考えるための道具箱

Thinking tool box

◎佐々木敦の『絶対安全文芸批評』。

2008-03-03 21:33:42 | ◎読
ちょっと最近は話がストレートすぎるな。しかも生硬だ。なんかダメだ。ほんとうは、もう一段上のところからみて、身軽にひらりとやさしくのりこなせないかな、と思う。もっと、いろいろと……って、何日か前に書いたじゃん!!しかし、このことを再び思い知らせる本が出た。佐々木敦の『絶対安全文芸批評』。装丁なども含め、「軽さ」にあふれている。しかし、その軽さは80年代の浅慮で軽薄なものとはひと味ちがう。原理に拘泥することなく、それがだめならこれ、これがだめならあれとどんどん出てくるカード。そういった意味でのフットワークの軽さだ。もちろん、これは佐々木の悟性と感性と拠り所と筆力に負うところが大きいが、いっぽうで、ゼロ年代に入って、あきらかに前世紀末とは異なる文学の「多彩な確かさ」のようなもの(もちろんすべての小説が確かさを取り戻しているというわけではないが)の影響もあるのではないか。

考えてみれば、阿部和重以降の文学について、概括した文芸批評集は、これまでトンデモ本のようなものしかなかった。そこで無理やり試みられた体系化や構造化のようなものは、キンキンになって格好はつけてみたものの、少ないファクトと独善的な誤読、網羅性の欠如により明らかに破綻していた。そんな停滞を横目に、ほんのジョークのようにだされた『絶対安全文芸批評』は(というより佐々木敦のけっして派手ではないこの数年間の批評活動は)、少なくとも、「まず大量に読む」というアプローチその一点だけでもほめ称えられるべきじゃないだろうか。そして、闇雲に非難するのではなく、まず評価してみる(褒める)という態度から、生まれる批評はこんなにも建設的で次代のヒントにあふれているのだ。

くりかえすけれど『絶対安全文芸批評』は見事であり、佐々木敦の「文芸誌好き」という趣味、というか姿勢の表明におおいに組みする。重い話を軽くさばく。しかし軽さのなかにさりげなく埋め込まれている重量級の想い。経験にとらわれることのない柔軟なパースペクティブ。しかし、経験がものをいう広角な守備範囲。そこに散りばめられた語彙は、たとえテクニカルなものであっても、けっしてスノッブにみえることはない。ときに挿入されるのは、小説への愛着のあるやさしいひとこと。文芸誌の外から書いているからという理由で「絶対安全」と称している、この相対化こそが、『絶対安全文芸批評』の確かさを担保している。いまこのよくわからない時代において、召喚の可能性が見え隠れする「文藝」を詳解する本としてその試みを手放しでほめたい。なんだかテンパって足踏みしていた(けっして文芸担当ではない)批評家がきまり悪くみえてくる。
この本についてはいずれもうすこし手厚く考えてみる。どうやら『エクス・ポ』を買わざるをえない雰囲気になってきた。

そのほか、亦候・無闇・矢鱈と本を買い込んでしまっているので、読むんの忘れんようにメモだけ。あいだに『ウェブ時代5つの定理』みたいな本が入っていくると、いちおう決めてはいる順番のようなものがよれよれになってしまう。

[01]『絶対安全文芸批評』佐々木敦(INFASパブリケーションズ)
[02]「生の一回性の感覚」加藤典洋(文芸時評・朝日新聞0227)
[03]『視点をずらす思考術』森達也(講談社現代新書)
[04]『蝶のゆくえ』橋本治(集英社文庫)
[05]『知識デザイン企業』紺野登(日本経済新聞社)
[06]『成熟と喪失』江藤淳(講談社文芸文庫)(古)
[07]『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ(集英社文庫)(古)
[08]『ヘーゲル「精神現象学」入門 』加藤 尚武(有斐閣選書) (古)
[09]『デジタル類語辞典第5版』
[10]『ペット・サウンズ』ジム・フリージ/村上春樹(新潮クレストブックス)
[11]『ティファニーで朝食を』カポーティ/村上春樹(新潮社)
[12]『ユリイカ 3月号 新しい世界文学』(青土社)

▶ときに暴走するトンデモさ加減は脇に置いといて、加藤典洋の文芸批評にまつわるコンセプトの立て方は[02]においても、あいかわらずキャッチーである。今回のテーマは「(文学とは)生の一回性の感覚」。筒井康隆の狂気『ダンシング・ヴァニティ』、穂村弘の『短歌の友人』、東浩紀の一連の(非)干渉(「小説と評論の環境問題」、『ゲーム的リアリズムの誕生』)を軸に。ちょっと思うところもあるので抜書きメモだけ。なかにある「棒立ち」の感覚というのがちょっとよくわからないので穂村の原典にあたること。
(※佐々木敦からの流れで読むと、トンデモ批評家の正体は加藤のように読めてしまうが、そんなことはない。着地は別として加藤のアプローチは信頼に足る)

「(映画ソラリスでは)死の不可能性が逆に死の意味をありありと感じさせる……」
「反復によって笑いのめし打ち消した果てでなければもはや『生の一回性』の哀切な表現は、言葉では作りえない……」
「『たくさんのおんなのひとがいるなかで/わたしをみつけてくれてありがとう』(今橋愛)。穂村はこんな若い歌人の歌をあげ、この歌は『殆ど棒立ちという印象』だが、その『過剰な棒立ち感』にいまは『奇妙な切実さや緊迫感』が宿っている、と言う。「棒立ち」とは想いと『うた』の間にレベル差がないこと。その背後では世界観が素朴化し、『自己意識そのものがフラット化している』。……」
「物語内での読解ではなく、物語外の関係性を含んだ環境的な読解へと進み、ゲーム的リアリズムともいうべき第三の読解のレベルを作り出さなければいま広義の文学で起っている『生の一回性』をめぐる先鋭的な試みは取り出せない。」


▶[03]は一気に読み終えた。森達也を読むのはじつは始めて。九条二項の話などは、文化遺産にするという話より、蓋然性が高いと思われた。しかし、耳を折ったのは残念ながらそこだけだった。▶[05]の考え方をもとに、ながしかのビジョンを明文化していきたいと考えている。紺野の考えとは多少なりともズレがあると思うけれど「知識デザイン企業」という、ワードは、なにかワクワクするものを想起させる。▶[07]はなにも河出の世界文学全集版がでたばかりのいま買わなくてもいいんだけどね。▶待望の[09]。これによりさまざまの遅滞がおおきく改善する模様。これほど確度の高い類語辞典は、リアルの辞典では発見できない。▶よくわからないけれど、村上春樹の訳文がとっても馴染んでいるような錯覚を受けるのが[10]。まさに村上春樹の良質な音楽エッセイのようだ。“I Know There's An Answer”と“Hang On To Your Ego”の関係なんかがわかってなかなか面白いんだけれど、でもきっと村上春樹訳じゃなかったら読まなかっただろうから、またまた彼に感謝しなければならない。▶その日たまたま『バートルビーと仲間たち』が書店で見当たらなかったので、とっても見当たりやすかった[12]を一連の村上春樹とあわせて落手。徳用が充満していて、たいへんパフォーマンスが高い。『ユリイカ』はこうじゃなくっちゃ。

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4 コメント

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Unknown (LIN)
2008-03-04 12:45:06
urayamaさんの記事を拝見して、私もジャングル社の
『デジタル類語辞典』買ってみようと思います。
urayamaさんの記事では第5版になってますが、
今度、第6版が発売になるのですよね?
これがはいっている携帯型電子辞書がないか
探してみたのですが、ないみたいです。
『角川類語辞典』か『日本語大シソーラス』になってしまうようです。
urayamaさんは最近、佐藤優をよく読んでいらっしゃるようですが
『私のマルクス』は読まれました?
私は今、読んでいるところです。
urayamaさんが記事に書いていらした柄谷行人との対談集(?)
『国家から社会へ―世界のシステムを読み解く』も気になります。
いつ、発売になるのでしょう?
>ああ、linさん (浦山隆行)
2008-03-04 23:49:25
どうもです。

類語辞典はいわずもがなですが、めっちゃ便利です。
これを使えば「めっちゃ」なんて貧弱なことばをつかわずにすみます。
たとえば、頗る とか。滅法 とか。
6版については残念ですが、でも、もし5版の価格がさがるのなら
それでじゅうぶんじゃないかと思います。
#
佐藤優はいいですね。「マルクス」については、
「文學界」に連載していたときにちょくちょく読んでました。
彼のマルクス観は『国家論』でもじゅうぶんわかりますよ。
柄谷との対談は3月の半ば以降だったと思います。
柄谷の「世界共和国」の考えに、佐藤が傾倒しているのでその話が中心になるのでしょう。
#
細かいところを見つけていただいてありがとうございます。
Unknown (htr)
2008-03-07 01:19:14
初めてコメント残します。が、ブログはよく拝読させていただいております。

森達也、大変気になっていました。以前、「世界が思考停止する前に」を読んで、こんなに「ずらした視点」でモノを見る見方があるのか、と感心していました。
その森達也が『視点をずらす思考術』とは、なんて説得力のある、と思っていたのです。

> しかし、耳を折ったのは残念ながらそこだけだった

とのことですが、私のような未熟者(笑)なら、色々と学ぶところがあるのかもしれません。読んでみようと思います。

いつも、深い示唆を与える言葉を、どうもありがとうございます。
コメントありがとうございます。 (浦山隆行)
2008-03-08 14:30:57
森達也については、きっとこの本のせいだと思います。
なにも、この本が良くないというわけではなく、
これまで彼がいろいろ発言してきたことの
まとめのような形になっているため、新鮮さが
なかったということだと思います。

『死刑』とか、すこし毛色は違いますが
『下山事件』(すこし杜撰という評価もありますが)
などを読むと、その視点に組みするかどうかは別として、
耳を折る(笑)ところも多かったかもしれません。

あんまりたいしたこと書いてないですが
今後ともよろしくお願いします。

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