がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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ブーゲンビリアとグスク巡り

2009年09月21日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

ブーゲンビリアの花が咲く頃のようです。

年中その鮮やかな色で咲き誇っているかのように見えるブーゲンビリアですが、

じつは、ブーゲンビリアのお花はこれ。

こんなに小さな小さな白い花。

まだつぼみの状態のブーゲンがこちら。

そのとき、突然カタブイに見舞われて車の中へ避難。

でも、カタブイだから大丈夫。

しばらくじっとしてるとほら、すぐに止みました。

カタブイでお水をたっぷり飲んだブーゲンは一層鮮やかに、

つややかに輝いています。

小さな小さな白い花が雨に打たれて弱ってしまわぬよう、

赤い色した大きな傘が、包み込むように守っていました。

ほら、またすぐに青空が戻ってくる。

 

 

咲き誇ったブーゲンビリアの美しさに目を奪われる今日この頃です。

今日も道端でステキなブーゲンたちに出会ったので車を止めて撮影会(笑)

接写1cmまで可能なCX1が大活躍
(デジイチ君はワタシのもってるレンズじゃここまでできないのーこれがCX1買った1番の理由かな)

 

今日は、勇賢先生の個展のあと、そのまま南東へ

遺跡の標識があったらとりあえず行って見ようツアー決行(笑)

糸数城跡、

玉城城跡、

垣花城跡、

志喜屋城跡、

佐敷グスク、

6ヶ所周ってきました(笑)
(ハブ対策棒持って)

 

とにかく森、森、森。
人いないし足場悪いし蚊いるしー、
我ながらよーやるわーと…。

あ、ちなみにこちらはテンペストは関係ないです。

写真、いっぱい撮ったのでいずれご紹介すると思います。


照屋勇賢先生個展「Cut」

2009年09月21日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

照屋勇賢先生の個展「Cut」を見に行きました!

“先生”というのは、高校時代に講師として来ていた勇賢先生に教わっているからです。
(高校のときだけじゃなくて、ピザボックスを使った作品作りには一般として参加させてもらいましたし、
数年前NYに旅行に行ったときはご飯をご馳走になりましたm(_ _)m)

照屋勇賢先生はNYを拠点にして活躍している
日本を代表するアーティスト。

現在国内外でひっぱりだこ状態。

今年7月8日号のNEWS WEEKにて
「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれています。

その全てを書くとかなり長くなるので勇賢先生の紹介は↓を見ていただくとして。

↑クリックすると大きな画像で見れます。

個展のこと。

 

お花も持って画廊沖縄に着いたら…あれ?鍵かかってる……。

………

しまったぁ~~!今日月曜日かぁ~~~!

土日とやーぐまいしてたからか日曜日と勘違いしてたワタシ…

どうしよう…家からここまで結構距離あるのに、
しかもお花、このままじゃしおれちゃう…

困ったなぁ~、ど~しよ~かな~と考えてると
画廊のオーナーさんがやってきて、なんと特別に入れてくれました!!
(お休みのところ、お茶もいただき本当にありがとうございました!

 

勇賢先生の代表作の1つ、DMのデザインにもなっている紅型を手法にした
「結い You_I」

この作品が1番すき。
この作品をヒントに大学の卒業制作したくらい影響受けました。

本当の作品は着物状になっているんだけど、
その布地を平面作品としたものや、
それから新作の紅型作品(「Heroes」シリーズ)も見れました!

尚寧王、瀬長亀次郎、具志堅用高、そして安室奈美恵の肖像を紅型にアレンジした作品。
(※具志堅用高さんの作品は今日の夕方からの設置らしく見れませんでした)

そ~きたかぁ~~~(「くうぅぅ~~~っ(唸)」
ってなりました(笑)

やっぱり刺激をいただきました。

 

この作品ほしい!

って思ったけど……さすがにン十万円は…手が出ないッス

でも見れてよかった!

 

他にも世界の国旗を組み合わせた「Color the World」や
紙袋やトイレットペーパーの芯から木を切り取った「Notice-Forest」などの
代表作も見ることができます。

沖縄で生まれ育って東京で学び、
NY―世界と飛び回って生きてきた勇賢先生の思い、願い、声、視点を
垣間見ることができました。

勇賢先生、ありがとうございました

 

個展は27日まで!入場無料!
是非、この機会に足をお運び下さい!


知花城跡

2009年09月21日 | ・琉球史散策/第一尚氏

ずぅ~っと前(今年6月)に行って、ずぅ~っと紹介できてなかったグスクをやっとご紹介。

沖縄市知花にあります、知花城跡です。

仲泊遺跡のときと同じくらい、突発的に、夕方に、女一人で行ってしまったグスク。
たぶん、ここを夕方に女一人で行ったって言ったらみんなヒくかも

 

なぜならば、

 

すごい古いから。


しかも世界遺産とかそういうのじゃないから整備されてないっ!
もちろん、人ひとりいやしねぇ。
案内所とかそういうのも一切なし。

案内板も古びてこの通り。

な~にが出てきてもおかしくない…かも…!?

でも夏で、夕方でもこの通り明るかったので行っちゃいました。
でも後に、ああゆうトコロはハブに気をつけないとーって言われて納得しました…
それ以来、突発的に行ったときにために車に長い竹の棒を置いています(笑))

階段はあるのに…これじゃ通れません

沖縄市教育委員会さん、もうちょっと整備してあげましょうよ…
(整備っていうか…チェック?)

 

そんな知花グスクに行ったのには訳がありまして、

それは、大城賢勇(“鬼大城賢勇”)のお墓があるから。

大城賢勇は肝高の阿麻和利にも登場する首里に属する武将で、
阿麻和利の妻になった琉球王(尚泰久)の娘、百十踏揚のお供として勝連に渡ります。
(百十踏揚と大城賢勇は幼馴染だったとかなんとか)

で、阿麻和利・護佐丸の乱がありまして、
その際、阿麻和利の反逆の意志を見抜いた賢勇は
百十踏揚と共に勝連を脱出し首里に通報、
首里軍(官軍)の頭として阿麻和利を討ちます。
(っていうのが歴史の通説)

 

ここまでは肝高の阿麻和利の舞台でも触れられてるのですが、
面白いというか、悲しいというのはその後の歴史なんですよ。

大城賢勇と百十踏揚が結婚。

越来・具志川・美里間切(地域の意味)を与えられ、
越来城主となり、ここ知花城も管轄に治めます。
(※諸説あるようですが)

しかし、首里で大城賢勇が直接仕えていた金丸が、
今度は首里王府にクーデターを起こします。

そして、その金丸が第一尚氏を滅ぼし、
第二尚氏の最初の王(尚円)となるわけです。

その際に大城賢勇も追われ、
この知花城跡に隠れていたところを討たれたといわれています。

 

で、ここがその大城賢勇のお墓となっています。
(前のケータイで撮った写真だからキレイじゃない…)

知花城跡の、展望台のようなところから見下ろした知花一体の町並み。

 

あの時代、この場所で、時代の波に飲まれながら必死で生きた武将たちがいたんですね。

人ひとりいない、寂れてひっそりとした知花グスクにそんなことを思いました。

 

 

※追記※

この記事を書くにあたって、ちょこっと知花城跡について確認してみたら、
どうやら大城賢勇のお墓、この奥にまだ続いているらしいです。
(標識の矢印はどう見ても左手の岩穴なんだけど…)

これはちゃんとしたカメラもって、確認しにまた行かなきゃ…かも!?

 

*追記2*
正しい大城賢雄の墓はこちらから