ミュージカル『クレージー・フォー・ユー』を浜松町の四季劇場(秋)で見てきました。
実は、このミュージカルは、私が外国で最初に見たミュージカルです。今から11年前にロンドンに半年間滞在する機会を持てたので、最初はシェークスピアなどの演劇をナショナル・シアターに見に行っていました。しかし、英語も難しいし、少し楽しいものを見てみたいと思って最初に見たミュージカルが、この『クレージー・フォー・ユー』でした。その頃はガーシュウィン(1930年代に人気を集めたアメリカの作詞家・作曲家兄弟)のことも知らなかったし、古き良きアメリカを懐古的に描いた1990年代のミュージカルだということも知りませんでした。ただ面白そうだなと思って何も知らずにふらりと入ったのですが、その楽しさから、その後しばらくミュージカル通いをするようになりました。ですから、今回久しぶりにこのミュージカルを見て、とてもなつかしい思いがしました。
その一方で、多少の違和感もありました。いつも欧米のミュージカルを日本人がヅラを付けて演じているのを見て、なんか似合わないなあという感じを持つことがあるのですが、ロンドンでの舞台と演出や装置などが大きく変わっていないのに、何か異なる印象を持ちました。その理由はよくわかりません。
ただ、ロンドンで見た時の舞台の印象はもっと底抜けに楽しいものだったような気がします。今回演じているキャストの皆さんは皆一生懸命で素晴らしい舞台を見せてくれていたと思うのですが、何か私の「笑い」の感覚とずれがあったような気がします。もしかしたら、私の感覚がおかしいのかもしれないし、11年前に最初に見たミュージカルを思い出の中で美化してしまっているのかもしれません。ただ、ロンドンではもっと観客の大きな笑いを誘っていたように思うのですが、今回は「くすくす」といった「ややうけ」の観客の反応が多くて、それがそういう印象につながったのかもしれません。
しかし、考えてみると「笑い」というのはとても多くの要素の影響を受けるものです。たとえば、「普遍的なラブ・ストーリー」(『ロミオとジュリエット』とか)や「普遍的な英雄物語」(正義の味方ものなど)なら想定しやすいかもしれませんが、「普遍的なコメディ」というものはそれに比べたらはるかに想定しにくいように思います。その意味で、「違う時代」「違う文化」の中で育てられた「笑い」を、この生きた舞台で受け取ることの面白さと難しさを感じさせてくれたように思いました。