史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

八王子 Ⅴ

2012年08月05日 | 東京都
(宗格院)


鏡覚院文英胤親居士(松本斗機蔵墓)

 千人町宗格院には、松本斗機蔵、粟澤文右衛門という二人の八王子同心が眠る。

 松本斗機蔵は、寛政五年(1793)、千人同心組頭胤保(たねやす)の長男に生まれ、幼少より学問を好み、塩野適斎の門に入り、のちに湯島昌平坂学問所で天文、地理、兵制などを学び、洋学を修めた。江川太郎左衛門英龍、渡辺崋山らと交わり、海外事情に通じ、開国を主張した。天保八年(1837)には水戸藩主徳川斉昭に対し、「献斧微衷」と題した上書を献じ、海防強化を論じた。天保十二年(1841)急逝。四十九歳であった。


誠友院定静自適居士(粟沢汶右衛門墓)

 粟沢汶右衛門は、享和二年(1803)、八王子同心組頭の家に生まれ、書道、剣道を塩野所左衛門に、槍術を原新七郎に学んだ。長じて八王子千人同心組頭の一人となり、日光勤番、江戸詰常役などを勤めた。慶應元年(1865)五月には将軍家茂を供奉して上洛した。息子金平は、箱館で土方歳三の配下として戦い、負傷して五稜郭で降伏。捕えられて信州戸田藩に預けられた。
 粟沢家の先祖は、武田信玄の家臣志村又右衛門麾下以来という旧家である。妹ふくが旗本津田大太郎に嫁いだ。その娘はつは、津田仙と結婚して、津田梅子を生んでいる。
 粟沢汶右衛門は、明治十三年(1880)、七十八歳で死去した。

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