ウサチーロのとりあえず日記 Part 2

日々の記録および3人兄弟の成長日記。

幸せの定義

2010-09-28 10:08:20 | つれづれ
もともと占いとか、スピリチュアル系が好きな私ですが、最近、「引っ越すかもしれない」という話があったことをきっかけに(結局引っ越すことはすぐにはなくなりましたが)、「風水」つまり「九星気学」に興味を持って、いろいろなウエブサイトをみていました。簡単に言うと、いつ、どこの方角にいくと、いい「気」を受けて、運がよくなるとか、いいことがある、というようなやつです。

で、試しに、旅行とか外出のときにそれを気にしてみたんです。でも、どうもよくわからないのです。たとえば、8月に、うちからみて北西に当たる日本は、私にとって大吉だったはずですが、その後別にものすごくいいことがあったようには思えないし。

そもそも、生まれた年月と、移転・旅行した年月の関係で、運が良くなるとか、悪くなるとかって、誰がいつどのように検証したのでしょうか?仮に、運が良くなる方角にしか移動をしなかった人がいて、その人にいいことばかり起こったとしても、それが「移動」のおかげであるというのは、誰が検証したのでしょうか?理科の実験とかだと、Controlといって、そうしなかった人の状態と比べて、検証したりするものですが、人の運はその人それぞれだから、検証なんてできないですよね。

まあそういうわけで、疑問を悶々と持っていたのですが・・・あちこちの情報を見て総合すると、一部の人は気学を宗教のように崇めているようです。(でもこれって本当にある意味宗教なのかも。)アメリカでは占いなんて、ちょっと変わった人がやってるイメージですからね。夫いわく、「日本人は無宗教の人が多いから、そういうのにはまりやすいんだ」と言っていましたが、なるほどね。人間誰も、すがるものが必要なのかもしれないとはいつも思っていることです。

それと、つい最近、あるマイミクさんがこのような「つぶやき」をしていて、ピンときたのです。

「幸せ」という状態は自分で選んでなれるものだと分かったからだろうか。自分の幸福感が外部の要因に以前ほど依存していないからだろうか。

なるほど。確かに、幸せと思えば私は幸せだし、不幸だと思えばいくらでも不幸になれるなと思ったのです。ちなみに私は常に基本的には幸せを感じてますよ。両親、夫、子供たち、など、家族に恵まれていること。仕事にも恵まれているし、お金持ちではないけど、お金には困っていないし。人生楽しいことばかりではないけど、私は幸せな人間だと思います。でも、人と比べたら、自分が持っていないものを考えたら、いくらでも不幸を感じることもできるなとは思います。

で、そう考えると、私が、特に「運」を感じないのは、同じことだと思うのです。子供のときは、たとえばテストで100点をとったら、ラッキーだと思ったかもしれない。宿題を忘れた日に先生に当てられなかったらラッキーだと思ったかもしれない。でも、今は、たとえば仕事で大きな受注をしたからと言って、ラッキーだったせいだとは思わないし、寝坊・遅刻をしたから運が悪いとは思わない。自分に起こることって、その前の準備とか、もともとの運命とか、いろいろな要素がかかわってきて、その結果の必然だと思うのです。なので、何々をしたから、どこどこへ行ったから、運が良くなった、とかそういうのって、私には向いていないのかもしれない。最近そう気がつきました。

でもいざ引越しとかになったらやっぱり気になって風水を調べちゃうんでしょうけどね(笑)