朝いちの演習は、前期の発表にようやく一段落がついた。教場試験をするので、あと2回で補足的な講義と後期の仕込みをしなければならない。演習後、郵便局へ行く。先週土曜の学会の資料を、京都と福岡にいる研究仲間に送る。井上宗雄先生には佐藤文香嬢の句集『海藻標本』をお送りした。お昼はパートナーが財布を忘れたというので、一緒に「五郎八」で蕎麦をたぐって、私が支払いをした。あと1万円くらいしかお金が無い。
教育学研究科の授業の前に図書館へ行き、Mさんに、土曜に取り違えた傘をお店に届けてくれるよう依頼する。「太郎月」は図書館のすぐ近くにある。飲み屋は夕方からしかやっていないからね。3限の後は研究室に戻って仕事をした。今日は基礎演習を実施しない週である。仕事はかなりはかどった。そうしていると、S君から突然電話、ご長女が今日、無事産まれたとのことである。第3子だからスムーズにいったらしい。体重を尋ねると、ずいぶんと大きい。待望の女児で、うれしさもひとしおだろう。
18:00を過ぎたので、「AMA」へ行き夕食を摂る。Uちゃんを誘ったが、ホームページの仕事で手が離せないという。また今度ね。フロアのお姉さんと世間話をしながら、チーズ入りほうれん草のカレーをナンで食す。雨が滂沱と降ってきたが、カレーを食べ終わった頃には小降りとなる。
19:40から夜学の講義。これもあと2回でけりをつけて、教場試験を実施する予定。だいぶ先が見えてきたぞ。いま12世紀の話をしているのだが、この時代が私にとっては最も面白い。前期に話した4つのテーマは、まあなんとか相互に強引に結びつけることができる。とはいえ、概論とは名ばかりで、かなりマニアックな内容かも。半期で概論というのもしんどい話である。
講義が終わったら、1人の学生さんに捉まった。いつも最前列で熱心に聴いてくれる人である。要するに進学か就職かで悩んでおり、内定はもらったが、大学院進学にも思いがあるという。こうしなさいと断定するわけにもいかないので、あやふやなアドバイスに終始。成功するか失敗するか、それはどのような道を辿っても一緒だろう。個々の境遇や条件も違うことだし。まあ食べたいと思った時にトンカツを食える程度の暮らしが目指すべき目安じゃないかななどと、どこかで聞いたような話をした(う~ん、その程度の経済水準は確保したが、いつも寿司―回転寿司ではない―を食える身分にはついに到れなかったなあ)。私自身は大学院の博士課程を2年で中退した。正真正銘の中退者なので、履歴書に「博士課程修了」だとか「単位取得退学」(もっとも私のいた博士課程は単位なんかなかったけど)だとか、あいまいなことを書く余地はない。そしてそのまま高校教師になったけれど、既に院生の時に結婚していたし、それは主として生活のため選択した道だった。生活基盤の確立ということも、大切なんだと思う。何かを選び取るということは、その他のものごとを捨て去るということでもある。でも、人文学のへっぽこ学者をつかまえて、人生相談されても本当に困んだよね。なにしろ当初から、「身をえうなき者」に思いなしているんだから。
教育学研究科の授業の前に図書館へ行き、Mさんに、土曜に取り違えた傘をお店に届けてくれるよう依頼する。「太郎月」は図書館のすぐ近くにある。飲み屋は夕方からしかやっていないからね。3限の後は研究室に戻って仕事をした。今日は基礎演習を実施しない週である。仕事はかなりはかどった。そうしていると、S君から突然電話、ご長女が今日、無事産まれたとのことである。第3子だからスムーズにいったらしい。体重を尋ねると、ずいぶんと大きい。待望の女児で、うれしさもひとしおだろう。
18:00を過ぎたので、「AMA」へ行き夕食を摂る。Uちゃんを誘ったが、ホームページの仕事で手が離せないという。また今度ね。フロアのお姉さんと世間話をしながら、チーズ入りほうれん草のカレーをナンで食す。雨が滂沱と降ってきたが、カレーを食べ終わった頃には小降りとなる。
19:40から夜学の講義。これもあと2回でけりをつけて、教場試験を実施する予定。だいぶ先が見えてきたぞ。いま12世紀の話をしているのだが、この時代が私にとっては最も面白い。前期に話した4つのテーマは、まあなんとか相互に強引に結びつけることができる。とはいえ、概論とは名ばかりで、かなりマニアックな内容かも。半期で概論というのもしんどい話である。
講義が終わったら、1人の学生さんに捉まった。いつも最前列で熱心に聴いてくれる人である。要するに進学か就職かで悩んでおり、内定はもらったが、大学院進学にも思いがあるという。こうしなさいと断定するわけにもいかないので、あやふやなアドバイスに終始。成功するか失敗するか、それはどのような道を辿っても一緒だろう。個々の境遇や条件も違うことだし。まあ食べたいと思った時にトンカツを食える程度の暮らしが目指すべき目安じゃないかななどと、どこかで聞いたような話をした(う~ん、その程度の経済水準は確保したが、いつも寿司―回転寿司ではない―を食える身分にはついに到れなかったなあ)。私自身は大学院の博士課程を2年で中退した。正真正銘の中退者なので、履歴書に「博士課程修了」だとか「単位取得退学」(もっとも私のいた博士課程は単位なんかなかったけど)だとか、あいまいなことを書く余地はない。そしてそのまま高校教師になったけれど、既に院生の時に結婚していたし、それは主として生活のため選択した道だった。生活基盤の確立ということも、大切なんだと思う。何かを選び取るということは、その他のものごとを捨て去るということでもある。でも、人文学のへっぽこ学者をつかまえて、人生相談されても本当に困んだよね。なにしろ当初から、「身をえうなき者」に思いなしているんだから。
山岡さんに似ていると言われたことがある(髪型と目?(笑))ざあ、でした。
「美味しんぼ」論については考えがあるのですが、大学で喋るわけにもいきません。