史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

目黒 Ⅸ

2022年06月04日 | 東京都

(赤坂浄土寺墓地)

 浄土寺は赤坂四丁目に所在しているが、墓地は離れた場所にある(品川区荏原1‐1‐15)。

 

覺阿彌禅定門(達磨屋五一の墓)

 

 達磨屋五一こと岩本五一は、文化十四年(1817)の生まれ。江戸日本橋四日市町の書店主で、蔵書家としても知られ、蔵書印に「古今珍書達磨屋悟一」「待価堂」を用いた。大谷木醇堂と親しく、醇堂は「さして文字は無きも談話するに足るの大人」「自我流一流の書を能くし、戯れに画がき、狂詠を賦す」等と記している。子の左七(活東子)は「燕石十種」を編輯した。明治元年(1868)、年五十二にて没。

 

芳寛院殿勇誉心禅居士(初代 柳亭種彦の墓)

 

 柳亭種彦は、江戸後期に活躍した読本の作者。天明三年(1783)に幕臣の家に生まれ、本名を高屋知久、通称を彦四郎といって二百俵取りの武士であったが、唐衣橘洲などに師事して戯作の道に入った。俳諧、狂歌、絵画にも優れ、芝居を好み、声色も巧みであったという。代表作「偐紫田舎源氏」は、文政十二年(1829)から天保十三年(1842)の長期にわたって執筆され、三十八巻という長編となって多くの人に愛読された。しかし、天保の改革に際して幕府から発刊停止処分を受け、失意のうちに天保十三年(1842)に亡くなった。

 

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