ウサチーロのとりあえず日記 Part 2

日々の記録および3人兄弟の成長日記。

先週から今週にかけて

2011-02-26 17:07:36 | 日常

先週は長男を皮切りに、子供たちがダウンしました。長男が幼稚園に行く途中に嘔吐で、その後熱で幼稚園を1日休み、2日目は一応行ったけど調子が悪そうでした。3日目にはほとんど治っていましたが。

 

その長男と入れ替わりで、次男が嘔吐開始。これが先週の金曜でした。のどが乾いたと言って水を飲みたがり、食欲もあるようだったのですが、何を口に入れてもすぐに全部吐いてしまい、ぐったり。そしてずっと抱っこしたがって、本当にかわいそうでした。日曜日も一日寝て過ごして、月曜日にやっと少しずつ飲み食いできるようになりました。

 

月曜日は祝日で私は仕事が休みだったのですが、いろいろ雑用があり、また夜から南米に出張でした。まだ完治していない次男をおいて後ろ髪が引かれる思いでしたが、仕方ない。次男は嘔吐が止まったと同時に、下痢が始まり、これも大変だったようです。完全にウイルス性の嘔吐下痢症だったようです。

 

そんな中火曜日に長男が幼稚園の水泳の授業に行く際にプールサイドで滑って(走っていたわけではないようです)、棚にぶつかって頬を切り、ERに。ERでも5時間待たされ、夫は本当に大変だったようです。そして木曜日はとうとう三男が嘔吐(しかし何故か一度で済み、後はちょっと食欲が落ちた程度で、基本的には大丈夫だったとのこと)。

 

子供3人小さいと、こういうとき本当に大変だと思います。男親の夫も大変だったと思うけどそんな中何もできなかった私もちょっと落ち込んでしまいました。

 

南米への出張自体は、ハードなスケジュールでしたがラッキーが続き、ミーティングもすべてうまく行ったので、仕事としてはよかったのですが。

 

月曜の夜行でブエノスアイレスに向かい、火曜の朝到着。ワシントンDCから出発だったのですが、直前に霙(みぞれ)が降り飛行機に氷がついて、出発も到着も遅れましたが、ブエノスアイレスは真夏で、蒸し暑かったです。ミーティング、ランチのあとはホテルに戻って、郵便局に行ったのですが、パスポートがいるだの、この封筒はだめだの、いろいろいちゃもんをつけられて、ホテルに戻ったり銀行でお金を下ろしたり、散々時間と手間がかかりましたが、無事終了。夕方からはホテルの近くの喫茶店で別のミーティング。ブエノスアイレスは金髪碧眼の人も多く、町並みも完全にヨーロピアンなので、南欧にいるような感覚がありました。

 

翌朝はチリへ。サンチアゴはからっとしていて、カリフォルニアと似ていました。ここでは忙しくて、迎えに来てもらって彼らの会社に行っていろいろミーティングをして、ランチ、更にミーティング、で気がついたら6時を過ぎていて、あっという間に終わってしまいました。夜はホテルで遅くまでメールチェックなどをしていて結局寝るのも遅くなってしまいました。

 

翌日はペルーのリマへ。話は長くなるので端的に言うと、結果的にはファーストクラスの座席が格安(エコノミーより安かったかも)で取れて、しかも4時間ほどのフライトなのに国際線のちゃんとしたシートとサービスだったので、とってもゆったりできました。ファーストはほとんどがらがらだったのでフライトアテンダントさんも親切で、居眠りしていたらお布団(あの安いブランケットじゃなくて布団ですよ!)をかけてくれたり、シートは完全に平らになるし、リマ到着前はペルーの海岸線がきれいに見渡せて、幸せな時間をすごしました・・・

 

その後ペルーで半日過ごした後空港に戻って夜行でアメリカに戻りました。ペルーはあまり治安がいいとは思えませんが、ずっと現地の会社の人と一緒だったので私はもちろん安全に過ごしましたが、空港に来ると日本人が沢山居て(クスコとかマチュピチュとか観光にいくのでしょう)うらやましかったなあ・・・私もいつか観光してみたいです。それと遠く離れた異国の地で日本人に会うとなんだか涙が出そうになります。ペルーは本当に日本びいきで、街中も日本で使っていたと思われる日本車が沢山走っているし、日本人は勤勉で優秀だと本当に尊敬されているようです。移民の苦労のたまものですね。また4月に大統領選があるらしく、あちこちに選挙の看板がありました。元フジモリ大統領の娘さんのケイコさんも立候補していて(勝算はあまりないようですが)、ある地域ではケイコさんの看板とサポーターの立てた「K」の看板が密集しており圧巻でした。

 

金曜の午後シカゴでまた別のミーティングがあり、フィラデルフィアに帰ってきたのは夜の10時前でした。

 

大変な日程でしたがペルーからも何故か無料でアップグレードしてくれたりしたので体はゆったり休めた感じです。自分で得だなと思うのは飛行機でよく眠れること。夜行に乗るとたいてい朝までぐっすりなので、着いてからも全然元気です。

 

3月はまた忙しくなります。最近どんどん忙しくなってきているような。でも最近春らしくなってきて気分もいいのでがんばります!


外国人と結婚した場合の改姓

2011-02-13 16:15:37 | つれづれ

日本では近年「夫婦別姓」を主張している人もいますが、私は結婚して姓が変わることは子供のころからの憧れでした。今考えると、自分の日本の名字は、特に珍しい名前ではないけど、子供のときは自分と同じ名字の人が周りに全く居なくて、それが何故か嫌だったのです。「斉藤さん」とか「鈴木さん」とかよくある名前に憧れていた、というわけです。ちなみに、下の名前も、友達は皆「~子」だったのに、自分はついていなくて、なんとなく嫌だった記憶があります・・・今は全然そうではありませんが。

 

結婚して姓が変わるのは、昔は当然だと思っていたけど、世界を見回すとそれほど多数でもない気がします。自分の身近な日本や英語圏の国が変わるから普通だと思っていたけど、スペイン語圏やヨーロッパの多くの国では結婚しても、妻の名前は変わらないところが多いです。

 

さて、国際結婚ではありましたが、相手が夫婦同姓のアメリカ出身だったので、結婚後晴れて姓が変わった私ですが・・・一方で、「日本ではカタカナの名前は嫌だ」というこだわりもありました。周りが漢字なのに自分だけカタカナなのも変だし、日本人なのに「シンプソンさん(仮名)」とカタカナ名を呼ばれたり、「マッキャラン美穂さん(仮名)」と混ぜて呼ばれたりなどは、とても違和感を感じていました。なので、結婚してアメリカでの名前は即夫の名前にしたけれど、日本の戸籍は日本名のままにしておき、パスポートだけ夫の名前を括弧で入れてもらいました。子供たちも、同じく、日本の戸籍は私の日本の旧姓を使っています。私は日本の会社に勤めていますが、相手が日本人のときは、旧姓(日本名)のまま、その他の国では夫の姓を使い分けてきました。

 

ところが!長男を日本語補習校に入れたときに、周りを見回してみたら、国際結婚のお子さんは皆カタカナ名をつけているようだったし、子供もアメリカに居て普段の生活では夫の名前なのに、日本の名前では混乱するかな、と思って、私もカタカナ名で登録しました。で、周りでは、まさしく上記のように「シンプソンさん」とか「マッキャラン美穂さん」などと呼び合っているのです。

 

それが私には今でもどうしても慣れないのですよね・・・日本人なのになんでカタカナ名なの?というのが根底にあるのだと思います。でよくよく見たら、国際結婚していても、自分の日本名で通している人も結構いるので、それなら私も補習校では日本名に変えてしまおうかな?と考えました。

 

でも1年間「ウサチーロさん」と呼ばれてきたのに、いまさら日本の名前で呼ばれるのも違和感があるのです。

 

まあこんなことどうでもいいことなんですけどね・・・ずっと頭の片隅で考えていることなのでブログに載せてみました。


母の滞在

2011-02-12 16:39:39 | アメリカの生活

先週、2週間半滞在していた母が日本に帰国しました。

 

1週目は私がロスアンジェルスに月から金まで出張があったのをその間、家で手伝ってもらったのでとても助かりました。普段私は出張前に子供たちの食事の準備をしていっているのですが、それをしなくて済んだというだけで大いに助かりましたし、夫も子供の送り迎えの際などに下の子供たちを家で見てもらえただけでも助かったと思います。もちろんその他子供たちも沢山遊んでもらって世話もしてもらってよかったのですが・・・

 

2週目はあわやオーストラリアに急に出張?という可能性も出たのですが、結局延期できそうだったのでやめて、出張がなかったので少しは母と過ごすことができました。仕事の途中に母をおろしてアウトレットモールに行ってもらったり、教えてもらった韓国スパに行ったり。韓国スパは、「ここはアメリカではない!」と思えるほど「外国」のムード一杯でした。皆に韓国語だか中国語で話しかけられてちんぷんかんぷんだし、周りの人も明らかにアメリカ人ではありませんでした。久しぶりに銭湯みたいな大きなお風呂に入れたし、10年ぶりくらいにあかすりをやってもらって、岩盤浴も少しやって、私は大満足でした。

 

母の滞在中は雪も何度かありあまり外には出られないときもありましたが・・・三男の1歳のバースデーも見守ってもらいよかったと思います。私が在宅中も、洗濯などの家事をいろいろ手伝ってもらったので、普段より睡眠時間が増えて、体調がよくなった感じです。

 

母が帰ってしまうといつもめそめそ泣いている「ばあば命」の長男ですが、来月私の日本出張に連れて行く予定を立てていることもあり、今回は大丈夫だった様子。それと文明の利器「スカイプ」もあるので「ばあばとスカイプすればいい」というようなことも言っております。私も母が帰るときに一緒に空港に行って出張に旅立ち、その後忙しくしていたのであまり寂しさを感じずに済みました。

 

ほんとアメリカに住んでいるのはいいけど、もっと日本と近いといいのですがね。西海岸から日本への直行便で往復したりすると、その近さに驚愕します。サンフランシスコのあたりに住んでいたときは、それでも遠いと思っていたけど、いまや直行便がない、東海岸の町に住んでいると、やはり大きな違いです。サンフランシスコには近い将来、再度異動する可能性もあり、日本に帰るのが楽、日本の食べ物も気軽に食べられる、などはいいな~と思いますが・・・ほかにいろいろ理由がありやっぱりフィラデルフィアのほうが住むのはいいなと感じています。