(南中郷駅)
JR常磐線南中郷駅の駅前に、地元出身の長久保赤水の顕彰碑が建てられている(北茨木市中郷町小野矢指238)。建碑は昭和四十五年(1970)。
南中郷駅
頌徳(長久保赤水頌徳碑)
(長久保赤水旧宅)
長久保赤水旧宅跡
長久保赤水が幼時を過ごしたといわれる旧宅跡(松月亭跡)である(高萩市赤浜3)。赤水は祖父貞永の屋敷で成長し、享保八年(1723)、二歳の弟や両親とともに赤浜村北原に移った。駅の近くに現在も立派な門構えの屋敷が残っている。赤水九歳のとき母が没し、父は後妻咸(みな)を迎えた。ところが、ほどなく父が没してしまい、継母咸は再婚せずに、ひたすら赤水の養育に力を注いだ。赤水はその期待に応えるべく学問に精進し、次第に頭角を現すことになった。
(北原墓地)
赤水旧宅跡からその前の道を五分ほど行くと、「従是東 贈従四位 長久保赤水之墓」と記した大きな石柱がある。ここが北原墓地の入口になる。この奥に広大な長久保家の墓地がある(高萩市赤浜955‐1)。
従是東 贈従四位 長久保赤水之墓
現代の我々が江戸時代に作成された正確な日本地図といえば、真っ先に伊能忠敬の地図が思い浮かぶが、伊能図は幕府が非公開としたため、江戸時代から明治初期に至るまで赤水の作った「改正「日本輿地路程全圖」(赤水図)が広く使われた。幕末、全国を旅した吉田松陰も赤水図を頼りにしていた。この地を訪れた松陰は、赤水の墓をお参りしている。
長久保赤水の墓
水戸前講讀官赤水長久保翁碑
(長久保赤水誕生の地)
北原墓地の前の道をさらに南下すると、赤浜の集落の中に長久保赤水誕生の地を示す石碑が建てられている(高萩市赤浜774)。
長久保赤水は、享保二年(1717)、多賀郡赤浜村(現・高萩市)の旧家に生まれた。長久保家は代々赤浜村の庄屋を務める家柄であった。
長久保赤水誕生地
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