そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月16日(月)承前

2008年06月16日 | 昔日記
 今週、月曜は4コマ入っている。朝いちの演習は予定の半分しか進まなかった。ついつい補足説明を始めちゃうのである。「正三位」をあなた、「せいさんい」なんて読まれた日には、放置しておけないもの。位階の読み方を試験に出しますからね。しい(四位)らないよ。だいぶ(大夫)難しいかも。

 式子内親王について発表した学生さんに、生年はいつなの?と意地悪な質問をする。久安5年(1149)と判明したのは、『兵範記』裏書を発見された上横手雅敬先生の手柄だが、小生も『定家小本』の記載を年齢注記と見るべきことを述べて、上横手説を支持したのであった。上横手先生からお手紙をいただいたもんね。というわけで、人名辞典などが最新の情報を反映しているかどうかを確認するには、式子内親王の生年の記載をチェックすればよいのである。しかしこのことが世に知られてからもう20年にもなるが、なかなか改められないものである。なお、ついでに藤原清輔の生年が1108年になっていたら、その文献はたいしたスグレものだ。

 昼はパートナーとAMAでカレーのランチを摂って、教育学研究科の授業に行く。夏休み前までの報告者を決定。自学部に戻ると、コース研究室にW君の姿が見えたので、亡き父上からその昔頂戴した古筆切を1葉お返しした。『拾葉和歌集』の序について発表していた時に、参考資料だといって頂いたもの。やはり坊ちゃんの手元に戻るべきだと思う。ご尊父はA女子大の学長までつとめた方である。

 W君を相手にくだらないお喋りをしているうちに、基礎演習の時間となった。夏休みの提出課題について仕込みを始める。次回発表者を募ったら、次々と手が挙がって、たちまち予定の5名が決定した。よい兆候である。

 一休みして先週の出席カードを付け込んだら、もう夜学の講義の時間。落ち着かない。1限の演習で話したネタとかなりカブった話をしてお茶を濁す。そろそろ試験問題を考えないといけないかな。

 帰路、地下鉄の中で留学センター長と一緒になった。政経の先生だが、そういえば昼間、道で政経のO先生に出くわしたな。2年間フランスへ行っていたのだそうだ。いいですなあ。当方、せいぜいNY1ヶ月である。次期組合執行委員候補者について、あちこちから文句が出ているらしい。ただし私のことではないらしいが…

6月16日(月)

2008年06月16日 | 昔日記
 昨夜は娘の帰りが0:00を過ぎたので、仕方なく車で駅まで迎えにいった。サークルの発表会だったらしいが、今年は1年生が50人も入ったのだそうだ。ずいぶん大きなサークルだな。娘はその副幹事長をしている。飲み会で潰れる1年生が多かったんで介抱が大変だったって、…おいおい、未成年に酒飲ませてはいかんぜよ。

 朝4:00に起きて朝食を作る。米をといで水加減をし、30分ほど置いておく間に、しらたきと豚肉を炒め、グリーンアスパラと玉蜀黍を茹で、わかめを戻して昆布酢で味付けをした。あとは出汁巻きでも作るか。

 月曜は朝1限の授業がある。8:30には大学へ着いてレジュメを印刷しなければならない。出が早いのだ。自分で朝食を作るしかない。今日の発表者は指定通りレジュメをインターネット上に提出してくれた。5限の基礎演習の配布資料も作ったが、課題を出してないのが4人いる。困ったものだ。

 先週抱え込んだ仕事はさっさと済ませた。懸案の原稿も約束通り仕上げて送信した。しかし研究会の発表が2つ、それに辞書の項目とかごちゃごちゃした仕事が山のように残っている。頭を抱え込んだら、博士課程の院生から論文が添付ファイルで送られてきた。おいおい、今晩中に添削せよというのかい? まあ仕方ないので直し始める。しかし40枚の論文を、短時間には直せはしない。しかしひどい文章だなとイライラしてきたら、前に送ったのは未整理の原稿だったと、またぞろ送ってきたのもだから、もうキレた。ああ、6月も半ばである。かくしつつ今年も暮れむ、と思ふこのごろだ。