史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

常陸太田 Ⅵ

2022年01月01日 | 茨城県

(梶山家墓地)

 付近を自動車で走っていると、梶山弘志氏の政治ポスターが目に付く。梶山氏は、先日発足した岸田文雄新総裁のもとで幹事長代行に登用された。この辺りは梶山氏の地元である。

 梶山家墓地入口に「天下の魁」と刻まれた巨大な石碑が建てられている。書は梶山弘志氏の父静六(常陸太田市稲木町1246‐1付近)。

 

天下の魁 水戸天狗党

梶山敬介君留魂之碑

自由民主党幹事長 衆議院議員

梶山静六謹書

 

 「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、梶山敬介は、久慈郡稲木村の農。天狗党の挙兵に参加し、慶応元年(1865)二月十五日、敦賀にて斬。

 

 この碑のことを片山杜秀著「尊王攘夷」(新潮選書)で知った。本書によれば、この石碑が建立されたのは、昭和五十三年(1978)のことだという。当時、梶山静六は、田中角栄逮捕のあおりを受けて落選していた。梶山敬介は、梶山静六の曾祖叔父にあたる。梶山氏は、もともと佐竹氏に仕える武士であったが、佐竹氏が秋田に移封されると、常陸に残り稲木村に土着して農民となった。梶山敬介の生年は不詳であるが、天保年間から弘化の頭と推定されている。水戸学に目覚め、尊王攘夷運動に没入した。那珂湊の戦争のあと、天狗党西上にも従い、敦賀で処刑された。

 

梶山敬介之墓

 

梶山静六之墓

 

 この後、馬場町に移動して、共同墓地で宮田瀬兵衛や西野孝太郎の墓を探したが、発見できず。さらに二十数キロメートル北上して大中町で白石平八郎、内蔵進父子の墓を探したが、やはり発見できず。空振りが続いた。

 宮田瀬兵衛は、桜田門外の変の直後、自ら同盟者であると自首し、間もなく獄死した人物である。共同墓地に宮田家の墓所があり、古い墓石が並んでいたので、目を皿にして確認したが、特定することはできなかった。

 西野孝太郎は叔父宮本左一郎殺害の仇討に助太刀をした人。元治元年(1864)、水戸に向かう途上、異党と斬りあって亡くなった。

 白石平八郎、内蔵進父子は、文久元年(1861)、出府の途次、稲吉駅にて反対派に囲まれ父子ともに闘死した。大中村には霊園があるが、そこをいくら探しても白石父子の墓を見つけることはできなかった(比較的新しい白石家の墓石には二つ出会ったが、白石父子とは無縁のようである)。

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