そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月12日(金)

2008年12月12日 | 昔日記
 東京文化財研究所へ資料閲覧に行く。鶯谷で下車。お昼時なので、南口前の「公望荘」でせいろをたぐる。とても風情のあるお店だが…。さて13:00になる。東博の北辺を西行して研究所に到着。初めて訪れたが、すぐに見たい資料が出てきた。コピーをとって用が済んだ。

 夜の研究会まで少し時間が空いたので、床屋へ行く。そして18:00から早稲田のS寺で研究会。今日はS先生の研究発表をうかがった。十三代集の釈教の部における法華経歌の位置といった内容。勅撰集はやはり、配列論が重要だな。終了後、S先生、H先生、Oさんと4人で、S寺の真ん前にある「五郎八」に入り、私はにしん蕎麦を食べた。今日は蕎麦ばっかりの一日だった。

12月11日(木)

2008年12月11日 | 昔日記
 昨夜は遅くまで新宿で飲んだせいで、ふらふらである。眠い。午後、3コマの授業をこなす。博士課程の研究指導は、1月に学会発表するSさんのリハーサル。主旨はこれでよいが、資料の作り方などもっと工夫が必要であろう。修士の演習、学部の演習は、それぞれ丁寧な報告であった。

 18:00から組合の中央委員会。経済問題ではまたまたM委員長が演説を始め、出席者からもいろいろ発言が続く。ニュースに書いてあるような内容を繰り返すなよと、少々いらいらする。堪え性がだんだん無くなってきたかな。

 帰りがけには、やはり「太郎月」に寄った。「越乃景虎」と「無円相」を1杯ずついただく。鰤があるというので、刺身をもらう。昼はサンマの蒲焼弁当、夕食は煮魚がおかずの弁当だったから、今日は魚尽くしである。

12月10日(水)

2008年12月10日 | 昔日記
 11:00からカリキュラム委員会。お昼休みを挟んでの開催なので、弁当が出た。学部の論文指導に関して集中的に議論。次回は1月7日ですと。

 インターネット上に学期末レポートの課題掲示を行ない、提出窓口を作ったりしているうちに、外が暗くなってきた。今日はなんだか暖かい。

 神楽坂へ行き、「緑の豆」でコーヒーを買って、大江戸線で東新宿へ。18:30から異動されたY前調査役の歓送会が開かれるのだ。抜弁天近くの「イルピッチョーネ」というイタリア料理店が会場である。

 現前元三代の学部長、副学部長揃い踏みで、教務関係者も大勢顔を見せた。総勢20名ほどの大盛会。ちょっと分かりにくい場所にあるお店だが、A教務主任がお選びとのこと。よくこんなとこ知ってるなあ。

 Y前調査役は、学部再編の実務を担当された。いろいろいやなこともあったろうに、黙って誠実に仕事をこなしてくださった。だからこそ、こんなにも人が集まったのだ。お人柄である。今度は学生寮関係の仕事をなさるそうだ。ますますのご活躍をお祈りする。私の音頭で三本締めにてお開きとなった。

 元学部長のT先生は、私が補佐役としてお仕えした方だが、現在は常任理事、そしていつも組合の団交の相手だ。二次会は「どん底」へ行く。T先生の教え子がアルバイトしているそうだ。それから、もう1軒とのたまふので、新宿駅東口直近のビアホールへ、閉店間際に駆け込んだ。結構遅く帰宅。

12月9日(火)

2008年12月09日 | 昔日記
 パートナーと子どもっぽい喧嘩をした。ふてくされて痛風の病院へ行く。先月は体重が増えたので、検査結果は当然はかばかしくない。

 大学へ。12:10から教員組合の職場会。職場議長に執行委員2名、その他の参加者はたった2名で、書記局からの1名を加えても全部で6名の出席とはお寒いかぎりだ。13:00までに、ものすごい数の議題がある。要するに、執行委員会の方針を支持してもらえればいいというわけだが、参加の某教授からいろいろ意見も出た。木曜の中央委員会も参加者数が心もとない。組合には「通過」という変な制度があるが、民主主義にとっては退廃である。組合も末期的症状だな。

 大学院の講義を終えたNさんが研究室にやってきて、K助手を交え本文データの確認作業を進める。17:30過ぎにはMさんも現れ、3人で延々と作業を続けた。明日、報告書を入稿の予定である。1月30日までに納品してもらわなければならないのだ。しかし、この作業をしていると、蒙気がきざしてくる。

 終了後、K助手と「紅閣」で食事をする。雨が降っているので、地下鉄駅直近の店で食うにしくはない。駅のホームでA教務主任と一緒になった。遅くまでご苦労さまだが、彼は夜学の教務主任を兼ねているから仕方ない。私も夜学の教務主任を務めたが、副主任としょっちゅうタクシーで帰宅し、顰蹙を買ったものだ。明日はカリキュラムの委員会、夕方からは職員の歓送会で、A助手とはまたご一緒する予定だ。

12月8日(月)

2008年12月08日 | 昔日記
 朝一番の演習は、発表予定者が現れない。あと1人なんだが、知らないよ。メールしたんだけどなあ。ハガキでも出すかな。

 「たかはし」で刺身定食を食べて、教育学研究科の授業に行く。その後、図書館で調べものをしてから、大学本部の建物に入り、教職員食堂?でコーヒーを飲む。食堂では、庭園をスケッチしている熟年の集団が…。大学のカルチャーセンターの授業なのだろう。

 16:30過ぎから、大学本部棟の部屋と上海の事務所とを回線でつないで、中国人の留学志望者のTV面接を行った。こんなことがなされる時代になった、ときたもんだ。大学院教務主任のJ准教授と一緒に、1時間ほど面接を行う。少し画像や音声が乱れたが、大過なく終了した。

 早めに夕食を摂ってしまおうと「AMA」に寄る。子どもを卵で産みたいの名言?で知られる某女優さんが、お客でおいでになっていた。この女優さん、たしか現在わが大学の院生だったはず。院生らしき男性2人を相手に。酒飲んで喋りまくっていらっしゃる。私はマトンカレーを少し辛めにしてもらった。

 夜学の講義は、この前書いたばかりの原稿をネタに話したので、今日はうまく行った。それにしても、細かい話に行っちゃったなあ。とても「概論」とは思えないぞ。「特論」か「特殊研究」とでも称するのが適当かも。まあ、あと数回で、それなりに「概論」っぽくでっちあげることにしよう。

12月7日(日)

2008年12月07日 | 昔日記
 11:00から京都で研究会。阪急電車で河原町まで行き、錦の市場で買い物をする。いつもの山椒や、研究会へ持って行く豆大福などを仕入れる。三木鶏卵で出汁巻き、昼食用の鯖寿司も買う。

 地下鉄で北大路まで行って、バスに乗り、B大学のK研究室に到着。私は2番目の到着だった。18:00過ぎまで延々と輪読を続けた。

 帰りの新幹線は19:02の指定を取っていた。間に合わないのではとひやひやしたが、北大路までタクシーで乗り付けて地下鉄に乗ってしまえば、京都駅はすぐである。20分くらいの余裕で、駅弁と酒を日本酒を買い、土産は千円の赤福にした。名古屋の土産と一緒である。

12月6日(土)続き

2008年12月06日 | 昔日記
 インターネット路線案内の時間通りに新幹線、在来線、私鉄線と乗り継いだら、せわしないことせわしないこと…。学会会場校最寄り駅のホームに降り立つと、大学院の先輩である広島のIさん、K大のY先生、府立大のT先生ご夫妻がいらっしゃった。一緒に歩いて会場へ。

 受付で記名をして、懇親会を申し込む。関西のこの学会では、研究発表の後、懇親会が恒例となっている。関西学界の大立者、K先生も会場にお見えになった。

 最初の発表者がウチの院生Hさんだ。研究発表は3本だが、Hさんは堂々と発表した。質疑では、M先生からひどく厳しい発言が出たが、落ち着いて反論した。要は壇上でオタオタしないことが大切なのだ。その意味では、合格点であろう。後の二人の発表より、どう見ても一番出来はよかった。面目、面目。

 2番目、3番目の発表では質問をした。質問の仕方が悪かったのか、満足な答えは得られなかった。3番目の司会は、ウチのK助手が務めることに。K君、質疑では最初からM大先生を指名するものだから、冷や汗をかいた。本当は会場に来ていたWさんを指名すべきだが、こりゃいかんと助け舟を出すつもりで、つまらん質問をした次第。

 懇親会は近くのちゃんこ屋だった。隣が2番目の発表者だったので、いろいろお話しをする。大学は今娘の通っているところのご出身で、関西の大学院へ進み、現在は非常勤講師をなさっているそうだ。全員が一言ずつスピーチさせられる。4月にはK助手、今回はHさんと、2人の院生を関西で発表させていただいたが、2人ともこちらの出身であると説明した。HさんはM大先生から、学術雑誌への投稿を慫慂されたらしい。人脈を作ることが大切。懇親会には、先月東京で発表したウチの院生Oさんも出席し、にぎやかだった。

 梅田まで戻って、さあもう一杯と思ったが、Hさん、気分が悪くなったとのことで、K助手と一緒に介抱する。発表準備でいっぱいいっぱいだったのが、無事に済んでほっとして、そこにアルコールを入れがんがん話し掛けられては、目が回るのも当然だ。幸い少し休んだら回復したので、近くにとった宿まで送って行く。それから、K助手にホテルの前まで案内してもらった。K君は大阪の出身だから、実に心強い。いやはや、指導教授も疲れました。おやすみ。

12月6日(土)

2008年12月06日 | 昔日記
 父の命日である。昨日、近所の花屋からお供えを手配してもらった。毎年のことだ。ところが、届け先の名前が一字違うと、松江の花屋から言ってくるという。おかしいな、私の実母なんだけどなあと怪訝に思ったが、後で電話で聞いたところ、草書の略書体を別字と認識しているということらしい。やれやれ。

 これから関西へ学会出張である。父が亡くなった日も同じだった。同じく土曜日で、学会が終わった後、新神戸駅のホームで一瞬、これから松江へ帰ろうかなとの考えが頭を過ったが、やはり東京方面の列車に乗り、家に着いたら息を引き取ったという連絡が入っていた。虫の知らせというのは、本当にあるものなのだ。

 大阪で1泊し、明日は京都で研究会に出席するので、そのための資料と、最低限度の着替えとしてシャツ・靴下・褌と手拭をバッグに入れる。褌を愛用するようになって、荷物がかさばらなくなった。PCを持ってもたいしたことはない。

12月4日(木)

2008年12月04日 | 昔日記
 校務出張のため大学院の授業は休講。夕方の演習は、もう一人の担当者と日程調整を行った。予想より早く解放されたので、大学へ。2時間ほど仕事をする。

 U君が研究室に居たので、つかまえて少し話をした。修士課程の研究指導の時間がなかなか取れない。前期に1回、個別面談をやったが、またやらないといけないかな。昔の院生は放ったらかしでよかったが、今時はきっちり5年で博士論文を書かせなければならないから、大変である。研究指導は演習とコミになっているのだが、演習を履修するのは研究指導担当の院生に限らない。ここのところ忙しくて、指導教授としての務めがいささか疎かになっていたかもしれない。

 博士課程の院生Hさんから、土曜日の研究発表の読み原稿についてアドバイスを求めてきた。18:00から組合の執行委員会なので、帰宅してから対応すると断りを入れておく。急いで教組へ移動。

 委員会は18:10から始まった。今夜の弁当は、「川勇」の鰻重、肝吸い・お新香付きであった! 来週、中央委員会が開かれるので、そのための準備が中心。その他、大学への申し入れ事項がいろいろ出てきた。副委員長が、学部長会についてあれこれ言い始めたので、教務主任・副学部長として陪聴した経験に照らし、少しご説明申し上げた。

 中央委員会への出欠の返事が集まらないという。所属区の中央委員への督促は私がいたしますと、同僚執行委員のJ教授に申し上げる。J教授は今年着任されたばかりなのに、執行委員をさせられてお気の毒だ。しかし、帝国大学から移って来られたので、帝大の事情を詳しく教えてくださる。勉強になることこの上もない。

 執行委員は意外と早く終わったので、ついつい「太郎月」に寄る。常連客の、朝鮮動乱の年にお生まれになったというお姉様は、今夜はお見えになっていない。カウンターのそのお席に座らせていただく。上喜元のお銚子を2本。今日は盃持参だ。若山牧水遺愛の盃の復刻品?で、底に「お茶」と書いてある。女将は大笑いだ。鰻重食ったので、板わさを注文。大将が〆鯖の尾っぽのところを焼いたのを出してくれた。実に美味。小1時間でさっと切り上げる。お勘定は2,500円也。明日はボーナスの仮支給日だ。

 帰宅したら、Iさんから泣きそうな電話があったとのこと。メールチェックすると、いくらなんでも原稿を出せとの最後通告である。担当の10頁分はぴったり書き上げてあるのだが、どうにも気に入らないところがあって、ずるずると締切を2ヶ月超過するも、出せないまま大変なご迷惑をかけている。もう限界。すぐ送ることにする。

12月3日(水)続き

2008年12月03日 | 昔日記
 そうそう、あのよさげな豆屋さんは、雛あられが絶品なんだと「うつわや釉」の女主人からうかがった。時節になったら買いに行ってみよう。

 研究室でPCに向かっていたら、もう17:30である。麻布十番のお稽古事に向かう。今日は公演の反省会。いろいろ問題点も指摘されたが、A師匠が最後に総括されたように、I社長の朗読、Nさんの女流講師、Hさんの講師が今回の圧巻であったとは、衆目の一致するところであろう。

 帰りがけにムーミン大学のお二人とEさんと4人で、「もち玉」で軽く飲む。隣席がフランス人の男性二人連れだったが、会話が半分ぐらい分かった。「もち玉」のフロアのお姉さんは、溌剌としていて愛想がよく、タイプであると言うと、ムーミン大学勢に冷やかされた。

 個人情報がインターネット上に流出した事件は深刻である。今日、何人かの同僚教授とそのことについて話題にしたが、どんどん興味本位に扱われて行き、指弾されること必至である。最終的には学生部長の所管ということになるのかな? 大変だなあ。

12月3日(水)

2008年12月03日 | 昔日記
 卒業論文の仮指導日である。学部3年生に卒論指導教員が初面談する日なのである。10:00開始なので、研究室へ行く。なにしろ私は、ウチのコースで一番人気の無い教授だから、卒論の担当学生も申し訳ないほど少ないのだ。昔からよく知っている学生が多く、初めての人もそれなりにスキルは身に付いているようだった。

 一人40分くらいずつ話をした。皆私の専門領域のテーマなので嬉しくなる。大学院への進学希望者もちらほら。心強いことだ。

 昼食は神楽坂へ蕎麦を食べに行くことにした。牛込中央通りを下っていく。「志ま平」は混んでるみたいだったので、すぐ前の「生粉打ち亭」に入って津軽蕎麦セットというのを頼んだ。しかし、この辺は蕎麦屋ばっかりだな。おやおや、「うす沢」もこの近くに移転したのか。よさげな豆屋を見つけたので、落花生を少し買った。

 パートナーの粗相のため私の御飯茶碗が割れちゃったので、「うつわや釉」へ寄る。志野風のどてっとしたのを選んだ。お茶を一杯いただいて、研究室に戻る。落花生を食いながら、報告書のまえがきを書いていたら、PCの周りが殻や薄皮ですっかり汚れてしまった。

12月1日(月)

2008年12月01日 | 昔日記
 ああ、12月になっちゃったなあ。12月は月曜に休日が引っ掛からないから、落ち着いて授業が進められそうだ。

 朝1番の演習は、発表未済者1名の報告を聴く。もう1人、発表してないのがいるが、それで全員済んだことになる。レポートを出してくれれば、全員単位を出しちゃうつもり。授業は変体仮名の読みに突入する。

 ひと休みして、教育学研究科の授業へ向かう。途中「志乃原」で野菜天せいろを注文。教育学部のI教授がいらっしゃった。新書本を次々出して、大いに稼いでおられるご様子である。「志乃原」の天麩羅はカリッと美味いが、いも天は厚過ぎるよなあ。子どもの頃に食べさせられた、惣菜のいも天みたいである。

 「生協」でWさんの下読み用博士論文に付ける表紙を買う。ついでにプリンターのインクも買ったら、3,000円ほど払う羽目に。教育学部の講師控え室に行くと、受付のKさんがラスクをくださった。鯉の餌みたいだが、ありがたく頂戴する。

 教研の授業では、先週金土に開かれた学内学会大会の様子を話題にした。それから、Tさんの『紫式部日記』論を紹介。皆まだ読んでいなかったので、一読を勧める。

 研究室に戻ってWさんの論文に表紙を付け、K教授のメールボックスに入れておく。下読みを依頼した。パラパラめくっていたら、目次と本文の不一致を発見。結構問題がありそう。それから論文を書くが、なかなか進まない。

 今日は学部1年生の基礎演習は授業のない週である。課題は全員が提出してくれた。再来週までに全部読んでコメントを付けなければならない。8,000字の課題を30名分。間に合うかな? いざとなったら延期するかな。

 夕方、図書館のMさんがやって来て、K助手と本文比較データの点検を始めた。細かなところで、いろいろ問題がある。こんな調子で1月末までに報告書が出せるか心配になってきた。

 19:40からの夜学の講義でも、最初に学内学会の講演会の内容を話題にした。終わってから質問に来た女子学生さんの相手をしていたら、日本文学やサブカルチャーに関心があるとのこと。それなら近世文学なんかどう?と話したら、前期に演習を取ってました、浮世風呂とか、××という先生で…と言い出した。実はその人、私の妻なんですと言うと、驚いていた。奇遇、奇遇。レポートの提出が遅れたことを謝っておいてくださいと、伝言を頼まれた。(後でパートナーにこの話をすると、ああ、あの子ねとすぐに分かった)

 研究室にまだK助手がまだ残っていたので、食事に誘う。「すゞはん」で生牡蠣を食ったが、腹の足しにはならない。やっぱり「紅閣」でコムタンを注文。明日は組合は無いから、一日中家に籠って仕事ができそうだ。