史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「洋装の日本史」 刑部芳則著 インターナショナル新書

2023年12月30日 | 書評

「日本から持参した書籍は全部読んでしまった」と思い込んでいたが、よくよく探してみるとまだ手を着けていない本が一冊残っていた。それが「洋装の日本史」である。「近代服飾史」という馴染みの薄い分野に関する本であったが、意外と興味深くあっというまに読み通すことができた。

筆者刑部芳則氏は、「三条実美」や「京都に残った公家たち 華族の近代」(いずれも吉川弘文館)などの著書がある近代日本史を専攻する気鋭の学者だが、一方で服飾史や歌謡史にも造詣が深い。本書は歴史学の手法で服飾史に切り込み、従来の近代服飾史の欺瞞に鋭くメスを入れる一冊となっている。

日本の女性の洋装化に影響を与えたのは、大正十二年(1923)の関東大震災であるとか、女性が下着を穿くようになったのは昭和七年(1932)の白木屋百貨店の火災がきっかけだったといわれている。これらは一種の都市伝説なのだが、家政学の服飾史研究家が書いた書籍や論文の中には、こういった虚説をあたかも実像のように描いているものが数知れず存在しているという。この問題に警鐘を鳴らすというのが、本書の執筆動機となっている。

「白木屋火災の神話にお墨付を与える服飾史研究家」という項では、筆者の論調はヒートアップする。「テレビやラジオで家政学の服飾史研究者がいい加減な解説をしていることが少なくない。それは随分昔から行われてきた」として、その典型例として平成十六年(2004)一月十四日に「トリビアの泉」という番組で、青木英夫氏(故人)が「白木屋火災によって女性は下着を穿くようになった」ことにお墨付きを与えたと批判する。

青木氏は自著「下着の文化史」にて「この火事があって以来、ズロースをはく人が増加してきた。といっても、せいぜい一パーセントぐらいだった」「ズロースは、白木屋の火事で騒がれたほど、下着の発達に対しては大きな役割を果たしたとは思われない」と明記している。筆者によれば「せいぜい一パーセントぐらい」という根拠も明確ではないようだが、いずれにせよ、根拠薄弱な都市伝説をあたかも事実のようにマスコミで話したとすれば罪は重い。

もっとも青木氏がテレビでどのように話をしたのかが本書では語られておらず、ひょっとしたら青木氏の発言をテレビ番組用に切り貼りして、面白おかしく放送した可能性もある。だとすれば青木氏を責めるより、そのように編輯して放送したテレビ局の方に責任があるのかもしれない。

本書は、どちらかというと女性の洋装化の歴史を追っている。確かに男性は明治二十年(1887)頃には、公務員の仕事着はほぼ洋服となり、学校でも洋風の制服(詰襟の学生服)が採用されるようになった。男性の洋装化の流れはこの頃にはほぼ方向性が固まったといえる。これに比べると女性の洋装化には時間がかかった。何よりも女性が洋装することは世間から奇異の目で見られた。洋装した女性は、「じゃじゃ馬」「お行儀がよくない」「不良学生」などと、常に批判の目で見られたのである。

明治十年代後半には鹿鳴館を象徴とするような欧化政策によって洋服熱が過熱したが、当時の女性の洋服にはいくつもの問題があった。①非常に高価 ②コルセットで締め付ける洋服は窮屈で着心地が悪く、健康面にも良くない ③活動的ではない等々。

これらの問題を解決するため、「衣服改良運動」が展開された。様々な識者が意見を戦わせ、実際に改良服を提案したケースもあった。本書にもイラスト入りで婦人改良服が紹介されているが、いずれもぱっとしない。今風にいえば「カワイイ」とは言い難い。やはり女性に採用されるには、値段や着心地、活動のし易さに加えて、何時の時代も見た目がおしゃれで可愛くないといけない。

第一次世界大戦が終結した大正八年(1919)以降、「服装改善活動」なる新たな動きが本格化した。第一次世界大戦後、欧米では職業婦人が増えていた。日本でも女性の社会進出が社会現象化していた時代である。この時期に児童や女子学生に洋服が浸透した。現代にも続くセーラー服が登場したのもこの時代である。しかし、女子学生は卒業すると和装に戻ってしまった。まだ洋装している女性は「モダンガール」と見られて、世間から冷たい視線を受ける時代であった。

明治以来、長い時間をかけて少しずつ女性の洋装化は浸透してきた。日中戦争後、国家総動員法が施行され、服装にも統制が加えられた。それでもスカートは女性たちの人気を集めていた。戦争が激化し、空襲が現実のものになってくるとそれが一時停滞した。女性はモンペやズボンを積極的に穿いたわけではない。戦後、モンペやズボンから解放されると、女性たちは競って魅力的なスカートを求めるようになる。筆者は「女性の洋装化は、戦前・戦中・戦後と連続しており、若い女性たちを中心に徐々に洋服着用者が右肩上がりに増えていった」と力説する。

では、戦後一気に洋装化が進んだのか、というと必ずしもそうではない。本書278ページには和服と洋服の市場規模の推移が掲載されているが、両者の市場規模が逆転したのはようやく昭和49年(1974)前後なのである(なお年間の売上金額は同等であっても一着当たりの単価差を考えれば、実際に和服を着る人数はもっと早くに逆転していたとみるべきであろう)。

本書では漫画「サザエさん」や「いじわるばあさん」に注目して、何時頃日常生活において和服姿が消えてしまったのかを推定している。筆者に推定によれば「サザエさん」に登場する磯野フネは明治二十九年(1896)前後の生まれ。フネは高女時代には着物に袴姿で通学している。「いじわるばあさん」の主人公伊知割石も、女学校時代着物に袴姿に下駄というスタイルで、フネと同世代と思われる。

フネも石も、外出着では洋服を着ている姿もあるが、基本的に日常生活では着物を着ている。両者は生まれながらにして洋服を着る機会がなく終戦を迎えた。高度経済成長期に突入しても、戦前までの服装観で生活を続けていた。日常生活で洋服に袖を通すよりも、着物の方が楽だったのだろう、としている。筆者によれば、昭和五十年(1975)頃を境に和服姿が日常生活から消えて行ったという。言われてみれば、私の父方の祖母は、フネや石と同世代だが、普段は和服であった。アルバムを見返してみてもいつも和服である。私の祖母の世代を最後として日常的な和服世代は退場したということかもしれない。

 

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