フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



      
 中央大学文学部の同僚の野口薫さん(ドイツ文学)が、沢辺ゆりさん・長谷川弘子さんとの共訳で『ベルリン・サロン ヘンリエッテ・ヘルツ回想録』(中央大学出版部、1900円)という本を出されました。この本は、18世紀末から19世紀初頭にかけてベルリンで最初の文学サロンを開いた、ユダヤ人女性の回想録を翻訳されたものです。この本を読むと、フンボルト、レッシング、シラー、ゲーテといった著名人の名前があちこちに出てきます。
 この本を読んで感じた最初のことは、人と人が直接顔をあわせて語り合うことの大切さと面白さでした。まだ大学という制度もなかったこの時代に、サロンが人々の教養や発想を豊かにするのに大きな役割を果たしたことがよくわかりました。
 日本文学でも、夏目漱石の自宅に多くの若い教養人が集まった漱石「木曜会」が有名です。あるいは、ヘンリエッテに比べればはるかに貧しい女性作家・樋口一葉の狭い間借り部屋に、川上眉山、斎藤緑雨や『文学界』の若い同人たちが集まってきたことも思い出されます。やはり、教養のある人・才能のある人・魅力のある人のところへ、自然と人が集まってくるのではないでしょうか。その意味では、ヘンリエッテのサロンが、「ジャンダルメン広場とヘルツを見なくてはベルリンを見たと言えない」と言われた名所になったこともうなづけるように思います。
 ちなみに、私たちのように研究を仕事にする者にとっても、このような人と人の交わりはとても大切なものです。私自身も学生時代から学校の壁を越えた研究会や勉強会に多く参加し、そこで先輩や同年代の研究者からさまざまな影響や刺激を受けてきました。私のこれまでの研究の中では、明治初期の翻訳文学にかかわる論文などは共同研究が基盤になっていましたし、広津柳浪『今戸心中』の空間と語りを考察した論文などは、文学理論を読む読書会の中で発想が湧いてきたものでした。
 もうひとつこの本から感じたことは「朗読」、つまり声に出して本を読むことの重要性でした。日記の中には、ヘンリエッテが夫から朗読のしかたを教わって上達したことが書かれています。私たちは本を「黙読」するという読書習慣の中で生きていますが、「声」に出すことがものごとの理解に重要な役割を果たすと感じることが多々あります。また、メールなどの通信手段の発達した今でも、直接会ってお互いに声を聞いて話をすることの重要性は変わりません。そういうことも、ベルリン初のサロンを開いた女性の回想録から感じることができました。

    



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