ウサチーロのとりあえず日記 Part 2

日々の記録および3人兄弟の成長日記。

長男の成長

2010-09-30 21:53:12 | こぐま4歳
おととい、幼稚園の後のYMCAのジムと水泳のクラスが終わるのを待っていたら、長男の担任の先生もいたので、少し話をしました。

新学期が始まってからの、長男の成長にとても感心しているとのこと。早く話をしたくて保護者面談が楽しみなの、といわれました。以前よりも集中力もあるし、コミュニケーションもとても上手になったそうです。2ヶ月日本で日本語だけで過ごしていたとはとても思えないとのこと。日本にいたときはすっかり英語を忘れていて、迎えにいった当初は父親とも会話できなかったことは前述しましたが、忘れていたのではなくて「頭の奥にしまってあった」だけなのかもしれません。

私の目から見ると、日本語ももちろん日本に行く前よりも上達して語彙も増えているし、今は日本語で考えているのが中心のようで、家では父親に話す以外は、独り言も弟にもずっと日本語で話しています。でも幼稚園でも問題なく英語で普通に会話できているようでよかったです。

一方、補習校でも、夏休み明けからは、自分に発言する機会が与えられないと先生に「抗議」するようになったそうです。かなり積極的で自信がついてきたようです。

そういえば補習校の宿題も、私が手伝わなくても自分でさっさとできるようになったし・・・日本から帰ってきてからは、お風呂も自分ではいるし、時々は次男の体も洗ってくれます。ある部分はIndependentで頼れるようになってきました。

あと2ヶ月で5歳。5歳なんてまだまだ「幼児」で、小さい子供だと思っていたけど、最近体も大きくて(身長115cmくらい、体重21kg、靴のサイズ19cm)、食べる量も小食の父親と同じくらい(笑)で、本当に5年くらいしか生きていないのに人間ってこんなに大きくなるんだあ、と圧倒されています。(大きければいいとたぶん思っている典型的アメリカ人の)夫は、「これは大きくなるぞ」と喜んでおり、本人も、将来は「おすもうになりたい」と言っております(笑)

・・・といってもこの間実家で私の幼稚園のときの成長記録を見つけたのですが、身長はこの年齢では私も同じくらい高かったようです。私の父は身長が180cm以上の長身で、私もそれに似てこのままいけば将来はモデルか?!(爆)と言われていた幼少時を思い出します・・・いつどこでその計画が狂ったんでしょうね(笑)

幸せの定義

2010-09-28 10:08:20 | つれづれ
もともと占いとか、スピリチュアル系が好きな私ですが、最近、「引っ越すかもしれない」という話があったことをきっかけに(結局引っ越すことはすぐにはなくなりましたが)、「風水」つまり「九星気学」に興味を持って、いろいろなウエブサイトをみていました。簡単に言うと、いつ、どこの方角にいくと、いい「気」を受けて、運がよくなるとか、いいことがある、というようなやつです。

で、試しに、旅行とか外出のときにそれを気にしてみたんです。でも、どうもよくわからないのです。たとえば、8月に、うちからみて北西に当たる日本は、私にとって大吉だったはずですが、その後別にものすごくいいことがあったようには思えないし。

そもそも、生まれた年月と、移転・旅行した年月の関係で、運が良くなるとか、悪くなるとかって、誰がいつどのように検証したのでしょうか?仮に、運が良くなる方角にしか移動をしなかった人がいて、その人にいいことばかり起こったとしても、それが「移動」のおかげであるというのは、誰が検証したのでしょうか?理科の実験とかだと、Controlといって、そうしなかった人の状態と比べて、検証したりするものですが、人の運はその人それぞれだから、検証なんてできないですよね。

まあそういうわけで、疑問を悶々と持っていたのですが・・・あちこちの情報を見て総合すると、一部の人は気学を宗教のように崇めているようです。(でもこれって本当にある意味宗教なのかも。)アメリカでは占いなんて、ちょっと変わった人がやってるイメージですからね。夫いわく、「日本人は無宗教の人が多いから、そういうのにはまりやすいんだ」と言っていましたが、なるほどね。人間誰も、すがるものが必要なのかもしれないとはいつも思っていることです。

それと、つい最近、あるマイミクさんがこのような「つぶやき」をしていて、ピンときたのです。

「幸せ」という状態は自分で選んでなれるものだと分かったからだろうか。自分の幸福感が外部の要因に以前ほど依存していないからだろうか。

なるほど。確かに、幸せと思えば私は幸せだし、不幸だと思えばいくらでも不幸になれるなと思ったのです。ちなみに私は常に基本的には幸せを感じてますよ。両親、夫、子供たち、など、家族に恵まれていること。仕事にも恵まれているし、お金持ちではないけど、お金には困っていないし。人生楽しいことばかりではないけど、私は幸せな人間だと思います。でも、人と比べたら、自分が持っていないものを考えたら、いくらでも不幸を感じることもできるなとは思います。

で、そう考えると、私が、特に「運」を感じないのは、同じことだと思うのです。子供のときは、たとえばテストで100点をとったら、ラッキーだと思ったかもしれない。宿題を忘れた日に先生に当てられなかったらラッキーだと思ったかもしれない。でも、今は、たとえば仕事で大きな受注をしたからと言って、ラッキーだったせいだとは思わないし、寝坊・遅刻をしたから運が悪いとは思わない。自分に起こることって、その前の準備とか、もともとの運命とか、いろいろな要素がかかわってきて、その結果の必然だと思うのです。なので、何々をしたから、どこどこへ行ったから、運が良くなった、とかそういうのって、私には向いていないのかもしれない。最近そう気がつきました。

でもいざ引越しとかになったらやっぱり気になって風水を調べちゃうんでしょうけどね(笑)

デス・ノート

2010-09-27 09:30:19 | エンターテイメント
一月も前になってしまいますが、日本から帰ってくる飛行機の中、三男は寝ていて、長男も隣でゲームをしているか、寝ていた+一番難しい次男は夫と一緒に離れた席に座っていたので、ゆっくり映画を見ることができました。ほかに見たいのがなかったので、なんとなく適当に選んでみたのが、この映画です。

死神が落としたノートを拾った主人公(夜神月とかいて「やがみライト」というありえない名前ですが(笑))。このノートに名前を書かれた人は必ず死ぬというのを利用して、世の中の凶悪事件の犯人たちを、次々と殺していきます。ノートに名前を書くだけで、心臓発作で死んでしまうので、誰も犯人がわからない。ただわかっていることは、悪いことをした人が次々と死んでいくということだけ。

世の中では、凶悪犯罪の率も減っていきます。そして社会は二分します。悪いやつがつぎつぎと死んでいくことに拍手喝采する者と、いくら悪人でも勝手に裁きを受けていいものか、と反対する者。そのうち主人公は、悪いことをしてないのに、自分の正体を突き止めそうになった人を殺し始めたり、自分が神のように思い違いをし始めて、破滅に向かっていくのですが。

漫画が原作だけあって、見ていても漫画みたいな登場人物と話の展開なので、漫画好きとしてはなかなか面白かったです。原作は見たことないですが、映画は実写版の漫画みたいでした。でも話の設定も面白いし、ファンタジーのような話の中にもリアリティがあってよかった。

凶悪犯罪の犯人逮捕のニュースとかを見て、「こんなやつ早く死刑になればいいのに」とか思う人も多いと思いますが、この話は本当に、そんなことが現実になったらどうなるか、というのを考えさせられる映画でした。どきどきはらはらするし、主人公と、彼を見つけるために警察に雇われた天才少年探偵の頭脳ゲームも見ものです。

映画は続編もあって、2つの映画で話が完結します。もちろん面白いので2つ続けてみてしまいました。お勧めです。

フラッシュバック

2010-09-26 05:10:00 | つれづれ
子育てをするようになって、自分が子供の頃のことを思い出すというのは何度か書きましたが、最近そういう傾向がますます増えてきた気がします。

子供に片づけをするように言ってるとき。子供を叱っているとき。自分も親に同じように言われてたなあと頭の片隅で思うことが良くあります。子供も大きくなって、こういう風に思い出すのでしょうか。そう考えると、いい方には気をつけないとなと自戒の気持ちがあります。

友達のブログを見ていて、息子さんが喘息持ちであるというのを読んで、自分が喘息だったことを思い出しました。

今は体格もよく健康でたくましい私ですが、生まれたときは未熟児で、1歳半から喘息持ちになり、体の弱い子供でした(たぶん)。喘息はとてもつらかったので、ずっと忘れていたのだというのもあるのでしょう。

ぜろぜろが始まると、「自分はこのまま死んじゃうんだろうか」(これはある程度大きくなってから思ったことですが)という不安。調子が悪くなって熱が出ると、いつも同じ怖い夢を見ていました。喘息の薬はオレンジで、白いつぶつぶのある錠剤なのですが、その錠剤がとても大きくて、子供には飲むのが難しいのです。うまく飲み込めないと、口の中に、ものすごいまずい、なんともいえない味が広がります。今でもあの味を思い出します。発作が出ないようにするための吸入器に入れる、粉っぽい薬の味も。山田小児科の先生の顔。看護婦さんの顔。外で待っているときの白い壁。自分の喘息のことを考えると、一つ一つのエピソードは思い出せないけど、いろいろなことがフラッシュバックのように思い出されます。もう30年以上も前のことなのに、不思議なことです。

こんな私の世話をする母も大変だったことでしょう。私の息子たちは、幸い3人とも健康で、私は自分の子供の病気ではまだほとんど苦労したことがありません。でも、大人になってから、子供のころの苦しさを思い出して想像すると、その世話が大変だったことは良くわかります。

小学校の低学年から、水泳教室に通って、喘息気味で苦しいときも行かされました。そのおかげか、中学年くらいから自然と発作が出なくなり、高学年で千葉に引っ越したころには、もう喘息って何?って感じでした。水泳は本当に良かったと思います。そして苦しくても行ってよかったと思います。

大人になってこのような感覚を感じるのは皆さんもそうでしょうか?「忘れている」というのは、「思い出せない」というのとは違うのですね。頭の奥の引き出しにしまわれているだけで、何かの拍子に思い出すこともあるのだなあとつくづく思いました。

土曜日

2010-09-25 04:55:20 | アメリカの生活
土曜日の朝ははっと起きたらもう8時!車で40分はかかる補習校は、9時20分からの開始なので、いつも8時半までには出発してるのに、大遅刻しそうでした。最近、日が出るのが遅くて、薄暗いからよくわからないのよ~目覚まし時計をかければいいんだけど、私は子供3人と寝てるので、皆を起こしたくなくて、使ってないのです。どうせいつも夜中も明け方も授乳で起こされてるので、普段はちゃんと起きられるし・・・

幸い、いつもは朝作っているお弁当を、夜のうちにおかずを用意しておいたので(残り物ばかりだけど)、マッハで子供たちの朝食とお弁当を作って、何とか間に合いましたよ。

補習校の後、West Chesterという近くの町の小さな空港(商業空港ではありません)で、ヘリコプターフェスティバルをやっていたので、夫と次男と待ち合わせて行ってきました。

ヘリコプターって、世の中で一番危険な乗り物のひとつだと思うのは私だけでしょうか?調べたことないけど、ヘリコプター事故の率と、事故で死ぬ率って、かなり高いと思います。ニュースでも毎月のようにありますよね。まあそれでも、いろいろなヘリコプターを間近で見れるチャンスというのはめったにありませんし・・・三男と家でお留守番していようと思ったけど、そんなに人ごみでもなかったので結局私も行くことにしました。

ヘリコプターが大小沢山外に並んでおり、見たり、中には入れるものもあり、さらに「エアショー」をやっていました。普通飛行機では、旋回したりいろいろするけど、ヘリコプターでエアショーなんて???だったけど、やっぱりできることは限られているらしく、ジグザク飛行とか、その程度でした。

乗り物が大好きな息子たちはさぞ喜ぶかと思ったけど、すぐに飽きて、ぜんぜん関係ないお祭り関係のもの(別料金の子供の遊具)にばかり目移りして乗りたがり(でも2分で5ドルとか、信じられないくらい高いのです)、突然また暑くなって日なたにいるのも暑かったので、1時間ほどで帰ってきてしまいました。

写真も沢山撮ったけど、新しいカメラにして以来、GOOの画像フォルダーに入るくらいのサイズの写真がほとんどないのでこれだけ。

並んで、コックピットに座った長男。

これは、アフガニスタンからかえってきたばかりだという本物の海兵隊のヘリコプターです。飛行機みたいに大きい!パイロットの兵隊さんもいたので、夫と子供たちと写真をとらせていただきました。

それと、別のヘリコプターを見に行こうとして裏道?のほうに行ったら、そこは展示用ではなくて、ヘリの待機用だったらしくて、着陸しようとしたヘリがすごい砂+葉っぱぼこりを立てて私たちの頭上近くに降りてきました。これは結構インパクトありましたね。長男も印象的だったらしく、夕方スカイプでばあばに説明しておりました。

おっぱいの悩み

2010-09-24 02:37:05 | 妊娠・出産
男性読者もいるかもしれないのにいきなりこんな題名でいいのかしら?と思ったのですが別に変なことを書いているわけではないのでそのままにしてみます。興味のない方はスルーください。

日本で一度行ってみたくて、今回夏最後のチャンスと思って行けたのが「母乳相談室・おっぱいマッサージ」でした。長男が生まれたとき母乳がなかなかでなくて苦労したので、アメリカにもこのおっぱいマッサージがあったらどれだけ良かったか、悔しく思ったものです。次男のとき里帰り出産のときは、助産院でおっぱいを見てくれましたが、マッサージはありませんでした。そのあと3ヶ月くらいのときに、一度詰まって微熱も出て(たぶん乳腺炎なりかけ)になったときがあってマッサージに行こうか考えたけど、結局面倒くさくて行きませんでした。

今回も日本滞在中に、疲れが出たのかおいしいものを食べ過ぎたのか、突然おっぱいが詰まりました。三男を生んでからおっぱいのトラブルは初めてです。経験者はお分かりと思いますが、おっぱいが詰まると、筋になってそこがパンパンになって、とても痛いのです。抱き方を変えて、赤ちゃんの吸う力の入る場所をかえたり、冷やしたりして治すのが普通ですが、これで母乳育児も最後なので、おっぱいマッサージに連れて行ってもらいました。

行ってみると早速助産婦さんが見てくれるのですが、「これはひどいおっぱいだね」といわれました。乳首は硬いし乳腺は針金みたいだし、と。今まで二人の子供のときにケアしていなかったからだそうです。で、詰まったほうだけではなく、両方を絞ってくれるのですが、詰まっていないほうは痛くないしむしろ気持ちが良いくらいなのですが、詰まっているほうは、乳首の詰まっているところに白斑ができていて、たぶんそこをぎゅうぎゅう絞られるので、痛いのなんのって。で、30分以上ぎゅうぎゅうやられたのですが、結局その日は治りませんでした。

その日は抱き方を変えて授乳して、翌日(アメリカに帰る2日前だったので、無理やり予約を入れてもらった)再度訪問したら、だいぶ良くなったねといわれ、再度30分以上マッサージされて、とりあえず、治りました。

でもそこの部分がどうしても詰まりやすいんですよね。アメリカに戻ってきてからも、何度かその部分が腫れました。助産婦さんの話では、一人目、二人目のときに残っていた母乳が詰まって乳管が細くなっている、とのことでした。

うちの母によると、そういう残った母乳が、年をとると、石灰化して、とても痛くなるそうです。怖いですが今から心配していてもどうしようもないのですが。

三男は、ほぼ生まれた直後から母乳をほしがり、三人の中で一番上手に飲んでいました。私も経験をつんで上手になっているのだろうけど、三男は生まれたときから結構エキスパートでした。6ヶ月から離乳食を始めたのですが、おっぱい大好きで、食べ物を口に入れると「なにこれ??」という顔をしていました。最近やっと慣れてきて、スプーンを差し出すと口をあけて、喜んで(?)食べるようになりましたが、まだまだ量は少ないです。また何故か、離乳食の前に少し授乳しないと絶対食べません。

私も完全仕事復帰をあと1ヶ月強後に控えています。完全仕事復帰という意味は、出張がまた沢山入るということです。次男のときはがんばって出張に同伴して、結局11ヶ月終わりまで母乳をがんばりましたが、今回は、そのときよりもさらに仕事が多忙になっており、また、行く先々で初対面のベビーシッターを探して預けるのは精神的にもきついので、生まれたときから、11月初旬の仕事での大型イベントと同時に、断乳しようと決めていました。

そのために今からいろいろ悩んでいます。いつからどういう形で断乳をはじめるか?ここ最近頭の片隅にいつもそのことがあります。

次男は11ヶ月で、離乳食も進んでいましたが、結局急に断乳して出張に行ったら、行っている最中ずっと胸が痛くてつらい思いをしました。で、確か2泊くらいの出張で、かえってきたらたまっていたのをもう一度飲んでもらったのです。今回は離乳食もそこまで進んでいないので、まだ飲んでいる量もさらに多いと思うのです。そして、10月末から始まる出張は、今回は最低でも5日間あり、途中で帰ってこられません。なので、少なくとも1週間前くらいには、段階的に断乳を開始しようと思っています。

ちょうど先週、仕事で5時間近く家を空けることがあったので、ためしに、粉ミルクと哺乳瓶を用意して出かけました。でもやっぱりだめだったそうで、ほとんど飲まなかったそうです。上の二人も、初めて断乳したときは、最初の1日、2日はほとんどミルクを飲まなかったと思いますが、その後は慣れて飲むようになりましたから、今回は、今考えているのは、断乳前の一週間は、日中は哺乳瓶に切り替えて、夜だけ必要に応じて授乳しようかと思っています。

それでも、現在は夜3回ぐらい授乳してるので、出張の初日一晩授乳しなかったら、朝にはかなりがちがちになって痛くなりそうですが・・・・。もっと先に断乳も考えたのですが、上の二人より若干断乳が早い分、できる限りはぎりぎりまであげていたいのですよね・・・。

今回断乳したら、これが正真正銘の、私の人生での授乳の終わりです。もう二度と母乳をあげることはないでしょう。母乳にこだわらないお母さんもいるけど、私は結構こだわり派でした。つらいときがあっても、自分の乳だけで生まれた子供をある程度まで大きく育てたことは誇りに思いましたし、もともと大食いの私が好きなものを好きなだけ食べても、太るどころかやせていくのは爽快感がありました。それに母乳が噴出しているときは、「快感」を感じるホルモンが出ているらしいですからね。

いつも断乳はとてもさびしいけど、最初出なかった母乳をがんばって出して、3人の赤ちゃんを育てたのですから、悔いはありません。これからは別の方法で三男とふれあい、子育ての新たなステージを楽しもうと思います。そして、この5年半、妊娠と授乳を繰り返していたので、食事に気をつけて、ほとんどお酒を飲まずに、薬もほとんど飲まずに、暮らしてきたけど、やっと、自分だけの体に戻るのです!普段お酒が大好きで飲まないといられないというわけではないのですが、仕事の後とかに仲間と一杯やるのは結構好きなので、これからそれが再開できること、それが楽しみといえば楽しみです。


お通夜

2010-09-23 02:16:10 | 日常
昨晩はお通夜に行ってきました。

仕事をしているせいか結婚したせいか、アメリカに来て既に何度かお葬式やお通夜に行きました。子供のころお葬式なんて1、2度くらいしか行ったことがなかったので、なんだか社会人になった、大人になったことを実感する行事です。これから年をとるにつれ、どんどん行く機会が増えていくだろうことは悲しいことですが。

今回は、普段はテキサスにいる部下ジムのお父さんがなくなったのですが、ジムはもともとフィラデルフィア出身で、お父さんもまだこの近辺に住んでいて、お通夜もフィラデルフィア市内だったので行ってきました。

これは前から、ジムに聞いていたのですが、ジムのお母さんは若くして亡くなって、お父さんは3人の息子をひとりで育て上げたのです。3人の息子というところに、とても人ごととは思えなくて親近感を持っていました。

奥さんが亡くなったとき末っ子のジムはまだ小学2年生だったこと、二つの仕事を掛け持ちして3人を育てたこと、を今回聞いて、ますます感銘を受けました。このお父さんも、今は孫もできていて、つい2週間前まではシカゴの次男の家に遊びに行ったりと、元気に自由気ままに生活していたそうです。もともと心臓が悪かったそうですが、発作が起きて病院に運ばれ、その間に一家全員がそろって、皆が見守る中で延命装置をはずされて、そのまま亡くなったそうです。きっと神様が、もうあなたは十分この世の仕事を果たしましたよと、逝かせてくれたのではないかと思います。直前まで元気で、最後は家族全員が見守ってくれているなんて、言い方は悪いかもしれませんが、理想的な死に方ではありませんか。

アメリカの「お通夜」は死んだ人がよく見えるようにどーんと置かれているのですが、(なので今回も行く前はちょっと怖気づきましたが)、見てみたら、とてもピースフルに眠られていて、怖くありませんでした。

会社関係で義務感もあって行ったのですが、ジムも喜んでくれたし、このように尊敬すべき人のお通夜に行けて、なんとなく行ってよかったなと思いました。

夫のいない週末

2010-09-21 20:37:57 | 日常
先週末は夫がまた金曜から不在でした。普段は兼業主婦の私にとって、夫がいない日は、完全に主婦になる日です。主婦の人から見たら、当然でつまらないかもしれないけど私にとっては新鮮な日々です。

金曜日は、朝長男を幼稚園に送りに行った後、下の二人とスーパーで買い物。その後家に帰ってきてから洗濯物を干して、片付け、昼食の準備をしたりしていたらあっという間に長男を迎えに行く時間。子供たちに昼食を食べさせて、午後からは近くのお友達と、リンビラという農園+子供の遊び場に行ってきました。その農園で取れたりんご、白桃、梨を山のように買ってきて(これがまたおいしかった!)、ちょっと子供を遊ばせていたら、あっという間に長男の空手教室の時間。あわてて戻って、長男を空手教室に連れて行き、下の二人はYの託児所に預けてました。家に帰るともう夕食の時間。で、食べさせて、片付けて、お風呂に入れて、あっという間に一日が終わりました。

子供が3人もいて、しかも小さい子だと、主婦でも一日があっという間に終わるのだな、と初めて実感した日でした。

土曜日は朝から補習校だったのですが、なんと運悪く交通当番の日でした。朝早く行って、学校の駐車場で交通整理をする当番です。夫がいたら、下の二人を見てもらえたけど、夫の不在も急にわかったので、仕方なく3人連れて行くことに。三男は背中に背負って、次男はDVDを車の中か、すぐ近くで見せていようと思って準備して行ったのですが、着いてみたら朝が早かったせいか、二人ともぐっすり寝ていたので、そのまま寝かせておきました。朝早く行ったので駐車場のスポットもいい場所が取れたので、自分の車の前に立たせてもらって、子供たちは寝ている間に交通整理の当番も無事終了できました。これはラッキーでした!

日曜日は、午前中Yに行って、子供たちを託児所へ。風邪気味だったので水泳はやらずに、ロビーで2時間お茶の見ながら新聞読んでました・・・ママも息抜きです!家に帰って昼食を食べさせて、午後からはLongwood Gardensへお散歩。夕食時に帰ってきて、夕食を食べて片付けていたらパパの帰宅。

本当にあっという間の3日間でした!

アメリカのお弁当

2010-09-15 23:13:55 | こぐま4歳
あと一月半で5歳になる長男は、日本で言うと年中さんになります。アメリカでは、半年ずれているので、9月からプリスクール2年目に入ったばかり。アメリカでは、年長(K)から、「小学校」で義務教育が始まります。

プリスクールは午前中の半日だけなので、午後の活動をいろいろ考え始めたところです。(アメリカではプリスクールの授業料はものすごく高いので、義務教育が始まるまでは、週3日半日だけという人も結構います。全日制に入れてる人はよっぽどのお金持ちだと思います。)今までは午後は、家で遊んだり外にお出かけしたり、適当に過ごしていたけど、今期からは小さい弟二人もいるので、前回書きましたように、午後いろいろYMCAのプログラムに登録したりして、良いスケジュールを探しているところです。

さて昨日ははじめての Lunch Bunch。普段は12時前に迎えに行くのですが、この日は午後1時からのプログラムがあるので、お弁当を持っていけば、授業後先生がそのまま施設内の託児所に連れて行ってくれて、お昼を食べて、1時になったらそのままプログラムに連れて行ってくれるという、うちのような小さい子が下にいるような親には助かる仕組みです。去年は一度も取らなくて、「どうしてぼくはLunch Bunchしないの?」とまで聞かれていたのですが、今年は「年中」にもなったことだし、次回11月からのプログラム改変はちょうど私の仕事完全復帰と重なるので、そこからは週に何度か入れようと思っています。

さてアメリカのお弁当が悩ましい。毎週土曜日は補習校の帰りに、車の中で食べられるように、お弁当を作っていることは以前書きましたが、それは完全日本風のお弁当です。食べやすいように、おにぎりと、肉か魚のおかずと、卵焼きと、野菜。だけどそれをそのままアメリカの幼稚園で食べていると、皆と違うからいやだろうと思って、普通のアメリカのお弁当を持たせようと思いました。

でも私はアメリカの学校で「お弁当」を持っていったことはないので、夫に聞いたら、「サンドイッチと、野菜か果物(生のにんじんスティックとかりんごとか)と、スナック菓子と、甘いもの(プリンとか、チョコレートバーとか)」というのです。そんなのお菓子ばっかりじゃない?長男は生のにんじんスティックとかあまり食べないし・・・

で、今回はとりあえずサンドイッチ2種(タマゴサンドと、自家製塩豚+チーズ)と、りんごを切ったやつを持たせました。夫に聞いたのは後からだったので、もっとスナック菓子も入れたほうが良かったのかな、と思ったのですが、まあ普段食べている量はこんなものですし、きれいに全部食べてきて、問題もなかったようなので、しばらくこんな感じで「お弁当」を持たせてみようと思っています。

アメリカで小中高に行ったことがないのでわからないのですが、高校のときニュージーランドに留学したとき、ホストファミリーに持たされていたのは、確かにサンドイッチ(でも食パン2枚に何かはさんだだけ)だけでした。大食いの私はもちろんそれでは足りなくて、学校の売店でチップスとかパイとかケーキ類を買って食べまくり、大いに太ったわけですが・・・。

夫が中学生のころは、彼の母がサンドイッチを作ってくれていたようですが、夫は「ほかの子供たちは、プディングとかチョコレートバーとかデザートがついてたけど、うちの親は何もいれてくれなかった」と今でも文句を言っています・・・。

アメリカで学校に入れている日本人のお母さん!何を入れてるんでしょうか??普段ポテトチップとかスナック菓子は食べさせてないので、サンドイッチと果物のほかにほかに入れるとしたら、クラッカーとかかな、と考えています。いいアイディア募集中!

9月スタート

2010-09-10 10:39:03 | 日常
Labor Day も終わり、長男の幼稚園もスタートしました。長男の幼稚園は町のYMCA付属なのですが、先週はYMCAが補修・大掃除のためお休みで、そのせいか、幼稚園も今週からのスタートでした。

モンテソーリは縦割りで、学年がないというのと、先生は同じが好ましい、ということなので、長男は去年と同じ先生で、同じクラスです。ただ、「卒園」していったひとつ年上の子供たちの代わりに、今年は同じクラスにひとつ年下の子供たちが入ってきました。こぐまは今度は最年長の一人です。今年のクラスは11人。その中で去年からの生徒が7人いるそうなので、ほとんどの子供たちとは既に仲良し。最初は恥ずかしがっていましたが、すぐに慣れてお友達と一緒に遊んでいました。

11人で、先生は二人もいるので、超手厚い保育です。日本の幼稚園は35人だっけ?いたけど、先生は一人だったもんね!それも逆にすごいけど。

長男の幼稚園と同時に、9月からはYMCAのいろいろなクラスをとることにしたので、毎日忙しくなります!

月曜日は、午前中に次男のプレイクラス。
火曜日は、午後から長男の体操+水泳クラス。これは、1時間半のクラスで、幼稚園の後そのままお弁当を食べて、クラスに連れて行ってくれるので、ちびが下に二人いる我が家では重宝するオプションです。同級生も数人いたので、初日はとても楽しかったと言っていました。
水曜日だけ何もない日です。
木曜日は夕方から、3人とも水泳クラス。年齢ごとに違うのですが、下の二人は一緒のクラスに入れてもらえることになり、私と夫と両方で抱っこしてプールへ。長男は子供だけのクラスです。去年一年幼稚園の一環で水泳クラスを取っていたので、水はまったく怖がらなくなり、もうすぐ泳げるようになりそうです。
金曜日は、空手!日本ですごく「ドラゴンボール」にはまったので、夫が以前からやらせたがっていたマーシャルアーツをやらせてみることにしました。明日が初日ですが、どうなることやら。
土曜日は補習校。3時間の短い時間ですが、いつも楽しいようですしやっぱり日本語の環境は大切です!

YMCAのクラスは2ヶ月ごとに再登録なので、この2ヶ月でどんなクラスがいいのか、どんなスケジュールがいいのか、見ることにします。11月からは私も仕事にフル復帰なので、それまでに、親も助かり、子供たちのためにもなるスケジュールを見つけたいと思います。