考えるための道具箱

Thinking tool box

◎finalvent氏の『考える生き方』は、真似できるのだろうか。

2013-02-23 21:49:40 | ◎読
ひさしぶりに時間があいたので、午前中に、例のfinalvent氏の『考える生き方』を一気に読み終えた。たくさんの読みかけの本を措いてまで、これほど短時間に一冊に集中することは最近では珍しい。それだけ、感じるものがあったということだろう。

『考える生き方』とはこれまた大層な書名であり、人によってはよくあるベストセラー狙いの偽人生哲学書として認識されてしまうおそれもありそうだが、本書に限っては、おそらく、これ以外の書名はつけようもない。これほど正確に体を表した名もない。終始語られているのは、「考える」⇔「生きる」、つまり「知」を使えるものとして「実践」してく理想的な姿だ。

finalvent氏は、とにかく考える。とにかく学習する。難局・難題・未知に直面したとき、その根本原因や解法や構造を独学で解明していく。それは、仕事上必要となる半導体技術、電子工学やプログラミングの知にとどまらず、自身が巻き込まれた民事裁判や病気を正しく把握し立ち向かうための知から、数年間住むことになった沖縄の風土・風俗・自然の知、果ては育児の知にまでおよぶ。ただ問題解決のためだけではなく、自分に起こった事象、自分が選んだ選択肢を、さまざまな知を動員し分析し、構造化し、体系のなかで納得というか折り合いをつける。

きっと、何かが起こる都度、本人は、ああ困ったなあどうしよう、と焦燥したり愕然としたりもしているのだろうけれど、外から見るぶんには、この地にある限り(もしくは人間が作ったものである限り、人類がここまで長く生きながらえているという現実がある限り)必ず解法は存在し、存在しないまでも少なくとも「あいまいな不安」を取り除けるという確信ある実践をたんたんと繰り返し、そのことで都度、豊かさを獲得しているように見える。

ここで容易に想像できるのは、finalvent氏の学びへの全幅の信頼、世界はすべて知の引き出しであるという視座に他ならないが、ただそれだけでは、ここまで知識・思考は連鎖しない。

想像にもうひと捻り加えてみよう。彼が無意識のうちに自分自身とその人生をも「研究の対象」「被験の対象」として捉えているのではないかということは言えないだろうか。そして、そのことの効能、つまり自分を客体化し研究してみることの効能を、その研究をもって証明できた。この考えは失礼だろうか。

たとえば、彼の弟が訴訟問題にまきこまれたときも

「こうした難題に直面すると、またしても、何か学問的に正しい対応というのがありそうな気がしてくる。さて、今度は法学?これも経験だから、ひとつ裁判とやら、やってみますか」(P59)

といった感じで(軽やかに)、まずその道に強い弁護士を自助で探し、探しはするものの関連書類などは自分で作成してしまう。まるで患者に対し適切な処方をあれこれ思い巡らせる冷静な医師のような対応だ。子どもに評価の高い育児法を投入してみるのも、家族のためにパンを焼くという習慣を続けるのもの、どこか最良の家族をつくるための研究のように思える。もちろん間違ってもただ冷徹に反応を見るような研究ではなく、その「新しい知」を投入することでくらしが(わくわくした方向に)好転するんじゃないかという仮説~証明が前提になっており、その多くが成功しているように思える。

自分を研究対象として見て補助線となる知、対立軸となる知を、ある程度の蓋然性をもって、どんどん投入してみて、その結果に了解する、というのは、知識の量という面でも習慣という面でもかなり難しいとは思うが、とても重要な分人手法ではないかと思う。

たぶんそれが原因ではないとは思うが、この自分を俯瞰的に見る立ち位置は、冒頭で語られる、finalvent氏の患っていたかもしれない「離人症のよう」な症状とシンクロする。

「テレビのお笑い番組とか見ていて、「ああこれは面白いな」と理解する。だが、「面白い」という感情は出て来ない。自分がその感情を所有している実感がないのだ。「これは面白いのだろうと理解している」という認識だけあって、「面白い」という感情が、ない。」(P17)

離人症はDSMによると「自分の精神過程または身体から遊離して、あたかも自分が外部の傍観者であるかのように感じている持続的または反復的な体験」という定義を持つ。精神障害であることはいったん忘れ、この定義の言葉だけを取り出してみたとき、人間にはこのような思考が有効に作用する場合も多いのではないかと思う。しかし、そのときはやはり、「感性」に、「知性」「理性」が先立っていなければ状況をうまく分析し処方できないのだろうとも思う。

こういった下手な解釈はおいておくとして、『考える生き方』は、この世界は角度を変えて見れば捨てたものはないいうことを、その角度をたくさん見せながら楽しませてくれた。個人的には、「沖縄で考えたこと」「病気になって考えたこと」そして「勉強して考えたこと」の中のリベラルアーツの正しい解釈がとくに面白かった。そして、じつはfinalvent氏のテキストは紙に縦組みのほうがしっくりくるのではないか、とも感じた。

ひとつエクスキューズをつけるとすれば、finalvent氏の頭の良さは比類なく、その点で誰もが「考える生き方」を送れるわけではなないということだろう。そう、ICUで大学院まで行って、英文技術書のテクニカルライターやって、日々Webを通じて海外の情報を手に入れている、そんな人は、「いつまでたっても英語が苦手」な人ではないっすよ。

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1 コメント

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ラボラトリーメソッド (Unknown)
2013-02-24 07:52:11
ラボラトリーメソッドもこんな感じかな。

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