がつけられている。
しかし、ぼくはその注を読むのを途中でやめてしまった。
それを読まなくても(理解しなくても)面白い(理解できる)からである。
逆にここで使われている“科学用語”は、“ギミック”である。
そもそも“SF=サイエンス・フィクション”における“科学”というのは、ギミックであった。

ならば、この“科学を偽装した物語”は、科学ではない何を語ろうとしているのか。

まさにこれが、この小説(サイエンス・フィックション)のスリルである。


この物語の核心は、どうやったら“人間と同じ知性態”をつくりだせるかという問題なのだ。
この“人工知能”の定義は、指示がなくても自ら考え判断するということである。

そのためには、“人間とは何か”がわからなければならない。
しかも“完全に”わからなければ、それを“つくる”ことはできない。

これがどんなに困難な<難問>であるかが、この物語の展開なのだ。

これを説明していると長くなるので、要点をピックアップしよう(細部はあなたがこの本を買って読んでください;笑)

★ 完全なものには愛がない→いかにして“欠点(欠陥)”をインプットできるか?

★ この“欠点”の重要な要素は、“殺戮本能(暴力)”である。

★ “意識”とは、“自己についての意識”とは?→《ぼくたちが自分たちのことで、真に客観的になれることなど、肉体の反応以外、何も存在しない》

★ 《鏡はそれ自体を映すことはできない》

★ 《次ぎの行動が過去の行動の結果からの絶対的、直接的因果関係を続けてゆくのなら、行為に意識の影響力などあり得なくなってしまう》(因果律は意識と適合しない)

★ “死”が地(背景)となっていなければ、そもそも“生”が描けない→“生”という認識(自分と他者とその関係を知るという知)が成り立たない。


この『ボイド』は普通の長さの小説である。
そこでの“思考”は、ある宇宙船内部での4人の科学者の“対話”と“内面の声”に限定されている(外からの声は、指令基地からのボイスだけである)

ハーバートは『デユーン砂の惑星』においては、長大な物語を展開していた。
しかし、その“スペース・オペラ”の設定においても、サイエンス(テクノロジー)と宗教(こころ)がテーマとなっていた。
これが、<環境>という問題にフォーカスされていたのだ。

すなわち、“人間のこころ”が、いかなる“未知の環境”において生存できるか(生きることができるか)が、問われていた。

未知の環境!

それは、“近未来”であり、“未来”であり、砂丘の連なる未知の惑星での生存である。
“砂虫(SAND WORM)“の棲息する世界。
そこには、圧倒的に<水>が欠乏し、その惑星を含む未来の世界系は、“カネ”よりも“麻薬(メランジ)”が流通、支配する世界であった(メランジは“意識”を拡張する!)

つまりこの世界、未知の世界は、“この世界”のアレゴリーであった。

だから、砂漠の民=フレーメン=テロリストも“予知”されていたのだ。

SFは、未来を読んだのである。
『デューン砂の惑星』は、1965年という過去において、2009年という“この未来”を読んでいたのだ。
すぐれたSFは、みな、未来を読んでいる。
それが、固定観念を“空想”するファンタジーとの差異である(つまりたとえばブラッドベリや「ソラリス」や「スカイ・クロラ」はSFであるが、「スター・ウォーズ」はSFではない)

“ボイド=虚空”とは、砂丘の連なる土地のように、ぼくたちの<環境>なのだ。
<水>は欠乏している。

ラクダにのって、卵形の宇宙船にのって、ぼくたちはこの旅にのりだす。

つまり、もう旅ははじまっている。


<注>
この物語を思い出すときに、スティングがでたデヴィット・リンチのバカげた映画を想起しないでほしい、原作を読むべきである。






<いま>

ブログでもなんでもよいのだが、もっとちがった言葉を読むことができないのだろうか。

もし“男の言葉”による世界認識が完全に行詰ったなら、もっと別の“女の言葉”が、なぜ“現に”発せられないのだろうか。

なぜ、30代も50代も同じ“おばさん言葉”をしゃべっているだけなのだろうか。

家父長的ファミリーの言葉(会話)が終わったとき、この“おばさん言葉(会話)”、かすかに乳の匂いがする、よだれのような言葉が、支配するのだろうか。

草食男子たちは、このよだれ言葉を反芻して、一生、おばさんの夢に生きるのだろうか。



なにがいいたいのか;挽歌

2009-10-22 07:55:15 | 日記
今週はぼくとしてはめずらしく月曜から土曜まで毎日仕事がある。
こうなると、ブログを毎日書くのが困難ではあるが、なんとかでっちあげている(笑)

今日も15分後には家をでる。
ゆえに、“論評”の時間はない。

以下に今日の読売編集手帳をかかげる。
ぼくのこの文章に対する疑問は、タイトルにかかげた。

ぼくは、無意味なことを書いてカネを取るのは、犯罪ではないか?という疑問を提示し続けている;

文章を“キーで打つ”か否かなぞ、なんの問題でもない。
先日の天声人語は《どうか小欄は、ぬくもりを添えてお届けする「縦書き」でお読み下さい》と書いていた。
自分の文章に内容がないことを誤魔化すためにだけ、こういう形式主義は動員されている。

言葉というのは、もっと意味のあることを言うために存在している;

<10月22日付 編集手帳>
 蝋を染みこませた原紙に鉄筆で文字を綴るとき、「書く」とは言わず、ガリ版を「切る」という。経験のある方は一字一字「彫る」ような感触を覚えておられよう◆原田康子さんの小説「挽歌」は、ガリ版刷りの同人雑誌「北海文学」(北海道釧路市)に掲載された。東京で本になり、1957年(昭和32年)1年間で70万部を売る。石原慎太郎氏の「太陽の季節」が年間27万部であったことを思えば、伝説的なベストセラーというほかはない◆編集者が自宅に持ち帰った700枚ほどの原稿を、編集者の娘がむさぼるように読みふけり、父親よりも先に一晩で読了してしまった――という挿話も残る◆手もとの新潮文庫版は奥付に「五十九刷」とある。北海道の霧の街を舞台に切ない恋をした主人公・怜子がいまも作品のなかに生き続けている証しだろう。原田さんが81歳で亡くなった◆「切る」でなく、もはや「書く」でさえなく、文章はキーで「打つ」人が増えた。同人雑誌はときに“老人雑誌”と陰口をきかれるほど衰微が著しい。伝説や挿話がいまは、その人が過ぎゆく時代に奏でた挽歌のように思われる。



カフェイン抜きのコーヒーあるいは<他者>抜きの<他者>

2009-10-21 22:33:32 | 日記

★ 現代社会は二つのベクトル――現実への逃避と極端な虚構化――へと引き裂かれているように見える。両者はどのように関連しているのか。ここまでの考察によって、推論しうることを述べておこう。偽記憶(注)についての考察が暗示しているように、究極の「現実」、現実の中の現実ということこそが、最大の虚構であって、そのような「現実」がどこかにあるという想定が、何かに対する、つまり<現実>に対する最後の隠蔽なのではないか。だが、隠蔽されている<現実>とは何なのか?とりあえずそれを「X」と置いてみよう。

★ こんなふうに考えてみたらどうであろうか。われわれは、現代社会に、一見、矛盾する二つの欲望を見たのであった。一方には危険や暴力を排除し、現実を、コーティングされた虚構のようなものに転換しようとする執拗な挑戦がある。他方には、激しく暴力的で、地獄のような「現実」への欲望が、いたるところに噴出してもいる。これら、二つは、ともにXへの対処法ではないか。両者が、互いに矛盾した方向を指し示すのは、Xが、決して、それ自体として認識したり、同定したりすることができず、それゆえ、直接に体験や行為の対象にはなりえないからではないか。Xは、大きく歪んだ形でしか、認識したり、体験したりすることができないのだ。

★ Xに間接的に関わる二つの方法が、述べてきたような二つのベクトルとして結晶するのではないだろうか。たとえば、ある条件の下では赤く見え、別の条件の下では青く見える対象があったとして、その対象の、それ自体としての色ということを言うことはできない。その対象の色に対する唯一の正しい認識は、「青くかつ赤い」という矛盾をそのまま受け入れことだろう。そうした矛盾した命題を結論する視差をそのまま肯定しなくてはならない。Xも、そのようなものである。とすれば、Xは、直接には、認識や実践に対して立ち現れることのない「不可能なもの」である。

★ したがって、虚構の時代の後に、現実を秩序づける準拠点となっているのは、この認識と実践から逃れゆく「不可能なもの」である。すなわち、現実の現実を秩序づけている反現実は、直接には見えていない「不可能性」である。「理想→虚構→不可能性」という順で、規準的な反現実の反現実性の度合いは、さらに高まっているのである。われわれが今、その入り口にいる時代は、「不可能性の時代」と呼ぶのが適切だ。


★ われわれは、今や、<不可能性>とは何か、不可能な<現実X>とは何かを、推定しうるところにきた。<不可能性>とは、<他者>のことではないか。人は、<他者>を求めている。と同時に、<他者>と関係することができず、<他者>を恐れてもいる。求められると同時に、忌避もされているこの<他者>こそ、<不可能性>の本態ではないだろうか。

★ われわれは、さまざまな「××抜きの××」の例を見ておいた。カフェイン抜きのコーヒーや、ノンアルコールのビールなど。「××」の現実性を担保している、暴力的な本質を抜き去った、「××」の超虚構化の産物である。こうした、「××抜きの××」の原型は、<他者>抜きの<他者>、他者性なしの<他者>ということになるのではあるまいか。<他者>が欲しい、ただし<他者>ではない限りで、というわけである。

<大澤真幸『不可能性の時代』(岩波新書2008)>



*注:偽記憶

《 多重人格の病因については、定説がある。患者が幼児期に受けた虐待――典型的には娘=患者が父親から受けた性的虐待――が、原因だというのだ。患者は、この過去のトラウマ的な出来事に直面できず、その苦痛に耐えるために、人格を分解したのだと説明されてきた。(略)ところが、やがて、虐待の記憶自体が、しばしば――「常に」というわけではないにせよ――患者による捏造であることが分かってきた。無論、患者は、意図的に記憶を捏造しているわけではない。患者自身も、それを「真実」として発見するのだが、客観的には、明らかに創作であると分かるケースがあるのだ。これらは「偽記憶症候群」と呼ばれる。》(同書より)




読むとき、なにを求めているのか

2009-10-21 12:29:18 | 日記
なにかを“読む”とき、その動機はなんなのだろうか?

面白さを求めて、気持ちのよい時間の過ごし方を求めて、“感動”を求めて、読んでもよいのである。
なにかの資格を得るため、なにかの“ハウ・トゥー”を求めて、読むこともあるだろう。

しかしここで考えたいのは、そういう目的ではない読書である。

これは、対象の“ジャンル”によるのではない。
たとえば、“哲学書”を、“生き方”のハウ・トゥーを求めて読む人もいるだろう。

そうでない読書の場合、ふたつの方向があるように思える。
A:あるテーマ(問題)を知りたいから読む
B:それを書いた人を知りたいから読む

こう書くと、ただちに、このA、Bは、分けられないということも分かる。
しかし、“方向性”のウエイトというようなことを考えている。

ぼくは、最近、あきらかにBにウエイトを置くことにした。

たとえば、“パレスチナ問題”を知るために、その問題を扱った本を集め、それを全部(日本語で書かれた本だけでも)読むだけでも、すごく時間がかかる(だろう)
だからぼくらは、そういう問題をあつかった“定評ある本”を数冊選んで読むわけだ。
そういう読書があってもよいし、ぼく自身もそういう読書を行っている。
だが“パレスチナ問題”にかんして、サイードを読むというのがBの方法である。

この場合は、そのひとが書いた文章を、“時系列で”順番に読むのがベストだと思う。
だがサイードひとりであっても(翻訳されているものだけでも)膨大である。
しかも対象は“パレスチナ-サイード”だけではないのである。
ベンヤミンも気にかかる(笑)

いやいや“気にかかる”ひとは、絞っても、10数人はいるのである。
だからカントやヘーゲルは解説書だけで誤魔化す(笑)

問題は“日本人(日本の書き手)”である。
ぼくはなかなか“絞る”ことができない。
ただひとつのぼくの方針は、定評ある書き手(丸山眞男や加藤周一)を選ばないということだ。
ぼくは現在書き続けているひとを選びたい。(注)

この場合のアプローチは、サイードやベンヤミンとはちがったものになる(だろう)
つまり“同時進行”的になるだろう。
また、ぼくの“選択”は、いつもぐらついている。

ぼくが、いま、だれを選んでいるかは、このブログを注意深く読むひとには、明瞭だと(明瞭になると)思う。


昨夜引用した大澤真幸氏の文章(『資本主義のパラドックス』あとがき)でカットした部分から引用する;

★ 一見、自分たちにとって馴染みの薄い社会や文化、生の形式を主題にする方が、現在を対象化するよりよりもずっと困難であるように思われる。確かに、そのような面もある。異なる文化、異なる生を理解する、ということには固有な困難がともなっている。しかし、現在への探究は、これとは別種の困難にどうしてもぶちあたる。



(注)たとえば大江健三郎である。