テルミンの彼方へ
宇宙とシェアする楽の音
 



◆ 海寶寺(平塚)のお十夜法要で演奏させて頂きます(2016.10.15) ◆

■時:
2016年10月15日 18時~19時

■所:
常圓山海寶寺 
相模新西国十六番観音霊場
〒254-0804 平塚市幸町26-21
Tel  0463-21-6314

■入場無料

■出演:
大西ようこ(テルミン)
堀之北三保(ハープ)

■プログラム(予定):
ジュピター
白鳥
浜辺の歌
真白き富士の根
カノン
ナイチンゲール
愛燦々
秋に(作曲/橘川琢)※委嘱初演



今回の演奏会の為に、橘川琢先生に、テルミンとハープの為の新曲を書いて頂きました! いかにも、お寺に似合う、邦楽の様な響きを持った曲です。

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お十夜法要とは、10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院で広く行われる念仏会です。
特に、海寶寺の「お十夜法要」は有名で、鎌倉光明寺、八王子大善寺と合わせ「相模三十夜」といわれています。お寺では、一日、お十夜法要が行われており、その中の1コマとしての演奏会です。

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東日本大震災雇用・教育・健康支援機構さんにお世話になり、大槌の交流施設、どんりゅう庵で演奏させて頂きました。
こちらでも沢山の方にお世話になりました。ありがとうございました。

※大槌ってどこ? という方。
岩手県上閉伊郡(かみへいぐん)にあり、釜石市、遠野市、宮古市、山田町に接している、海沿いの町です。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が引き起こした大津波と、それによって発生した火災により、壊滅的被害をうけました。
民宿の上に大きな客船が、まるまる乗り上げている写真、記憶にある方もいらっしゃると思います。あれは、大槌の赤浜、という場所です。

今は、瓦礫がやっと片付いて、家を建てられる様に盛り土をしている最中なんですが、工事車両以外何もない風景の中に、電柱だけが乱立していて、こころが痛む風景でした。
 

お寺も、墓地の中腹以下のお墓は流されたまま、広大な敷地の隅に、仮設の本堂がかろうじて建てられているだけです。



それでも、一部の海岸には裸足で降りられる様になっていました。
『吉里吉里人』という、井上ひさしさんの小説。
その舞台となった吉里吉里という場所があり、吉里吉里海岸は、リアス式の海の中では比較的砂浜が広く、そこも、昨年から裸足で歩ける様になりました。
陶器やガラスの破片で危なかったのを、ボランティアさんがみんな根気よく篩にかけて取り除いてくれたお陰だそうです。


ひょっこりひょうたん島のモデルとなった、という島も大槌にあります。
そこは、岸辺から見える小さな島で、堤防を渡って歩いて行けます。その堤防も津波で流されてしまったんですが、今、復旧されて、また歩いて渡れる様になっていました。
折れてしまったひょうたん島の灯台も元どおりになりました。


三陸と言えば、ウニ!


仮設で暮らす方からお土産に頂いた虎。
虎は千里行って千里戻るところから、漁師さんの町では、お守りになるそうです。

漁業で栄えた大槌は、新巻鮭発祥の地。高台には、魚の為の慰霊碑もありました。

津波で破壊された防波堤が、そのままになっています。


どんりゅう庵から歩いていける所にある旧役場。大勢の方が亡くなりました。

 

リアス式の海は、透明度が高くて、深い青が綺麗で、ひょうたん島から眺める夕陽、悲しくなる位綺麗でした。

そして、ホテルからは、また、綺麗な朝日。
毎日、こうして、太陽が昇ってくる、と思うと、自然の大きさに勇気と元気をもらいます。



早く元の場所で、みんな元の様に生活できる日が来ます様に。

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今年4月にリニューアルオープンした高村光太郎記念館で、演奏させて頂きました。
いろんな方にお世話になり、最終的には、記念館の中、光太郎先生の彫刻に見守られての演奏、と言う事になりました。
光太郎先生の息吹の満ちた、この空間での演奏! 
得がたい貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございました。





朗読の荒井真澄さんには、『智恵子抄その後』から抜粋で読んで頂きました。
遠距離ユニット。音源のやりとりだけで構成を作り、現場での合わせもなく、殆どぶっつけ本番。。。
な感じでしたが、会場に集まってくださった光太郎先生ファンの皆様に助けられて、二人、気持ちよく合わせる事ができました。ありがとうございます。





演奏の後では、山荘にご案内して頂きました。

今は夏ですし、二重の覆いで山荘が覆われているので、居心地良さそうな牧歌的な風景に見えますが、光太郎先生が暮らしてらした頃は、窓には障子1枚です。冬には零下10度を超え、小屋の中で寝ていても、布団の肩に吹雪が積もった、という所に、たった三畳の小屋。

ご厚意で、山荘の中まで入れて頂きました。ああ、こんな所で、63歳を過ぎた方が7年も暮らしてらしたのか。。。。と思うと胸が詰まります。

※ご存じない方へ。
戦争中、戦争詩を書いた責任を深く感じた光太郎先生は、戦犯に問われる事はなかったものの、自分で自分を許せず、この山奥に蟄居して暮らしました。


ここに座って様になるお方。


光太郎先生が、一番最初に試しに掘ってみた井戸。


光太郎先生が種から植えて大きくなった栗の木と、荒井さん。







その晩は、鉛温泉の藤三旅館さんに泊めていただきました。光太郎先生がお泊まりになった、という31号室を使わせて頂きました。
大分新しいので、中はいじっていると思いますが、でも嬉しい^^





高村山荘・高村光太郎記念館
http://www.hanamaki-takamura-kotaro.jp/

藤三旅館
http://www.namari-onsen.co.jp/


最後、高村光太郎連翹忌運営委員会さんのブログから写真を1枚拝借。

これは、やはり、光太郎愛に満ちた方の写真だと思います☆ 他にも、よい写真があるので、どうぞご覧ください。
 ↓
花巻高村光太郎記念館ロビーコンサート。
http://blogs.yahoo.co.jp/koyama2870041/13827958.html

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