夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

格言?迷言?

2010-02-13 07:39:37 | つれづれなるままに
 私には施設管理者という肩書きと、親という肩書きの両面性があり悩ましい。施設職員となっていつも感じるのは、サービス提供者側とサービスの消費者側との軋轢であり、ジレンマでもある。より良いサービスを提供できるように努力していても、完全なことなどとは程遠い環境がそこにはある。国の職員は一基準の低さ、それに伴う経営力の脆弱さはサービスのほころびを誘引する。
 リスクマネジメントのなんと多いことか。「施設内での事故」それは利用者間のトラブルや他害、職員の不適切なケアと負傷事故。もしくは不祥事。不適切な判断や不適切な対応、不適切な発言や態度など・・・あげればキリも際限もない。
 そういうことが起きれば、ひたすら謝罪と二度繰り返さないための内部の事実確認と再発防止のための話し合いが必要となる。
 そして私には親としての立場がある。重度の知的ハンディキャップの娘を預けている。信頼して預けてはいるが、これまで職員のケア上の不手際や、利用者からの他害によって幾度も娘たちは痛い目にあってきた。二度と起こらないように注意しますと記事はあるものの、再発は必ずある。経営者側の立場から言えば娘には申し訳ないが、利用者の他害事故は娘でよかったと思うときがある。ごめんね痛かっただろ?と思いながらも、ほかの利用者にもしそれがあったら、どんな抗議を受けるだろうかと気が気でない経営者が居る。
 そこで迷言「○○さんに傷つけられても、○○さんには決して傷つけてはならない」という言葉となるのである。
 悲しいかな、そういう思いの日々がある。
 

如月は短し

2010-02-13 06:58:06 | Weblog
 毎年のことだが私の生まれた如月(2月)は、いささか短すぎる気がする。ふと気づけばすでに14日で、あと半分しかない。如月は着更衣とも・・・寒さも厳しい日々で、きょうの弘前市の最低気温は-8℃、最高気温も-2℃の真冬日である。
 きょうはバレンタインディで、バンクーバーでの冬季オリンピックの開幕の日でもある。社会的にそういう動きのある一方、わが法人の創立10周年記念事業の映画上映とコンサートも明日が第1回目となっている。「1/4の奇跡~本当のことだから~」というドキュメント映画。そしてパーカッション奏者・奈良裕之さんのコンサートである。法人施設は10周年ではあるが、実は無認可施設時代を加えれば16年目である。奈良さんとはだから、かれこれ14年を超えるお付き合いになるだろう。毎年一回は必ず顔を見せてくれ、そしていつもわが施設利用メンバーとの交流をパーカッションの楽器で楽しませてくれた。だから、どうしても奈良さんにも一役を買ってほしかった。2月ならいいよということで、今回のコンサートが実現している。
 奈良さんといえば「ベジタリアン」で、魚肉類や卵、酒、コーヒー、お茶などは飲食しない主義。なので、いつもご飯は決まったパターンになってしまう。今回はわが法人事務長のM氏の手料理で、「野菜カレーや玄米のご飯などのおもてなしである。
 映画のほうも偶然昨年の文化祭で上映してほしいという依頼があって、2日間にわたり上映したが、時間を経るに連れてこの映画の上映を希望する方々とつながって、今回の上映会となっている。
 障害(しょうがい)者というと、何か社会的にその存在が迷惑な存在に捉えられがちであるが、このドキュメンタリー映画ではこの世に生まれてきた「総てのいのち」には存在意義があるということを魂を揺さぶるような事実で示してくれる。 
 私が娘たちと共に歩いた30数年間も、まさにこの娘たちがハンディキャップを負って生まれてこなければ展開実現できなかった人生といわざるを得ない。
 社会の中で弱い存在と見られがちなこのいのちは、実は多くのメッセージを体内から発しているのである。社会の中で、そのメッセージを受け止められる人がアンテナを持たない人々に対して、伝えていくこと。それが私たちの役割でもある。そして映画の中での特別支援学校教師のかっこちゃんの役割なのだ。
 多くの市民にこの思いを届けたいという気持ちで、関わらせていただいた。成功などというものは今回のイベントには、無関係である。社会の中でそういう思いを感じ取れる人々に、一人でも多くメッセンジャーとしての役割を担ってほしいという思いがそこにはある。