夢発電所

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三衣一鉢(さんねいいつばつ)

2012-04-16 06:25:47 | 私の本棚
「悟りと救い」 (「求道の果てに/藤井圭子)

 クリスチャンである我が友人から、昨年再会した折にいただいた書籍を今になってようやく手にしている。
 というのも、過日からこころの赴くままに「書道」「陶芸」をわが法人事業所のメンバーさんたちに機会を設けることが今年度叶うことになった。書道と言うよりは「書を愉しむ会」と命名したのだが・・・。
 その書の先生に迎えた方がたまたま、弘前市新寺町にある「西福寺」というお寺の若き僧侶・工藤 大志さんである。
 
 大志さんの西福寺には円空作 十一面観音像・地蔵菩薩像の二体があることを知った。
 
 青森県の指定文化財になっているその添え書きには、次のように紹介されている。

 「寛文7年(1667年)頃、蝦夷地での造像修行の後、弘前城下再訪時に刻んだものである。
等身大に近い半肉彫りの形状の立像は、多数の円空仏の中でも津軽・下北と秋田に集中しており、良材に恵まれたことと地域から礼拝像としての制作依頼があったためと思われる。」

 円空仏は家内と京都に旅した折、たまたま国立博物館に足を運んでその見事な立像を拝観できたのである。
 井上ひさしの小説「四千万歩を歩いた男」でも青森県から北海道に渡った円空の足跡が書かれていたし、その話の身近なところでは青森県の鰺ヶ沢にも円空仏が宿を借りたその礼として仏像を残していったと聞いている。
 私が出入りしていた「岩木山麓しらとり農場」も、その建物の柱などを細工して下さった大工さんが、市浦村の方で、円空が青森県から蝦夷の地に渡るためには必ずあるべき円空仏が長い間見つからなかったのだが、それを偶然にも発見した方であったと聞いた。

 私はこれまでの人生で「宗教」と「政治」から身を遠くに置いてきた。それは私の生き方が、そのような価値観のもとにあったからである。どのような宗教でも私は拒まない代わりに、そこに執着しないことが私の生き方でもある。
 ただこの考え方の根本には、「縁」というものが私にとって欠かせない。無理をしなくても縁さえあれば、そこに導かれる何者かが私を迎えてくれると思うからである。その縁に導かれるままにいきてきたし、これからもその生き方を変える気もまたない。

 表題の「三衣一鉢(さんねいいつばつ)」とは、釈迦が出家する際に自己省察した価値観であり、三つの衣と一つの鉢以外は何も持たず、何を食べ、何を着ようかとの思い煩いを捨てた出家生活の根本様式として定めています。
 その理由は総ての「苦」の根源である欲貪(よくどん)を、智慧をもって調伏し(ちょうぶく)し、欲貪を空ずることによって、もはや何者にも乱されることのない西条の幸福に到達することをめざしていたからです。

 遠藤周作の作品の中に「海と毒薬」があり、インドの話の中にもこの「糞掃衣」があったように思います。

 「三衣一鉢」の鉢は托鉢を意味し、「乞食(こつじき)」をいいます。三衣とは人間の衣生活の下端を意味し、「糞掃衣(ふんぞうえ)」といいます。その衣とは、袈裟衣のことで、それは白とか黒ではなく、薄汚れた色の古布を綴り合わせたものを言います。つまり、牛馬の糞を拭って捨てた布とか、女性が整理の時に使った布とかを拾い集めてきれいに洗い、綴り合わせたものだそうです。

 著者藤井氏は「葬儀や法事などで、高僧と言われる人たちが絢爛豪華な袈裟を身にまとっているのを見るたびに、私は出家本来の心や、生活は何処に行ってしまったのだろうと、一種の哀しみを覚えます」と書いている。
 さらに出家は、住を持たない人をいい、「雲水(うんすい)」の言葉がよく表現しているように、行雲のごとく、一処不住の生活が出家生活の原則だという。一つの木の下ですら三日留まることを禁止して、ひたすら真理追求の生活をする。
 これら一鉢にしても三衣にしても雲水にしても、それはすべての執着を絶って欲貪を調伏する方策であったのだと説明されています。
 釈迦が人間の幸福へ行き着く方法として、「大吉祥経」で説いている。