史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「火はわが胸中にあり」 澤地久枝著 岩波現代文庫

2008年10月13日 | 書評
 竹橋事件からちょうど百年に当たる昭和五十三年(1978)に刊行され、それから三十年を経て文庫で復刊された力作である。あまり知られていない竹橋事件の経緯を、当時の口供書などを基に刻銘に解き明かした。事件前夜、近衛砲兵隊員を中心に叛乱の企てが練られるが、思うように同志が集まず、計画も遅々として進行しない。読んでいると思わずいらだちともどかしさが募る(携帯電話や電子メールがあれば、もっと話が早いだろうに!)。竹橋事件がわずか一日で鎮圧され、失敗に終わった要因としては①強力なリーダーが不在で、暴発後、組織的な動きが取れなかったこと②事前にことが露見して砲弾などの使用を封じられたこと③結果的に近衛砲兵が中心で、鎮台兵や近衛歩兵の協力が得られなかったことが挙げられる。また四つ目の要因を挙げるとすれば、単なる待遇改善を訴えたのか、民会の設立まで視野に入れた政策の転換を求めたのか、大義名分が判然としなかったことも付け加えることができよう。
 竹橋事件には多くの謎が残されている。その最大の謎が竹橋事件の黒幕と目される陸軍少佐(当時東京鎮台予備砲兵大隊長)岡本柳之助の存在である。澤地久枝氏は、口供書が沈黙している「空白の三日間」に着目し、そこに何らかの工作があったことを指摘している。岡本は事件後、嫌疑不十分ながら免官処分を受けている。
 岡本柳之助は、紀州藩の出身。紀州藩は明治初年、津田出が先頭に立って藩政改革を進めていた。既にこの頃、のちに全国に行われる徴兵制度の原型を作っていた。その中で岡本は二十歳という若さで砲兵連隊長に抜擢されている。
 改革には軋轢が生じる。紀州藩では改革派と反改革派の争いが起こり、遂に反改革派の家老が惨殺される事件にまで発展している。岡本はこの家老暗殺事件に関与していた気配があるが、このときも罪を問われなかった。澤地久枝氏によるとこのとき岡本は「兵力を擁しているものの歴然たる強味を体験し、必要と判断すれば、「法」を枉げても実力行動に訴える醍醐味を味わった」のだという。
 岡本柳之助は竹橋事件以外にも歴史に顔を出す。明治二十七年(1895)の閔妃暗殺事件である。このときも岡本は実行部隊の長として直接指揮をしていながら、罪を逃れている。明治新政府の顕官には、岡本柳之助のようなヤクザまがいの、怪しい、いかがわしい、胡散臭い、得体の知れない男も混じっていたのである。
 証拠はないものの、岡本が近衛砲兵の叛乱計画の成り行きに関して見て見ぬふりをしていた背景には、同時に進行していた紀州出身の陸奥宗光の裁判があったと言われる。陸奥は西南戦争に呼応して反政府の兵を挙げるという陰謀事件により囚われていた。岡本は混乱に乗じて獄中の陸奥を救出しようとしたのかもしれない。ところが竹橋事件の勃発する8月23日に先行して21日に陸奥に対して禁獄五年の判決が言い渡された。
 澤地氏は、「以下は私の想像」と断りながら「兵士の強訴の企てをある筋に内通し、強訴の生殺を制していることを引きかえ条件として、陸奥に対する判決内容を軽くすること」があったと指摘する。状況証拠からすれば十分説明がつく推理である。
 岡本は事前に兵士から肚をさぐられると
「古来、義兵を挙げた例を考えてみると、その成功したものはすべて、指揮する人が良将だったからである。いま兵卒どもが、軽躁にして事を挙げても、なにほどのことをなし得ようか」と発言している。取りようによっては自分が立てば事は成ると言っているようにも聞こえるし、リーダー不在のまま兵を挙げても成功しないから暴発を思い止まるようにとも聞こえる。結局、兵たちは岡本が立つことを信じて挙兵した。
 事件後の十月十五日、五十三名の無名の若き兵士が銃殺刑に処された。彼らの遺骸は、青山霊園(現在の赤坂高校付近)に葬られたという。その墓碑が発見されたのは、事件から百年を経た昭和五十二年(1977)のことであった。そして「火はわが胸中にあり」が刊行されたのも、昭和五十三年(1978)のことである。竹橋事件はおよそ百年の間、置き捨てられていた感が強い。歴史の闇に葬られようとしていた竹橋事件の真相に迫ったこの作品の持つ意味は非常に重い。

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2 コメント

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Unknown (鳴門舟)
2008-10-17 09:52:40
 お久しぶりです。
 こういう形であれば、もう荒らしの心配はないんですか。再開を喜んでいます。

 私、この五月で還暦を迎えました。
今年、大阪で小学校の教員生活を始めた次男から、一本一万円の日本酒をもらったり、家内や娘から
赤い衣類をもらったり、一応60才の坂を越えました。
 ご紹介の本は、どれも読んでいません。
現在は、遅々とした速さなんですが、長谷川伸先生の「相楽総三とその同志」の下巻を読んでいます。
 ほとんど世間的には無名の人たちの動向が描かれていて、長谷川先生は一体どれくらいの資料を読まれたんだろうか、と想像してしまうくらい凄いです。
 植村さんのエネルギにはほんと、感嘆しかありませんが、私もいつか植村さんのまねごとでもやってみたいと、思っています。
 今は、病弱な父に尽くす毎日です。

 ブログも楽しみにしております。
Unknown (植村)
2008-10-18 22:29:17
鳴門舟様
お久しぶりです。コメント有り難うございます。
長谷川伸の本、面白そうですね。是非、次に読んでみます。
お父様の看病、大変なこととお察し致します。

今後とも、たまにHPやブログを見に来てください。

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