(茨城県立歴史館つづき)
贈正五位小堀寅吉君墓
看板も案内もないが、茨城県立歴史館の旧茂木家住宅の裏に小堀寅吉の墓がある。
小堀寅吉は、天保十四年(1843)の生まれ。下野訓芳賀郡高岡村の出身であるが、幼時水戸に移って成長し、藩士谷忠吉の家従となった。文久元年(1861)、浪人有賀半弥らの外人襲撃の計画を知って、同志中村貞介とともにこれに加盟し、五月二十八日の夜、江戸高輪東禅寺の英国仮公使館を襲い、傷を負ってその場で自刃した。年十九。
寅吉の墓は、水戸市常盤原に設けられたが、その後その場所が水戸高等農業学校に引き継がれた。水戸高等農業学校は明治三十二年(1899)から昭和四十五年(1970)までこの場所にあった。同志であった前木新八郎の墓は常磐共有墓地に移されているが、どういうわけだか、寅吉の墓は変わらずこの場所に置かれたままだったということのようである。なお、水戸高等農業学校の本館は現在も茨城県立歴史館敷地内に保存展示されている。
旧水海道小学校本館
茨城県立歴史館敷地内に展示されている旧水海道小学校本館は、明治十四年(1881)に建築された、いわゆる明治洋風建築の一つである。
(信願寺)
信願寺
三十分以上、信願寺墓地を歩いたが、目当てとしていた所佐一郎(松平頼徳に従い、転戦中捕らえられて、慶応元年(1865)三月、磔刑に処された)の墓を発見に至らず(水戸市緑町1‐2‐1)。
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