ウサチーロのとりあえず日記 Part 2

日々の記録および3人兄弟の成長日記。

新学期!

2014-09-02 21:46:53 | 日常

長男と次男は8月19日に日本からかえって来ました。今年もたくさんの思い出を作ったようです。私の父が日本から送ってきてくれたのですが、その父も今朝日本に帰ってしまいました。

 

そしてあっという間にアメリカの学校は新学期。長男は3年生、次男は1年生、三男はPre-K(年中)が始まります。

 

今学年より、子供たちは三人とも同じ私立の幼稚園・小学校に通わせることにしました。実は突然で思いつきのアイディアなのですがあれよあれよと話が進んであっという間にきまってしまいました。

 

大きな理由は次男です。日本に滞在中、体験入園していた日本の幼稚園に呼び出され、次男が問題児であることを実感しました。実家の両親も次男には手を焼いているのを聞いて、このままアメリカの1年生に上がって大丈夫だろうかと不安になったのです。

 

次男は去年アメリカの地元の公立のKinderに通っていましたが、そのときは長男のときと同じ担任のベテランで優秀な先生のクラスにたまたまあたったので、たくさんのことを学んだと思います。でもこの先同じようにいい先生にあたるだろうか・・・また公立の学校は一クラスの人数が多いので、先生も次男に目が行き届かない可能性が大。そうするとこのままコントロールがきかずドンドンひどくなるのではないか・・・と不安に思ったのです。次男はきちんと見守ってあげれば伸びるタイプと思うので、一クラスの人数が少ない私立のほうが次男にとってはいいのではないかと思ったのです。

 

それで休暇中に、日本から、地元の私立小学校を探していたのですが、一番近い学校は学費が超高い。また、次男だけそこに入れるとなると、送り迎えと長男のスクールバスの時間があわない、という問題がありました。もう一つ見つけたのは少し遠いので、躊躇していたのですが、アメリカに戻ってきてからしばらくしたら、ある日オープンハウスがあるというのをラジオのCMで聞いて、ちょうど都合のいい日だったのでホームページからコンタクトしてみたら、すぐに返事が来て是非見に来てくださいということでした。それで長男と次男が帰ってくる前の週に、夫と三男と訪問してみたのです。

 

こじんまりしていますが、Pre Kから5年生まであり、校庭も体育館もコンピューター室もあり、よい感じでした。でも私立は学費が高いし・・・と思っていたら、ツアーのあとで校長先生と話していたら、現在小学生は卒業まで学費が半額になるという制度があり、長男と次男二人入れてもひとり分の学費しか払わなくて良いということがわかったのです。三男はまだ幼稚園なのでどのみち私立のPreschoolに通う予定で去年も行った学校に入学金は払っていましたが、3人一緒に同じ学校ならば、家からは少し遠いけど(車で20~30分くらい)一度に全員同じ時間に送り迎えできるし、同じ学校なので学校行事や休みの日などのスケジュールも皆同じ。これは大きな利点でした。去年など3人とも別の学校・幼稚園だったのでそれぞれ管理が大変だったのです。

 

Pre K以外1学年1クラスのみの小さい学校ですが、一クラスも少人数で、地元や先生たちの評判も良いようでした。よさそうだねと話していたところこの学費の半額制度が効きました。それでさっさと入学手続きをしてしまったのです。もちろん次男のような問題児のボーダーラインも入れてくれるのかと校長先生に相談してみましたが、話を聴いている限りでは問題ないようだといわれました。校長先生が直接相談に乗ってくれたのも、プラスでした。長男は公立でも問題ないようだったのでわざわざ私立に入れるつもりはなかったのですが、このように恵まれた環境で勉強できるならもっと伸びるだろうと言う事で長男も入れることにしました。三男は、今まで長男、次男が2年ずつ通い、三男も去年通ったところでも良かったのですが、長男からずっといた先生が辞めてしまってから過去2年は、毎年先生も変わっていて、なんだかな~と思っていたので、今年から別のPre-schoolにすることは未練なし。

 

小学校とはいえ、私立なので「制服」がきまっていてなんかおぼっちゃまたち、って感じです(そう思うのは私だけ?)ロゴ入りのポロシャツ、カーキパンツ、靴下、靴の色はきまってる、などで結構な出費になりましたが、毎日きまった服装で学校に通うのは悪くないと思います。

 

今日は初日なので私も一緒に送っていってしばらくそれぞれのクラスを覗いていましたが、最初は緊張していた子供たちもすぐ笑顔になって、夕方家に帰ってきたときはみんなにこにこしていました。楽しかったみたいです。先生たちからも早速写真だのメールの報告などがきて、とても行き届いているなあと感心しました。まだ初日ですが、あまり考えずにさっさと決めてしまったけど、良い選択をしたなあと思っています。夫ともそう話していたところです。

 

この学校は遠足もたくさんあるらしく長男は早速再来週はBaltimoreに行くそうです。コンピューターも一人1台あって毎週授業があります。この1年、三人ともいろいろ学んで成長してくれるといいなあと思っています。


とうとう・・・

2014-07-06 21:03:08 | 日常

さてアメリカは独立記念日と合わせて3連休でした!

 

子供たちは6月の中旬から日本に行っています。今のところちゃんと日本の学校&幼稚園に通っているようです。うるさくてエネルギー一杯の男児3人を長期にわたって実家に預けるというのは、親としても気が引けるのですが・・・子供たちは日本での生活や学校を体験し、また大好きなじいじ、ばあばと一緒に過ごせるというのは何事にも代えられない経験だと思います。子供たちは両親がいなくても全然平気みたいです。

 

夫は先月子供たちを日本に連れていくと同時に、お父さんと一緒に日本観光してきました。夫の父は長年日本刀の売買+コレクションをしており、漢字も独学で勉強したくらいなのですが日本に一度も行ったことがなかったので、高齢で旅行できなくなる前にということで招待しました。

 

なので6月の後半は私は一人でアメリカに残り、ちょうど仕事であちこちでプロジェクトがあったので、週末もなく出張していました。そしたらたまたま出張で日本に行くことになり、ほんの数日だけ日本にも行きました。そして先週の日曜から約1週間は夫と「水入らず」で過ごしました。

 

平日は仕事だったのでこの3連休だけですが・・・夫とは、長男が生まれて以来二人きりでこんなに長く過ごしたのは初めてなので、「子供たちがいると出来ないことをしよう」ということでいろいろ話し合い・・・映画、美術館、野球観戦、などなどいろいろテーマはあったのですが、見たい映画特になし、美術館は行ってみたら独立記念日で閉まってた、野球観戦もアウェイだった、ということで、結局はゴルフと買い物、静かなレストランでの食事、で落ち着きました。

 

ゴルフは特に子供禁止で5時間くらい掛かるので良かったかな。私は最近ゴルフがお気に入りで、夫は大学生のとき少しやったくらいだということでしたがやってもいいということなので、いつも行ってるコースに行ってきました。やってみたら夫も私とレベルが近いのでちょうどよかった。全然やってない人が、時々練習してる私と同じレベルというのはくやしいですが・・・今度からは一緒に出来ると思います。

 

前置き?は長くなりましたが今日は私の誕生日でした!とうとう大台にのりました・・・なかなかよい1日を過ごせて幸せでした。朝は少しゆっくり寝て、その後YMCAでコンバットのクラス、その後お気に入りのレストランでブランチ、そして午後は夕方までゴルフ、夜はすし屋に行きました。

 

ケーキは自家製、砂糖なしのレアチーズケーキ。なかなかおいしかったなあ。この話は長くなるので機会があるときかくかもしれませんが、食生活改善して、4月からは低炭水化物の生活をしています。市販のデザートは砂糖が多いので、最近はデザートがほしいとときはノーカロリーの砂糖代替品で自分で作ってるのですが、なかなか美味しい。チーズケーキも美味しいし、先日はクレームブリュレやココナッツアイスをつくりました。最近はまってるのはコーヒーゼリー。そのうちクックパッドでレシピ紹介します♪


角質とり

2012-12-16 19:31:47 | 日常

このあいだYahoo Japanで角質を取って冬のお肌をやわらかくしようという記事があって、すごく久しぶりに、「花雪肌」という角質取りジェルを洗顔後に顔につけてみました。ちょっとしかつけてないのに、顔につけた瞬間ぼろぼろと角質が取れて、洗い流したら超すっきり。お肌がつるっつるになり、鼻の頭の黒ぼつも薄くなり、びっくりしました!

そのあと記事にお勧めされていた、ホットオイルパック(オリーブオイルを顔に塗って、蒸しタオルでパック)してから寝たら、朝おきてからもつるつる。しわも薄くなった気が・・・

いや~角質だいぶ溜まってたんですね。とりすぎが怖くて、ほとんどやっていなかったけど、これからは時々やっておこう。アラフォーのお肌には良いかも。皆さんにもお勧めです。


この1ヵ月半のことなど

2012-09-09 22:13:53 | 日常

なんだかあっという間に夏は終わってしまいました。アメリカはすっかり秋です。

 

日本への旅行は一言で言うと「癒しの旅」でした。

  • 子供たち+地元の親友たちと東京ディズニーランドに行き、夜はゆっくりしたいということでホテルに泊まりました。一面の大きな窓から東京湾が一望できて素敵な部屋で、子供たちが寝てから友達とゆっくり話せたのもとても癒されました。
  • 両親とも富士山のほうへ旅行へ行きました。前も泊まったことのある場所で、ここも窓から富士山が目の前に一望できます。ホテルでは温泉ももちろんあるし、遊園地もあるし、富士山の近くの洞窟に行ったり出来ました。富士山のパワーをもらった感じです。
  • ラーメンも寿司もその他もろもろ美味しいものをいろいろ食べてきたし・・・・
  • 途中で会社に呼ばれて1日だけはるばる横浜の工場にまで仕事に行ったけど、いいもの(仕事に関連してですが)が見られましたので良かったです。
  • オリンピックで日本選手の活躍が見られて感動した!

 

というわけで私は満足に帰ってきました。

 

帰ってくるときに父が一緒に来てくれて飛行機の中でも手伝ってくれたのでとても助かりました。

 

しかもANAではプレミアシートにアップグレードしてくれたのでちょっと良い席でした。

 

アメリカに帰ってきてからは父が、子供たちと毎日遊んでくれていたので楽でした。

 

そして8月末に父は日本へ帰ってしまいましたが・・・帰る前にサンフランシスコに寄ったので(私も仕事なので一緒に行った)、1日休んで、ヨセミテ日帰りツアーにも行って来ました。そしてこのブログに前も書きましたが地元で有名なベトナムの蟹料理を食べてきました。

 

さて子供たち、上の二人は学校が始まり、私は9月からは 毎週 出張です。これが感謝祭近くまで続きます。週末も出張が何回かある予定です。しかも、補習校で次男のクラスのクラスマザーなんて引き受けていたから、もっと大変。補習校が始まって3週間ですが、毎週、仕事が終わった金曜日あたりに補習校のことを思い出して、あわてて準備している次第です。

 

なんだかどんどんどんどん忙しくなってきますが・・・・ああ、何でこんなこと引き受けたんだろう、と少し思ったけど仕方ない。まあ自分の今までを振り返ると、「こんなの とか こんなに沢山 出来ないよ~」と思ってると、いつの間にか出来てしまう、というパターンなので、何とかなるでしょう。先月マラソンの金メダルの人(名前忘れました)が日経新聞の私の履歴書で、疲れてやめたくなると、あの電柱まで頑張ろう、そこまで行ったら隣の町までがんばろう、と目標を小さく立てて少しずつ進むようにする、というようなことを言っていたのが心に響きました。本当にそうやっていくと頑張れると思います。

 

負荷を掛けると成長する、というのを地で行ってる私です。最近つくづくそう思います。

 

 

 

 


Root Canal

2012-04-29 11:16:54 | 日常

Root Canalってご存知ですか?アメリカでは良く聞く言葉なのですが日本では「歯の根管治療」と呼ばれているようです。

つまり歯の根元、神経のあるところが炎症を起こしてしまう病気です。

2週間くらい前から左の上の奥歯で冷たい水がしみるようになりました。他の歯でも「知覚過敏」で時々痛いときがあったので、いつもどおり知覚過敏用の歯磨き粉で歯を磨いていたのですがなかなか治りません。まあそれでも痛いのは物をそこで噛んだときか冷たい水のときだけだったので、そのうち勝手に治るかな、なんて、暢気に考えていました。すると突然金曜日の夜、痛くて痛くて眠れなくなりました。とても虫歯とは思えなかったのでいろいろ調べて、Root Canalだと自分で予想しました。

出産のときでさえ麻酔や痛み止めを飲まなかった私が、今回はあまりに痛くて眠れないので、イブプロフェン(バファリンと同じ)を1錠飲んだけど治らない。でまた1錠。なんとなくよくなった・・・と思ったけどしばらくしてまた痛いので、最後に睡眠薬も混じっているMotrinという薬を飲んでやっと金曜日の夜少し寝ることが出来ました。

これでは月曜日までは、もたないだろう・・・と思ったので、痛みのなか夜中にオンラインで土曜日も開いている歯医者さんを探しました。家から1時間ほど離れた、昔住んでいた家の近くに見てくれるところがあったので、オンラインで予約。土曜日補習校ではミーティングが2件あったのですが、あまりの痛さに集中できず。それでもなんとか乗り越えて、途中で夫と交代して、補習校を抜けて、行って来ました。

やっぱり患者は私だけだったみたいで・・・わざわざ開けてくれた歯医者さんに感謝。新しくオープンしたところみたいで新規の患者を探していたようでした。歯医者さんも息子さんのソフトボールの試合だったとか言って普段着で遅れてきたけど、いいんです、土曜日に診てくれるだけで、と本当に感謝の気持ちで一杯でした。

自分が予想してとおり虫歯ではなくRoot Canalでした。昔の詰め物の内側が神経に触れていて感染したらしい。麻酔を一杯掛けて歯に穴を開け、内部を消毒して仮の詰め物をしてもらいました。まだ時々少し痛むけど、もう眠れないほどでもないし冷たい飲み物も全然大丈夫になりました。

私明後日からドイツに出張なので、とりあえず治って本当によかったです。

感染が直ってから本物の詰め物をするということで、ヨーロッパ出張が全部終わる5月末に再度予約をしました。

今回よくわかったけど体のどこかが本当に痛いとそれしか考えられなくなる。それって本当につらいことです。

 


新学期

2011-09-16 19:16:17 | 日常

アメリカでは新学期が始まりました。

長男は義務教育スタートで地元の「公立幼稚園」に通い始めました。アメリカでは日本で言う「年長」から5年生まで「小学校」に通うことが多いようですが、今年から地元の学区では、学区内の3つの小学校から年長だけを集めて「キンガーガーデンセンター」を設立したので、長男の「幼稚園」は1学年しかいません。

公立の学校に入るとスクールバスが迎えに来ます。長男は近所の小学生たちと一緒にバスに乗り、近くの小学校で、幼稚園行きのバスに乗り換えます。バスは家の正面まで迎えに来てくれるので便利。でも最初のせいか、時間通りに来ないことが多いです。

長男は初日は不安そうにバスに乗り込みましたが、近所の顔なじみの小学生が既に乗っていたので安心した様子。帰りも大幅に遅れましたが家の前で降ろしてもらって元気に帰ってきました。最初の1週間は予定より30分以上遅れた事もあったのでバスを家の前でずっと待ってないとだめなのかなあと思っていましたが、子供が家に入ってくるまでバスは待っていてくれるので、外で待っている必要はないようです。

私の住んでいる町は、きのこの生産が盛んで、あちこちの農場にメキシコ人が沢山働いています。その子供たちも公立学校に入ります。親は英語が不得意の人が多いのか、学校からの連絡は英語とスペイン語の2ヶ国語になっています。でも夏休み中の説明会で、イヤホンを配って同時通訳していたのには驚きました。スペイン語しかわからない家族を孤立させて更に孤立を深めるよりは、なるべく取り込んで同化させようという考えは理解できるのですが、親の心情としては、公用語の英語さえもろくにできないかもしれない子供たちと自分の子供が一緒に学校に行って大丈夫なのだろうかという不安もあります。こんなことを言っている私は大学時代からスペイン語を勉強していてメキシコにも頻繁に行くので、メキシコ人はどちらかというと好きなほうですし、子供が将来スペイン語もできるようになったら悪くはないとも思いますが、メキシコ人はあまり教育には熱心ではないのと、一応アメリカにいるのだからまずは英語でアメリカの普通の教育を受けて欲しいと思ってしまうのです。

それはそれでいいのですが、一番不満なのは、担任の先生から全く連絡がないこと。今まで行っていたプリスクールでは、お絵かきや工作を持ち帰ってきたり、毎週1回は先生から「今週はこういうことをしました」というお便りが来ていたのですが、長男の幼稚園は全くそういうのがないのです。一度、校則の小冊子と欠席するときの届けフォームと今月のカフェテリアの献立(通常はお弁当持参だけど、希望者は有料でカフェテリアの食事ができる)が来ただけ。

一体どうなってるんでしょう。長男にいろいろ聞いてもよくわからない。机はあるの?と聞いたら、机はなくて床に座っている、とか、用意した筆記用具等を学校においてきた、とか、お弁当はいつも同じ子と座って食べてる、とか、今日は外で遊んだ、とか、わかったのはそれくらいでしょうか。学校の外まで一度見に行ったのですが、勝手に立ち入り禁止なのでよくわかりませんでした。担任の先生に、学校の様子が知りたいというメモを書こうかね、と夫と話していたのですが、変に「クレーマー」みたいな親だと思われるのもいやだし・・・とりあえず11月に面談があるみたいなんでそれまで待ってみようかなと思っています。

一方、3歳の次男は、長男が今まで行っていたプリスクールに入りました。5月に3歳になったばかりなので、日本では来年の4月から年少さんになる年です。でもアメリカは9月入園なので、既に年少さん開始。オムツは夫が夏のうちに取る訓練をしたのでその点準備はできていましたが、長男が入ったときよりは半年早いので、ちょっと大丈夫かな?という感じでした。体の大きさはともかく、クラスの中でも一番年齢が低いほうなので集団行動がきちんとできているか心配でしたが、初日迎えに行ったときは、きちんと並んで迎えの場所まで歩いてきたし、保護者のウエイティングエリアに来ると、先生の点呼を待たずにお母さんに飛びついて泣いた女の子もいた中、次男は私が待っているのに気がつくと、目をくるりと回しておどけた表情をしただけで、元気そうでした。まあ今まで長男のお迎えなどで雰囲気に慣れていたというのもあるのかもしれませんが・・・

2週目の月曜日は「行きたくない」といって朝教室の前で私にしがみついていましたが、先生と相談して無理やり置いていったら、最初泣いていたけど大丈夫だったようです。幼稚園でやった工作も得意そうに持って帰ってきて見せたり、こちらは送り迎えのときに先生と話もできるし、なにより長男が2年間お世話になった同じ先生なので、全く安心です。

ただ次男は長男より体力がないのか、かなり疲れるらしく朝もちゃんと起きられません。昼寝しないと夕方もうとうとするので、正午に迎えに行って帰ってきてランチの後は、三男とお昼寝させることにしました。長男は2歳半くらいでお昼寝卒業で、幼稚園開始でも昼寝することはありませんでしたが、次男のほうが普通かなと。長男がプリスクールで行っていた午後からの選択クラスも、当面は入れないほうがいいでしょう。ちなみに長男は、朝8時半に出て夕方4時ごろまで帰ってきませんが、全く元気で帰ってきてからもエネルギー全開です。

私のほうはカリフォルニアへの「通勤」が開始しました。一人居た駐在員の人が去ったのでその穴埋めで、自分の仕事範囲に追加があり、これから毎月2回はカリフォルニアの事務所に行くことになります。しかし今月はいろいろ用事があって、毎週サンフランシスコに通っています。時差は3時間、飛行機の移動時間は直行便でも67時間掛かるので結構大変ですが、しばらくはこれでがんばるしかありません。救いは、今年は激しく出張が多かったので、比較的早くユナイテッド航空で最高エリートレベルの1Kになったので、かなり簡単にアップグレードしてくれます。今月は3回カリフォルニアに行ったほとんどはビジネスクラスで、早朝の便も食事がでるのでだいぶ楽です。

また5月に受験したスペイン語検定の結果がとうとうでました。もう4ヶ月近くたつので、合格してたら賞状が郵送されるのではないかと思っていましたが、来なかったので不合格だったのかと思いましたが、結果は知りたいので、試験センターにコンタクトしたら、スコアをメールしてくれました。結果は合格!ほっとしたところです。「読解」、「文法・ボキャブラリー」、「リスニング」「会話」の4部門ですべて一定以上の点数を取らないと駄目なのですが、結果を見たら「文法・ボキャブラリー」はぎりぎり合格点。他は余裕がありましたが。

EUでの使用言語は、レベルがわかるように、どの言語も同じレベルで比べられるようになっています。今回のスペイン語検定のレベルはEUの基準で言うと、B2といって、上位の中級レベル。トーイックだと700点後半から900点くらいの間のようです。自分の感覚だと英検準1級というところでしょうか。自分のスペイン語は、スペイン語圏に留学でもしない限り、英語のように自由に操れるようにはならないだろうと思っているので、今までの勉強、現在の環境ではこれが精一杯だと思っていました。絶対合格できるだろうと思っていた中の中級(もう一レベル下)とどちらを受けるか迷っていたのですが、仕事と子供たちがあるので、週末に丸一日テストを受ける時間と余裕は今後何度もないだろう、なのでちょっと無理して上のレベルを目指して一度で上中級を目指すことにしました。今まで何度も目指そうとして、挫折というか、受ける勇気が出なかったレベルです。5月にドイツへの長期出張直後で体力的にはちょっとつらかったのですが、ちょうど母がアメリカに来て子守してくれていたときだったので、それに甘えて週末一日子供たちを置いてテストをしにいたので、本当に合格してうれしいです。早く合格の賞状を受け取るのが楽しみです。でもスペイン人はのんびりだからもうしばらくかかるだろうな。


8月の災害

2011-08-30 08:54:30 | 日常

8月私たち一家は日本で2週間弱過ごしました。

アメリカでは結構涼しくなっていたにも関わらず、わざわざ日本に行って暑い夏でしたが、東海岸で何十年、100年?に一度の大地震(?)をおかげで逃れることができました。ニュースでは大騒ぎしていたし、確かに高層ビルでは結構揺れたようなので、地震に慣れないアメリカ人は怖かったみたいですが、近くの日本人の皆さんの話では、家にいてじっとしてたらあれ?揺れてるって感じ、外で子供と遊んでたりしたらわからない程度、とのことでした。それより耐震になっていない建物が崩れたりするのが怖いですね。ワシントンのモニュメントとか。

ちなみに日本滞在時、体感した地震が3回くらいあったかな?ショッピングセンターにいたときの揺れは少し大きめで(でも震度3くらい?)周りの人も立ち止まってたけど、それくらいでしょうか。私たち日本で育った人には普通の感じでした。地震に慣れないアメリカ人の夫も、数年前は大騒ぎしていましたが、今となってはだいぶ慣れたようです。

そしてハリケーンアイリーン。アメリカに帰ってきて早々。カテゴリー1なのに、大ニュースになっていたのは、東海岸沿岸を撫でるように北上していくルートだったせいでしょうか?確かにハリケーンなんて、東海岸に引っ越してきてから経験したことはありませんでした。うちは沿岸部でもないのに、警戒が発せられた瞬間、ガソリンスタンドは長蛇の列(そして売り切れました)、スーパーもパンの棚などはがらがらになりました。うちの夫が、皆過剰反応すぎると文句を言っていましたが、それらの人たちは正しかったのかもしれません。

なぜなら、うちのあたりを通り過ぎたのは土曜の夜から日曜の明け方にかけてで、日曜の朝は何事もなかったように普通でした。停電も心配していたけど、夜に一瞬なっただけでした。家の周りの気も倒れてないし、水があふれかえってるところもないし。なーんだ、全然平気だったね。なんてのんきに家にいたら、朝10時半ごろ突然停電。で、またすぐ戻るだろうと思っていたら、なんと夜までずっと停電だったのです。

電力会社に電話しても、復旧のめどは立たないとのこと。早速今回日本で買ってきたソーラーラジオでニュースを聞いてみると、何十万世帯と停電中とのことでした。

ガスは使えたので、昼食はマッチで火をつけて調理できましたが、復旧のめどが立たないと、冷蔵庫・冷凍庫を開けるのが憚られる。それで昼過ぎには冷蔵庫を一切開けないことにしました。月曜から出張だから、いない間の食事を日曜日に作っておこうと思って野菜など沢山買ってあったのですが、いつ電気が戻るかわからないと、冷凍も出来ないし、食材を出すのに開け閉めも出来ない。と思って今か今かと思いながら一日何もせずにすごしました。子供たちは兄弟でわいわい遊んでいましたが。

だんだんいらだちになり、それで時差ぼけもあって夕方「ふて寝」していたらだんだん薄暗くなってきたのであわてて夕食の準備・・・と言ってももう調理も気が乗らないので、買ってあったパンと、缶詰のベイクドビーンズをさっさと食べて、あわてて子供たちをお風呂に入れました。お湯もいつまで続くかわからないので全員カラスの行水でした。そしてろうそくの火をつけて、さっさと子供たちを寝かせました。真っ暗なので皆寝るしかない。私も子供たちと横になっていたら、9時過ぎにやっと電気が復旧。

夫が起こしに来たので(私も眠れなかった)、起きて、調理や出張の準備で深夜までかかりました。

明け方家を出ると、家の外のとおりはまだ真っ暗で、信号も動いていませんでした。うちのある住宅街だけ何故か戻ったみたいで、ラッキーだったのだと思いました。街中のYMCAも夏のリノベーション中で月曜から開く予定だったのが、停電のため一日延期。外のプールは破損があったらしく、今年の使用は終了とのことでした。

うちから2時間ほど離れたNJの町にいる会社のセールスマンは木曜まで停電で、家の回りも洪水のため道が通れないところが多いそうです。

そういうわけで私たちは比較的幸運だったのかもしれません。

長男が心配そうに、「これからもずっと停電だったら、ずっとご飯はパンとベイクドビーンズなの?」と心配そうに聞いたのがかわいくて笑えました。今までも保存食品や水などは確保してあったのですが、これからも自然災害はいつ来るかわからないので、もっといろいろ備えたいいのかなと考えさせられる出来事でした。

 


先週から今週にかけて

2011-02-26 17:07:36 | 日常

先週は長男を皮切りに、子供たちがダウンしました。長男が幼稚園に行く途中に嘔吐で、その後熱で幼稚園を1日休み、2日目は一応行ったけど調子が悪そうでした。3日目にはほとんど治っていましたが。

 

その長男と入れ替わりで、次男が嘔吐開始。これが先週の金曜でした。のどが乾いたと言って水を飲みたがり、食欲もあるようだったのですが、何を口に入れてもすぐに全部吐いてしまい、ぐったり。そしてずっと抱っこしたがって、本当にかわいそうでした。日曜日も一日寝て過ごして、月曜日にやっと少しずつ飲み食いできるようになりました。

 

月曜日は祝日で私は仕事が休みだったのですが、いろいろ雑用があり、また夜から南米に出張でした。まだ完治していない次男をおいて後ろ髪が引かれる思いでしたが、仕方ない。次男は嘔吐が止まったと同時に、下痢が始まり、これも大変だったようです。完全にウイルス性の嘔吐下痢症だったようです。

 

そんな中火曜日に長男が幼稚園の水泳の授業に行く際にプールサイドで滑って(走っていたわけではないようです)、棚にぶつかって頬を切り、ERに。ERでも5時間待たされ、夫は本当に大変だったようです。そして木曜日はとうとう三男が嘔吐(しかし何故か一度で済み、後はちょっと食欲が落ちた程度で、基本的には大丈夫だったとのこと)。

 

子供3人小さいと、こういうとき本当に大変だと思います。男親の夫も大変だったと思うけどそんな中何もできなかった私もちょっと落ち込んでしまいました。

 

南米への出張自体は、ハードなスケジュールでしたがラッキーが続き、ミーティングもすべてうまく行ったので、仕事としてはよかったのですが。

 

月曜の夜行でブエノスアイレスに向かい、火曜の朝到着。ワシントンDCから出発だったのですが、直前に霙(みぞれ)が降り飛行機に氷がついて、出発も到着も遅れましたが、ブエノスアイレスは真夏で、蒸し暑かったです。ミーティング、ランチのあとはホテルに戻って、郵便局に行ったのですが、パスポートがいるだの、この封筒はだめだの、いろいろいちゃもんをつけられて、ホテルに戻ったり銀行でお金を下ろしたり、散々時間と手間がかかりましたが、無事終了。夕方からはホテルの近くの喫茶店で別のミーティング。ブエノスアイレスは金髪碧眼の人も多く、町並みも完全にヨーロピアンなので、南欧にいるような感覚がありました。

 

翌朝はチリへ。サンチアゴはからっとしていて、カリフォルニアと似ていました。ここでは忙しくて、迎えに来てもらって彼らの会社に行っていろいろミーティングをして、ランチ、更にミーティング、で気がついたら6時を過ぎていて、あっという間に終わってしまいました。夜はホテルで遅くまでメールチェックなどをしていて結局寝るのも遅くなってしまいました。

 

翌日はペルーのリマへ。話は長くなるので端的に言うと、結果的にはファーストクラスの座席が格安(エコノミーより安かったかも)で取れて、しかも4時間ほどのフライトなのに国際線のちゃんとしたシートとサービスだったので、とってもゆったりできました。ファーストはほとんどがらがらだったのでフライトアテンダントさんも親切で、居眠りしていたらお布団(あの安いブランケットじゃなくて布団ですよ!)をかけてくれたり、シートは完全に平らになるし、リマ到着前はペルーの海岸線がきれいに見渡せて、幸せな時間をすごしました・・・

 

その後ペルーで半日過ごした後空港に戻って夜行でアメリカに戻りました。ペルーはあまり治安がいいとは思えませんが、ずっと現地の会社の人と一緒だったので私はもちろん安全に過ごしましたが、空港に来ると日本人が沢山居て(クスコとかマチュピチュとか観光にいくのでしょう)うらやましかったなあ・・・私もいつか観光してみたいです。それと遠く離れた異国の地で日本人に会うとなんだか涙が出そうになります。ペルーは本当に日本びいきで、街中も日本で使っていたと思われる日本車が沢山走っているし、日本人は勤勉で優秀だと本当に尊敬されているようです。移民の苦労のたまものですね。また4月に大統領選があるらしく、あちこちに選挙の看板がありました。元フジモリ大統領の娘さんのケイコさんも立候補していて(勝算はあまりないようですが)、ある地域ではケイコさんの看板とサポーターの立てた「K」の看板が密集しており圧巻でした。

 

金曜の午後シカゴでまた別のミーティングがあり、フィラデルフィアに帰ってきたのは夜の10時前でした。

 

大変な日程でしたがペルーからも何故か無料でアップグレードしてくれたりしたので体はゆったり休めた感じです。自分で得だなと思うのは飛行機でよく眠れること。夜行に乗るとたいてい朝までぐっすりなので、着いてからも全然元気です。

 

3月はまた忙しくなります。最近どんどん忙しくなってきているような。でも最近春らしくなってきて気分もいいのでがんばります!


1月半分

2011-01-18 12:56:53 | 日常
ああ、今年は新年早々仕事が忙しくて、新年気分を味わえなかった、というのは先日も書きましたが、今週は、予想外にちょっと落ち着きました。

もともと、2週連続で、オレゴンに行く予定を立てていたのですが、目的のものが計画通りいかなそうだったのでそれはキャンセル、別の件でコネチカットに火・水と行く予定でした。でも雪予報があって代理店の人が、延期したいということなので、(私は行ってもよかったのに)、思いがけず家に居られることになりました。今日は雪で長男も幼稚園がお休みになったので、ちょうどよかったかも。雪はたいしたことなく、夫とこどもたちは午後は夫の実家に遊びに行ったくらいですが。

話は前後しますが、土曜日は補習校、その前に降った雪が沢山残っていて、こんな季節に限って、補習校の駐車場が使用禁止で、裏の病院の駐車場から歩かなくてはありません。雪の上をダブルのベビーカーを押してちょっと大変でした。でも無事餅つき大会も終了し、写真も撮って、アルバムのページ完成。もっといい写真がほしかったなと悔やまれるけど、持っている写真を使ってなんとかやりました。完成品を見るのが楽しみです。

日曜日は、デラウエア日本人女性会のブランチに参加してきました。いつも、「この辺にこんなに日本人が住んでいるの!」と驚かされるのですが、今回も25人くらいいたのではないかしら。それ以外にも参加していらっしゃらなかった方々も居ますからね。すごいです。

その後、このブログにもいつもコメントいただいてるJoのお家に久しぶりにお邪魔しました。彼女は現在妊娠中で、2月1日が予定日。だけど、この間から偽陣痛が何度も起こってるというので、出産前に、クリスマスプレゼントと(ホリデー中会う暇がなかった)、ベビープレセントを届けたかったのです。

で会いに行ったら、お腹がグーンと下がっていて、おしるしも来たし、子宮口は2cm開いてる、ということ。え~、じゃあ今夜にでも生まれちゃうかもね!と言っていたけど、それも二日前のこと。今日火曜日現在もまだ生まれていない?ようです。でも今日が私の予想出産日だったんだけどね~

他人事ながら、本当に楽しみです。赤ちゃんって本当に特別な存在ですよね。赤ちゃんだったうちの三男も、奇しくも彼女の予定日2月1日で1歳、だんだん赤ちゃんではなくなっていきます。もうさびしくてしょうがないです。そして彼女がうらやましい。彼女の長女はもう8歳で、ベビーが家に来るのは久しぶり。うちの子供たちが、短時間ながら、あちこちいたずらをしてくれて、「ベビーがいる生活」を前体験してもらいました(笑)

さて週末からは母がやってきます。長男は、ばあばが来る日を毎日毎日指折り数えて楽しみにしています。あっというまに2月になりそうです。

ヘナ

2011-01-13 23:53:17 | 日常

年末にヘナを見つけて買ったことは別に書きましたが、そのことについて。

8月に日本に行ったとき美容院で髪を切って染めてもらったのですが、茶髪や伸びた後の「プリン」が嫌だから「ハイライトにして」と言ったのに、何故か全部染められて茶髪になってしまった。その髪が伸びてきて、根元が黒くなったのはいいが、白髪が多いので、目立つようになった。最近仕事にフルで復帰してお客さんのところに行くので、みっともないのでまた染めようかな・・・と考えていたのですが、何度も染めると髪が傷むので、髪の毛を洗っているだけで白髪が染まるというシャンプーをかおうと思って調べたけど、アメリカにはないので、どうしようかな・・・と思っていたら、ヘナは髪の毛が傷まないというのを確認したので、ヘナのシャンプーをネットで注文していました。

そのすぐ後、たまたまモールに行ったら、Lushがあって、そこでヘナカラーという看板が目に飛び込んできたので、お店に入って早速聞いてみました。こんなキューブが4個です。

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お店の人いわく、「これをおろし器でおろして、熱湯で溶かして、触れるくらい冷めたら、髪の毛に塗って、6時間くらい置くのよ」ということでした。6時間も!?そんな時間ないよ、と言ったら、「そのまま頭を巻いて寝てしまう人もいる」ということでした。聞いたときはえ~~~マジ?!と思ったけど。

で、ネットで調べたら、そういう人も本当にいるみたいなんで(日本でも)、逆に、数時間ではなかなか色がつかないそうなので、その通りにやってみることにしました。

こんな大きさです。今そんなに髪の毛は長くないので、一つでぴったり。

これをおろしたのを小さいボールに入れて、熱湯を注いで、マヨネーズ状の硬さにします。それを、手袋をつけて手で塗りたくりました。くしでやろうとしたら、結構どろどろしていて、塗りにくかったので。トリートメントに使えるくらい体に優しいらしいので、地肌にもみこんでも大丈夫です。で、そのうえにサランラップを巻いて、汚れてもいいタオルを巻いて、さらにシャワーキャップをかぶって、一晩寝ました。ちょっと寝にくかったけど、でもOKでした。

朝、シャワーで流して、乾かしたら、ちゃんと染まっていました。白髪は赤く、茶髪に染まっていたところも濃いバーガンディー系の茶色に。自然なハイライトになって、いい感じ。かなり気に入っています。

ヘナは自然の色が赤系なので、黒っぽくしたいときは、お湯じゃなくて紅茶とかコーヒーで溶かすといいそうです。あと黒くしたいときは、一旦ヘナで染めてから、インディゴ(藍)で染めるといいと書いてありました。藍では、通常は髪を染められませんが、一旦入ったヘナを染めることによって、黒っぽくできるそうです。そんな面倒なこと私はしませんが。

Lushで買ったキューブは4個で22ドルだったかな?自分でやると1回につき6ドル以下でできるというわけです。市販の髪染めより安いし、トリートメントにもなるし、なのでもちろん髪にもいいし。意外と簡単だったので、私のように白髪を染めたい人にはお勧めです。美容師の友達に聞いたら、ヘナで一度染めてしまうと、普通のカラーは入りずらくなり使いづらいそうですが、ずっとヘナで染める気ならいいのかも。

ただヘナはアレルギーの人もいるので要注意です。うちの父がアレルギーらしくて、頭部が赤く顔がはれぼったくなってしまったことがありました。