夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

次女Mの誕生日に

2010-02-08 07:45:06 | 創作(etude)
 
 朝から青空が広がって
 堆積した2日前の白い雪を
 反射鏡に
 我が家から見える窓に  
 世界が明るく輝いている
 いま起きて来た娘は
 きょう32歳のバースディ
 奇しくも
 父親と同じ日に生まれてきた

 長女Nは
 脳性まひを
 この世のパスポートに
 携えて生まれてきた
 そして次女はまた
 姉のお下がりではなく
 自分自身の脳性まひの
 パスポートを
 忘れはしなかった

 もし仮に
 この娘たちのいずれか
 一人が
 ハンディキャップもなく
 生まれていたら
 親は中途半端さの中で
 その生まれついての
 しょうがいを
 悔やみ続け
 不幸をひとりで
 背負って生きただろう
 たぶん
 ピノキオの爺さんに
 成り下がっていたかもしれない

 病気がちだった幼いころ
 次女は
 てんかん発作を
 繰り返していた
 苦しそうにゆがんだ
 お前の顔を
 なんど肝を
 冷やして
 見ていた
 ことだろうか

 ひも回しをしたり
 皿回しをしたり
 紙をひらひらさせたり
 夏の日には
 お前は
 水遊びが大好きで
 プールでは
 教えもしないのに
 ラッコのように
 水の上を
 ぷかぷか
 浮かんで
 楽しそうだった

 おはぎや
 ケーキや
 饅頭や
 とにかく
 甘いものが大好きで
 いつも
 腹時計が正確な
 次女Mは
 人間みな兄弟という
 精神を貫いて
 誰が食べ物を食べていようが
 そのそばに近寄って
 私にもちょうだいと
 おねだりを
 するのでした

 いつも
 誰に臆することもなく
 こころを
 素直に
 正直に
 おならをするのも
 気分次第
 言葉はなくても
 喜怒哀楽は
 その顔の表情一つで
 誰にでもわかる
 
 ピアノの大好きな
 Mの曲想は
 ジャズのような
 喜びや悲しみを
 時には
 悲しく
 時には嬉しく
 聞いていると
 いつも自由な
 心地よさ

 そんなMも
 きょう2月8日で
 32歳を迎えた
 よくぞここまで
 じょうぶになったねって
 ほめてあげたい
 きみがいたから
 ぼく達家族は
 いつも微笑みを
 忘れることがなかった
 希望を失うことはなかった
 ありがとう
 Mちゃん
 誕生日
 オメデトウ
 
 
    

長い俳句?

2010-02-08 06:42:40 | つれづれなるままに
 知人の通夜に出かけた。最近の葬儀は「○○公益セレモニー」などという、葬儀専門の建物で行われることがあたり前になってきた。200人や300人はあたり前に入る。焼香する際も、香炉が10個くらいは並べられている。
 祭壇も立派になっただけではなく、故人の思い出を、次々にスクリーンに映し出す。クラシックなどが会場を静かに流れて、会葬者の席もすべて椅子なので足が痺れることもない。
 何よりも変化の兆しは、このセレモニーの近代化現象の一つである。映画の「送り人」で葬儀会社のイメージも大きく変わったのか、格好のいい若者がマイクを耳につけて、会場を走り回っている。
 さすがに若くして急逝しただけあって、昨夜の会葬者は会場の椅子をすべて埋め尽くしても足りないくらいだった。予定時刻になると菩提寺の住職一行が4名入場して、若い導師がマイクを使ってまるでオペラでも唄うかのように読経を始めた。
 やがて入念な読経も終わり、弔辞が始まる。故人を偲ぶために用意された弔辞は、その人の生き方とその人の人間関係や絆を物語る。昨夜は私の記憶上では稀有な数の弔辞が次々に読み上げられていった。商店街の団体、歩け歩けの団体、歴史研究会などのほか、詩吟の奉納、挙句には俳句の奉納までにいたっては既に通常の時間を大幅に上回っていた。会場がざわめいたのは、最初の弔辞が通常の弔辞を紙に書いたものを読み上げるのだが、俳句の奉納に至っては、短く終わるものと誰しもが思ったのではないだろうか。ところが、この俳句を披露するべき人は何も紙に書かずに登場した。ひょっとしてと思いきや、個人が死んだ経過を事細かに、いやそれ以上に余計な自分の家族関係の個人情報の披瀝にまで及んでいた。そしてようやく俳句の披瀝というところでは自分の作歌した俳句の言葉一つ一つの解説をして、一人気持ちよがっていたのである。会場はいつこの人の弔辞が終わるのかだけが気がかりとなり、最初の3つの団体のときにはすすり泣きの声も混じっていたが、一気に雰囲気が険悪なものに変わりつつあった。ようやく弔辞の最後になった言い方の中で、「○○君の冥福を祈って・・・」と個人の兄の名前を言い間違えて、会場の失笑を買ってしまっていたのである。隣に座っていたおばさんたちのひそひそ話は「ほれ、兄のことまで殺してしまって・・・」と笑うに笑えない弔事となっていた。
 
 一番心に残ったのは喪主の挨拶で、長男さんが話した言葉かもしれない。「父は私たち兄弟に常日頃から、人様に迷惑をかけてはいけない。人が困っていたたら必ず声をかけて力になれ。友達を大切にしろ」と言われた。そして父の急死に戸惑いながら、「人が亡くなるというのは、遺体となったことをさすのではなく、個人を忘れてしまうときがそのなくなったというときではないか・・・」だから時々は父のことを思い起こしてやってください」若い長男さんの生きた言葉が、私たち参会者に唯一の通夜らしさを香典返しにいただいた気がしていた。