夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

楽しさ求めてきょうもまた・・・

2010-02-17 16:33:51 | つれづれなるままに
 私の娘Nは今朝も食事が済めば、車椅子から降りて腹ばいで移動を開始する。距離は12メートル。歩けばすぐにつく距離だが、彼女は歩けないので腹ばい移動である。それに上腕を使うだけで両下肢は使わないので、ぴかぴかの廊下を進むのはかなり大変なエネルギーが要る。私が同じ姿勢をとって移動するとしても汗だくである。
 そういうことを彼女はほとんど欠かすことなく毎日実行している。この彼女のエネルギー源は「キーボードは楽しい」という強い思いである。この思いこそが彼女を引き寄せ、突き動かす力である。このことによって彼女の体力は維持され、背筋や腹筋、上腕筋などが鍛錬されることになり、肺活量も自然とついてくる。お腹がすけば今度はまた居間まで戻ってくるのだから、相当な運動量を維持していることになる。
 4月からは果たしてこういう運動量が、減少しないかを心配している。彼女の廊下はケアホームには存在しないのだ。毎週土日帰宅はしても、決定的に運動量そのものが減ることに違いはないだろう。新たな悩みがそこにある。
 
 

安里屋ユンタが流れている

2010-02-17 07:42:13 | つれづれなるままに
 私の頭の中にはこの数日思い起こしたように「アサドヤユンタ」という沖縄民謡が三線と一緒に繰り返し流れている。別に料金を取られるわけではないから、ハッピーな気分ではある。
 
 この歌は琉球王朝時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマ(1722年 - 1799年)と、王府より八重山に派遣されクヤマに一目惚れした目差主(みざししゅ。下級役人)のやり取りを面白おかしく描いている。

 18世紀の八重山では庶民に苛酷な人頭税の取り立てが課せられており、庶民が役人に逆らうことは普通では考えられなかった。そんな中で目差主の求婚を撥ね付けるクヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれ、結の田植歌と結び付いて19世紀初頭までに安里屋ユンタとなったと考えられている。歌詞は23番まで続き、4番以降ではクヤマに振られた目差主が「ならばお前より美しい娘を見つけて嫁にする」と言ってクヤマと別れ、イスケマと言う娘を娶って郷里に連れて帰る過程を描いている

 歌詞中の「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」は八重山方言の古語で「また逢いましょう、美しき人よ」の意であるとされるが、インドネシア語で「太陽は我らを等しく愛する」の意味も込められている、との説もある。
 (以上Wikipediaより)

 「太陽は等しく吾らを愛する」という言葉はいいですね。