がじゅまるの樹の下で。

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琉球史的オモシロ看板

2015年07月21日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

琉球史的オモシロ看板。

とある場所でみかけました。

「怕尼芝」って…あの「怕尼芝」?

どう考えても、あの怕尼芝(ハニシ)だよな??

 

 

琉球が統一される前、
北山にも政権交代が起こっているのですが、
中昔北山時代の"今帰仁世の主"を倒して
新しく北山王の座に就いたのがこの怕尼芝。

怕尼芝から始まった王統が
北山の最後の王統であり、
怕尼芝の次の次の北山王が、
尚巴志に滅ぼされたあの攀安知です。

つまり攀安知のじいちゃんが怕尼芝。

怕尼芝の孫が攀安知ってことですね。

 

ちなみに、
この怕尼芝が倒した"今帰仁世の主"は
あの「千代松(丘春)の子」、
そして隠居していた「千代松(丘春)」、
とも言われています。

打たれた千代松たちの血筋は
護佐丸や大城賢雄につながるということに。

 

くわしくは過去記事に→    

 現代版組踊「北山の風」、久しぶりに見に行きたいなー。

 

また、怕尼芝は北山として初めて進貢した人で
中国の歴史書に初めて名前が記された北山王となります。

 

…と、まー、
怕尼芝は琉球戦国時代を愉しむ上で欠かせない
北山エリアのキーパーソンなんですけど、
護佐丸や阿麻和利とは違って知ってる人は極小だと思うんだけど…、
なぜそれを会社名に?(^^;)

経営者が怕尼芝の子孫なんだろうか?

 

 

ということで、気になる怕尼芝看板でした。

 

 

なお、ハニシの漢字表記は
尼芝だったり尼芝だったりしてます。