「ねじまき鳥クロニクル」を読みました。このところ村上春樹の本だけが私の傍にあります。
彼の代表的な小説を読み進むと共通性に気付くのですが、それは人々の絆のようなものが根底に流れていることです。この表現力はすごいなと思います。どんな人間の内面にも存在する暗さや奥深さも、なんだか空恐ろしさとして心に迫ります。
さすがに外国生活が長い方だけに、舞台は日本なのですが世界の様子が目に浮かぶような気がします。間宮中尉の思い出話はかなりショッキングな出来事として、記憶に残る場面でした。山本という男の全身の皮を拷問ではぎ取るシーンがありますが、これはフィクションといいながらも、かなり強烈なショックでした。そして間宮中尉が井戸の中に飛び込むシーン、生死を分ける場面です。頭を撃たれて死ぬか、それともカラカラに乾いた井戸の中に飛び込んで数パーセントの生に賭けるか・・・。全体を通じてこの小説の中で貫いているのは、妥協的な生き方ではなく「こだわり」のような執拗さではなかったでしょうか。僕だったらもう少し安易な生き方を選択しそうだなと思う場面に何度も出くわしますが、主人公は自分の生き方を簡単に変えられずに生きています。そして夫婦関係を通じて表す人間の弱さも、私自身の共通性として読みました。生きているという内面性の問題。生きながら死んでいるという事実。失い続ける何か。生と死の持つ意味は?
ところで本のタイトル「ねじまき鳥・・・」これがどんな意味をもつのか、何故こういうタイトルを付けたのでしょうか?場面の予言としての暗号なのかな?ミヒャエルエンデを読んでいる見たいに思ったりする場面がたくさんあって、混乱しました。もう一度読まないとわかり得ない小説のような気がしています。
彼の代表的な小説を読み進むと共通性に気付くのですが、それは人々の絆のようなものが根底に流れていることです。この表現力はすごいなと思います。どんな人間の内面にも存在する暗さや奥深さも、なんだか空恐ろしさとして心に迫ります。
さすがに外国生活が長い方だけに、舞台は日本なのですが世界の様子が目に浮かぶような気がします。間宮中尉の思い出話はかなりショッキングな出来事として、記憶に残る場面でした。山本という男の全身の皮を拷問ではぎ取るシーンがありますが、これはフィクションといいながらも、かなり強烈なショックでした。そして間宮中尉が井戸の中に飛び込むシーン、生死を分ける場面です。頭を撃たれて死ぬか、それともカラカラに乾いた井戸の中に飛び込んで数パーセントの生に賭けるか・・・。全体を通じてこの小説の中で貫いているのは、妥協的な生き方ではなく「こだわり」のような執拗さではなかったでしょうか。僕だったらもう少し安易な生き方を選択しそうだなと思う場面に何度も出くわしますが、主人公は自分の生き方を簡単に変えられずに生きています。そして夫婦関係を通じて表す人間の弱さも、私自身の共通性として読みました。生きているという内面性の問題。生きながら死んでいるという事実。失い続ける何か。生と死の持つ意味は?
ところで本のタイトル「ねじまき鳥・・・」これがどんな意味をもつのか、何故こういうタイトルを付けたのでしょうか?場面の予言としての暗号なのかな?ミヒャエルエンデを読んでいる見たいに思ったりする場面がたくさんあって、混乱しました。もう一度読まないとわかり得ない小説のような気がしています。