テルミンの彼方へ
宇宙とシェアする楽の音
 





平塚海寶寺でのお十夜法要で、演奏させて頂きました。
舞台からは、沢山のお客様の頭の上に、まん丸なお月様が見えて、これは、演者が見ている景色が一番いい景色だなあ、と思いました。
父や祖父のお墓もこのお寺にあり、ちょっと話すと、父をご存じの方もいらしたりして、そんな温かい空気の中、演奏させて頂きました。



和尚様からのお礼メールには「月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ」という浄土宗の宗歌が引用してあり、ほんと、かくありたいものだなあ、と思います。



また、今回は、お十夜法要によせて、という事で、橘川琢先生に、ハープとテルミンの為の新しい曲「秋に」を書いて頂いて初演させて頂きました。
もともと他の楽器用に書かれた曲をハープとテルミンで演奏する、というのとは違い、ハープやテルミンが気持ちよく演奏できる構成になっており、お客様にも評判よかったので、またどこかで演奏したいです。
ありがとうございました!

この寺の「お十夜法要」は有名で、鎌倉光明寺、八王子大善寺と合わせ「相模三十夜」といわれているのだそうです。
いつも、お墓参りに行っても、全然、そんな事、知らなかった。



という訳で、歴史好きの姉が、インターネットで調べてきました。

「広い境内には、多宝塔、阿弥陀三尊塔、経典供養塔等々、立派な石塔が沢山建っていますが、無縁塔内の三猿庚申塔は相模地方にしかない独特の石塔で、大変貴重なものです。

墓地の中に「鬼仏」という狂歌碑が建っております。
「長生きも わるくはなひが 古めかし ちと珍敷 死もよかろう 九十四老鬼仏」
と刻まれ、裏には「弘化二年(1845)巳年三月吉日」の銘があります。

鬼仏上人は狂歌の様に一風変わった人で、九州の禅寺で絵を学び、須賀の雲晴庵に住み頼まれて祈祷や占いをしたり、絵を描き、狂歌を作るなどの生活をしたと言われています。」

なるほど、あちこちに三猿の塔がみつかります。



鬼仏上人の狂歌の碑が見つからず、お手伝いにいらしていたお寺の檀家さん達に伺ってもわからず、思わぬお寺探検隊になってしまいました。
みなでぞろぞろと。。。こんな所に!という場所に見つかりました。



今から150年前の歌碑です。
お寺の中にこんな物があるなんて知らなかった。
何となく、思いがけない親孝行になってしまった気がします☆

あとは、お稚児さんの舞、かわいかった!

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智恵子生誕130年のレモン忌、行って参りました。

安達太良のSAにて。



もうすぐ二本松、というのに、名前に釣られて入ってみましたら、安達太良山が綺麗に見えました。ほんとの空の里。智恵子の呟きが、こんな所にも。嬉しい様な切ない様な。



二本松駅前にて。智恵子像、という事です。

駅前で、東京からの友人、仙台からいらした真澄さんと合流して、まず、智恵子生家へ。



360度カメラで撮った写真を、普通に画像として見ると、ここはどこ?みたいな景色。



ぷらイム写真。真澄さんに撮っていただきました。光がよい感じ! 開口部が広いし、生活雑貨も置いてあり、沢山の人であふれ、光や風を感じる当時の生活の様子が偲ばれます。

翌日に備え、二本松市のコンサートホールで、音出しサウンドチェック等。



前日に音響のチェックが出来たのは、すごく助かりました。とても響きの良いホールで、ギターとテルミンと歌、という小編成には規模もぴったり。いつかここで智恵子抄公演やりたいなあ、と思いました。真澄さんに発声のお勉強まで授けて頂きました。

途中、翌日の講師の大島裕子先生もいらして「おそそんば山」の話。今、智恵子生家から登っていった裏山の上に「樹下の二人」の碑が建っていますが、大島先生のご本の中に、この詩の舞台となったのは「おそそんば山」ではないか(あるいは、ロケーションの一つではないか)という説が書いてあり、どうやって「おそそんば山」に行くのか伺ったのですが、それなりの格好をしていかないと難しい場所らしい。いつか登ってみたい!!

夜は二本松の方々と、相生、というお店で会食。会話も楽しく、お料理もお酒も美味しく頂きました☆ 智恵子さん、愛されてるなあ、と思います。これも360度カメラで☆



あけて翌日。参加者の皆様は歴史資料館の開場式に参加されますが、ぷらイムは演奏の準備があるので、コンサートホールへ。



お客様が歴史資料館から移動してらして、オープニングで演奏させて頂きましたのは、清道洋一先生に作って頂いた劇伴音楽『智恵子抄』より「レモン哀歌」「亡き人に」、それから、田中修一先生に作って頂いた『三つの情景』より「情景3~人類の泉」 智恵子生誕130年という節目に、智恵子さんの故郷二本松で演奏させて頂けて、とても嬉しいです。



それから本題の講演『智恵子抄の世界~智恵子生誕130年に伝えたいこと」講師は大島裕子先生。2年前に智恵子抄公演をして、いろんな本を調べた時、大島先生の名前が入っている本は、一次資料の記載が多く、何より書いてある事が正確で、智恵子抄の周辺を読み解いていくにあたって、一番頼りになる資料だった本ばかりです。オープニングで演奏した「人類の泉」「亡き人に」(懇親会で演奏する予定の「樹下の二人」)この辺の話がてんこ盛りで、あっという間に終わってしまいました。お目にかかるのは2回目(前日も入れれば3回目!)になるのですが、とてもチャーミングな可愛らしい方で、大島先生からは、もっと色んなお話し伺いたいです!



その後、会場を、ラポートあだちに移動して、レモン忌、懇親会。





懇親会での演奏では、仙台の荒井真澄さんに混ざって頂いて、「浜辺の歌~智恵子抄」など。真澄さんとは前日にざっと合わせただけで、ほぼぶっつけ本番。また機会をみつけて、この演目やりたいです☆



光太郎先生ともご縁のある女川の復興を描いた『サンマとカタール』の主題歌「光」も演奏させていただきました。女川の話は、上手に説明できた気がしない。。と気にしていたら、お客様に仙台出身の方がいらして、東北のいろんなお話しを聞かせてくださいました。津波の被害にあった沿岸部、やはり、まだまだ大変だなあ、という思いが募ります。

いろんな方が次から次からスピーチなさるんですが、わたしも、次から次から人とお話ばかりしていて、スピーチをあまり聞く余裕がなく、申し訳なかったと思います。来年はちゃんと席について聞きたい^^ というか、来年は、アタタラ山に登りたい! 今年は、足がまだ負傷中なので、断念しました。来年こそは、アタタラ山を目指したい!



最後、参加者の皆様と一緒に、コロンビアローズさんの「智恵子抄」ぷらさん、ギターを弾きながらの、歌の先導、うまい^^

懇親会の後は、智恵子生家へ。この日、特別に、普段は入れない智恵子生家の2階が開放されている、というお話しで、小山さん、真澄さん達とも一緒に、狭い階段から、2階にあげて頂きました。ここに智恵子さんが光太郎先生と一緒に座ったのかしら、と思うと、感動! ずっと外から眺めるだけだった部屋の中。天井は、板の貼ってある部屋は意外と低く、4畳半、と言っても、狭いお部屋です。光太郎先生がいらした時には使った、という九畳の方は細長い変則的な作りのお部屋。古いお家で、上にのると沈む場所もあり、期間を限って開放しないと危険なんだなあ、と思います。1階が吹き抜けになっていて、2階からのぞける形になっているのも楽しい。

家の中にあげて頂くと、外から入ってくる光の景色がよく分かり、外を車が通ると、欄間の模様から入ってくる小鳥が、部屋の中を飛ぶんだ、とか、菊のすかし彫りが笑っている顔の様に見えたり。。。





たまたま市の教育委員会の服部さんがいらしていたので、色々なお話しも伺わせていただきました。今年は、小学生を招いてのイヴェントも智恵子生家で開催されたそうです。うらやましい!! 『智恵子抄』という文学作品になると、中学生、高校生くらいの子が、興味を持ってくれるときっといいんだろうなあ、と思います。二本松の子ども達が『智恵子抄』を独自の作品に作る事もあるのかしら。



普段は遠目に見るだけの展示物のレコードに興味津々の小山さん。

智恵子生家の隣の記念館では、普段見られない紙絵の実物が沢山展示されています。2年前に、二本松市の教育委員会に紙絵の使用について相談に行った時、二本松市所蔵の紙絵です、と見せて頂いた紙絵も展示されていました。あまり複雑な事はしていなくて、初期の作品かな?と、その時は画像で拝見したので、あまりピンと来なかった紙絵が、実物の紙絵になると、もう、かわいいっ!!! 是非、マスキングテープ作って欲しい!(そういう方向!?)



この、ただ丸く切って貼っただけ、みたいな作品が、すごくかわいい。切っている姿、貼ってできばえを眺めている姿、光太郎先生に見せよう、としまい込む姿まで想像できてしまいます。何の紙なのか、お菓子の包み紙、という感じで、一日出せばその分褪色していく紙絵。貴重な展示を拝見させて頂きました。



外には、金木犀がいいにおい。土曜、日曜、と、晴れて、綺麗な青空が見えたのも嬉しかったです。



コンサートホールの上に見えていた秋の雲。



今回は車だったので、いつも、欲しいなあ、と思いながら買えなかった和紙を、戸田屋さんで沢山頂きました。これで台本作ろう。

その晩も二本松に泊まり、翌日、やっと歴史資料館へ。こちらも、すごい充実の内容! 会場の中、智恵子愛にあふれています。智恵子さんが描いた挿絵と、紙絵とを、並べて展示説明してあるのを見ると、おお、なるほど、と思います。白玉版の『智恵子抄』も、ずっと気になっていて、今回、初めて拝見しました。こんな表紙の本だったんだ。

紙絵の実物も数点展示されています。細い線で丁寧に切られた紙絵。これを、カッターではなくハサミで切った、という所に驚きます。シンメトリーと名付けられた作品は、つまり、4枚の紙を重ねて、この細い線をハサミで切る、という訳で、2枚重ねて切っただけでもハサミで切ったのではどんどん紙がずれていくのに、どうやって、4枚重ねてハサミで切ったのかしら、と思ってしまいます。

今年、安曇野で、花巻で、二本松では2ヶ所で、と、あちこちで紙絵の実物を拝見できて幸せです。どの美術館で拝見した紙絵も、何故か、見る度に、新鮮な驚きに包まれます。物に宿る力ってすごいなあ、と思います。印刷物で、あ、綺麗だな、あ、かわいいな、と思うのとは別の感動を頂きます。



二本松でお土産に頂いてきたグロキシニア。頂いた時は、花が二つ咲いていたのに、持って帰ってくる間に1本折れてしまった。あらら、と思っていたら、その後どんどん咲きます。今度、栄養剤を買ってこよう。智惠子さんが光太郎先生の所に最初に持って行ったグロキシニアの花の色は何色だったかしら。



「智惠子の半生」(発表時のタイトルは「彼女の半生」)が掲載された、昭和14年婦人公論の表紙の絵、凜々しい雰囲気が、原節子さんを彷彿させます。パラパラめくってみると、「智恵子の半生」こんな時代背景に発表された文章だったんだなあ、と思います。マヨネーズの宣伝で「節米にポテトサラダを召し上がれ」とあったり。。。。


智恵子生家で撮った写真、3Dカメラの写真が、何となく不思議な雰囲気に撮れていたので何枚か。。












※コンサートホールでの演奏から「レモン哀歌」~「亡き人に」ユーチューブにアップしました。
https://youtu.be/A9qkbiCFP88


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