がじゅまるの樹の下で。

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知花城跡

2009年09月21日 | ・琉球史散策/第一尚氏

ずぅ~っと前(今年6月)に行って、ずぅ~っと紹介できてなかったグスクをやっとご紹介。

沖縄市知花にあります、知花城跡です。

仲泊遺跡のときと同じくらい、突発的に、夕方に、女一人で行ってしまったグスク。
たぶん、ここを夕方に女一人で行ったって言ったらみんなヒくかも

 

なぜならば、

 

すごい古いから。


しかも世界遺産とかそういうのじゃないから整備されてないっ!
もちろん、人ひとりいやしねぇ。
案内所とかそういうのも一切なし。

案内板も古びてこの通り。

な~にが出てきてもおかしくない…かも…!?

でも夏で、夕方でもこの通り明るかったので行っちゃいました。
でも後に、ああゆうトコロはハブに気をつけないとーって言われて納得しました…
それ以来、突発的に行ったときにために車に長い竹の棒を置いています(笑))

階段はあるのに…これじゃ通れません

沖縄市教育委員会さん、もうちょっと整備してあげましょうよ…
(整備っていうか…チェック?)

 

そんな知花グスクに行ったのには訳がありまして、

それは、大城賢勇(“鬼大城賢勇”)のお墓があるから。

大城賢勇は肝高の阿麻和利にも登場する首里に属する武将で、
阿麻和利の妻になった琉球王(尚泰久)の娘、百十踏揚のお供として勝連に渡ります。
(百十踏揚と大城賢勇は幼馴染だったとかなんとか)

で、阿麻和利・護佐丸の乱がありまして、
その際、阿麻和利の反逆の意志を見抜いた賢勇は
百十踏揚と共に勝連を脱出し首里に通報、
首里軍(官軍)の頭として阿麻和利を討ちます。
(っていうのが歴史の通説)

 

ここまでは肝高の阿麻和利の舞台でも触れられてるのですが、
面白いというか、悲しいというのはその後の歴史なんですよ。

大城賢勇と百十踏揚が結婚。

越来・具志川・美里間切(地域の意味)を与えられ、
越来城主となり、ここ知花城も管轄に治めます。
(※諸説あるようですが)

しかし、首里で大城賢勇が直接仕えていた金丸が、
今度は首里王府にクーデターを起こします。

そして、その金丸が第一尚氏を滅ぼし、
第二尚氏の最初の王(尚円)となるわけです。

その際に大城賢勇も追われ、
この知花城跡に隠れていたところを討たれたといわれています。

 

で、ここがその大城賢勇のお墓となっています。
(前のケータイで撮った写真だからキレイじゃない…)

知花城跡の、展望台のようなところから見下ろした知花一体の町並み。

 

あの時代、この場所で、時代の波に飲まれながら必死で生きた武将たちがいたんですね。

人ひとりいない、寂れてひっそりとした知花グスクにそんなことを思いました。

 

 

※追記※

この記事を書くにあたって、ちょこっと知花城跡について確認してみたら、
どうやら大城賢勇のお墓、この奥にまだ続いているらしいです。
(標識の矢印はどう見ても左手の岩穴なんだけど…)

これはちゃんとしたカメラもって、確認しにまた行かなきゃ…かも!?

 

*追記2*
正しい大城賢雄の墓はこちらから

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