ウサチーロのとりあえず日記 Part 2

日々の記録および3人兄弟の成長日記。

東北関東大震災

2011-03-12 21:40:36 | つれづれ

私はご存知のようにオーストラリアからの帰途でしたので、このニュースを知ったのはサンフランシスコに降り立ってからでした。会社の事務所はサンフランシスコ郊外で、乗り継ぎ時間が4時間くらいあったので、出張の報告と今後の対応についての相談をかねて上司に空港に来てもらえないか、パース出発前にメールで打診していたので、その回答が入っているかと思って携帯の電源を入れてメッセージをチェックしたら、夫から「日本で大きな地震があって大変なことになっている。日本の家族は無事か」というメッセージが入っていました。

 

その瞬間血の気がさーっと引きました。夫がこのようなメッセージを残すくらいだから、この数年でも何度かあった大きな地震よりももっと大きいのではないかと、直感で思いました。

 

「飛行機から降りてみたら惨事のニュース」、というのはあの9月11日を思い出しました。あの日と、全く同じ喪失感と深い悲しみを感じながら入国審査と通関を終えて、ターミナル内のニュース番組にしばらく釘付けでした。上司とも連絡が取れて、ほかの用事で会えないけれども、日本の会社の人たちは皆無事だったとのこと。それでだいぶ安心しました。皆その日は電車が止まって帰れなくて、会社に泊まったそうです。これは父もそうだったようで、東京で働いていた人の多くはそうだったのではないかと思います。

 

惨事が起きて電車が止まって家に帰れないと言うのは私のWorst Nightmareの一つでしたが、実際にそんなことが起こったとは。それでも東京はほとんど無事だったようなので、それだけなら悪くないほうでしょうか。

 

日本の家族はどうなっているのかと心配だったので、朝早いのを承知でまず実家に電話してみましたがつながらず。母の携帯に電話したら呼び出し音が変なのであれ?と思ったのですが、母は香港に旅行中だったのでした。なのでもちろん無事とのこと。父や弟も無事だったということなのでそれで安心しました。

 

サンフランシスコ空港ではちょうど日本からの飛行機も到着したらしく、沢山の日本人がいましたが、皆悲痛な表情ではありませんでした。皆観光客らしく、ツアーの中年男女や、卒業旅行らしき女の子たちとか。聞いてみたら、皆関空から到着のようでした。祖国が緊急事態のときによく観光気分になれるなあと思いましたが・・・アメリカンやデルタは欠航になったそうですが、その日金曜日はユナイテッドは成田行きも定刻どおり出発していきました。母も香港から無事戻ってきました。

 

それにしても私は強い喪失感を感じながらフィラデルフィアに戻り、深夜家に帰ってきて、それからはインターネットで日本のニュースに釘付けでした。それでも2時には寝ましたが、時差ぼけと心配でなかなか寝付けませんでした。

 

翌朝長男が起きてから、どうしようか迷いましたが、長男はもう、少しは理解できる年齢だろうと思い、テレビのニュースを見せて、日本で大変な地震と津波が起こったこと、じいじとばあばとおじちゃんは無事だったけれども、沢山の人がなくなって、今も沢山の人が困っていること、を説明しました。彼なりに理解してくれたようです。

 

補習校に行ってみると、皆その話をしていましたが、暗い雰囲気でもなく。今日は卒業式・終了式だったので、校長先生の式辞の前に、黙祷でもするのかと思ったけれどもそれもなく、ちょっと拍子抜けと言うか違和感がを感じました。まあ一人で次男と三男を連れていて、式に最後までいたわけではないので、私がいなかったときにやったのかもしれませんが・・・やらなかったとしたら、子供たちに心配をかけまいと思ってやらなかったのか、卒業式のようなおめでたい日に暗い話題を避けようとしたのかもしれません。

 

午後家に帰ってきてからは、インターネットで生放送が見られることがわかり、ずっとNHKのニュースを見ています。午前中に記者会見されていた枝野さん、ツイッターでも評判よかったですが、私もはきはきと明確に質問に答えている姿に好感を持ち、民主党を少し見直しました。ツイッターでは、「次期総理大臣候補だな」「枝野さんいいね」「管さんよりしっかりしてる」など声が聞かれていました。

 

自然災害というのは本当に怖いですね。こんなに技術が発達した現代でも、目の前で人や車が流されているのをみていても、止める術がないなんて。

 

生き延びた被災者の方々のご無事と、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。また危険を覚悟で救助作業や原発の処理をしている人たちの安全を祈っています。

 

さっきもたぶんお子さんや奥さんと離れ離れになっている人のインタビューを聞いて本当に涙が止まりませんでした。今も関東地方でも余震?なのか、震源地が南下して他の地震が起こってるのか、いずれにせよ本当に怖いと思います。早く収まってほしい。被災地で避難している人たちに何かできないかなあとずっと考えているのですがいいことが思い浮かびません。母親の一人として、小さい子供がいる人たちに、ミルクやオムツを届けてあげたい、とか思いますが、物理的にも無理だし・・・

 

こんなことを言うのもなんですが、私は日本国の、日本人の底力を信じています。長い歴史の中、何度も災害や戦争ですべてを失っても、そのたびに復興して今まで以上に繁栄してきた国です。こんなに大きな災害だったにも関わらず、日本人はほかの国ではありえないレベルの秩序と良識を持って最適な対応をしていると思います。アメリカのニュースでも、特に大きな混乱がなく普段どおりの生活をしようとしている日本人に大きな賞賛をしています。がんばって日本!

 

 


オーストラリア

2011-03-08 15:41:41 | 旅行

現在私はオーストラリアのメルボルンにいます。

 

自分にとっても意外ですが、これが初めてのオーストラリアです。初めて来る国は、久しぶりなので、ちょっと緊張しています。

 

私は高校のときにニュージーランドに1年間留学していたので、オーストラリアは「身近」な国でした。ニュージーランド人にとって、オーストラリアは、一番近い外国であり、文化も言語もほとんど同じの国。誰もが、親戚や友人がオーストラリアにいるという感じでした。地図で見ても、メルボルンと私の滞在していた南島のインバーカーギルは驚くほど近いのでびっくりしました。

 

昨日の朝、こちらに到着しました。アメリカ時間の日曜の夕方に出発して、サンフランシスコに到着、ここまでで6時間半のフライト。更に、サンフランシスコから13時間半でした。サンフランシスコからは意外と近いなという印象。だってニューヨークから成田だってそれくらいの距離ですから。私の場合東海岸から来たので、その分余分ですが、数年前に行った南アフリカより近いなと思い驚きました。日本経由で往復しようかとも考えたのですが、日本まで直行便でも14時間、更にオーストラリアまで10時間、しかもメルボルン直行便が日本からないことを考えると、やっぱりアメリカから直接来てよかったと思いました。時差ぼけが心配でしたが、サンフランシスコを経ってからしばらく寝ずにがんばって、途中で寝はじめて、起きたらあと4時間というところでした。シドニー到着が8時くらいだったので、現地時間の明け方の4時に起きたということになりますが、一応一晩分の睡眠をとったのと、初めての国で緊張していたので1日眠くならずにがんばれて、夜の10時に就寝しました。でも今朝朝4時に起きてしまい、どうしてもそのあと眠れませんでしたが・・・

 

オーストラリアに来ていろいろ感じたこと。

  • 一人で来ていて、郊外のお客さんのところに行ったりしなければならないので、レンタカーを借りました。日本では長らく運転しておらず免許もとっくに失効しているくらいですから、久しぶり(15年位?)の左側通行はすっごく怖かったです。走り出して早々、高速道路に乗ろうとしたけど、右側から車が来ているのに気がつかなくてぶつかるかと思った!それ以来、かなり注意して運転しましたが、「対抗車と正面衝突」「曲がるときに右から追突」というイメージが頭から離れず緊張しました・・・おかげで時差ぼけにもかかわらず居眠り運転もしなくてよかったけど!
  • それと、回転するものが皆自分が思ってる方向と反対なのであぶないのなんの。ホテルの回転ドアとか。
  • ニュージーランドに留学してたから慣れてるはずなのにオーストラリア英語に「どきどき」。私の言ってることわかるかしら、とか、私の米語が失礼だと思われたらどうしよう?とか、いろいろ気にしてしまいました。
  • オーストラリアは、カンガルーってどこにもいるんだ、しらなかった!高速の脇で死体を2つも見たよ・・・まるでアメリカの家の周りの鹿のようだ。でも生きてるカンガルーが見たいよ!
  • やっぱり生態系が完全に違う気がする。見たことがない植物とか、変わった色・風貌の鳥とか、あちこちにいます。NYのセントラルパークの動物園にある鳥園を思い出しました。サファリパークみたいなところもあるらしいので、夫と子供たちをつれてきて見せてあげたいなあ。
  • 道の真ん中に白いふさふさのオウム?みたいな鳥が沢山いて、あちこちで轢かれて死んでたのにも驚いた。ペットショップで買ったら高そうな鳥なのに!
  • 私がニュージーランド1年滞在で10kg以上太ったときに、原因の一つが、高校でおやつに買い食いしていたミートパイなのですが、オーストラリアでもあちこちで売っています。ニュージーランドではそうだったのですが、パイの中にひき肉とかステーキとかチキンのソースが入っているパイは、おやつであり、軽食であり・・・日本人にとっての立ち食いそばとか、コンビニの肉マンみたいなもんでしょうか。懐かしくて(アメリカや日本では食べられませんからね)、昨日のお昼も今朝の朝ごはんもそれぞれ別の種類を買って食べてしまいました。美味しい~なつかしい~
  • ニュージーランドより都会だと思っていたけど、アメリカと比べるとやっぱり全然田舎だな~という実感。まず人が少ない。町を外れると、もう牧場とサバンナみたいな平野ばっかり。
  • 物価が超高い!現在1オーストラリアドルが1米ドル強。その感覚でみると、何もかもが高い。ホテルのインターネット一日27ドルとか、普通の(街中の)レストランのメニューを見るとアペタイザーで15ドルとか。以前1AUSドルが米ドルの7割とかだったときの感覚なのだろうか?それにしてもこちらの人はどうやって生活してるのだろうと不思議です。
  • オーストラリア人は環境保護に敏感なんだなあ・・・あちこちでエコのためにどうこうっていうシステムをみます。(っていうかアメリカ人が鈍感すぎるだけ?)

以上。今日はメルボルン市内に行かれるかも。そして明日は西部のパースという町まで行きます!


生ブッシュ

2011-03-02 18:32:06 | おしごと

今週はあるコンベンション+展示会でワシントンDCに来ているのですが、今日は会場でジョージ・W・ブッシュ元大統領(息子のほう)の公演がありました。つい最近まで超大国の大統領だった人ですからミーハーな私としては行かないわけにはいきません。

 

そして見てきましたよ、生ブッシュさん!私は出展者でフルパスがあったので、もちろん無料です。たぶん300人くらい入るボールルーム(結婚式場みたいなものです)で昼食の後、ブッシュさん登場でした。私は会場に入ったのが遅かったので、距離的には30mくらい離れていたでしょうか。

 

実は、昨日パスをホテルに忘れて、再発行を頼んだら、「明日ブッシュが来るから、セキュリティーの関係上再発行できない」と言われてトラブルがありました。今日はシークレットサービスとかもうろうろしてて、よっぽど警備が厳しいのかと思ったけど、うろうろしていたら裏口のドアから入れてくれて、私は会場の真ん中くらいの席をとれました。荷物検査とかももちろんなし。ただ携帯電話はマナーモードで、カメラの使用は禁止でした。

 

さてブッシュさんが入ってきて会場はスタンディングオーベーション。彼の嫌いな人も多いですが嫌いだったらわざわざ見に来ないでしょうし、居た人はブッシュのサポーターばかりだったのでしょう。・・・と思ったら、一人の女性の大声が後ろから聞こえてきて、War Criminal!と叫んでいました。もちろん外に追い出されましたが。そして皆ブーイング。そんな彼女の姿をみて、この国には言論の自由があるから、別にかまわないよ、と言って彼はまた喝采を浴びていました。

 

私の第一印象は、「だいぶ老けたな」。じーっとみていたら「お父さんに似てきたな」。でしょうか(笑)やっぱりアメリカ大統領の仕事は超過酷でストレスも凡人の想像がつかないほどあるでしょう。オバマさんもかなり老けたもんね。

 

今までテレビで見ていた人が目の前で話していたのは不思議な感じだったし、そんな有名人を比較的近くで生で見る機会があったというだけで感動してしまいました。賛否両論、というか嫌いな人のほうが多かったですよね、たぶん。私も特に好きではなかったし彼が大統領になったときは、どうしてこんな人が?と思っていましたが、昨年秋に、引退後彼の書いた本を読んでいる人の本を横から盗み見していたら、彼が「中絶」のテーマについて書いていて、その文章に非常に共感と好感を持って以来、嫌いではなくなりました。あと自宅でも仕事でも保守派に囲まれていますから・・・そういう人たちの政治観にもかなり影響されていると思うので今回のスピーチも違和感ありませんでした。

 

スピーチの内容は、やっぱり彼が大統領時代のエピソードが多かったです。でもかなり最初のほうで、「9月12日、テロの翌日に、日本の小泉首相が電話をくれて、世界の安全のために肩を並べて力を尽くそうと言ってくれた。戦争をして殺しあった国の首相がそのようなことを言ってくれたのは本当にすばらしい」というようなことを言っていて、日本人として誇りに思いました。あの会場で日本人は私一人だったと思うので、日本人に好感を持ってもらおうと思って賛美したわけではないというのが明らかでした。マスコミで言われていたようにブッシュさんと小泉さんは本当に信頼関係を築いていたのだなと思いました。そのほかに話の中に出てきた他国のトップは、ロシアのプーチンさんと、イギリスのブレアさんしかいませんでしたから。小泉さんはかなりブッシュさんにとって重要な「同士」だったことが伺えます。

 

アメリカ人のスピーチには欠かせないユーモアのある話も沢山ありました。大統領をやめて「ああやっと自由だ」とローラさんに言ったら、今日からは皿洗いとか家事も手伝ってねと言われたこととか。

 

まあ全体的にはアメリカの政治とかポリシーの話が多くて、日本人の私には完全に理解・共感できる話ばかりではありませんでしたが、まわりのアメリカ人は皆感動していたようです。

 

仕事してるとたまにはこういうスペシャルな出来事もあるものです☆