がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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テンペスト行脚~大美御殿跡~

2011年02月03日 | ・『テンペスト』行脚

 

久々に、
テンペスト行脚……再開っ

でも、「テンペスト体感ツアー」で周らないスポットをご紹介しますね。

(写真は2010年の秋に撮ったモノです。)

 

今回のスポットはこちら!

守礼門から続いている綾門大道沿い、
現在の首里高校にあたる場所にあったとされる……

 

■大美御殿(おおみうどぅん・うふみうどぅん)跡■

「もし真鶴さんが評定所筆者だったらどう対応する?」

「私なら……。もし私が評定所筆者なら、武力介入を避けるために
大美御殿で歓迎式典を行います。

大美御殿は半官半民の施設だから
王宮の一部のように米国人には見えるでしょう。

大美御殿で修好条約を締結させられても
民間交流だったと後で説明ができます」

 

「テンペスト(下) 166-」より (池上永一著/角川書店)


「ここは王府の摂政のお屋敷でございます。
ペリー提督には是非ここで休憩していただきたく、
ささやかな宴を用意いたしました」

向家は名門士族の威信を懸けて
ペリー提督一行を阻む接待作戦に出た。

ペリー提督との交渉で何度か顔を合わせたことのある摂政が
「ようこそ我が家へ」と慇懃な礼をする。

「姑息な罠だ。無視しろ」

とペリー提督が隊列を意地しようとする。

そのとき絵画から抜け出してきたような貴婦人が門から現れたではないか。
聖母マリアを彷彿とさせる黒髪の貴婦人の微笑みに行軍の足が止まった。

お嬢様爆弾を用意した真美那が遠来の客の疲れを癒すように誘う。

「ペリー提督のお越しを心からお待ち申し上げておりました」

 

「テンペスト(下) 184-」より (池上永一著/角川書店)



ペリー率いる黒船が浦賀に現れる前、
琉球に立ち寄っていたのはもうご存知ですね。

「テンペスト」にもあるように、
ペリー来琉に際して琉球王府も対応にかなり苦慮します。
事件も起こるしね…)

ペリー一行の強制登城に際して使われたのが
摂政宅と称された「大美御殿」、
そして首里城「北殿」だったのです。

今は首里高校になっているので
大美御殿の面影はまったく残っていませんが、
その跡地と、守礼門や首里城との位置関係を体感するとおもしろいかもしれません♪

(ちなみに斜め向かいは玉陵です)

 

photo by ケータイ

 

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建仁寺【1】

2011年02月03日 | ☆冬の大阪・京都旅行'11

 

建仁寺、見所がたくさんあって好きです。
今回の旅で、建仁寺は2度目。

写真も建仁寺だけでたくさん撮りました。

なので、いくつかに分けてご紹介することになりそうです。

 

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