テルミンの彼方へ
宇宙とシェアする楽の音
 



山口由里子さん、杵淵三朗さん、それから、元田みどりさん[歌]、細江聡子さん[キーボード]、中山アキヒロさん[Perc.歌]とご一緒して頂いて、南牧村美術民俗資料館で開催中の、田所一紘先生の個展『人間 存在』の中で演奏させて頂きました。



音楽イヴェントタイトルは『悠久・旅人』。テルミン、由里子さん、杵淵さん、こちらは一部で、寮美千子さん訳・編となる『父は空 母は大地』、寮美千子さん『星の魚』、高村光太郎先生の「最低にして最高の道」3つ聞いて頂きました。

『父は空 母は大地』は、開拓時代のアメリカのインディアンの話です。元々の文章はもっと違う形であった様なのですが、それに寮さんが手を加えて編集し、今の時代に伝えたいメッセージとして一つの作品に仕上げたものです。テルミンで弾きましたのは、清道洋一先生の、Cuatro Canciones para Theremin solo(テルミンの為の独奏曲)本邦初演。由里子さんの朗読も素晴らしくて、みんなに聞いて欲しい。またどこかで再演したいです。

『星の魚』は、可愛らしいお話。テルミンで演奏しましたのは、山元加津子さんの「満天の星」です。
前の日は、清里のペンションに泊まっていたので、美しい星空を見られて良かったです。

高村光太郎先生の「最低にして最高の道」では、由里子さんが、光太郎っぽい羽織り物を上から羽織ってくださって、力強い語調も、雰囲気がぴったり! ありがとうございました。



第二部は、田所さんのお姉様のみどりさんグループ。細江さん、中山さん。一部のしっとりした(?)雰囲気とは打って変わって、明るいお姉様が、明るく盛り上げてくださいました。

途中から、一部のメンバーも混ぜて頂いて、「レッサムフィリフィ」や「月の沙漠」。 これはすごく楽しかった! ムードメーカーのみどりさんの存在大きいです。うらやましい。「月の沙漠」はちょっとした細工があり、当日のみのスペシャルバージョンで聞いて頂きました。



そして、最後に記念写真コーナー。



天文台に行けばポスターが貼ってあったり、前日にご飯を食べに行った居酒屋さん(花ふぶきさん。野菜が美味しい!)の方がいらしてくださったり、予想をはるかに超えるお客様が美術館にあふれ、立ち見も出るほどの盛況となりました。南牧村の方は、あったかい! ありがとうございました!!

ところで、高村光太郎先生の「最低にして最高の道」 由里子さんに読んで頂く台本はわたしが用意したのですが、その時、ちゃんと確認せずに、WEBのどこかからコピペして台本を作ってしまったらしい。本番前のゲネの時に、由里子さんの朗読を聞いて、あれ?と思って台本を確認したら、記憶にある詩と違う。慌てて、その場でWEBを検索したものの、両方のバージョンが普通に出てきて、どちらが正しいのか分からない。小山さんにメールで質問してみたのだけれども、そんなにすぐには捕まらない。結局、本番は、間違った台本で読んでしまいました(という事が、演奏会後の小山さんのメールで分かった) 人前で発表する場合には、念には念を入れて、きちんと文献を当たるべきだ、と、痛感しました。

お客様には評判良かったので、間違えたけれども、言葉は伝わったらしい。。。。というのは、由里子さんの声の力です。

この「最低にして最高の道」 この詩は、実は、書かれたシチュエーションは翼賛詩です。が、その背景を知らずに聞くと、ただ力強く素晴らしい前向きなメッセージになっています。演奏会の後に「今の政治家に聞かせたいです」という感想を頂くくらい。

光太郎先生が亡くなった時に、雑誌で追悼特集とか組まれていますが、それを読むと、本当に、その時代の、文化、芸術を牽引する言葉を生み出してきた、その時代のリーダーだったんだなあ、と思います。その純粋で力強い言葉、政治家から見たら、絶対欲しい人材、と思う。なかば本人も進んでやった事ではあるみたいですけれども、力のある言葉をつむげる詩人が、政治に利用されるとはこういう事なのか、と思うと悲しいです。



野辺山の天文台。こんな星の綺麗なところで、宇宙をのぞいていたら、下界に戻ってこれなくなりそう。。。な、時間の流れ。

ライブレポ)  コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






一部の方はご存じで、10/28ぷらイム10周年企画『智惠子抄』のチラシにも案内が載っているのですが、実は、今、テルミンの、テルミンによる、テルミンの為のアルバム! もう、テルミン大好きテルミンラヴ!!!な感じのCDを制作中です。

どういう内容かと、言えば、まず、テルミン多重録音。ソロ~二重唱~三重唱~多い場合は11トラックの音が重ねて制作。テルミンは音の立ち上がりが丸く、カウントを取りにくい楽器です。この平仮名の様な輪郭の丸さと音程の揺れは、テルミン独特の浮遊感につながっており、クリック音を入れて多重録音してしまうと、テルミンらしいゆらめきがなくなってしまいます。

それを回避する為に、クリック音を使わず、しかも、音程の不安定なテルミンで、と、そこから先は、テルミンを弾く人だったら、卒倒しそうな作業になるのですが、そこは宅録。根気よく、録音を制作。できあがった録音は、もう、これは、他の楽器にはない個性だと思います。

そして、テルミン多重録音に加えて、作曲家の先生方に書いて頂いたテルミンの為の楽曲の収録。音楽としてのテルミンの世界を全体的に底上げしていくのは、やはり、テルミンの為に書かれた楽曲が増えていく事なのだろうと思います。なかなか作曲家の意図の様に演奏できていない場所もあるかとは思いますが、これも地道に録音作業を重ね、あと2曲。共演者の方々には、いろいろご面倒をお願いしました、ありがとうございます。

テルミンは、まだコンピューターすら無い時代に作られた世界最古の電子楽器でありながら、今なお多くの人々を魅了する温かい音色の楽器です。こんなテルミンラヴ!!!なCDを思いついてしまって、制作は大変でしたけれども、あっぷあっぷと作業を続け、10月28日完成を目指して、やっと最終段階に入りました。

ジャケットの絵は立原圭子さんにお願いしていたのが仕上がってきました。これもテルミンラヴ!!! ありがとうございます。 

10/28発売です。「All Theremin」



CD)  コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ぷらイム中心に。

 
演奏会場、はまぎくホテルのロビーにあった絵。ロビーには、ペッパー君もいます。女の子バージョンのペッパー君って初めて見ました。台詞では自分の事を「僕」と呼んでましたが。そこは簡単に書き換えられないらしい。


もう一つの演奏会場、森の図書館。こじんまりとした素敵な場所でした。個人宅なので、外の写真だけ。。


前回行かなかった展望台、筋山展望台にも行ってみました。今は殆ど行く人もないのか、草ボウボウの中をかき分けて行く。。。ぷらさんは、最初、駐車場で待ってる、と言ってたくらいです。でも行ってみたら、すごく良い眺め。

 
今回はお天気が悪かったので、青い海と青い空、という景色ではなかったのですが、山に霧がかかって、何とも幻想的です。到着した最初の日も、行く道が、夢幻境に来たのかしら、という様な濃い霧に包まれた山や谷。美しかったです。

昨年は入れなかった東京大学国際沿岸海洋研究センターも、入れる様になっていました。3階部分だけ改修して、今も研究所として活動中です。たまたま研究員の方と鉢合わせて、改修終わった研究所の中や、屋上まで案内して頂きました。



 
1階、2階は、整備が間に合わないのか(きっと、町中、新しい家の工事の方が優先なのでしょう、と思います) 遺構として残すかどうかの結論がまだ出ていないのか、殆ど手つかずで、天井とか崩れてきそうだし、いくらなんでも入ったら危険でしょう、という部屋には、手書きで注意書きが書いてあります。

 

 
ここに、大勢の人が働いていた、そんな時間を思い浮かべてしまう風景。天井には放置されたままのプロジェクター。丁度、外では、学校のチャイムが鳴り響いていました。

折角なので、昨年と同じ風景ですが、海洋研究センターの反対側、ひょっこりひょうたん島の写真も^^
 
昨年は、工事がまだ真っ最中で、堤防の右と左とで海の色がまるで違ったのに(工事中の海の方は、海底の土砂を巻き上げた土色をしている)今年は、右も左も澄んだ海。砂浜ではないので、海の水の透明度が高い。


堤防で、釣りをしている方に何が連れるのか聞いてみましたら、はて?という返事。何が釣れるのか分からず、暇だから釣りをしているみたい。そういえば、ドローンも置いてありました。大槌の人ではないのかな。。。灯台の所で釣りをしてる方は、ソイという魚が釣れる、と教えてくれました。

PETEはいつも写真を撮っていて遅れるので、PETEのカメラには、とっとと先を歩いているぷらイムの写真が多い。


昨年建ったという、宮沢賢治の詩碑。暁穹への嫉妬。これはいい詩です^^ いつか作品にしてみたい。昨年は、三陸に建つ賢治の詩碑の何かサミットみたいな物があったそうで、はまぎくホテルが会場になっていたそうです。最初話を聞いた時は、家もまだなのに、詩碑?と思いましたが、町の活性化、という意味では良いのかもしれません。


案内してくださったガイドさんの仮設住宅にある集会所。もう9月にはここを出られるので、お写真いいかしら^^ 山の方に行くと、仮設住宅が沢山建っていますが、この一画は、何となく壁面もオシャレ。それでも、中は四畳半二間だそうです。そこに家族で6年半。大変だったろうなあ、と思いますが、住宅費がかからないので、今となっては、もうずっとこのままここでいい。。。という方もあったり、なかなか難しい問題もある様です。

 
新しい役場の所に、今年の1月に建てられた、東日本大震災津波物故者納骨堂。説明には421人の行方不明者を含む1285人が犠牲となりました、とありますが、先日、行方不明者の数が420に減ったそうです。それをすごく大事な事の様に話すガイドさんのお話に、行方不明者の数、は、単なる数ではなく、×420倍の人間の人生と哀しみがあるんだなあ、と改めて思わせられました。3月11日の津波到来の時刻に、窓から太陽の光が入る様に設計されているそうです。


神戸市の「1.17希望の灯り」から分灯した灯り。大槌の町を見下ろせる場所に建っています。碑には、「やさしさ、思いやり、仲間、絆の大切さを忘れることなくともに歩んでいきましょう。」とあります。

最後、昨年、行き損なった城山公園! 大槌城の跡です。ここは、眺めがよくて気持ちいい~☆ お休みの日にはピクニックに来たくなる様な場所です。演奏会もやってますよ、と仰ってましたが、テルミンは電気がないと鳴らないのが残念。こんな所で演奏したら、絶対気持ちいい。
 

 

まだまだ先は長いなあ、と思いますが、大槌の新しい顔を発見できて嬉しいです。筋山展望台の所にも大きな桜があったし、いつか桜の季節に行きたい。

ライブレポ)  コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今年の夏は、大槌と石巻に行きました。

大槌、昨年行った時は、丁度盛り土の工事が終わりかけの頃で、盛り土の上に、線のかかってない電柱だけが林立していて不思議な光景でした。今年は、随分と家が建ち、あちこちで家の新築工事、電柱にも電線が張られていました。

 

6年待って、やっと家が建てられる様になったものの、もうそんな体力は残っておらず、いっそこのまま仮設住宅でいい、と言い出す人あり、あのペンペン草の区域とか、6年も経ってしまってはもう戻ってこないよ、みたいな話もあり、そんな中で、案内してくださったガイドの方は、ひたすら前向き。宮沢賢治の碑を新しく建てて、宮沢賢治サミットみたいな事を企画してみたり、明るい話題が多く、話していると、こちらも元気になってきます。この前向きのモチベーションを保つのには、よほどタフでないとなあ、とほとほと感心します。

今回は、ぷらさんの車で行ったので、大槌から石巻を通って帰ってくるのは、海沿いをずっと走りました。

 

 
 
 

行けども行けども土木工事。瓦礫の頃を知らないので、家が建っていた様子は想像するしかありませんが、段々と気が重くなってくる風景でした。延々と続く瓦礫。。。よりはマシなのかもしれませんが、震災から、もう6年半経つのに。本当に大変な被害だったんだなあ、と、何年経っても、思います。瓦礫の片付いたあと、盛り土や堤防の工事が、こんなにも時間かかってしまうと、だんだん、それが、本当に自分の望みだったのかどうかも分からなくなってくる中で、工事だけは続く。地震や津波の被害の所の土木工事は、それでもいつかは終わって家が建つんだろう。悲しいのは、津波の被害を受けてないのに、放置されている家や田畑、牧場。緑が広がってる。。と思っても、そこは、かつての実り豊かな田んぼではないし、牧場では、半ば朽ちかけた柵だけが野ざらしになっている。道には、放射線の空間線量計がいまだにびっくりする様な数値を表示して立っている。車で行ってみると、今まで多少高めですね、という数字だったのが、突然、相転移を起こした様に数値がガクンと上がる。ホットスポットという言葉もありますが、ここに何かが降って撤去されないまま、まだここにあるんだろう、と思う様な。サービスエリアに貼ってある「事故の場合」の注意書きは、下の方に、「放射線量についての留意点」が書かれている。勿論、ここは通過するだけで、人は住んでいない地域なので、工事の車もなく、一見牧歌的な風景が広がっています。

東北の方は、人のつながりが密で、情の厚い方が多い。そんな大変な中で歓待してくださったり、ガイドで案内をしてくださりながら、ガイド料は今回はいいです、とか(そんな訳にもいかないので、規定の料金を受け取って頂きましたけれども)沢山の方にお世話になりました。ありがとうございました。ガイドさんは、震災直後にボランティアに来てらした福岡の女の子の結婚式に、先日、お招ばれで行ってきたそうです。暗い話題も多い中で、こんな話に出会うとホッとします。大槌では家が建ち始め、気仙沼は活気があり、石巻ではお祭りと出会えたのも、嬉しかったです。花火も見れたし、美味しい海の幸、ご馳走になり、沢山の笑顔に出会う事が出来ました。



写真は、はまぎくホテルのロビーでの演奏の写真です。このホテルは、震災前は浪板観光ホテル、という名前で営業していましたが、津波の被害に遇い、営業を停止。その時に、以前天皇陛下がお泊まりになった時に苗を差し上げた、はまぎくの花が皇居に咲いている映像を偶然見て、それがきっかけとなって、「はまぎくホテル」という名前で再開する事になった、という事です。はまぎくの花言葉は「逆境に立ち向かう花のように」 

宿泊の部屋からは海の音が聞こえ、露天風呂では、海と朝日を眺めながら入浴できる、という素敵なホテルです^^ 従業員の方も、演奏会の翌日、テルミンの話題で話しかけてきてくれたり(もっと近くで聞いてくれたらいいのに~と言うと、みなさん、いえいえ、と後ずさってしまう、わたし、何が悪いのかしら。)

槌音プロジェクトさんにお世話になりました。ありがとうございます。

槌音プロジェクトは、大槌に音楽ホールを、という趣旨で活動していらっしゃいます。音楽ホールとは言ってもバシっとしたクラシックのホールではなく、音楽や郷土芸能と気軽に触れ合い誰かに会える、コミニュティー施設のイメージだと言う事です。ぷらイム募金箱の中身は昨年は槌音プロジェクトさんの支援にさせて頂きました。大槌に音楽ホールを。いつか、夢が実現します様に。東京でもたまにチャリティコンサートをなさっています。

槌音プロジェクト 
http://tsuchioto.com/project

車を運転する人は三谷さんだけなので、行きだけで13時間かかりました。三谷さんヘトヘト。ご飯をあげないとならないので一緒に連れていったポチもヘトヘト。お疲れ様でした。帰りは石巻で泊まったので、2日がかりで帰ってきた事になります。

石巻で泊まった夜は、なんと、石巻のお祭り! 

 

屋台が立ち並んだ光景、最近はあまり縁がないので、嬉しいです。



川の向こうに浮かぶのは、石ノ森萬画館。宮城県出身の石ノ森章太郎の記念館です。町中にも、サイボーグ009とか、あちこちにいます。

 



頂いた海の幸、ウニの他、お刺身やら、唐揚げになったのはメヒカリ。いずれも美味しうございました。

今、石巻・牡鹿地区あたりでは、「アート」「音楽」「食」を楽しむことのできる新しい総合芸術祭 「Reborn-Art Festival(RAF)」が開催中です。石巻日日こども新聞の記者も、そのフェスティバルに参加して、何やら作品を作っている様です。その様子を取材して、こども新聞の号外を作り、また、出来た作品を東京に展示する為に持っていく為の費用として、クラウドファンドが立ち上がりました。石巻の子ども達の元気の応援に、ご協力ください。
https://greenfunding.jp/lab/projects/1957

ライブレポ)  コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )