テルミンの彼方へ
宇宙とシェアする楽の音
 



グラスハーモニカのCD というのが NAXOS から出ています。

CD

テルミンと違って 一度音階を決めてしまったら そのキーの音しか出ない。 ひゅーひゅー言う面白い音です。 CDの説明によると モーツアルトとか ベートーベンとか いろんな作曲家が グラスハーモニカの為の曲 というのを書いているらしい。

このCDの演奏家は トマ・ブロシュ。 オンドマルトノの奏者だそうです。 そういえば この澄んだ音は テルミンよりは オンドマルトノとか のこぎり に近いかも。

わたしがやっても音が出ないので ちょっと ぷらさんに 音を出して頂きました。 面白かったのは ひゅーひゅー言わせていると 次第に グラスの中に 波紋が出来てくるのです。

波紋

それでも こすり続けていると 波が段々細かくなってきて その内 水玉が ころんころん飛び跳ねる様になりました。

グラスハーモニカグラスハーモニカ

なんか CDそっちのけで この水玉で遊んでしまった様な気がする~。

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静電気測定器

おぎ原さん主催の納涼会の会場には 変わった機械が沢山ありました。 中でも テルミン関連(?)で面白かったのは 高周波測定器 と 静電気測定器。 今は 静電気の季節ではなかったので テルミンのそばでは 静電気はほとんど探知されませんでした。 

高周波測定器 の方も テルミンを弾いているそばで測定してみても 数値はほとんど上がりません。 試しに 蛍光灯のそばで測定してみると 数値が跳ね上がりました。 次に 携帯電話を鳴らしてみると 着信があった途端に やはり数値が跳ね上がります。 演奏中のテルミンのそばでの測定値は その10分の1以下。 つまり 蛍光灯や 携帯電話のそばによっても大丈夫な人は テルミンを弾いても大丈夫です という事かしら。

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玉木宏樹著 文化創作出版

音の後進国日本 ~純正律のすすめ

もともと音の高さ というものは ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド みたいに 飛び飛びの値を取るものではなく 低音から高音まで無段階に無限の音の高さが連続的に続いているものです。 自分の奏でた旋律を人に伝えようとしなければ もしくは 伝えようとした場合も口承だけで済んでいる間は 音の高さに名前をつける必要もなければ 音の数を制限する必要もありません。 けれども それを 楽譜に書いて記憶したり 無段階の音は出ない楽器で類似的に再現しようとした場合 音の高さに名前をつけていく必要性が生まれます。

音の高さを紙に書く場合には五線譜でよろしかろう と言う事になったのが いつの時代の事なのかは分かりませんが この音の高さを ド・レ・ミ・・・・と呼ぶように決めたのは10世紀 西暦995年にイタリアのアレッツォという所で生まれたグイドという僧の作曲したヨハネ讃歌に由来するものだそうです。 この曲の一行ずつの音の高さが今のドレミファソラで始まっており 詩のそれぞれの先頭の文字が Ut Re Mi Fa Sol La だった とい事です。 という事は その頃には すでに 大体 音の高さは 不連続にはドレミでよろしかろう という認識がその頃にあった という事になりますが いつから そうなったんでしょう?

ともかく 他人と会話する文法 の様な形で おおまかに ドレミはできましたが さて 正確に どの高さの音をドレミ と言うのか というのは いろいろ好みがあった様で 様々な調律が残っています。

まず 単音の旋律が 人の耳に 一番旋律らしく聞こえるのは どうやら ピタゴラス音律 と呼ぶらしい。 また西洋では ハーモニーを重視したので うなりの出ない倍音倍音で音階を決めていく 純正律というのが喜ばれた。 ところが これは 音の数が増えてくるとつじつまが合わなくなってくるし この音階で単純に旋律を歌った場合 不自然に聞こえてしまう。 そこで 作曲は 純正な音と 演奏しやすい間引いた音との妥協の産物として さまざまな調律法をあみ出されていく。 これを 中間音律と呼ぶ。。。(のかな?)

ピアノを最初から平均律に調律して売り出したのは1842年の事 といいますから 比較的新しい。 モーツアルト ベートーベン メンデルスゾーン ショパン シューマン リスト ベルリオーズ ブラームス チャイコフスキー グリーグ・・・・すべて中間音律で作曲している といいますから驚きです。 今 普通に平均律のピアノで弾いていますが あれは 作曲家の意図とは違う曲を弾いているらしい。 プロの作曲家が平均律のピアノを使うようになったのは ドビュッシー以降だそうです。 

ピアノの鍵盤が 必ずしも平均律ではなかった時代には 転調した場合 転調する前のドレミファソラシド と 転調した後のドレミファソラシド は 微妙に音程がずれるので 各調性によって 色彩感が違ってきます。 今のピアノは平均律で調律されているので この様な違いはありません。 転調すると なんとなく曲調が変わって感じられるのは 使う黒鍵が増えてくるとか そういう錯覚に由来するものなんだそうです。 そういえば 転調すると 曲調が変わる と言っている人(過去にわたしにそう言った人。そして わたしもそう思っていた一人ですが)は みな ピアノ弾きでした。 ギター弾きからは あまり聞かない感想です。

コーラスをやる人には 純正律というのは必要な情報(訓練)かもしれないけれども とりあえず わたしはテルミンだから要らないわ と思いました事です。
 
面白かったのは 絶対音感についての話。 というか 言いたい放題 と言うか。

「今の世の中のバイオリンひきの大半が、自分は絶対音感を持っていると「武器」のようにいう(特に桐朋出身者に多い)が、純正律で音程の取れるバイオリンひきが、平均律で狂わせたピアノの音程を当ててどうしようと言うのか・・・・。」

もっともです。 わたしには どうも世の絶対音感信奉が よく理解できません。 あれは 一体何のために必要なのだろう? 玉木氏は 上記の様に書いているけれども わたしの経験上では 本人が「わたしには 絶対音感があるから。」と威張っている というシチュエーションには あまりお目にかかった事がありません。 大抵の場合 「○○というバイオリニストには 絶対音感があります。」(だから 彼は偉い)みたいな論旨になっています。 おそらく 絶対音感がある とされている本人は それのどこが 音楽性の豊かさにつながるのか 理解できずにいるのではないのかしらん。 そういえば 「だから彼は偉い。」みたいな言い方をする人も さすがに「だから彼の音楽は素晴らしい。」とまで 訳ワカメな事は言わない。

絶対音感 とは 単に 今出ている音が ピアノの鍵盤で どの音か分かる というだけの話です。しかも ピアノの調律の音の高さは 時代によってかなり違うので 子供の頃の習得したピアノの鍵盤の音 という事になります。

わたしも 子どもの頃 ピアノから音楽教育が入ったせいか ある程度は 音の高さが分かります。 テルミンを始めるまでは およそ 自分が音楽をやる事になる とは思っていなかったので 絶対音感なるものに無関心でいました。 そして テルミンのお稽古に行くと そこにピアノがあったりする。「この音は 何に聞こえますか?」と聞かれて 答えると 「あれ? あなたは絶対音感があるんですか?」と感心されるので 音の高さが言えるって いい事なんだわ と思ったのは そうやって誉められた という記憶だけ。 それも いつも ドンピシャで当たれば ちょっとは特技として宴会芸くらいにはなるのかもしれないけれども いつも当たるとは限らない。 一旦 迷ってしまうと もう絶対に分からなくなってしまう。

こう中途半端に 音の高さが ド とか ソ とかに聞こえると むしろ不自由な事の方が多い。 まず 転調が不便です。 たとえば レから始まる楽譜がそこにあった として。 それで弾いてみて このキーは低いから 1音あげましょう という相談になった とする。 となると わたしにとって 出だしの音は ミ になる訳です。 音を出して「これは レ! これは レ!」と言い聞かせると その後 もとのキーの楽譜で弾いて 何の違和感もなく弾けてしまう事もあるのですが どうしても いくら「これはレ」と言い聞かせても「ミ」にしか聞こえない事がある。 となると そのままの楽譜では 気持ち悪くて 弾けないのです。 頭の中では転調できるので 知っている曲ならば 頭の中で「レーレーレー ミーファ’ミー ファ’ファ’ソラー」(ふるさと)を「ミーミーミー ファ’ソ’ファ’ー ソ’ソ’ラシー」は すぐできるのです。 ところが 知らない曲で 楽譜を見ながら弾かなければならない場合 頭の中で鳴っている音は「ミーミーミー ファ’ソ’ファ’ー ソ’ソ’ラシー」なのに 楽譜は「レーレーレー ミーファ’ミー ファ’ファ’ソラー」だと 段々混乱してきて 音程がめちゃくちゃになってくる。 結局 大抵の場合 最終的に弾くキーで五線譜に楽譜を書き直さなければなりません。 移動ドの人ならば テルミンほど楽な楽器はなかろうに。

ところで わたしが認識できる音の数は どうやら 白鍵の数しか無いらしく(汗) 弾いている曲が ♯や♭の多い楽譜である場合 耳で聞いた感じ これは ソ じゃなくて ソの濁った音だな という風に 頭の中で認識している様です。(他に そういう方 いらっしゃいません?) それが ソ♯なのか ソ♭なのか は 実はよく分からない。 大抵の場合 直感的に 自動的に ♯にしたり♭にしたりして演奏しているので 頭のどこかでは理解しているのでしょうが ソの濁った音 と言う風にしか 表面上は理解できていない。 うっかりすると 楽譜をドレミで書きながら ソ♯を ゾ と書いてしまっていたりする。 となると 楽譜上で ちゃんと ♯ ♭ と書いてあれば安心して音が出せるのですが 単に ソの濁った音 ゾ としか思っていないと なんとなく 曖昧な音を出してしまって失敗する事がよくある。 楽譜に ソ♯ と書いてあれば 安心して 元気に ソ♯が出せるのに! 

そういえば これも 絶対音感の話とは関係ないでしょうが 楽譜には ド♯ と書いてあるのだけれども(つまり わたしの頭の中では ドの濁った音 ド’ である筈の音) 旋律を歌っていると そこは どうしても ド’(ド♯) とは聞こえないで レ’(レ♭) としか聞こえない という場合があります。 なぜかしら? ド♯も レ♭も 同じ音なのに ここは やっぱり 旋律的には レ’でなくては。

謎。

という訳で わたしは面白く読めましたが かなりクセの強い著者なので 読んで辟易しそうな方は やめておいた方が 精神衛生上よろしいのじゃないかと思います。 どの様な。。。と言いますと もう 本のタイトルを見ただけで よく分かります。みたいな。 今でも 西洋の音楽教育では 平均律(ピアノの鍵盤)は全く使わずにはもる訓練をする という伝統があるんだそうです。 だから ウィーン少年合唱団は天使の歌声になる。 日本は ハーモニー というものに さほどこだわらなかったので 純正律が音楽教育の現場に入ってこず 使い勝手がよくて 転調自由自在な平均律ばかり という事になってしまった訳ですが だからといって それを 後進国よばわりする事はない。 まあ 無段階の音が出せるので 別に特別な調律にこだわる必要の無い楽器をやる人も とりあえず 平均律のピアノから入るのが基本 平均律の音階を身につけるのが基本 みたいな風潮があるところは 後進国なのかもしれませんが。

音の後進国日本―純正律のすすめ

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のこぎりとギター

既に ケロログと羽丸に音源が上がっておりますが。。。余りにも楽しかったので ここにも記録しておきたい。

先月末に おぎ原さん主催の納涼会にお邪魔してきました。

午後1時集合で 夜の7時過ぎまで。。。

延々と 飲んだり食べたり歌ったり演奏したり。

その場の思いつきでいろんな曲を始めるので かなり滅茶苦茶なものもあるのですが ともかく楽しい。 きっと ジプシーって こういう生活をしてるのじゃないかしら。 と 勝手にうらやましくなったりしました。

家にけぇ~るのがぁ いやになったぁ~(次郎左衛門風)

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木口木版画家。栃木県立近代美術館で展覧会開催中。 

8月号の『月刊ギャラリー』では 柄澤齊が記事になっています。

「どうしてそうなったのかということを考えると、版画というものが美術に成ろう成ろうとして、結局、失敗したんだと思うんです。さっき言ったように、手段を目的にしてしまった罰だと僕は思うんです。版画は別に美術でなくてもかまわないんですよ。版画は版画というひとつの文化史的体系であって、触覚にかかわる形式のもので、美術ともリンクするけれども、美術でない部分もたっぷりもっている。だけどそういうところにみんな意識がいかない。そういう意識がなくなってしまったのはなぜだろうと思うと、例えば、現代版画が起こってきていろんなスター的作家が出てきた時には、みんな決まった教育の現場から出てきたわけじゃなくて、それぞれに模索しながら、いろんなルートを辿って作家になっています。その面白さというのが版画の面白さだったんだけど、今は、そうじゃなくてトコロテン式に版画家というのが製造されるような時代になってきてしまっている。だから版画は美術でもないという、そういうものを感覚的につかむような何か、要素というものが今の若い人から失われてきている。美術の世界でチヤホヤされたいなら、違うことをやればいいそれだけなんですよ。」

これ このまま 版画→テルミン 美術→音楽 と置き換えられる様な内容です。

あー。 この続きにも 版画って テルミンだよ。。。と 言いたくなる様な文章が続いています。

秋には 鎌倉でもやるらしい。 柄澤齊展。

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先週末 のこぎりのおぎ原さん主催の納涼会で弾いた2曲 

『青い影』@ボサノバアレンジ
http://homepage2.nifty.com/YOKO/hane/theremin/blue.html

『グリーンスリーブス』
http://homepage2.nifty.com/YOKO/hane/theremin/green2.html
もしくは
http://www.voiceblog.jp/theremin/

JASRACとの関係上 青い影は ケロログには載せられないのです~。

青い影では ぷらさんに歌って頂きました。 わたしが 一番最初にぷらさんを知ったのは とある掲示板に貼ってあった ぷらさんの歌声でした。 これからも ずっと 歌っていて欲しいです。

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