そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月18日(水)

2008年06月18日 | 昔日記
 見計らいで取り寄せてもらった写本が届いたと連絡を受けたので、図書館に見に行った。こりゃいけません。なにが江戸初期写だ。18世紀の写じゃないか。がっかり。調査役に返品してよと申し上げる。お騒がせいたしました。NYのお土産にMetのロゴ入り鉛筆削りをいただいた。狩野探幽が広げてある。どうですか?とKさんに聞かれたので、いいみたいですねと答えておく。もっとも、私の持っている探幽は、絵じゃなくて古筆切の臨写なので、絵のことはよく分かりません。 

 14:00をちょいと過ぎて始まった定例教授会が終わったのは20:00少し前だった。A教授の予告通りである。しかし、いくつか大事な局面があったので、トイレに1度行ったっきり、久しぶりに真面目に付き合ったぞ。昼は「すゞ金」で燃料補給しておいたからね。ウルシー環礁まで飛んでいけそうな気分だった(二式大艇か?)。

 A教授、15:30やってきた学長に噛みつくこと予告の通り。昨日聞かされたのは、まさしくリハーサル。立て板に水で学長を追及する。見事なものだ。私なんかより余程教員組合の執行委員に向いている。いつも軍旗をひったくって、先頭を突撃する御仁なのだ。その後始末でで、A教授が目で合図をするものだから、私まで塹壕を飛び出して弾に当たるような仕儀と相成った。戦友は裏切れない。義を見て為ざるは勇無きなり。何のこっちゃ。

 大政翼賛会選挙は無事終了。結果は圧倒的。でも文句をつける人は、やっぱりあった。その後、私が基幹委員長として説明した提案も、予測通りの反応が出る。今回は継続審議にしてもらえばよい。

 さあ用は済んだぞ。17:30である。抜け出して麻布十番の御稽古事に行こうかなと荷物をしまい始めたら、A教授が帰るな!と合図を送ってくる。最後のほうで一山ありそうだと聞いている。仕方ないなと覚悟を決め、そうして紛糾議題に突入する。U教務主任の説明は至極丁寧だった。それをどう受け取るかは、もうその人の思想信条、いやいや人品骨柄の問題ですな。あまりにも変なことを言う御仁がいるので、少なくとも私には全く違和感がないと発言した。あるスタンスををとることに囚われているとしか思われない。思想家とは不便なものだ(文献学者は楽ちんだ)。私が調査した客観的事実?「客観的」が聞いて呆れるぜ。我々は大学教授である。個々が自己の責任においてアクションを起こせばいいはずだ。それに組織を巻き込むな。

 A教授、M教授と「すずはん」に行く。今日は3機編隊でだいぶ活躍したからね。この顔ぶれになると、まったくもって戦友会だな。軽く食事を摂るつもりが、ついつい盃を重ねてしまった。「めのは」が本当に美味しい。ここで炙っているのかと板さんに尋ねたら、そうではないという。どこの製品か、今度聞き出すことにしよう。「にほんばし島根館」で入手できるかもしれない。