そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月12日(木)

2008年06月12日 | 昔日記
 博士課程の研究指導は、歴史学専門のTさんに先週の続きの発表をしてもらった。参考になりそうな論文をご紹介する。それなりにお役に立ったらしい。S君はお休み。アメリカからお母さんがいらっしゃったらしい。

 修士の演習はU君の報告の続き。資料の作り方、文献の並べ方が悪いと苦言を呈する。あんまり強く言って落ち込まれても困るが、言うべきことは言っておかないと、外で勝負ができないぞ。

 5限、6限の授業は今週からもう一人の担当者にバトンタッチしたので、楽になった。5限は今週から修士課程院生の個別研究指導に充てることにする。今日はK君を指名し「Cafe Goto」に連れて行き、1時間ほど話をした。コーヒーとケーキ付きの研究指導だから豪勢だ。6限は学部生中心の研究会に最初から参加する。

 軽く食事に誘ったら、付いて来たのは3人だけだった。「AMA」でビールを飲み、あとはネパール・ラムにする。中国から来ているR君が、馬刺しを食ったことがないと言う。このあたりで馬刺しを出す店は、そうだ「すずはん」である。そこでR君だけを連れて件の店に入り、「たてがみ」と「赤身」を注文。見ると壁に「めのは」の品書き、島根産とある。フロアのおねえさん?に、島根のどのこ「めのは」なの? 片句?(「めのは」は板若布のこと。若布を板状に乾燥させたもの。軽く炙って食す。「片句」は島根産「めのは」の著名な産地。まあブランド名ですな)と尋ねた。

 おねえさんは板さんに聞いて来て、惠曇産だそうですとの返事。おお、惠曇の魚を、小生、幼少の頃から食べて育ったのだ。惠曇は松江の北方10kmほどにある漁港である。そこから毎日行商人がやって来て、魚介類を松江中の家庭に供給していたものである。惠曇には海水浴場もあって、夏にはよく遊びに行った。

 惠曇は「えとも」と読む。伊勢物語研究の泰斗、関西大学山本登朗先生のご先祖は、たしか惠雲の出だと伺った記憶がある。雲州には難読地名が多い。「出雲郷」なんぞはあなた、「あだかい」と読む。誰も読めはしまい。